新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語は日本語を乱す

2016-09-26 14:08:48 | コラム
山県亮太が自己ベストを記録:

カタカナ語混じりの表現:
「自己ベスト」→昨日の実業団選手権の100 m走で、セイコー所属の走者・山県亮太が10.03秒の「自己ベスト」を出したとテレビも新聞も大きく採り上げた。これは全く奇妙な日本語だと私は断じている。素直に「自己最高記録」と何故言わないのだろうか。ベスト、即ち”best”という形容詞の最上級だけでは何物も特定しないと思うが、マスコミは視聴者も読者も飼い慣らして「自己最高記録」だと思わせてしまった。英語にはあり得ない感覚だ。

時々「パーソナル・ベスト」という表現を使うアナウンサーと解説者がいるが、これも我が国の英語教育の至らなさを十分に表してる。即ち、「レコード」が抜けているのである。英語という言語は「ここは言わなくても相手が察してくれるだろう」という省略が激しい日本語的発想が通用しない言語である事を教えていないのは明らかだ。何時になったらNHKを始めとする局がこの愚かさに目覚めるのかと、全く期待しないで眺めている。

「~をゲット」→次はテレビ局が濫用する、乱用するでも良いが、この言い方だ。時には「~をゲットしました」というのもある。この表現を使う時は99%以上が英文法に言う「過去形」を表している。即ち、”get”ではなく”got”か”have gotten”となるべきところだ。使っている方は「ゲット」を「~を獲得乃至は入手した」と言いたいのだろうが、そこを「しました」等の過去形の表現を付けて補っている。ズバリと言えば「英文法」が解っておらず、日本語の感覚で使っている。

揚げ足をとりたくはないが、英語には過去形がある事が徹底して教え込まれていないようである。だから、我が同胞が英語で話す時に屡々文法、特に時制を誤った話し方になってしまうと思っている。テレビ局が先頭に立って使わないようにすべきだ。私にはとても聞き辛い。

発音の誤り:
「クライアント」→テレビ局が編み出しただろうカタカナ語だ。恐らく”client”のことだと思って聞いている。如何なる辞書を見ても発音記号は「クライエント」となっているし、私もこれ以外の発音を聞いたことがない。何処の何方がかかる奇妙なカタカナ語を創り出して、今日ここまで普及させたのだろう。しかも、これを「お客様」か「顧客」の意味で使っているが、Oxfordには”a person who uses the services or advice of a professional person or organization”となっている。これも、単語帳的知識のなせる業で言葉の誤用だろう。

普通には”customer”であり、ジーニアス英和には”account”を「主に米、とあって広告業界の得意先、顧客」と表している。言葉を誤用して発音までおかしくするカタカナ語を作り出した罪は深いと言いたい。

造語:
「バリヤーフリー」→これなどには”barrier free”という英語が如何にもありそうな響きがある。何を隠そう、1988年4月に入居した我がアパートはこの作りになっていたが、そうとは知らずに何となく違和感すら覚えていた。やがてそれが「バリヤーフリー」と知って、英語では”barrier free”とでもなるのかと思っていた。「障害や障壁がない」という意味かと勝手に解釈していた、巧みな造語だとは夢にも思わずに。

それに当たる英語の表現はなく、言いたければ”usability”か”accessibility”辺りになると知ったのはズーッと後のことだった。私はこのようなカタカナの造語を貶したいとまでは思わない。寧ろ、「バリヤー」=”barrier”のような極めて文語的な言葉を承知し、それを活かして造語を作り上げる単語の知識に恐れ入るだけだから。私はこれまでに”barrier”という言葉を使った記憶には”language barrier”くらいしか思い当たらない。それほど日常的な単語ではないと言いたい。

この辺に、我が国の英語教育には「読解力」を高めるが、「単語をバラバラに覚え、流れの中でどのように(日常的に)使われるか」という現実面を重要視できていないとの問題があると思わせてくれる感が深い。要するに、何処まで行ってもテスト向きであっても、実用性に乏しい恨みがあるのではないか。だからこそ、カタカナ語が次から次へと創造されるのだろう。


