今日のエドヒガン

2019-03-19 20:21:04 | 生物
飯田橋のエドヒガンの並木が段々華やかになってきました
        

日曜位にお花見しよう

今日は朧月と一緒でした
        

不作

2019-03-18 20:10:33 | 日記
早く四月が来ないかな

そう思うのは

今季のテレビドラマがあまりにもひどくて

どれ一つとして次回を楽しみにできるものがなかった

その大きな原因を知っている

この頃流行りのチェーンストーリー

たとえば刑事ゼロなら主役が記憶喪失なのは必要なのか

あとほら北大路欣也の刑事が車椅子の必要があるのか

常盤貴子の弁護士の夫が拘置されている必要はあるのか

それらが最終話に近づくと意味を持ち始めて深刻ぶり始める

そんな話はいらないから、

毎回完結する話をさらりと作ってもらいたい

恐れているのは四月再開の科捜研の女が一年の長丁場でさらりとしなくなるのじゃないかと言う懸念

同じく四月再開の緊急取調室は前のシリーズでは

天海祐希の夫が殺された話をひきずっていた

チェーンストーリーなんて誰も望んでないから

おかしな流行はここらでやめません?


今日は写真がないので関係ない鷺の写真でも
        

この頃草花や自然の写真を撮って自分で眺めるのが楽しい

もがり または 恩師 ⑥

2019-03-16 14:11:13 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実通りではありません


 ご縁という見えない力があるのだろうか、私が上京したした二年後に典子先生ご夫妻が東京にお住まいになるこ

とになった。謙三先生が立教大学に教授として迎えられ、典子先生は東海大学で留学生に日本語を教えられることになった。
 お住まいは、世田谷で医院を開業なさっている典子先生の伯母上の二階を間借りなさっていた。同級生で東京の

