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文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:小さくても勝てます

2017-12-14 09:01:32 | 書評:ビジネス
小さくても勝てます
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社

・さかはらあつし

 本書は、理容室「ザンギリ」を舞台にして、小説仕立てで小さな組織でもうまく戦略的な事業活動を行えば成果があがることを示したものだ。なお、舞台となった「ザンギリ」は実際に西新宿に存在している。

 実際のホームページにはスタッフが似顔絵イラストとともに紹介されているので、本書に登場するザンギリのスタッフはすべて実在の人物であることが分かる。

 ザンギリは元々は、家族で営むオフィスビルの地下にあるどこにでもある理容室だったようである。ある日ザンギリ二代目の大平法正氏は、たまたま訪れた立三という元戦略系のコンサルタントに興味を持つ。京都の人間という設定のようだが、関西弁丸出しのヘンなおっちゃんという感じなのだ。

 本書は、法正氏が、立三さんの指導を受けながら、どのようにザンギリを発展させていくかというものになっている。

 よく知られているように、理容業界というのは価格競争が激しい世界だ。組合に加入している理容店だと4000~5000円の料金が普通だが、その一方では早くて安いがい売り物の格安理容室も台頭している。果たしてどのようにすれば、普通の理容室である「ザンギリ」に未来が開けるのか。

 ところで、皆さん、経営学や経営戦略に関する本を読んで、どうにも理解できなかったことはないだろうか。本書は、それらに出てくるツールを具体的にどのように使えばいいのかがよく分かり、その方面を勉強したい人には役に立つものと思う。

 蛇足ながら一言付け加えたい。本書の中で法正氏の父親が、知人の保証人になる場面があったが、その後の展開は予想通り。借りた人間が行方をくらましたらしく、法正氏の父親も入院したので、法正氏が対応した。その時取り立てに来た先方の営業部長が、「払えなかったら、どうなるんすか?」という問いに対して、「(前略)足りない分は腎臓でも売って、返してもらうことになるんじゃないかな」(p212)なんて言っているが、今どきこんな取り立てをしたら、法的には完全にアウトだ。

 常連客の弁護士に相談したら、「これは仕方ないね。契約は契約だから」と言ったらしい。取り立ての際にそんな発言をしているくらいだから、金利の方も違法な可能性もある。本当にどこまで返済しないといけないのかを洗い直す必要もあるだろう。かなりフィクションが入っているとは思うが、弁護士が本当にこんな発言をしたのなら、どれだけ無能なんだと思ってしまう。

 ともあれ、経営企画関係に興味がある方、その方面で仕事をしている方、大学などで勉強をしている方などは、一読しておいても損はないと思う。

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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書評:ニッポンの奇祭

2017-12-12 09:25:03 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ニッポンの奇祭 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

・小林紀晴


 本書の著者は、諏訪生まれの写真家だ。私も昔訪れたことがあるが、諏訪と言えばなんといっても諏訪大社である。諏訪大社は、上社と下社に別れ、更に前者は本宮と前宮に、後者は秋宮と春宮に分かれているので、合計4つの神社から構成されていることになる。

 時折、テレビで放映されるのを視るが、諏訪大社では、6年に一度御柱祭りというものすごい祭りが行われることでも有名だ。これは、山から切り出した大木を神社の四隅に立てるというものだが、それを運ぶ際には、氏子たちが群がって、山から転がり落ちてくるといった表現がぴったりなくらいのなんとも豪壮なものだ。ちなみに時々死傷者が出るらしい。

 しかし、日本の奇祭はこれだけではない。まだまだ全国には、私たちが驚くような祭りが存在しているのだ。本書は、著者が取材したそんな祭りに数々を写真と文章で紹介している。

 しかし、新書一冊に収めるためだろうか、収められているものに結構偏りがあるのだ。長野県や九州・沖縄、東北の祭りは結構収められているのに、中国地方のものは一件もない。例えば日本三大奇祭として知られる岡山西大寺観音院のはだか祭り、山口県下関市長府にある忌宮神社の数方庭祭、同じく山口県防府市の小俣地区に伝わる「笑い講」などは、本書に収められている奇祭と比較しても、けっして引けは取らないと思うのだが。これは、ぜひ続刊を出してくれることを期待したい。

