新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

kazk様

2016-09-09 16:47:49 | コラム
kazk様

コメントを有り難う御座いました。反応が遅れましたことをお詫びします。

言わば回顧談です。私と言うべきか我々とすべきか迷いますが、昭和20年代でも「相手のバックス(当時はWMフォーメーションでしたから5人はいた計算になります。その5人が真ん中に寄っていれば、そこに向かっていくらシュートしようと壁に向かって蹴っているのと同じ。工夫が必要」と教えられました。それに反するような攻め方を21世紀の今日繰り返した彼らを誰が教えたのかと、嘆きたくなりました。

修正できていない監督の責任も勿論あるでしょうが、中盤かもっと後ろで誰かフリーで持っていたら前にいる者は動き出すべきですし、特に真ん中にいる者はマークを引き連れて外側に出て行けばそこが空くというような、基本中の基本の動きがないのはウンザリです。浅野は確かに後ろからデイフェンスの裏をとるような縦パスが出た時に、体を入れ替えるような動きは巧みだとは思ってみていますが、未だ未だオフサイドトラップに引っかかってしまう動きが多いので未熟と断じます。

得点に持っていくまでには3回のパスで十分とのお説には敬意を表します。その通りであり、日頃からそのようなパスの複数のパタンを繰り返し練習してあって当然でしょう。しかし、欧州組の帰国を待って全員が揃うのに手間取っていては、容易ではないのかという気もしますが。もしかすると連中はそこまでの域に達していないのかも知れません。

ここからが回顧談ですが、我が湘南中学はその頃でも専任のマネージャーがいて「東京ベテランズ俱楽部」が作ったスコアブックを付けていました。そこには「得点になるまでのパスの経緯を選手名で記載するようになっていました。私はその記録を見ていましたが、昭和23年の第3回国体で決勝戦に負けるまでに確か45点取っていました。その大半は起点が「元協会の会長だった岡野俊一郎氏(往年の強豪小石川高→東大→家業の岡埜栄泉堂・社長)が彼が関東大学リーグ1部の大学でサッカーを続けたら日本のサッカーの歴史が変わったろう」とまで褒めたCHのHさんからLIのKさん(慶応大学→東京海上→メルボルンオリンピック代表)を経てCFのSさん(立教大→自営業)の形でした。お説の裏付けになっていました。

これは、私が繰り返し引用する日大フェニックスの故篠竹幹夫監督が指摘された「大学選抜よりもフェニックスの二軍の方が強いのは、1年365日同じ釜の飯を食ってともに練習しているのだから当たり前」も当てはまると思います。あの様な酷い試合をする代表の連中を集めて、仮に1ヶ月でも合宿練習をさせればもっとましなサッカーをするだろうと思っております。だが、彼らは欧州を主戦場にしている上にクラブと代表に招集する場合の諸条件の話し合いが出来ていないようでは、この考えも所詮は無い物ねだりでしょうか。


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