短大に通う陽子と一緒にお邪魔すると、ここでも階段の両脇まで迫る本をきっちりと整頓されて、すべてが収まる

場所に収まって、ものがあることがかえってそれで整然とした印象を与えていた。
 
 典子先生はお手製のバナナケーキで迎えて下さった。紅茶を淹れてくださる先生の美しい手際を、私たちは見と

れて会話のない時間も間が持たないということがなかった。謙三先生は

「どうぞごゆっくり」

とおっしゃるとタオルを持って銭湯に出かけられた。

 先生ほどの方でもお風呂のない二間だけの住まいでケーキを焼いてつましい暮らしをなさっている、自分の大学

生活を振り返って身が引き締まった。

 典子先生にはお子さんがなく、謙三先生と二人だけの東京の暮らしを楽しんでいらっしゃった。歌舞伎や文楽か

ら渋谷ジァンジァンのライブに天井桟敷や状況劇場などアングラまで幅広く観賞なさって、筋書きやパンフレット

を見せて下さった。


 帰り道、陽子が私に告げた「あなたのことを先生に話したら青春の最中なのね、胸が痛くなるとおっしゃってた

わよ」と。

 それから私は学生結婚をした。

 式は軽井沢の聖パウロ教会で、披露宴は成城の住宅街にあるマダムチャンで行った。典子先生は謙三先生と万平

ホテルに泊まって式に参列して下さり、マダムチャンでの食事にも出席して下さった。マダムチャンでは双方各

20名ほどのの出席者には、スピーチはせずに自己紹介と新郎新婦への一言という形をお願いした。反対の多い結

婚に厳しい言葉も出た中、典子先生はしっかりと「わかりにくい行動をとる人ですが、必ず意味のあることをしま

すのでよろしくお願いします」と私をかばうように挨拶をなさった。

 その日は平服でと案内をしていたので先生は式には中紫の小紋、披露宴には黒紫地に白の秋草模様の小紋で出席

なさっていた。

 しかし後日披露宴の写真を見ると、先生の帯の背にはデザイン文字の壽が染め抜かれていた。

 陽子と私は先生を映画や鎌倉にお誘いして遊んで頂いた。国語や歴史について先生にお尋ねした時は答えの返っ

てこないことはなく、どんなこともご存じだった。

 先生と百人一首で遊びたいとは以前から考えていたのだが、思い立って京都で百人一首の会をすることにした。

会場は友人の実家である料理屋の二階、知人六人ほどを集めて昼食をし、そのあとをかるた会に使わせてもらうこ

とにしていた。二月の初めは雪が多く、先生は関ヶ原あたりで新幹線に停められて店には遅れるとの電話が入っ

た。
 それでも昼食の最後までには到着なさり、薄桃色の羽織姿で畳の部屋の入口から手をついて挨拶をなさったお姿

に皆がほうと目を開いた。

 夜は大阪から来たマリの希望で先斗町のますだに出かけた。ここは吉行淳之介の行きつけということでマリが選

んだ。小上がりに陣取ったわれわれのところにますだの女将が来るとマリが「吉行さんはよくいらっしゃるのです

か」と尋ねた。女将は「吉行センセは宮城まり子さんのとことちがいますか」と笑ってはぐらかし「ええべべ来て

はるなあ」と典子先生の背中をぽんぽんと叩いた。

 翌日は先生を嵐山の吉兆にご案内した。店の主人が暮しの手帖に連載を始めたこと関西以外にもしられるように

なってはいたが、まだそれほどの名声はなかった。

 先生は床の間の軸を丹念に拝見なさり「母を連れてきたい」とおっしゃった。

 大学は学生の紛争が終りに向かっていたが、私は地に足のつかない霧の中をさまよっていた。大学も結婚も自分

の希望をかなえたはずが、行先も心が帰る場所も見えない。大学紛争も鬱病もあいかわらずくすぶっていた。遠い

先のことではなく、日々の小さなことに目を向けて誰に当てるというのでもなく、言葉を書きまとめてガリ版刷り

の文集を作ってみた。それを気心の知れた二十人ほどの知人にだけ送った。

 最初に感想を下さったのは典子先生だった。

“あなたの文集を読んでいると、思いがけないところに情緒のひろがりがあってこちらの気持ちもずいぶんなごみ

ます。中学生からのあなたを思い出しながら、堀辰雄の文の題名が並ぶとこんなにきれいなのだと改めて見直しま

した。熱心な読者になりますから どうぞ第二集も送ってください。私の世界にはないことがたくさんあって楽し

いのです。私のかたい常識の壁があなたの真摯さに打たれて もしかしたら飛翔の穴があけられるかもしれないな

どと”

