先月やってみた津波に流されてしまったアルバムの写真の洗浄&修復のボランティアにもう一度行ってみた。
前回の団体の作業場所は家から遠かったけど、そこで「都内でも同じボランティアをやっている団体がある」と知ったので、そちらなら地理的に行きやすいなぁと思って。
回数も前回行った団体よりも頻繁に開催しているので、都合をつけて行きやすいのも良くて今回はそちらにしてみた。
今回の団体はすごく大きな建物を借りられ作業場所に恵まれ、立地からか参加者も多くてかなり大規模に活動を行っていた。
これまでの経験の蓄積から道具もそうとう潤沢に揃い、作業も既にマニュアル化され、多くの人が何部屋もに分かれて分業で作業を進めていた。
みんな何度も参加している常連さんが多く、慣れた手つきで黙々と作業をしていらした。
ワタクシは今回は洗浄の作業から割り振られた。
大きな水場も有り、その前にいくつも机を並べてそれぞれに大きな水入れ容器を置くこともできる非常にスペーシャスな作業場で仕事がしやすかった。
でもやっぱり、津波に呑まれてバクテリアに浸食され既に半年以上も経過した写真たちは、表面を覆っているゼラチン質がバクテリアに食べつくされてしまっていて、洗えば画像がどんどん消えて行ってしまう・・・。
なんともやりきれない気持ち・・・
しかも気になったのが、ここのやり方は洗う前にカメラで撮る作業をしないことだ。
アルバムから丁寧に一枚一枚剥がされた写真は、汚れていながらもまだ画像がかろうじて残っているものもある。
前回行った団体は、洗ったら消えてしまうであろう写真は、まず洗う前にカメラでその状態を撮影してデジタルデータとして残していた。
それならもし洗った時に画像が全部消えてしまって真っ白になってしまっても、パソコンなどで見ることはできるし、データを写真屋さんに持って行って再度プリントしてもらえば、原型とはちょっと違うかもしれないけどまた写真として持っていることもできる。
けど・・・、それをしないで洗ってしまって真っ白になってしまったら・・・。
もう元には戻せないのに・・・。
我々が洗っている写真は既に前日までに作業をされた方たちがアルバムから剥がしつつ各写真の状態を確認して、「洗うもの」「丁寧に拭くだけに留めるもの」「スキャンにまわすもの」と分類してくれているという話だったから、「ああ、前回の団体がカメラでしていたデジタルデータ化を、ここではスキャンで代用して同じことをしているんだ」と、最初のうちは思い込んでいた。
けど作業をすすめるうちに、”スキャンにまわす”と分類されている写真があまりにも少ないことに気づいた。
何袋も洗っていて、「あれ・・・、一枚もスキャンまわしが出てこないなぁ・・・」と思い始めた。
・・・となると・・・ほとんどどれもデータ化していないことになる・・・。
「あれ??」と気づいてからは「なんで・・・??なんでスキャンしないの・・・??????」と作業を進めながら不安な気持ちが募った。
休憩時間に入ったところで、その疑問を取りまとめ役のベテランボランティアさんに聞いてみたけど、この進め方に疑問を持ってはいないようだった。
こんな災害に対して正しい対処の仕方なんてマニュアルがあるわけでない。
それぞれの団体が、自分たちが調べて考えて良かれと思った方法でそれぞれバラバラに対処しているのが現状だ。
集まっているみんなは、写真を扱う仕事をしている訳でも、コンピューターに詳しいわけでも、デジタルデータの処理に長けている人々でもない、ただそれでも被災地の困り果てた人々のお役に少しでも立てればと、自分の時間をたくさん犠牲にして、手探りながらも知恵を絞って一生懸命これが最善と思われる手順を試行錯誤して作りだし、ここまで半年以上もくもくと活動を続けて来てくださっている貴重な人々だ。
たった一回手伝いに来ただけの自分が強く意見を言うのもはばかられたので、それ以上は何も言わなかった。
この団体では、こちらに送られてきた写真はどんなに真っ白になって何も写っていなくなっても、一枚残らず絶対に被災地へ返すという方針だった。
前回行った団体は、もう何も写っていない写真はまとめてお寺に持って行って、お坊さんにご供養をしてもらうスタンスを取っていた。
このへんも、やり方は団体それぞれだなぁと思ったところ。
なんだかモヤモヤした気持ちのままその日の作業を終えて、帰り道で考えたことは、やっぱりデジタル化はしておいたほうがいいのになぁ・・・ということ。
今は顔認識機能とかもできているんだから、アルバムからばらけてしまった写真も、いったんデジタルデータにして集積してからその中から顔で分類すれば、一人の人のデータも多少はまとめられたりするんじゃないかと思った。
今回の方法や反省点を各団体がシェアして、今後に生かせるようなマニュアル作りができるといいなぁ、と思った。