9月25日 その2 渋谷区が産んだスター・松本文明

2016-09-25 14:51:11 | コラム
テレビタックルのスター・松本文明:

この番組は日曜日の昼食の時間とぶつかるし、これに出てくるとAHOか利口かが悲しいほど解るという面白さがあるので、熱心に見ている。特に酷いと思わせてくれるのが渋谷区選出という衆議院議員・自民党の松本文明だ。彼は都議会議員を4期勤めたと豪語するので、ならばと早速検索して経歴と学歴を調べた。それは兎も角、あの程度の人物が(常に杉村太蔵に嘲笑され、北野武が苦笑いする発言に終始する)が都議会に4期もいたのでは、今回の豊洲の醜態も仕方がなかったと思う。

同時にドンとか言われている人物も、周囲があの程度ではドンでも何でも容易になれた訳だと納得した。更に言えば、今更ながら国会議員なる連中の程度の悪さと言うべきか、あの程度でも安倍総理のお陰で代議士になれてしまう、自民党の(誇る?)一強他弱体制にも大いに疑問に思わせる点があると痛感した。代議士であの体たらくでは都議会議員の質などは推して知るべしだと思わざるを得ない。

今回も色々と話題があったが、私が興味を持ったのは議員による海外視察だった。元通算省で慶応大学大学院の教授である岸博幸氏が「その程度のことを海外に調査に行かずとも各議会に資料が調っているはずだし、今やネット時代で各国のHPを検索すれば十分で、国費をかけて海外に物見遊山と批判されてまで行くことはない」とまで言われても、実際に言って見なければ解らないことがあるなどと強弁。

笑わせないで欲しいと思った。かく申す不肖私は通訳も無しに(当たり前か?!)10年以上を費やして漸く「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の相違点」と題した大プリゼンテーションを本社の事業部の全員の前で90分間語れるようになったのだ。それを通訳を付けて9日間ほどで4~5ヶ国も回ってきて何か掴めたら神業だ。岸教授ではないが、事前に検索をかけておき、それを基にして出張報告を作る方が未だましだろう。明らかな国費の無駄遣いだ。

政務調査費の詐取の件も採り上げられていたが、この案件は内閣がやるべき事か国会で発議することか、各地方自治体が前非を悔いて条例でも何でも改正することか、私には全く解らないが、何が何でも改善か改正して欲しいし、地方議員の減員と歳費削減を実現して貰いたいと願いたくなる。

だが、これは俗に言う「泥棒に泥棒を捕まえる法律を作らせる」のと同じ事だろうから、期待するだけ無駄だし、失望するだけに終わるだろう。だが、放置して貰いたくない。それは、松本文明のような者が選ばれてしまう民度をも嘆くべき事で、即ち「選んだのは君だ、いや自分たちだった」ということで、皆が反省すべき課題ではあるのが辛い。


アメリカという「男女均一労働」と「均一賃金」の世界

2016-09-25 10:01:25 | コラム
男女は同一能力で対等関係にある世界:

これは「アメリカにおける女性の地位」の続編と理解願いたい。と言いながら、古くから「アメリカの家に住んで、日本女性と結婚し、中華料理を食べて暮らすのが至福の世界」と言われていたのを思い出す。

尤もだと思わせてくれる点がある。確かにアメリカの一戸建て(何故近頃は「一軒家」とマスコミは言うのだろう。あれは無人の野原のような場所に建つ家のことだと、昭和一桁生まれの私は理解しているのに)は広く且つ機能的で快適だが、アメリカの女性と結婚しようとは夢にも思わないし、今となっては中国の料理の安全性に思い致す時、もう一度本場まで食べに行きたいとは思わない。幸いにもパスポートも失効していることだし。

