新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私は我が国のマスコミの程度を問題にしたい

2021-02-27 08:25:52 | コラム
菅首相は「同じ質問ばかりだ」と指摘された:

昨26日夜の菅首相の所謂「ぶら下がり」(下品な言葉で、私の好むところではない)は偶々最初から聞いていた。聞いていた感じた事をそのまま言えば「新聞記者というのか全般的に『記者』で括るべきか知らないが、彼らの礼儀作法も含めての程度の低さには呆れるしかなかった」となる。先ずは言葉遣いの乱暴さである。「彼らは如何なる理由と根拠があって一国の総理大臣に向かってあのような居丈高と言っておかしくないような礼を失した口調で問いかけるのか」とあらためて驚くと同時に情けない」と痛感していた。「この程度の連中は信用ならない」と思っていた。

毎日新聞の何とか言う記者は首相に「2回目だ」と注意されても怯むことなく、解りきった事を何度も質問していた。司会する報道官か司会者が不在だとあのように礼儀も作法も弁えずに質問を繰り返すのが彼らマスコミの実態かと思うと、今更ながら心底情けなくなった。しかも、非常事態宣言の解除についての会見だったはずなのに、矢張りと言うべきか何と言うべきか、山田真貴子報道官に関する事をしつこく訊こうとするのは、私は失礼の部類に入れたいと思っていた。

菅首相は「同じ質問ばかりだからもう良いだろう」と打ち切られたのは尤もだと思う。だが、私は一件落着だと思っている山田真貴子報道官の件は、彼らマスコミと野党から見れば「未だに突っ込みどころあり」なのだろうと危惧している。私が奇異に感じている事は、彼ら記者たち以外にも、テレビに登場される所謂専門家の中にも「総理のご子息が同席していれば」としたり顔で指摘する勘違い振りである。

総務省の高官の場合はいざ知らず、私は「山田氏の場合は2019年では官房長官の息子さんに過ぎない存在ではなかったのか」と見ている。菅首相もその周辺にいる連中も何故その誤解を訂正しないのが不思議に思っている。雑誌「HANADA」の花田氏は「7万円の接待をしてくれと依頼した訳ではないだろう」と指摘していたのは「なるほど」と受け止めた。だが、当分の間は「首相の息子」と「7万円の接待」は、菅首相が何と言われようとも二人歩きし続けるだろうと思う。困った事だ。




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