新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月23日 その2 小池都知事の定例記者会見

2016-09-23 15:52:46 | コラム
用意周到であると痛感:

本日午後2時からの小池都知事の帰国後初の会見をジッと聞いていた。昨日からやや体調が下降線を辿っており、ジムから帰ってきて寝転がっていた状態であった。16日のYM氏との懇談でも一致した意見だった「女性は本質しか語らず、無駄なことを言わない鋭さがある」をそのまま画に描いたかのような見事なものだった。

会見以前にTBSの「ひるおび」だったかで「都民ファーストの会」だったか「小池政治塾」を採り上げていたが、都知事の答弁の中でもこの件に触れておられた。この辺りには私が都知事は立候補以前から周到な準備をされていたのではと思わせる点が多々あった。

答弁の中で、自民党都連から離党勧告された7人の区議を守ると明言した辺りの度胸は大したもので、質問者を沈黙させるに十分なものがあった。また「豊洲問題での責任追及を如何にするか」との質問に答えて「犯人捜しが目的ではない」とした後で「それも目的の一つである」と補足した辺りが唯一の慌てた場面であって、それ以外は付け入る隙を与える事なく淀みなくこなしていったのには、凡庸な記者どもは小池さんの敵ではないと痛感させて貰えた。

28日から始まる定例の都議会で如何に自民・公明とわたりあっていくかが焦点だろうが、自民党は失態がこれでもかと暴かれている現時点では、彼らがどれほど低次元の議員の集合体であるかが衆目に曝されないように努力する必要があるだろうと思わせてくれた。だが、都知事は結局は豊洲への移転の時期等の突っ込んだ質問に対しては「都庁の幹部から挙がってくる報告書次第」とかわしていたのも、見事なものだった。

その背景にあったことは、ブラジル出張に仕上げることを命じて置いた報告書が不満足で却下したと明言したのも、その度胸の良さというか、実態を包み隠さず感情的にならずに語ってしまう女性独特の鋭さかと思って聞いた。兎に角、言葉に無駄がなかった。それは裏を返せば「鋭い質問がなかった」ということではなかったか。

正直に言えば、私には小池都知事の政治家としての力量などを計ることは出来ない。だが、就任後のこれまでの短期間では端倪すべからざる能力を見せていると思わせてくれた。しかし、小池さんのと知事としての働きが本格化するのは都議会との対決というか、正面から向かい合った時に初めて見えてくることだと思うのだ。現時点では、野球に喩えれば1回の表に先頭打者を三球三振に打ち取ったまでのところで、サッカーにすれば試合開始直後の5~10分間を無難に滑り出したというところだろう。

私は今後小池さんが都民の期待を裏切らないように都政を運営され、都議会と都庁職員に貴重な税金の無駄遣いを許すことがないようにして「都民ファースト」を実現して欲しいと心から願うものだ。


B League(BLG)の誕生

2016-09-23 07:54:33 | コラム
バスケットボール界にプロのリーグが誕生:

昨日はある程度の期待感を持って、この川淵三郎元サッカー協会会長が国際的に危機に瀕していたバスケットボール界を纏め上げて発足させた(「スタートさせた」ではない、念のため)我が国初のプロのバスケットボール・リーグの開幕戦をテレビ観戦した。何を隠そう、当方は高校まではサッカーの次に野球とともに得意としていたのは、身長の不足をものともせずに、バスケットボールだったのだ。

アメリカでもNBA(プロのバスケットボール・リーグ)やNCAA(大学体育協会)の試合を、言うなれば数多く見る機会を得ていたので、ある程度以上の知識もあるのだ。即ち、バスケットボールの試合の観戦の楽しみ方は承知していると言いたいのだ。

以前にも指摘したが、バスケットボールはアメリカの三大スポーツの一つであり、その普及の度合いは誠に凄いものがある。アメリカのある程度以上の住宅地内を移動すれば、ほとんどの家の前のガレージにか、あるいは単独でバスケットボールのリングが設置されているのだから。また、そこで戯れている人たちの上手さがまた素晴らしいのにも、驚かされたものだった。実は、プロバスケットボールの選手たちの年俸は三大スポーツのリーグの中で最も高いのだそうで、それは年間の試合数が野球やフットボールよりも多いからだとも聞かされている。現に川渕氏は年間80試合を行って選手を国際的な水準に持って行きたいと打ち出していた。

