新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月20日は

2016-05-21 09:41:07 | コラム
多忙だった:

午前9時にジムに向かって歩き出した事から始まった。20分過ぎにはジムのマットに横になってロッカールームから急な階段を上がってきた疲れ(?)を癒やした後でストレッチを開始。その後ウオーキングを少々こなしてからエアロバイクで仮想の2 kmを走破してからマッサージチェアで15分。急いでロッカールームに戻ってシャワーを浴びた。着替えを終えてから2階のUNIQLOではものは試しとばかりに「エアリズム」というアンダーシャツを1枚購入してJR高田馬場駅から有楽町に向かった。

駅前のビックカメラで元W社ジャパンの代表だったYN氏との待ち合わせ時刻の11:45の5分前に無事到着。前回彼と語り合ったのが昨年だったか一昨年だったかも覚えがないほど「お久し振りです」だった。それから約2時間、それこそ四方山の話題について語り合った。思い出すままにいくつか並べてみよう。

先ずは当方の長かった昨年までの病歴。それほどの長患いをしていたとは見えない顔つきであると言われて一安心。彼は何年前だったか長年のジョギングを止めて80歳を過ぎてから水泳に転向され、シルバー世代の大会で何度か優勝された実績を誇っておられたが、近頃は不整脈が出たとかでかの「ワーファリン」を定期的に服用されている由だった。我が年齢層で語り合うと病気の話は避けては通れないのは宿命か。

アメリカの大統領選挙では、彼はトランプがもしも当選の暁にはキャンペーン中の悪口雑言をさらりと捨てて、まっとうなスタッフを糾合して極めて普通の政治家になってみせるのではないかと考えている様子だった。即ち、あの暴言はフットボールで言う「デザインされたプレーであり、スクランブル発進ではない」という見方。私はもしもトランプ大統領が実現してしまったらそうなることを願っている一人だ。

当然ながら、今月に入ってから発表されたW社のフラフパルプ事業をインターナショナルペーパーに売却した一件であるとか、本社ビルを売却してシアトル市内のビルに移転してしまったことも話題に上った。彼の見立ては我々がリタイヤーした後のW社経営陣の判断の悪さが問題だったということ。何れにもせよ、アメリカにおける紙パルプ産業界の衰退は最早止まるところを知らず、如何ともしたい段階に入ったという点で意見が一致。

彼はこの点を「パラダイムシフトの時代にあることを徹底的に認識していない会社の経営が立ち行かなくなる時代だ」と表現した。彼はその一つの例として有名な棋士がコンピュータの碁と対戦した初戦で打たれた一手が余りに碁の常識を離れた手であった為に解説者までが「エーツ」と悲鳴を上げた例を採り上げて、これから先の時代にAIがどのように常識と世の中を変えてしまうかを思う時に、空恐ろしいものがあるという点を繰り返し強調していた。

この点に関しては私も同感で「人は科学を今日の状態にまで進歩発展させた結果で、AIと言うかロボットと言うべきか知らないが、自らの手で雇用を喪失するような事態を招いているのは如何にも皮肉であると考えている」と述べた。彼は「雇用喪失」で収まる性質ではなく、そういうことを論じたいのではないと強調した。この辺りは私が1998年だったかに「これからは何でもありの時代になる」と論じたことが具体化してきたことと解釈する。

午後2時過ぎに懇談会を終わって今年初めて新宿を離れて出てきた銀座に向かった。中央通りまで出ると予想以上に中国人が多く「これが銀座通りか」と嘆きたいような雑踏。とても耐えきれずに工事中の旧松坂屋のところで右折して並木通りに向かった。目的は新橋駅まで歩いて小滝橋車庫行きのバスに乗って霞ヶ関の官庁街を抜けて国会議事堂前を見物しようというところにあった。

そこまで行くと、流石に多くの警官が警備に当たっているのが見えて、サミットが迫っている雰囲気が味わえた。見慣れない国旗が日章旗とともに翻っていたのは21日にブータン国王の妹さんが天皇皇后両陛下にお会いになるからだろうかと読んだ。久しぶりに前を通った旧赤プリの後には新築の大きなビルが建ち、旧赤プリの旧館が保存されて未だその工事中だった。ここにあった「トリアノン」というレストランはべらぼうに高かったなと思い出した。

このバスに新橋から乗って新大久保駅前までは山手線利用の倍の1時間かかるが、東京見物が出来るので時間に余裕がある時には利用している。変わりゆく東京の景色も観察できるし、変わらない霞ヶ関の官庁街を車窓から眺めるのも一興だ。新大久保駅前に到着してほぼ4時。2時間も語り合った清々しい疲れを楽しんで帰宅した。この一日を多忙というのが適切かどうかと思うが、良く動けたものだと自画自賛。



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