新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月29日 その2 3月29日の産経抄より

2021-03-29 14:46:33 | コラム
京都国際高校と照ノ富士:

本29日にの産経抄は個人的にも面白い読み物でもあったので、それに触発されて以下のように言わば二題話に風にしてみた次第だ。

京都国際高校。
選抜高校野球大会に登場したこの学校については既に採り上げてあった。だが、まさかあのような前身があったとは露知らず、良くある「国際」を学校名に入れただけだと思って、何気なく観戦していた。それは、例えば、国際基督教大学や、我が家の直ぐ近所に日本語学校がある東京国際大学や、神戸国際大学附属高校等の亜流の学校名かと思っていたのだった。だが、試合終了後に演奏された校歌の歌詞がハングルだったので、色々な意味で驚愕だったのだ。

その驚きの為に折角NHKが日本語訳したという歌詞まで読む余裕などなかった。ラグビーでは既に大阪朝鮮学校が全国大会に出場しているので慣れっこになっていたが、遂に高校野球にも出てきたのかと思わせられた。この学校に着いては全く何の知識もなかったので、早速検索して詳細を知り得たのだった。この学校には日本の生徒も在籍しているようだが、韓国系の選手たちは通名だったようだった。私はこの一事を以てしても、矢張り我が国は平等であり公平だったと、あらためて痛感させられたのだった。

照ノ富士。
私は相撲をスポーツと看做すのは誤りであり、江戸時代からの歴史と伝統に輝く文化遺産的な興行だと思っているし、永年そう唱えてきた。故に、崇光が嫌いであるとかないとか言う視点では見ていないので、NHKの中継は夕方のニュースが最もだらけた時間帯では見ている。それは、高校の頃までは全国優勝を目指していたサッカー部で、勝負の恐ろしさを十分に味わっていたし、優勝する事が如何に大変かを知らしめられていたので、如何なる競技でも優勝者の喜ぶ顔を見るのが「どれほど嬉しいのか」と心中を察しながら見るのが楽しみなのだ。

そういう意味では勝負の恐ろしさと辛さを、高安が気の毒だと同情したほど見せてくれた。あの最後に来ての三連敗は、麻雀で良く言う「残った点棒の数を数えるような事をするな」のような心境になっていただろう高安の弱さと、点棒を数えただろう失敗を見た気がしていた。換言すれば「2敗の後で、あと幾つ勝てば優勝」と計算したのだろうと察するのだ。

高安はその絶対に数えてはならないものを。つい欲が出て数えてしまったたのではないか。無心になって勝負に向かっていけなかったのではないかと思う。勝負では、平常心で試合に臨むのは非常に難しいのだ。その無心の境地に至る為には余程の訓練が必要であるし、野球の千本ノックのようなただ単に身体的に絞り上げる練習量だけに頼っては容易に到達し得ない心の領域なのである。

古き言い慣わしに「勝敗は時の運」というのがある。照ノ富士はその「運」を自力(地力)で呼び込んだのだろうと思う。また、高安は「腕でツキを消した」のだろうし、良く言われている「勝ち方を知らない」かの如くに見えた。矢張り、故野村克也氏の至言「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」はその通りだと言う事を立証したのだと思っている。


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