新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続・アメリカ合衆国という世界に身を投じて

2020-11-26 16:49:19 | コラム
東海岸から太平洋西岸北部の会社に転進して:

このウエアーハウザーというアメリか第2位の紙パルプ・林産物の会社には、誰言うとなく広まっている冗談があると聞かされた。それは「我が社の社員の定着率はアメリかでは最高の部類である。それは簡単なことで、ここまで来れば次に転進しようと思っても、行く手には太平洋しかないのだから」というものだった。その点を如実に表している事実は、売上高に占める輸出の比率が15%と極めて高く、特に日本向けは全体の10%を超えていた。これについての冗談めかした言い方は「“Pacific rim countries”以外の何処に売るのか」というのもあった。

この辺りはアメリカという国の本当の姿を知らないと理解できない問題なのだ。それはロッキー山脈という存在が西海岸の北から言ってワシントン、アイダホー、オレゴン、カリフォルニア、ネヴァダ等の諸州から、その地で生産された製品を販売する時に、ロッキー山脈を超えて東側に輸送するコストは太平洋沿岸の諸国向けよりも高くつくのだ。それ故に、輸出志向となって行くのは当然の成り行きなのだ。これはまた西海岸には地場産業が少ないし、製品も限られているので、自ずと輸入依存度が高まるという事でもある。

そういう背景があるからこそネヴァダ州のラスベガスはあのような観光を主軸にした(になってしまったのだとご承知置き願いたい)とカジノに依存する経済態勢を整え、カリフォルニア州も観光が大きな比重を占めるし、UCを始めとして多くの有名私立と州立の大学が多くの留学生を誘致しているのだ

これは産業界では常識なのだが、その点を十分に弁えておられない大統領がおられて、「我が国からの輸出が多いしアメリカからの輸入を増やさないのは怪しからん」等と曰うのだ。アメリカという国の経済圏はロッキー山脈から東側が70%を占め、輸出における多くの製造業の会社の目はヨーロッパに向いているのだ。当然の成り行きである。ロッキー山脈の東側からアジア(我が国を含めて)に輸出しようと思えば、南側の通称ガルフの港か、東海岸のジョージア州サヴァナ(カタカナ語はサバンナ)に内陸運賃をかけて輸送するのだ。

ウエアーハウザーである。Meadと違って本社機構の全部が同じ壮麗な本社ビル内に収まっているので、あらためて「アメリカの会社って凄いな」と実感させられた。何が凄いのかと言って1975年に既に所謂「ハイテクビル」になっていて、社員証が社屋に入場出来る鍵になっていたこと。土地に余裕があるから800人もいるのに5階建てで駐車場が各階にあるので、自分の事業部の階に駐めれば良いのだった。勿論、来客用の玄関はあるし、専用駐車場もある。ここはシアトル市内から50 km近く離れているので、ビル内にカフェテリアも、ジムも、売店も理髪店もある。

私は本社採用の東京駐在員という身分だが、実際に本社内で仕事を始めて見ると東部はニューヨークのMeadとは文化が非常に違っていて、カタカナ語にすれば「まー、何とカジュアルな会社なのだ」とその落差に戸惑ったほどだった。服装も東部よりは遙かにcasual(言うまでもないが「キャジュアル」である)で、その点では緊張感を感じなかった。だが、1982年だったかに42歳で副社長に就任した事業部長のドレスコードは誠に厳し勝った。替えズボンでの出勤、同じスーツを2日続けての着用、もみ上げを伸ばす、理髪店に2週間以上行かない等は厳禁だった・。

ここに来て本部に出張が増えて解ったことと言うか知り得たことは「アメリカの大手企業のこれという地位にいる者たちはほとんどが何処か有名私立大学のMBAであり、その修士号を持っている連中は全てと言って良いほどアッパーミドルかそれ以上の家柄というか階層に所属していて、極めて知的水準が高いと同時に誇り高い者たちだということだった。即ち、私立大学の(当時は5万ドルと聞いていた)授業料を何と言うことなく負担できるだけの高額所得者か、そもそもが資産家の集まりだということ。子供の教育費に軽く5万ドル+寮費その他を負担できる人たち。

私はそういう世界だと事前に承知して、その世界に憧れて入って行った訳ではないので、当初は随分戸惑いがあった。ご存じの方も多いと思うが、そういう上司や他の部門や工場の管理職に加えて、時には取引先の担当者等と会食がある。ビジネスランチでも気を遣うというか、アメリカの習慣に馴れるまでが大変だった。私は42歳になっていたので、そのようなマナーを心得ているものだと相手は勝手に解釈しているから、知らぬ間に恥をかいていたこともあったかも知れない。これは異文化の世界に合わせる難しさの話だ。

