新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月7日 その1 W杯決勝戦の本音の批評

2015-07-07 06:39:10 | コラム
敗者を鞭打つようなことを言いたくなかったので:

昨日の観戦記には書かなかった本音で言います。ご一読を。

先ずは佐々木監督の澤の起用法の誤算。昨日のアメリカの眦を決しての攻め方を予測していなかったのかと。どうしても澤を使って勝ちに行くとまで考えていなかったので、途中から形勢次第出だせば何とかなると思っていたのであれば、間違いだったことから。澤があそこまで走れていたし、抑えるべきところは抑えていたのであれば、頭から出して置いた方が全体の志気を高める意味でも良かったでしょう。余裕を見せるべき試合ではなかったのです。

残念だったのが、アメリカの戦法に引きずられて身長が高い相手なのに、ついつい縦一発の高いパスを多用していたこと。それを相手のゴールに背を向けた形で競り合ったのだから、ほとんどヘディングに負けてしまった。しかもその言わばこぼれ球の大半が相手に拾われてしまったのだから、具合が悪かった。だが、あの場合はあれしか出来ないように追い込んだ身長差を活かしたアメリカ一枚上だったと思うしかないと諦めていました。

次は私が個人的に評価していない有吉の使い過ぎ。解説者も温情的すぎて褒めすぎ。偶々得点したことは褒めても良いのですが、未だ粗雑な攻め上がりとパスやキックの不正確さは明らかでした。一度で良いからトーナメントに入ってからは近賀にして貰いたかったのです、故障がないのであれば。

菅沢を出したのも納得出来ません。ここでも解説者は温情が過ぎて批判しませんが、彼女はほとんど役に立っていない、国内リーグという二部のスター選手だっただけでした。使われた方も辛かっただろうし、大敵相手では役に立っていませんでした。世代交替未だしの典型的な例か。

岩淵も同様で、アナウンサーと解説者が褒めるほどの威力はドリブルにはなかったのです。あの大柄で足が長いアメリカ人が相手では効果を発揮出来ませんでした。体格の差はこれは以前から私が指摘し続けた外国人が相手の際の最大の難関。結局は岩淵は突破出来ずに終わりました、善戦健闘だったが。

宇津木の問題点は既に挙げました。勝負とはあのようなもので、決して澤や宮間の前には「頂き」というこぼれ球は出てこないものです。これも所詮は実力のうちかと思うのです。

以上は彼女らを批判しているのではなく、彼女らが幾ら一所懸命に努めても、どうにもならない障壁があったということを説明しただけです。この辛い経験を経て次ぎの機会には進歩出来るものだと考えております。サッカーでは「ある日突然練習中でも試合中でも突然にパット目の前が明るくなって、一種の悟りが開ける」ものです。その境地に入っているのは澤と宮間だけで、阪口がそこに近いと見えます。

話は変わりますが、テレビの街頭インタビューには私に理解出来ないおかしな現象がありました。それは誰が言い出したことか知りませんが「元気を貰った」だの「勇気を貰った」と言う人が多いこと。私のように技術面や戦略を見て楽しんでいる者には懸命に試合をしている彼女らは偉いし素晴らしいとは感じさせてくれても、元気だの勇気だのの対象ではないのです。テレビの影響を受ける者が多いのは情けない現象と嘆いております。

サッカー開眼は何時訪れるかは解りません。それは熱心に練習を続ける賜物かも知れず、試合に負けて泣いて初めて見えてくるものかも知れません。何れにせよ、個人差があります。今後とも残る連中が何時そこまで到達出来るかが楽しみでしょうか。


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