 ショッキングだったのは、宮崎県の銀鏡神社で行われる銀鏡神楽だ。なんと猪の生首が神様に捧げられるのである。これにはびっくり。

 沖縄県の宮古島で行われるパーントゥという祭りも極めて興味深い。全身を草を編んだもので覆い、そこに泥を塗りつけ、仮面を被った奇怪な姿の人々が、誰かれ構わずに泥を付けていくというもの。新築の家には、このパーントゥに中に入ってもらい壁に泥を塗りたくるのが、しきたりらしい。

 どの祭りを見ても、まさに縄文の息吹、ディオニュソスの狂乱といったものが感じられそうだ。しかし、近年の少子高齢化、過疎化の影響を受けて、滅んでしまった祭りもかなりある。そういった中で、このような本を編むのは、各地方の文化を後世に伝えるという観点からも意義があるものと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。



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書評:幸せとお金の経済学

2017-12-10 10:17:09 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
幸せとお金の経済学
クリエーター情報なし
フォレスト出版

・ロバート・H・フランク、(訳)金森重樹

 本書の教えるところによれば、財には、「地位財」と「非地位財」の二つの種類があるようだ。私は元々は電気工学が専門だが、経済学関係の本も割と読んでいる。しかし、他書であまりこの概念について書いてあった覚えはない。

 ここで、「地位財」はコンテクストの影響を受ける財のことだ。要するに相対的な位置づけが重要だということである。本書に載っている例としては、家の広さがある。他の人が6000平方フィートの家に住んでいる中で、自分だけ4000平方フィートの家に住むのと、他の人が2000平方フィートの家に住んでいる中で、自分だけが3000平方フィートの家に住むのとではどちらが良いかというものだが、絶対値でいえば前者の方が家が広いにも関わらず、ほとんどの人が後者を選ぶという。

 これに対して、「非地位財」というのは絶対的な位置づけが重要な財のことだ。これも本書に載っている例だが、他の人が、年間6週間の休暇をもらえる中で、自分だけが4週間の休暇しかもらえないのと、自分は年間2週間の休暇がもらえるのに、他の人は1週間しかないのとどちらが良いかというものだが、これはほとんどの人が絶対数の長い前者を選択したのである。

 アメリカでは、近年所得格差がどんどん広がっているという。そして、高所得層は、可処分所得が増えるので、例えば、もっと広い家を持つようになる。この割を食うのが中間所得層以下である。家は、「地位財」だから、高所得層に近接している中間所得層は、その影響で自分たちもより広い家を求めるようになり、それが次々に下位の層に伝搬していく。これでは、少しばかり所得が伸びても、決して生活は豊かにはならない。

 考えてみれば、これは日本でも似たようなことはある。例えば勤めている会社の給与水準が、世間一般では平均よりかなり高くても、同期の人間より100円でも給料が安いと、ものすごく不満を持つのではないか。これは、コンテクストの中で、満足、不満足を判断してしまうからだ。

 要するに、金をたくさん使えるようになっても、それは、基準が上方にシフトするだけで、決して幸福にはつながらないのだ。本書には面白い例が載っている。経済学者のリチャード・レナードの言葉のようだが、「豊かでない国では、夫の妻への愛情表現は1輪のバラですが、豊かな国ではバラの花束が必要です」(p209)というものである。しかし、いつも花束を贈っていては、それが当たり前になって、ありがたみも薄れるかもしれない(笑)。

 著者はアメリカの経済学者なので、アメリカを例に語られているが、これは日本についてもあまり変わりはないように思える。「吾唯足知」、「われただ足るを知る」という禅の言葉がある。京都の竜安寺のつくばいに記されていることでも有名だが、私達はこの言葉をもっと噛みしめなければいけないのではないだろうか。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:片思いレシピ

2017-12-09 12:49:56 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
片思いレシピ (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社

・樋口有介

 本書は、樋口有介による「柚木草平シリーズ」の一冊であるが、他の作品とは少し性格が異なっている。もちろん、名探偵を務めるのは、柚木草平なのだが、彼が直接作品の中で活躍している訳ではない。変わって主役を演じているのは草平の愛娘でまだ小学生の加奈子なのである。

 つまりは、一種のスピンオフ作品のようなものなので、草平は作品には直接登場しない。それでも、草平は、加奈子と電話で話しているし、事件の調査自体も草平が請け負っている。しかし最後に真犯人を得意そうに暴露する役は、草平に事件の調査を依頼した、加奈子の親友の妻沼柚子の祖父。ちなみに、大地主で元学生運動の闘士らしい。