既に指摘したことだが、アメリカの女性と同じ職場と言うべきか同じ会社の同じ事業部に所属すれば、彼女たちと日常的に業務上でも、5時過ぎ(俗に”after five”などと言われているが)にも(現実にそんな時刻に全員の仕事が終わることなどない世界だが)付き合うこともあった。最初に仕事上で戸惑ったことは、こちらに何の過失もなければ当然何ら波風は立たないが、何事でもこちらの過失である事が生じると、お互いの年齢や経験年数を問わずかなり厳しく追及された点だった。当初は「これぞ伝え聞いた”Ladies first”と「男女同権」と「男女均一労働・均一賃金の世界」かと思わすにはいられなかった。

しかし、アメリカ人の会社での経験が長くなるにつれて、これでは中途半端な解釈である事が解ってきた。その理由の第一は「彼女らは与えられた仕事の範囲内で(”job description”に定められた)過ちを犯すことは、”job security”の問題に発展するからと自己防衛していることと、第二は担当者としての強烈な責任感があるからだと解ってきた。次に思い知らされたのは「同一賃金」である以上、男性に勝るととも劣らない成績を残さねばならない意志と意欲を見せようとしている事だった。

あの世界で過ごす際に次に難しかったことは、子供の頃から躾けられていた”Ladies first”が手枷足枷になって、秘書その他の女性たちと上司の奥方たちとはなかなか打ち解けて話す場を作れなかったことだった。簡単に言えば怖かったのだ。言いたくはないが、これは「少しくらい英語を操れても容易に解決できる性質ではなかった」という意味でもあった。

ここで役に立ったのが、大学3年の時(1953年だ)来日したアメリカ人の真珠のバイヤーがある問題の解決法として教えてくれた”Time will solve.”だった。即ち、時が経つに連れ馴れてきて雰囲気が解れば、怖かった女性部員たちとも他の部門の人たちとも気楽に話せ且つ真っ向から議論も言い合いも出来るようになったと同時、彼女らが見せる強烈な対抗意識の裏も読めるようになったからだ。

次は一般論としては普通の日本国の会社員の方が容易にと言うか、気楽に見学に入っていけないだろうアメリカの工場の内部とその実態を知ることと、さらには会社とは法的に別組織である労働組合員(時間給制で年功序列で昇給)との接触について。本社の組織内にいる一般のサラリー制のアメリカ人の社員でも、組合員と仕事上でも何でも膝つき合わせて語り合う機会は極めて限られているだろう。

私は日本という最大の市場を代表していた関係上、出張の度毎に工場内に入り、組合員たちと頻繁に語り合っていた、いや語りかけねばならなかったのだった。これは馴れていてもかなり”stressful”である。因みに"stressful”はOxfordには”causing a lot of anxiety and worry”とある。私はアメリカの会社で働くことで”awful lot of headache and stiff neck/shoulder”に悩まされたものだった。

余談の部類だが、そこで役に立っていたのが、大学時代のアルバイトで経験した朝鮮動乱の戦線から一時日本に休暇で入ってきた兵隊たちを相手に人気が若かった国産の”Noritake”等の”Dinner set”の販売を担当した際に聞き覚えた、”swearword”多用の”Pidgin English”(簡単に言えば文法も何もない出鱈目な言葉)の類いに馴れていたことだった。なお、工場の現場に居る労組員はアメリカ人ばかりではないと補足しておく。即ち、英語を理解出来ない者がいるのだ。

1988年に我が国の最大手のN製紙の3人の技術者をご案内して、W社のカナダとアメリカの洋紙の製紙工場を約2週間巡回したことがあった。これも余談の部類だろうが、W社は同社と技術提携の契約があった。我が国で一般的に「指導するのはW社で、N社が指導されるのだという、笑えない誤解」が普及していた。その3人の中にはに、N社の工場の私が製紙の神様と崇めた非常に優れた理論家でもある現場の課長、I氏がおられた。

私の神様、I氏が工場に入って感心されたのが、女性の組合員が我が国では現場の組合員でも余程熟練していないと処理できない事故で停止した際に発生した廃棄処分の紙の処分機具ををいとも簡単に操って見せていた熟練した手際の良さと、規格外として再びパルプに戻してしまう損紙の山をフォークリフトを駆使して唸りを立てて場内を走り回って処理していたこと等々だった。「そこまでも、これを女性がやるのですか」と感心されたのだった。

