新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私にとってのハワイとは

2021-12-31 08:37:03 | コラム

何処にでもここにでもあるアメリカの街に過ぎなかった:

私にとっては「一度は是非とも行って見たかったアメリカ」だったが、40歳も近くなっては、もう縁がなかった国だろう忘れかけていたところに、運命の悪戯と偶然が重なって本土に仕事で行くようになってしまったのだった。だが、それでも「ハワイなんて」と気にもとめていなかったような所だった。その変わりにと言うのか何と言うべきか、ハワイよりは近いサイパン島には3回ほど寛ぎを求めて行っていたので、初めてホノルルに来て見れば「何だ。サイパンよりも一寸規模が大きく、少しだけ洗練されただけじゃないか」と、特に感激もしていなかった。

実は、初めて回顧する事件?なのだが、今を去ること70年ほど前のことで、神奈川県では「県下の高校から生徒を派遣してアメリカを経験させよう」との企画があり、私は英語担当の先生から「我が校からは先ず君が選ばれるだろう」と、有り難いことにその候補に推薦されたのだった。ところが、校長先生がお決めになったことは「何で彼奴が」と思ったほど英語の成績が優勝ではなかった同期生だった。

後から私が選ばれなかった理由を聞けば「アメリカに派遣するには背が高くない」だったそうだ。私は期待を裏切られて激しく失望落胆する前に、親を恨むべきかと思ってしまった。

尤も、息子たちが高校生になって本格的に(アメリカン)フットボールを始めた後で、母親に向かって「何で、あんな小柄な人を選んで結婚したのか。僕たちは大きなハンデを背負わせられている」と泣きを入れるのを見ていて、同じような嘆きは繰り返されるものかと思っていた。

あの頃に、某大手印刷・関西支社の購買課長さんが永年勤続のご褒美の休暇を利用してハワイ旅行を楽しまれ、我がW社の本社にも行ってみたいと言い出さなければ、ハワイには行ける機会は訪れなかったと思っている。我が国で余りハワイハワイと持て囃す人が多いので、私は独り密かに「俺はハワイなんかを通り越して本土に何度も行ったぞ」と密かに優越感を味わっていたのだった。

ではあっても、ハワイ訪問は“Seeing is believing”(百聞は一見にしかず)だったのだ。正直なところを言えば「ハワイにも行って見たいな」との思いはあった。負け惜しみでも何でもなくし繰り返して言うが「ホノルルなんて何処に行ってもあるアメリカの街に過ぎない」だったのだ。

 



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