 先生もさまよっていらっしゃったのかもしれない。



インスタントコーヒ

2019-03-15 21:14:40 | 美食
いつも三浦屋で買っている

深煎りフレンチローストのコーヒーが

今回はどんな淹れ方をしてもまずい

深煎りだから苦くてあたりまえなのだが

苦さがこくではなくどくのように舌と喉に迫る

どんな淹れ方と書いたが

私は80℃(多分)くらいの低温で入れる

こうするといやな苦みはなくて甘い深煎りコーヒーになる

それでも今回はギブアップ

袋の途中で飲むのをあきらめた

そしていつものお手紙

コーヒーの会社に丁度ネットで問い合わせる欄があったので

なんでやねん とメールに書き連ねた

コーヒーは植物の種だから

気候天候植物体によってばらつきがあって当然だろう

焙煎は機械の数値で管理されているけど

だから私がお手紙するのは報告の意味が大きい

昔京都のコーヒーやさんに頼んで深煎りしてもらっていたときは

ちょっと今回は味が変だと報告すると倍返しのように

「家そんなはずありません●☆×▽□÷」ダダダダと打ち返された

折角の感想聞きなはれやー

コーヒーの禁断症状が出始めた

ふつうの炒り方のコーヒーは飲みたくないから

インスタントコーヒーを何年振りかで飲んだ

二か月我慢をすると

三浦屋に今までの賞味期限のものは消え

また新たなふくろが積まれた

買ってみて低温で淹れたら

おいしい味が戻っていた

それでまたお手紙

そしたら会社の人は

きっといけない豆がまざっていたのでしょう

って返事をくれました

今回思い出したインスタントの味

残りはお菓子にでも使いまひょかね

フランス語でインスタントコーヒーを

カフェソリューブルっていうのを

フランス菓子の翻訳のときに覚えた

溶けるコーヒーという意味です


本番前

2019-03-14 21:20:10 | 生物
朝は時々迂回して出勤する

春の様子がどんなか気になって

写真を撮るためにも

そろそろ私の開花標本木を調べねば

と久しぶりに飯田橋のみやこ橋にある桜に近づくと
        

飯田橋新駅舎の工事がすすみ

もうすぐ日が当たらなくなることが分かった

これでは来年から一番に咲く桜ではなくなる

あきらめる方法としては

私はソメイヨシノが好きではない

と思い出すことだ

すぐ近くの土手の前の並木はエドヒガンが続いている

あ、もう咲き始めた
        

この並木がぼうっと桜色に煙る姿は美しいけれども

人も多い

早朝に見に来るしかない

ひと気のない静かな桜

木のかずは少なくていいから

そんな花見がしたい

それで今年は福井県一乗谷の朝倉邸跡に行こうかと計画している

荒地を過ぎて兵の夢の跡になって石組だけが残っている

フォッサマグナの向こうの日本的な自然の中に咲く桜を夢想している

飯田橋では誰が植えたのでもない菜の花も咲くけれど
        

駅舎が完成したらこんな隙間の空地はなくなってしまうかもしれない

黄色の花の左下にカラスノエンドウが繁茂しているの

見えますか

こういう自然が人の心をほっとさせるんです

一乗谷に行けますように…


ウド

2019-03-13 20:55:00 | 美食
先日、銀座でおいしいごはんをごちそうになったとき

お刺身のつまにウドがついていて

強烈に春を感じました

それでとくに好きでもないのに

ウドたべたいウドたべたい もっと食べて春になりたい

と思っていました

でも一人で食べるのに300円もするウドを買う意味はあるだろうか

大体おべんとのおかずにはなりませんからね

ならば青柳も売っていたら買おかな

近所のスーパーあたりじゃどうせ売ってないよね

と思って見たら ありやした

しかも売れ残りというか誰も買わないので半額セール

それでも生食用と書いてありましたから



ウドと青柳の組み合わせ

これは上京して初めて食べるものでありました

福岡県の女子寮の寮母さんがしょっちゅう寮生に作らせたのです

私は三か月で寮をとびだしましたので

丁度春の献立づくりに参加したわけです

次にウドをたべたのは

婚家の義母さまがよく料理なさっていましたので

つまりウドは九州では食べたことがなく

いや売ってもいなかったと思う

関東の人はようウドたへはりますな

あいや 関東の人はようウドばたべらっしぁ

青柳は子供のころバカ貝といっていたものだと知り

ええーっ

ま、春だけの組み合わせ通過儀礼として食べなくちゃ

さ、これで気が済みました

老舗

2019-03-12 21:15:24 | 日記
神楽坂の老舗書店「文悠」

いつもなら空いている筈の時間にシャッターがおりたまま

とうとう閉店

と思ったら工事中の張り紙が出た

これまで地下一階は文庫本とコミックが置かれていたが

そこを会員制のレンタルスペースにするのだとか

閉店はしなかったけれど

繁盛はしていないということだ

このところ品揃えがすくなくなったなあと思ってはいた

特に書籍は少なくてもうほとんど雑誌ばかり

神楽坂には新潮社があり

この文悠があるからこそ

文化の高さの象徴となっていた

本が売れないのは誰にも止められない

それだけではない

これまで神楽坂で亡くなった店の業種を考えると

金物屋⇒お洒落な自転車や

海苔専門店⇒みやげもの風呂敷や

漆器や⇒ケーキ屋

紙専門店⇒みやげもの雑貨や

草履や⇒中華総菜や

靴や⇒カフェ

個人商店では生き延びられないような業種ばかりである

店をたたんでビルにして大家業になったところばかり

去年京都にいったときも有名な老舗をめあてに行ったら

うろうろしてもみつからない

まさかと思ったら

そこは観光客相手の土産物屋になっていた

会社だって生き残る方が少ない

私一人が感傷にひたったところで流れの向きは変えることはできないのだ

毎日おべんと

2019-03-11 20:39:18 | 美食