NBAのバスケットボールの試合だが、1980年代に初めて観に行ってみて(と言っても、本社の事業部がシアトルセンター内の競技場に年間指定席を持っていたからだが)選手たちの過半数がアフリカ系だと知ったのだった。そこには2 mを軽く越す長身のしなやかな動きを見せる者たちが、実に華麗な動きで鮮やかにシュートを決めてみせる豪華なショーが展開されていた。即ち、ここでも野球やフットボールと同様にアフリカ系の者たちが圧倒する世界だと知り得た。

我が国には今回のBLGの発足前にはNBLとbjリーグの二つのリーグが存在していて、それを国際連盟から不当と指摘されていたのだった。私はその一つだったbjリーグの「東京アパッチ」というテイームのオウナーが愚息の知人であるアメリカでファンドを成功裡に運営しているMikeだった関係で、代々木の第二体育館で開催されていた試合を何度かを、3.11の前までは観に行っていた。しかしながら、残念ながら、3.11後の電力不足で体育館が使えなくなってしまったので、Mikeが経営から手を引いてしまったので、テイームも解散してしまった。

そこでも知り得たことは、我が国にも未来のNBA選手か、そこから残念ながらこぼれ落ちた選手たちが相当数第二の働き場所(稼ぎ場所?)を求めて加入していたことだった。そこに我が国の言わば一流選手たちが混じって展開していたバスケットボールの質は決して低いものではなく、コートサイドの席で彼らがボールを取り合って激しくぶつかっているのを間近で見れば、その迫力には感動させられたのだった。

フットボールや野球とは異なって室内で目の前で競り合っている凄さは、実際に見てみないことには解らないだろうと思う。しかしながら、バスケットボールでも、フットボールでも、野球でも異文化の世界から来た白人も含めた外国人たちの多くはこれ見よがしに腕にも体にも刺青が入っているし、何と言って形容して良いかも解らないおどろおどろした髪型をしているのには、違和感を禁じ得ないのだ。だが、彼らの技術は素晴らしいので困る。

昨日の試合ではNBLの強豪のアルバルク東京とbjリーグを4回制覇した琉球ゴールデンキングの対戦で、手に汗握らせられるかに近い熱戦だった。結果としては琉球が第1クオーターにシュートを外しすぎたことと、エースの岸本を封じ込められたことが祟って接戦を落としてしまった。川渕氏はサッカーのJリーグと同様にフランチャイズ制にしていたが、これから先に地方でどれだけ盛り上げていけるかにこの新リーグの成功が懸かっているのではないかと思う。

だが、バスケットボールはサッカーや野球と異なってリングが一つあればそれだけでも十分に、言わば手軽に楽しめる要素があるので、案外に普及していると思ってみている。その一つの証拠に、我が新宿区の百人町の何カ所かの区営の小さな公園の中や片隅に、バスケットボールのコートかリングが設置されていて(韓国や中国の青年たちまでも含めて)バスケットボールを楽しんでいる若者が多いのだ。

私が危惧することは、川渕氏はご承知の上でここまでバスケットボールを盛り上げられたのだと思うが、最近の我が国のサッカーのフル代表のテイームの不甲斐なさを見ていると、Jリーグの選手たちが余程奮起してサッカーを活性化させないことには、短期的にもバスケットボールの後塵を拝することになりはしないかということだ。しかも、バスケットボールの選手たちには如何にも女性の人気を獲得しそうな長身の美青年が多い。サッカー界危うしと危惧するのだが・・・。


文化庁の国語世論調査

2016-09-22 11:17:53 | コラム
国語の乱れを浮かび上がらせた:

文化庁の国語世論調査を興味深く読んだ。私は長年カタカナ語の氾濫を採り上げてきたし、主としてテレビの登場する輩のおかしな日本語も批判してきた。今回の発表ではその一部だけでも採り上げられたのは大いに歓迎すべき事だと思っている。以前にも述べたことたが、1969年頃に韓国の中規模財閥の御曹司と語り合った際に、彼が「私がしゃべっている韓国語が最も新しい言葉で、時代を表している」と言ったのを思いだした。

即ち、私は最早「ら抜き言葉」「~して貰って良いですか」「コミュニケーションをとる」等という類いの日常的に使われている表現を「最先端の日本語」として素直に受け入れるべき時が来たのかなとすら考えているのだ。言葉は時代とともに変化せざるを得ないものであり、高齢者がその流れに逆らって論陣を張るのも、若き世代には「何をほざくか」と受け入れられないのだと諦めかけている。