鬼門は奥方が参加される会食だった。かの国で当然のように壊そうなご婦人が出ておいでになる。言葉遣いから気を配らねばならないし、第一に何を話題にすべきか苦しむのだ。ところが、ところがである。誰に聞かされたかは記憶がないが「彼らが夫人同伴なのは勿論レイデイースファーストもあるが、日頃家庭では碌な者を食べさせていないので、経費に計上できるそういう会食に連れて来て埋め合わせをするのだ。気を遣う必要なし」なのだそうだ。

この点をアメリカで某有名企業の工場長を経験した友人に聞いたことだが、彼らの自宅での食事は粗末なもので「さて、ハンバーガーとホットドッグのどちらにするかと悩む程度だ」だそうだった。現に、私は極めて格式高い家柄の上司の家に呼ばれて、すき焼きを料理したことがあった。「旨い、旨い」と大受けだったが、食後に奥方に厳かに言われたことは「こんなに蒸気が出て台所を汚すような料理は二度としない」だった。彼らのすることは精々「チン」までであり、まな板だって小さな物があるだけだ。後は精々「テイクアウト」でお客を接待することがある。

仕事の進め方に行こう。個人の能力が主体であるとか、中途採用者の世界であり、新卒を採って教育するなどと言う間怠っこいことはしないというのは再三延べた。私と同じ仕事をしている者は本部にはいない。副社長兼事業部長には詳細を報告するから、彼は熟知している。だが、彼が「この得意先との折衝はこうしろ」だの「この件の進め方これで行け」などという指示も介入も一切ない。「そういうことまで言わないのでも出来る」という前提で途中から入れたのだから。だが、出来ていなければ“You are fired.”が本当に待っている世界だ。

ここまでは言わば表面的なことで、「日本人というか外国人がアメリカの会社の実態を知らずに、のこのこと入って行っても良い世界か」と尋ねられれば「お辞めになった方が安全でしょう」と答えるだろう。それは、確かに人事権を持つ事業部長と入社の条件を交渉すれば「そんなに貰えるのですか」という年俸の提示があるかも知れない。なお、アメリカ国内では役職、住宅、家族、交通等の手当はなく年俸一本である。名刺にマネージャーとあっても、それは肩書きだけで地位でも身分でもないと知れ。

高い年俸を取れば誰でも最初の年は懸命に寝食を忘れて働く。実績が上がれば2年目には昇給する。ところが、1年目に自分が持てる能力を全開で使い果たしてしまう例が多いのだ。そこまでで息切れしてしまうのだ。2年目には要求される仕事の範囲も責任の負担も増えるし、言われただけの範囲しか消化できていないことになりがちだ。私もこの状態になりかけていたので良く解る話だ。だから、1年目には多少余力を残していく知恵が必要だと思うが・・・。

これがアメリカの会社の怖いところで、「職務内容記述書」にある項目だけを手がけていては評価の対象にならないのだ。即ち、既存の得意先を守るだけではなく新規開拓、、新製品の開発、流通経路の合理化、他の部門との関係改善、そうそう売上高を伸ばす等々が出来ていないと、その年の終わりに行われる事業部長と査定の話し合いは、良くて年俸の据え置き、悪いと減俸、最悪は「君の代わりは幾らでもいる」というお払い箱だ。馘首は、アメリかでは「社会通念」として受け入れられている。本社機構にいる社員の組合などない世界だ。

話はこれだけでは終わらない。私のような彼らよりも体格が劣り、骨格も異なる東洋人が、彼ら(ここでは白人を指すが)のあの体格と体力を基にして組み立てられた仕事の手順と進め方は、想像もしていなかったほどきつかった。私にしろ誰にせよ、それに十分耐え得るという前提で採用しているのだから、彼らというか上司や同僚に要求されるように動けないと、相手にされなくなる危険性が高いのだ。解りやすい例を挙げれば「出張予定の組み方」などは凄まじい物がある。夜寝る間もなくビッシリと組まれている。

嘗て我が社のCEOジョージ・ウエアーハウザーの日本出張のItineraryをご覧になって最大の取引先の社長さんは「これはいかん。こんな強行軍で彼は死んでしまう」と叫ばれた。それは日本国内でもきついのだが、帰路はアメリカではサンフランシスコに向かわれて、そこに待機している社用のジェット機でNYの会議に向かうとあったのだ。その話を同僚たちにしたところ、大笑いされた。彼らが言うには「そんなことは当然だ。ジョージは社内で最も高給だ。その分を働いて当然だ。驚くべき事はない」と言って。これがアメリカだと知った。

私がどれほど激務と辛い環境に耐えたかは、また次回に譲ろう。



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