北米でも製紙工場などはそもそも男性のみの仕事場で、女性の職場ではなかった。だが、「同一労働・同一賃金」ともなれば、女性も入ってくるようになったということを彼は目の前で見せつけられたのだった。即ち、ここでも女性労組員は男性と同等の力を発揮せねばならないのだ。製紙工場に入られて方はお解りだろうが、あの機械が発する轟音とドライパートでの高温は非常に厳しいものがある環境だ。私などは数分間立っているのが限界だった。

聞くところでは、女性の進出で先ず現場で困ったことは「鍵」などがない手洗いだったようだ。そこには私も入らざるを得ない機会があったが、「女性も入ってくることがあるのだから鍵をかけるのを忘れるな」と貼り紙があった。「なるほど後から鍵を付けたのか」と理解出来た。アメリカの手洗い場の在り方をご存じの方にはお解り願えるだろうが、そこは中でも極端な大雑把な作りだったのだ。何も製紙工場ではなくとも、同一労働ともなれば、女性も深夜勤務(graveyard shift)をしなければならなくなったとご承知置き願いたい。

女性側からの男性に対する対抗意識が如何に強烈かは既に述べたが、より具体的に目に見える例として採り上げたいのが民主党の誇る大統領候補のヒラリー・クリントン女史である。あの選挙演説における自己(「女性の」とでも言えるか)顕示欲と、ドナルト・トランプ氏に対するあからさまな敵愾心を見ていれば、極めて明らかだと見えるのだ。私は21世紀のアメリカにあっても、彼女にとってあの選挙戦は非常に(非情に?)”stressful”ではないのかと思っている。特に噂されている難病を本当に抱えているのであれば、一層大問題なのではないのか。

9月24日 その2 アメリカにおける女性の地位 #2

2016-09-24 17:26:55 | コラム
Ladies first の背景に何があるのか:

以下は14年3月11日に発表したものだが、光栄にもブログ上では2年半近く経過した今日でもかなり人気が高いものであると知らせて頂いた。そこで私が思うには、その背景にある事は「我が国で一般的に広まっているアメリカにおける女性の在り方の概念」にはかなり虚像が多く、現実的ではないことを指摘したからであるのだろう。実際には「男女同権」だの「男女均一労働・均一賃金」などを実現させた結果で、どれほど働く女性に大きな負担がかかったかなどは、我が国にいてはとても解ることではないだろう。アメリカでは「同権」でも「同一」でもなかったから、女性が運動を起こして勝ち取ったのだと知るべきだ。

製紙工場などは男性のみの仕事場で女性の職場ではなかったが、「同一労働」ともなれば、女性も入ってくるようになって先ず現場で困ったことは「鍵」などがない手洗いだったようだ。そこには「女性も入ってくることがあるのだから鍵をかけるのを忘れるな」と貼り紙があった。何も製紙工場ではなくとも、同一労働ともなれば女性も深夜勤務(graveyard shift)をしなければならなくなった。

そこで、以前のものを少しだけ加筆してあらためて紹介する次第だ。女性側からの男性に対する対抗意識が如何に強烈かはヒラリー・クリントン女史を見ていれば極めて明らかだと私には見えるのだ。私は彼女にとってあの選挙戦は非常に(非情に?)”stressful”だろうと思っている。

引用は次の一節から。

畏メル友尾形氏から

<こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。>

との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私のアメリカの大手紙パルプ企業2社での経験と、1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。

1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"(ブロンデイー)という女性が主役の人気漫画がありました。作者はChic Youngとでした。貴方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumstead(ダグウッド・バムスッド)でした。この中には何度もブロンデイーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に何故かなとも感じていました。

しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったそうです。50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ一人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンデイーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。

それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語であり複数扱いが出来ていない)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、アメリカで女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。私は我が国の方が余程女性を丁寧に扱っていると思うことすらあります。