2~3世代下の人たちとの直接交流が少なくなった2006年1月に、心筋梗塞を起こして救急車で入院した際にほとんども看護師さんたちが「~して貰って良いですか」と言って語りかけてきて、私に腕を出させて血圧を測定するし、パジャマの胸を開いて聴診器を当てるのには正直に言って当惑した。「良くありません」と答えればどうなるかななどと一瞬考えたものだった。だが、これを訳せば「~して下さい」の意味だと解るのに暫く時間がかかった。

テレビを中心にしたマスメデイアでは彼らが主体なのか、登場するタレントたちが新日本語で語る為か、上記の「コミュニケーションをとる」を始めに「~をスタートさせる」「~をオープンする」「~のトラブル」や「~をコンパクトに」「~のインパクトが」等々のカタカナ語混じりの表現が誠に多いのだ。また、文化庁が発表したように松坂大輔が使い始めた「リベンジ」のような一聴格好が良いカタカナ語が氾濫している。スポーツの世界でも何処でも一寸経験がある者は全て「ベテラン」で括るようだ。この二つは文語だと思うし、会話の中でも何でも使った記憶はない。

私はこれまでに、と言ってもワープロでエッセーだと思って書いてはこれと思う方に送り始めたのは2000年辺りだったし、PCに替えたもの2003年からだった。それに、昨年PCを修理した際に記録を失った部分が多く、何時からカタカナ語批判を始めたのかは遺憾ながら記録が残っていない。批判を始めた動機の一つには「国語の乱れを正そう」という純粋なものがあったし、また誤った英語の単語の使い方にも憂慮させられる点が多々あったからだ。

その頃から「カタカナ語をお使いになるのを妨げる気はない。それらが本当の英語とは掛け離れた誤った使い方か誤解と誤認識に基づいているとご承知ならば」と言いつつも、繰り返しおかしな使われ方と認められるものを採り上げて警告してきた。即ち、ここでも既に半ば諦めの境地に至ってはいたのだった。同時に、世間では「国際化の時代にあっては日本人の英語力の向上が必須」などと言いながら、出鱈目なカタカナ語の普及を放置するのは看過できなかったのだ。何処かおかしいかの例をここに詳細に取り上げる気はない。だが、いくつか採り上げて「本当の英語とは何処が違うのか」を論じてみたい。

「コミュニケーションをとる」は恐らく「意思の疎通を図る」と言いたくて使われているのだと思う。だが、私の経験の範囲内では、そう言いたくて(書く時にも)”communicate”という言葉が使われた記憶も経験もない。Oxfordには”to change information, news, etc. with ~”が出てくるが、その通りだろう。語り合うのならば”talk to”もあれば”speak to”もあるし「一寸話をしよう」であれば会話体で、”Let’s sit down to have some chat.”等と言って話しかける。

「オープンする」も多用されるが、これは「開店」のこともあれば「開業」の場合もあるので、「オープン」としただけでは何れを指すのかが不明確な場合が多い。また”open”と言う単語は形容詞でもあり動詞でも使われるのだが、その何れかが判然としていない使われ方が多いのは「英語の勉強の奨励」の為には宜しくない。また、話は逸れるが「本日は閉店」と言いたくて”CLOSE”との看板を下げている例が多い、英語に日本語にはない過去形がある事を学び切れていないようで残念だ。蛇足だが、”CLOSED”が本当だろう。

以前にも指摘したが、何でもかんでも「トラブル」で括ってしまう傾向が顕著なのは誠に芳しくないと思う。あの使い方では「事故」、「故障」、「揉め事」のどれを表すのかが見えてこないので困る。ところが、ジーニアス英和には「心配、苦労、悩み、心配事」等々に続いて「迷惑や面倒や困難や災難」が出てくるし、私もそういう意味で使ってきたのに、そうではない意味の漢字の熟語の代用に重宝に使われている。英語ではそういう意味では使わないと承知しておくべきだ。

最後に「ら抜き言葉」を採り上げたいが、これは繰り返し主張してきた「耳から入る言葉が最も影響力が強い」の最悪の例の一つだと思って、若い世代やテレビに登場する輩が使いまくるのを聞いている。学校での国語教育が不行き届きかと思っている。私は「テレビ局は使いたいタレントどもに国語の試験をしてから出せ」と言ったこともあった。だが、良く考えなくても解ることで、彼らがジャニーズ事務所等にそんな大それた事を言える訳がなかったのだ。


