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両開き扉車が活躍するJR只見線~日頃は片開き扉車が活躍しているのですが…

2012-05-16 | 鉄道[甲信越]

先月MAKIKYUが青春18きっぷを利用し、新潟県内へ足を運んだ際には、通称「上越国境」とも呼ばれる新潟~群馬県境で在来線(JR上越線)を利用して首都圏へ帰還したものでした。

県境を跨ぐ越後中里~水上(Minakami)間は旅客列車の本数が僅少な事で有名で、在来線を利用して首都圏~新潟県内などを移動する旅行者泣かせの区間になっている事は、ご存知の方も多いかと思います。

MAKIKYUが先月新潟県内から帰還する際にも、長岡方面から水上行きの電車に乗車には時間が開く事から、途中の小出(Koide)まで先回りし、久々にJR只見線に乗車したものでした。

JR只見線は全線非電化単線のローカル線で、日本全国でも屈指の閑散線区として有名な路線ですが、乗客数だけでなく列車本数も僅少で、通常ダイヤでも全線を通して運行する列車は3往復のみという状況です。

MAKIKYUも全線を通して乗車したのは1回だけで、後は福島県内の会津盆地内で幾度か…という程度ですが、昨年の豪雨による水害で現在会津川口~只見~大白川間は不通となっており、現在会津若松~会津川口間と、大白川~小出間の両側に分断されて運行しています。

おまけに山深い県境を越える只見~大白川間は、並行道路も整備されておらず、この事が超閑散線区でありながらも、只見線が国鉄末期の廃線対象から免れて今日まで走り続けている大要因にもなっています。

お陰で元々流動が少ない区間とはいえども、未だに代行バス運行や振替輸送を実施する事もままならず、放射線の影響で長期不通が確実な常磐線の福島県浜通り中部と同様に、JR東日本では数少ない不通区間となっており、途中の田子倉駅(秘境駅として有名な存在で、無人地帯に等しいのですが…)も足を運ぶのが非常に厳しい状況になっています。
(会津川口~只見間はバスによる代行輸送が実施されており、東日本大震災による津波被災各線区・区間は常磐線の一部区間を除き、バス代行輸送か、定期券・回数券利用者を対象とした路線バス振替が実施されています)

そのため先月MAKIKYUが只見線を利用した際には、新潟県内の区間のみを乗車する事になり、MAKIKYUが只見線の新潟県内区間のみを利用するのは初めてでした。


只見線では通常会津若松に配置された両運転台・片開き扉のキハ40形が運用され、会津若松は仙台支社管轄となる事から、新潟県内の区間でも仙台地区の小牛田に配置されたキハ40系列と同色の車両が活躍しています。

しかしながら災害の影響で只見線が分断され、小出方の新潟県内区間は鉄路では会津若松と遠く離れてしまった上に、元々新潟県内は新潟支社管轄区間と言う事も影響してか、鉄路では小出と遠く離れてしまった会津若松所属の車両ではなく、新津所属の車両が姿を見せていました。

新津所属の気動車は大きく分けて、国鉄継承車のキハ40系列と、JR化後に導入されたキハ110系列・キハE120形の新系列に分類され、両者はブレーキ方式の相違などで互換性がなく、それぞれのグループ内で編成を構成して運行していますが、キハ40系列は基本的に他の車両基地に所属している同系列をはじめ、JR各社の国鉄から継承した一般型気動車各形式などと併結も可能となっています。


その事もあってか、只見線小出方では新潟県内に残存した会津若松所属のキハ40形1両と、新津所属のキハ40系列による併結運転が行われており、新津所属の車両は片運転台・両開き扉のキハ47形が担ぎ出された事から、平時の只見線定期列車ではまず見られない両開き扉車による旅客列車運転が実現しており、MAKIKYUが只見線で両開き扉車に乗車するのは、当然初めてでした。


2両は互換性を有し、共に今や少数派となった非冷房・エンジン未換装の車両とはいえ、所属が異なる事から装いも異なり、通常の状況では昼間に見かける機会がない大白川の行先表示も違和感たっぷりという状況でした。

この表示もキハ40形は前面貫通扉上部の種別幕部分に行先表示、キハ47形は前面種別幕部分は「普通」表示で、側面サボ受けに「大白川⇔小出」表示と相違があり、キハ47形のイレギュラーぶりを強調している様に感じたものでした。

 
車内もワンマン化されて運賃箱を装備(ワンマン運転を実施していない只見線列車では無用の長物です)し、ボックス席の片側が1人がけに改められると共に、モケット張替えなどを行っているキハ40形と、ほぼ国鉄そのもので原型の要素が色濃く、オレンジ色の優先席つり革が辛うじて現代である事を感じさせるキハ47形は対照的でした。

乗車した列車は利用の少ない時間帯・方向で、新潟県内のみの盲腸線化している事も災いしてか、MAKIKYUが乗り込んだ際には「車両数=乗務員数=乗客数(MAKIKYUを含む)」という有様で、運転本数は指の数にも満たないにも関わらず、ほぼ貸切状態だったのには…という有様でした。

これでは人件費や設備費はおろか、燃料費にもなりませんので、通学時間帯の輸送に対応できるのならば、収容力確保に優れたロングシート車などを限定運用し、単行で走らせても充分なのではと感じてしまう程でした。

県境部分の不通分断が続く現状では、余所者にとっては非常に乗車し難く、特に新潟県内の区間は尚更という感があるJR只見線ですが、岩泉線の後を追う事にならない事を願うと共に、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も機会があれば是非足を運ばれ、乗車されては如何でしょうか?



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