先日山梨県内へ出向き、富士急行線に乗車した際には、近年装いが改められて注目を集めている元京王車のリバイバルカラー編成にも遭遇する事が出来ました。
リバイバルカラー編成は2本存在しており、MAKIKYUが先日富士急を利用した際には、昭和20年代に用いられていた茶色とクリーム色の塗装の電車に乗車する事も出来ました。
この塗装は当然MAKIKYUが往時の様子を知る事はなく、遭遇した際の印象としては比較的近年関西の能勢電鉄が期間限定で走らせたリバイバル塗装車の様な印象を受けたもの(どちらも両数が3ドア2両、車体長も似たような長さと言う事も影響しているかもしれません)でした。
ただこの装いに改められた車両は、富士急で主力の座を占めている元京王5000系の中でも、2本しか存在しないオールロングシートの1000系と呼ばれる車両です。
車両構造上前面展望が比較的良好な点は「トーマスランド」号より有り難味を感じ、混雑時には威力を発揮する点でも評価できるものの、閑散時間帯に大月~富士吉田・河口湖間などを乗り通すには余り歓迎できる車両ではありませんので、乗るより見ている方が良い電車かもしれません。
もう一編成のリバイバル塗装編成は、現在の主力となっている元京王5000系が入線する前に用いられていた装いで、この塗装の編成は乗車機会こそなかったものの、河口湖駅の比較的写真を撮りやすい位置に留置されていました。
この塗装は京王車が多数入線する以前、主力の座を占めていた元小田急車(小田急2200形など→富士急5700系)をはじめ、現在「トーマスランド」号として活躍している5000系も、かつてはこの装いで活躍していました。
こちらの塗装は幼い頃にMAKIKYUが富士急行線を利用した際、乗車した元小田急車(元がどの形式かは覚えていませんが、貫通扉付きの如何にも小田急らしい雰囲気の電車だった事は記憶しています)がこの装いだった事を記憶しており、こちらは辛うじて往時の印象を思い出せるものです。
現在活躍している車両の中でも、5000系はかつてこの塗装を経験しているだけに、出来る事なら元京王車よりも、希少な5000系をこの塗装でリバイバル列車として運行した方が…とも感じてしまったものですが、元京王5000系に2種類のリバイバル塗装は、現行標準塗装と共にどちらも似合っていると感じたものです。
京王5000系は現在他の地方私鉄で活躍する車両も含めると、結構なカラーバリエーションが存在していますが、大改装を行って昨年運行開始した「富士登山電車」と共に、カラーバリエーションがより充実し、本家京王線からでの活躍こそ決して長い車両ではなかったものの、京王線での引退から10年以上の月日を経過した今日において、第2の活躍舞台となる各地で健在振りをPRしているかの様に感じられるのも興味深い所です。
またこのリバイバル塗装2種を、極端な話仮に早朝・深夜に他社から富士急に乗り入れてくる4両編成のステンレス製電車に施したとしても、興味をそそらないどころか、MAKIKYUは逆に不恰好極まりないと感じてしまい、同感と感じる方も多いかと思います。
(富士急に乗り入れる4両編成のステンレス製電車は、標準塗装以外の装いに改められた事はありませんが、比較的類似した印象を受ける電車が、東京都内の環状運転を行う路線で「劣化○急電車」[○には関西を代表する都市名に用いられる文字中の1文字が入ります]と言っても過言ではない装いのラッピングを纏った事があり、その不恰好ぶりを見た時は呆れたものでした)
本来その車両に用いられていた塗装でない装いの車両を、リバイバル塗装車として走らせるには、車両次第で大きく印象が変わるかと思いますが、富士急のリバイバル塗装車を目にした際には、元京王5000系は様々な装いが似合う車両である事を、改めて認識させられたものでした。
確かにどんな塗装でも似合うのは素晴らしく、特に富士急に譲渡された車両は標準色を含めて5色も揃っていて、どれも似合っています。その中に昨年の春にリバイバルされた京王5000系導入前の標準色であった塗装を見ると「ひょっとしたらこの色になっていたかも知れないなぁ~」と感じたものです。これと全く共通しているのが、旧国鉄101系改め秩父鉄道1000系の小豆色であり、共に昨年のほぼ同時期に登場したのは何かの因縁でしょうか?
又、本文で書いてあった元小田急の形式ですが、これは2200形です。この形式は富士急の他に新潟交通にも譲渡されていましたが、新潟の方は廃車になるまで小田急色のままでした。
京王5000系列は京王での活躍こそ決して長くなかったものの、今も地方各地で活躍が見られ、
決して見劣りしない風貌は名車ならではですね。
秩父鉄道の1000系リバイバル塗装編成(小豆色)も、こちらは先月乗車する機会があり、この装いもなかなか良いと感じたものでしたが、富士急とほぼ同時期に出てきたのは、最近のリバイバル塗装ブームも影響しているかもしれませんね。
あと記事中の「2200形など」という言及は、小田急時代形式が細かく分けると2200形以外にも幾つか存在するため、敢えてこの様な表現としています。
また小田急2200系列は、新潟交通(2220形ですね)に譲渡された車両も、末期の姿を一度目撃した事がありますが、こちらは稼動不能状態で放置された姿が寂しく感じたのを記憶しています。