9月21日 その2 マスコミに告ぐ

2016-09-21 15:16:13 | コラム
豊洲の開場を早めるような努力をせよ:

繰り返しになりますが、私は責任者(≠犯人)が解ったところで、豊洲問題の解決にはならないと思っております。地下の空洞を如何にして工事して改善・改良するかの策がたって、何年何月に正式に豊洲を開業できるかを公表できて、初めて解決の第一歩だと思っておりますから。あの奇々怪々の工事にゼネコンがどのように絡んだのか、談合があったのか等は、そこまでに至る過程で自ずと(副産物で)明らかになるかも知れません。

だが、談合に荷担したゼネコンを捜し出して処分したところで「世に何とかのタネは尽きまじ」とその昔に誰かが辞世の句にしたように、彼らがこの一件だけの結果で営業政策や方針を改めることがあるのでしょうか。マスコミはゼネコン大手を責める勇気の持ち合わせがあるのでしょうか。だが、この辺りはそう簡単な問題とは私には思えませんが。官公庁の指名入札の資格を得るには「何年間か継続して純益が上がっていて配当を維持できていたか」等の細かく厳しい規則があったと記憶します。

そういう背景があっても、マスコミが言い出したくてたまらない「癒着」の実態等の炙り出しに本気で取り組むのでしょうか。ではあっても、私は都民の税金をあれほど多額に長期にわたって浪費した連中を叩いても良いのではと、マスコミに言ってやりたいのです。だが、遺憾ながら、それだけでは豊洲の開場を早めることにならないと思うのです。彼らに税金を無駄遣いしたことがどれほど罪が深いかを知らしめるのは、小池都知事の職務でしょう。マスコミのこれまでの採り上げ方ではこの辺りのが不明確で不十分だと言ってやりたいのです。

豊洲問題の責任者追及が煮詰まってきた

2016-09-21 09:02:57 | コラム
豊洲問題をあらためて考察する:

小池都知事の出張中でも、都議会与野党の努力にマスコミも加わって、地下の空洞作りの責任者(危うく「犯人」と書くところだった!!)の影が見え始めてきた。私はそれならそれで結構なことだとは思う。だが、石原君なのかまたは歴代の築地市場長が追求され責任をとろうと、問題の解決には直結しないとの持論を変える気はない。即ち、「都民の台所」なるものの移転問題の解決は、未だその遙か先のことになってしまうだろうからだ。お馴染みのロッカールームの論客は「家内に豊洲を通った魚は買うなと宣告した」と言っていた。それにも一理の半分くらいはあるだろうが、私は未だそういう問題ではないのだと言いたい。

それは、地下の空洞問題を如何なる形で解決するのか、それにはどれほどの予算が必要なのか、どれほどの工期を要するのか、現状のままで床に溜まった水の件さえ解決できて水質の試験で無害と証明できれば、あのままで来年早々の開場に漕ぎ着けられるのか等々の重要な案件を処理するのは、これから先のことなのだから。方々のテレビ局が重用する建築エコノミスト(だったか?)の高山某氏は改善(改良)工事が必要となれば工期には最短でも1年で、最悪は2年が予測できると言った。

それほどの長期間、出来上がってしまった建物を放置するだけではなく、移転推進派の業者が怒って見せたような先行投資の負担を誰がどうやって処理するのかという経済的な問題が再度具体化するのではないか。出来上がった建物の700万円/日と称される維持費の正当性を誰がどのように実証し、誰が(都民が)背負うのかという問題もある。私はこのような現実的な予算を伴う問題の実態を明確にした上で、都知事なり責任者(犯人も含めて)が都民に正式に詫びて許しを請い、開場の延期の承認を願い出るのが筋ではないかと思っている。

犯人捜しは正義の味方のようだが、ポピュリズムの極みの如きであり、事の本質を見極めていない一般大衆には受けて、視聴率も上がるだろうが、それでは本末転倒だ。まさか小池都知事もそこを狙ってこの問題に取り組まれたのでないだろう。だが、その結果で副次的に次第で都政を食い物にしていたかも知れない者どもの存在が炙り出されるのならば、それはそれで良いことであり、都政改革になるのだと歓迎できるだろう。小池さんは何処までやり抜かれる覚悟をお持ちかが私の最大の関心事の一つだ。