新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月20日 その2 東京五輪4年後への道

2016-08-20 11:28:25 | コラム
実務の世界を知らない方々に任せておいて良いのか:

昨19日のBSフジのPrime Newsを、オリンピック報道に飽きて、上記の題名の番組を何気なく聞いてみた。そこには既に安倍内閣を去った全担当大臣だった遠藤利明氏とスポーツ関連というと各テレビ局が連れてくる玉木正之氏が議論の如きことをやっていたのだった。私はこの中央大学ラグビー部ご出身と聞く遠藤氏は頼りないと思っていたので、退陣させたの結構な人事だと評価したかった。

私はその膨らむ一方のオリンピック予算について、遠藤氏が説明というのか解説というのかまたは弁解と言うべきか判断できないような言い訳をしているのを聞かされて「だから実務の世界を経験しない人に予算をいじらせては駄目だったのだ」と慨歎させられた。それだけではなく、我が友のYM氏(当時はアメリカのIvy Leagueのプリンストンとペンシルベニアの両大学のビジネスルクールでマーケテイングの講座を受け持っていた)が語っていた「我が国のマーケティングの手法の問題点」を思い出したのだった。

それは、遠藤氏は平然として13年に開催軒を得た頃には国立競技場の新築等のごく限られた案件というか物件だけの予算を見ているだけだったので予算の金額は小さかったが、現実に作業が進むにつれて追加で計上せざるを得ない案件が増えてきて現在の大きな金額になってきた。だが、それとてもどれだけの人数と予算が必要になるかの見通しも不明なセキュリティ(などと私が忌み嫌うカタカナ語で表現したが。素直に警備と言うべきではないか)、新設する設備の管理のランニングコスト等々が未だ未だ増えていくだろうと、例のニコニコ顔で言うのだった。私は困ったことだなと思って聞いていた。

YM氏が指摘する我が国の、何もマーケテイングに限られたことではないが、このような事業計画を立てる際の問題点は「極力広い範囲の調査と研究を実施して如何なる要素や案件が関係してくるかを調べ上げることから入らず、小さな範囲の予算を立てて、ことが進むにつれて追加の予算を計上することにある」と指摘した。即ち、予算は最初に考えられる範囲で最大限の金額を査定しておくことから考えるべきだというのだ。

それは、小さめに立てて、後から継ぎ足しまた継ぎ足しというような手法は極力避けるべしだと教えてきたというのだ。全体を大きく俯瞰して想定できる要素を先ず取り入れた計画を立てて置くのが肝腎だと主張していた。最終的な計画を立てる過程で各要素を綿密に調査して不要不急と判断した案件を排除して行くべしと指摘していた。

そのYM氏の説からすれば、遠藤氏が素直に語られた「未だ後から新たに必要な案件が出てくるだろう。現在まででも、当初は考えていなかったと言うよりも、限定した範囲で立ててあった予算だったのだから、今日論議の的になっているような金額になったのだ」は如何にも日本式だった。極端な表現をお許し願えば、森元総理も武藤元財務事務次官も遠藤前大臣も、現実の営業の実務の世界を経験されてから、YM氏が教鞭を執っていたようなビジネスルクールで学んでおられれば、今回のような後から後から増え続けるような予算にはならずに済んだのではないのかと、ふと考えてしまった。

こんな英語があるのかどうか知らないが「グランド・デザイン」を事の発端の時に描いておくべきだったのかなどと考えていた。しかも、小池都知事は予算を見直すという意味のことを言っておられたし、週刊誌等では何とかいうと菟議会のドンとの対峙も辞さないとの決意だとか。そこには既に週刊誌等の記事が暗示する新規に建設する施設や設備の「利権」の陰があるが如きだ。

何れにせよ、YM氏の理論を当てはめれば「ここで継ぎ足しまた継ぎ足しの予算の立て方は一旦ご破算にして、「森元総理とともに2020東京オリンピックの大きな絵を描き直して、都民だけではなく全国民が納得する予算を立てて欲しいものだ」と考えている。そこにはドンの存在は不要だし、元総理は古き良き時代の政治のご経験を踏まえて、君臨すれども統治なさらずに次の世代にお任せになって頂ければと思うのだ。



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