但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方もあります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と一緒にいた時間があったので、かなり厳しくこういう西欧風のマナーを仕込まれていましたので、そうするのが当たり前だと思い込まされていました。

女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり家電製品等々のように買わねばならないものが増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂「ダブル・インカム」の家庭が増えてきたと聞きました。

また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような明らかに男に対抗心を示す女性が増えてきたのだそうです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い女性はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。

言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に露骨に対抗意識を見せる女性にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人もいます。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。

私が1994年1月にリタイヤーしたその頃でも45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長兼事業部長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力とが結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその仕事の範囲内で発揮される能力を見れば素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者が適材適所で人を使っていくことであり、管理職に起用すること即ち女性の能力の真の意味での活用法だとは思えないのです。

参考資料: Wikipedia


10年振りにラーメンを

2016-09-24 15:32:52 | コラム
麺屋優創(ユウサク)を試してみた:

2006年1月の最初の心筋梗塞から立ち直って以来減塩食を心がけてきたので、明らかに塩分が多いと思っていた本当の、と言うか本格的に丼に入った汁を飲まないと味わったことにはならないラーメンを外では食べていなかった。だが、つけ麺ならば未だ罪が軽いだろうと勝手に判断して、高田馬場駅の近所にあった暖簾分けだっただろう大勝軒(何時の間にか廃業)には恐る恐る何度か行ってはいた。結果的には未だ無事で生きている。

入って見たのは我が家から徒歩約3~4分の場所5~6年前から開業している「優創」と書いて「ユウサク」と読ませる麺屋で、そこは15年ほど前までには寿司屋が2代続けて廃業した後は、誰が何をやっても長続きしなかった場所だった。そこに今度は聞いたこともないフランス料理の味を活かしたと称するラーメン店が開業したので「どれだけ保つことやら」と、ただ冷ややかに眺めていただけだった。

しかし、意外にも一向に撤退する気配もなく、最近は店の外に入店待ち用の椅子まで準備するほど繁盛ようになり、前を通る度にと言うか、その道路の反対側に家内が4月中旬まで55日も入院した東京山手メデイカルセンターがあるので、連日のように観察する機会があったのだ。そこで、何事があるのかと検索してみれば、蟹や海老等の甲殻類のスープを基(ベースなんてカタカナ語は使わないよ)にした味噌と醤油のラーメンが人気だと知り得た。

それではいっそのこと試してみるかというところだったが、汁を飲まないでラーメンを賞味するのでは何となく味気ないかなと躊躇うこともあって、今日まで見送ってきた。だが、幸か不幸か今週は原因不明の肩こりに悩まされていたが、本日はかかりつけのクリニックでブロック注射もして頂いて肩も軽くなってきたので、家内とも合意して試しに入って見るかということにしたのだった。

注文したのは味噌と醤油の魚介ラーメンで、確かにネット上での評判通り、普通に美味いラーメンだった。チャーシューも比較的大きいのも良かったが、何と言っても魚介のスープはなかなかのものだったし、平打ちとでも形容すべきだろう麺も何となくパスタのような腰もあって楽しめる味だった。勿論、残念であっても身の安全を図ってスープは残した。我々が入った12時前には他に1人の客がいただけだったが、あっと言う間に狭い店内は家族連れ等で満員になった。

こんな嘗ては静かな住宅街だった(近頃は中国人を主体とするガラガラ族が横行するように品位が下がってしまった)ところにある麺屋がこれほどまでの人気店になったのは大したものだと感心させられて、味噌が¥900、醤油が¥880を払って帰宅した。別にこの麺屋の宣伝をする気はないが、この百人町2~3丁目界隈には語るに足りるな食べ物屋がないので、人気が出たのかとも考えている。

興味と関心がおありの向きは、JR新大久保と大久保の駅の何れからも徒歩6~7分の「優創」をお試しあれ。尤も、その丁度反対側の日本庭園が美しいサンパークホテル2階の「レストラン椿」には、目玉料理の¥850の鰻重が楽しめるのだが。