毎日おべんと持って出かけています

お茶は葉っぱだけティーバッグを作ってもっていきます

とみこさんからもらった中国茶です

三、四煎までいけます

最初ぬるめのお湯で薄く淹れて

段々に熱いお湯にしていきます

苦くならないから最後までさわやか

目覚ましに

ご飯のおともに

生姜飴のおともに

これがなくなったら

次はほうじ茶かな

もがり または 恩師 ⑤

2019-03-09 20:07:12 | 物語
ものがたりにモデルはありますが、事実通りではありません



 大学進学に力を入れていない女子校で、東大を受けますと言った私の関心は外を向いていた。予備校の受験講習

会や塾などに。

 それでも高校時代に典子先生のお宅へ一二回制服姿でお邪魔した記憶がある。ご主人の謙三先生のご実家は医院

で、そこの二階にお住まいになっていた。

 外階段を上がると一階とは別の玄関があったが、中にも階段があってご主人のご両親のお宅とつながっていた。

壁一面を占めるの謙三先生の研究資料や本は、まるで高さを揃えたかのようにきちんと並んで整えられて、セピア

色の家具は民芸調のものでまとまっていた。

 典子先生はゆっくりと丁寧にお茶を入れて出して下さった。勉強の話などはせずに予備校の憧れの先生や塾の

ボーイフレンドの話をする私を、先生はクスクスと笑いながら聞いて下さった。

 勉強や受験についての相談はしなかったけれど一つだけ受験の話をしたことがある。

「私は理科系に進みたいのに父は文科系にしなさいって言うんですよ」

「私も本当は化学を勉強したかったの。でも伯父がそんなら大学にやらんと言って」

  典子先生は大学に入る前に銀行家のお父様をなくされていた。日本女子大にいらしたお母様は、慶大生のお父

様とその時代には珍しい恋愛結婚だったそうだ。九州から日本女子大に進学するだけでもなかなかないことだった

はずだ。いうまでもなく典子先生も謙三先生とは九大で知り合われ数ある縁談を断って結婚なさったというエピ

ソードが生徒間で噂されていた。こんな申し分ない女性と結婚なさった方は誰からもうらやましがられるだろうと

思ったが、

「私、結婚するまで料理をしたことがなくて、最初の頃義母に『まあ、あなた味噌汁に塩を入れるの』と呆れ

られたの」

とおっしゃった。



 一校しか受けなかった入学試験には落ちた。発表の翌日、梅の模様のある鳩居堂の封書が届いた。中には封筒と

お揃いの便箋が入っていた。

“もう立ち直っていますか。

こんなときこそ あなたらしく強がって下さい。

今年の三年生 ほんとによく頑張りました。その気持ちの中心にいたのはあなたで

あなたがいなかったら みなここまで頑張れなかったかもしれません。

あなたの希望は、叶えるのを一年先に延ばしただけです

私の言葉など杞憂かもしれませんね。

落ち着いたら またおしゃべりにいらしてください”

 持ちこたえていた感情がこわれて涙が出るのはこの手紙がいけないと思った。

 典子先生はその年から高校での勤務は非常勤の講師に抑えられた。

 予備校の帰りに久々に先生のお宅にお邪魔すると

「私、本当は教師に向いてないの。生徒を平等に扱うことができなくて」

 柔らかなものごしで穏やかにはなされる先生には意外な言葉だった。

 一年後、大学の合格祝いに典子先生は『智恵子の紙絵』という写真集を下さった。合格発表のときからすでに鬱

病になっていた私は、その鮮やかな色彩とかたちにに慰められた。

  智恵子の紙絵作品は高村光太郎の『智恵子抄』の表紙になったこともある。統合失調症の智恵子が安定した状

態のときに熱中してつくったものだといわれる。常人の思いつかない色の組み合わせと題材の世界があることに、

なぜか心が救われた。

 それから三十年後、この本を話題に出したとき、先生がこの本を貸してほしいと言われた。そのままお手元に預

けたままになった本を引き取ることは、先生にもご遺族にも言い出せなかった。




プティ お伊勢

2019-03-08 20:30:14 | 日記
九段・飯田橋散歩の一環として

東京大神宮に行ってみた

ここは東京のお伊勢さんとも呼ばれる

でもお正月に込み合うのは

もう一つの別名 縁結びの神様といわれるからだ

なにしろ神前結婚式を最初に始めた神社らしいから

そんなところにわたしが行くのも気恥ずかしい

さらにあたしは神仏おがむのにお金を払う気が全くない

既得権益にあぐらをかいている商売

兄弟で骨肉の争いを起こしたりする神社商売

ではなぜそんなところに行ったかと言うと

大神宮の裏側の崖から見ると

大木が生い茂って公園みたいだったので

ところが大神宮ってちっちゃいちっちやい

はいってすぐ本殿にごつんと頭をぶつけるくらい狭い

そして裏には回れないようになっている

はい では さようなら

東京のお伊勢さんなんて勝手に名乗ってるだけでしょ

そういえば京都にも

京のお伊勢さんを名乗る神社があった

京の山道が好きな私に

ある人が日向神宮から南禅寺に抜ける山道が面白い

とたきつけるので

知人二人を誘って三条通から都ホテルの向かい側をのぼってみた

あまり人が行かないところなので荒れていた

道行開始

森の中に入ってしばらくすると天岩戸を模した穴があって通り抜けるようになっていた

駄目です 閉所恐怖症の私は迂回路に回って二人と落ち合うことにした

合流後 細い森の山道をかき分けて進む

そしていつしか行き止まり

完全に迷った

熊が出で来なければいいが…

京都以外の人には信じられないだろうが

市街地で動物なんかと思うのがふつう

しかし京都新聞には山で白骨死体発見と言う記事がよく載る

ゆっくりと道を引き返してどこで道が別れたのか調べながら進んだ

そしてかすかな目印を頼りに進むと

南禅寺の観光客の声が聞こえるあたりまできた

ひゃー よかったー

二人を誘った手前心細いけど責任があった

お伊勢さんも色々や