はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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(既に大分以前に亡くなったが)私の母方の祖父は、戦中は技術系の職業軍人で、戦後は建設関係の企業等で活躍した人であった。口ひげをはやし、人を叱る感じの漂う話し方をされ、子供の私にとっては「こわい」という印象が筆頭にくるおじいさんだった。口を開かずとも、娘を嫁に出した婿の出世状況や、子供の成績に対してプレッシャーを与える威厳をまとっていた。戦争(太平洋戦争)で学友や親類を失ったそうで、私が子供のときには、靖国神社の参拝にしばしば行っていた。靖国に行ったことを語る際の祖父は、厳粛な高揚感のような雰囲気を現していたことは、子供の私にも感じとることができた。

以下は、この祖父について母から聞いた話である。

祖父の家には、住み込みのお手伝いさんがいた。戦争中のある時、そのお手伝いさんが、突然、家から憲兵に連行された。そのお手伝いさんが、共産党員であることが判明したというのが、連行の理由だったそうだ(言うまでもなく、戦中は、言論や思想の自由は無かったのである)。祖父の家では、お手伝いさんのそのような経歴は全く知らなかったそうで、かなりの騒ぎになった。
しかし、間もなく、祖父は、そのお手伝いさんの実家の人と話しをし、お手伝いさんの拘留された先へ何度も面会に行き、差し入れをし、職権とつてを使って、そのお手伝いさんへの扱いがひどくならないように、ずいぶん尽力していたという。

祖父はもちろん共産党活動などとは無縁の人で、どちらかというと時の社会体制を利用して出世した人である。しかし、一旦、奉公の受け入れをしたからには、そのお手伝いさんも、家族の一員として守ろうとしたのである。

人の縁、信頼、仲間、家族、、というのは、本来このようなものであるはずだ。少なくとも、日本の古い家制度には、このような側面を包含する懐の深さがあったのだと、攻撃的な匿名意見ばかりが目立つインターネット時代の今、感慨をあらたに、この話しを思い出した。

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