長州VS大仁田 世紀末電流爆破決戦! [DVD] | |
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ハピネット・ピクチャーズ |
今からちょうど12年前、2000年7月30日。プロレスファンの注目は横浜アリーナに注がれていた。
1998年1月4日に引退していた長州力が邪道・大仁田厚との試合が行われたからである。しかも大仁田の十八番であるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。あの長州が復活する。プロレスファンの期待は膨れ上がった。会場の横浜アリーナは1万8千人と満員札止め。あまりの反響に、新日は「東京ドームでやればよかった」と漏らしたほどだった。
事の発端は試合前の1年8カ月前にさかのぼる。新日本の京都大会に1人で乗り込んだ大仁田は長州に果たし状を渡し、対決を迫る。それから大仁田はまるでストーカーのように付きまとい、頑として現役復帰、そして大仁田との対戦を受け入れなかった長州の首を縦に振らせた。
長州の復帰には、当時の新日本が橋本・武藤が離脱していたこともあるが、弟子の福田雅一選手の他界があった。
試合をしたくてもできない人がいる。無念の思いで逝った福田のことを考えれば「自分の悩み(復帰するかしないか)は贅沢なもの」と開き直れたという。
試合は開始から長州の一方的な展開。長州は一度も爆破を受けることもなく、わずか7分46秒にレフリー・ストップで快勝。
だがあの引退していた長州をリングに引っ張り上げた大仁田の執念も凄かった。
先日の「怒り新党」でも取り上げていたが、大仁田と真鍋アナの掛け合いもこの試合を盛り上げた要因だった。12年経って見ると、有吉と同じく「バカバカしい」と笑えるのだが…
大仁田によってリングに引きずり出された長州はいまだ現役。猪木を痛烈に非難し、WJを旗揚げするも、団体は消滅し、一番弟子だった佐々木健介とはそれがきっかけで絶縁するなど、完全に引き際を誤っている。
そう考えると、あの試合の勝者は大仁田、とも言えなくもない。