 事件は、加奈子と柚子が通う塾の学生講師が殺害されたというもの。ところが、この講師が、柚子にこっそりきのこチョコをあげていたことが判明。確かに柚子はお人形のように可愛いが、自分にはくれなかったと加奈子はちょっとおかんむり。小さいぞ、加奈子・・・ってまだ小学生か(笑)。

 もちろん最後には、草平により事件は見事解決される(ただし、柚子の祖父がまるで自分が解決したかのように話すのだが(笑))。

 ところで、タイトルにある「片思い」だが、どうも、加奈子には気になる男の子がいるようだ。それは柚子の兄の翔児(中学生)。さすがに、あの草平を父に持つ加奈子が気にしているだけあって、相当の変わり者のようだが、彼が入院した際には彼女らしき女の子が病室にいた。果たして、加奈子の初恋の行方はというところだ。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。



 
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書評:火星からの侵略

2017-12-06 13:32:26 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
火星からの侵略―パニックの心理学的研究
クリエーター情報なし
金剛出版

・ハドリー・キャントリル、(訳)高橋祥友

 1938年10月30日、今考えるととても信じられないような事件がアメリカで起こった。ラジオで放送されたラジオ劇の宇宙戦争(H.G.ウエルズ原作)を聴いた人が、本当に火星人が攻めてきたと思って、多くの人が大パニックに陥ったとされている。

 しかし、同じ放送を聴いても、正しくラジオドラマだと判断した人も多かった。それではパニックに陥った人とそうでない人との間にはどのような違いがあったのか。本書は、それを心理学的に解き明かしたものである。

 原書が最初に出版されたのは1940年。日本でも、川島書店から、1970年に斎藤耕二氏と菊池章夫氏の訳で「火星からの侵入」という邦題で発売され、この方面を学ぶ者にとっては参考書の一つとなっているようだ。ただし、川島書店のホームページを見ると、この本は「長期品切」扱いになっており、読みたければ、図書館で探すか、古書を手に入れるかしかないだろう。ところがうれしいことに、今回訳者を変えて、別の出版社から発売されたのである。

 本書には、元になったラジオドラマの脚本を掲載したうえで、どのような人がこれをドラマではなく本当の出来事だと判断したのか、パニックにならなかった人はどのような人なのかを詳細に分析している。

 脚本を読む限り、この放送は、最初と最後そして放送中にもこれがH.G.ウエルズ原作の宇宙戦争のドラマであると断っている。また、新聞のラジオ番組欄には、このことがはっきりと載っているのである。それにも関わらず多くの人がパニックに陥ったのだ。

 パニックに陥った人とそうでない人を分けたのは、高度な学校教育を受けているかということと、批判力の有無といったファクターが大きいようである。まあ、どこの国にも、自分の頭で考えることをせずに、流れてきた情報を鵜呑みにする連中がいるということだろう。我が国でも、オイルショック時のトイレットペーパー買い占め事件や東北大震災時の風評被害などを見ると、そんな人間はかなりいるのではないかと思うのだが。

 本書が教えるのは、そのようなパニックに陥らないためには、情報の中にある矛盾点を探したり、他の情報と突き合わしてみたりすることが有効であるということ。事実、パニックに陥らなかった人は、番組での人々の移動速度が速すぎることに気づいたり、他のラジオ局でこのような大ニュースが報道されていないのはおかしいと思ったりして新聞のラジオ番組欄を確認したのである。

 なお、この事件で全米100万人以上の人がパニックに陥ったと言われているが、「この「火星からの侵入」事件は大げさに語られすぎており、現実にパニックが起きていたとしても、かなり限られた範囲の人々であったであろうと考えられている」(注)というのが最近の説のようである。そうはいっても、本書に述べられていることは極めて興味深い。


(注)放送大学テキスト「危機の心理学」(森津太子、星薫)p100

☆☆☆☆

※初出は「本が好き!」です。


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書評:絞首台の謎【新訳版】

2017-12-05 10:43:34 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
絞首台の謎【新訳版】 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社

・ジョン・ディクスン・カー、 (訳)和爾桃子

 本書は、カーによるバンコランシリーズの一冊のようだ。バンコランというのは、カーが産んだ名探偵で、登場人物の一覧を見ると、パリ警視庁の魔王という説明がある。「魔王っていったいなんなの?」と思わなくもないのだが、この巻を読んだだけでは、その魔王ぶりがよく分からない。

 パリ警視庁の魔王というくらいだから、普段はパリ周辺を縄張りにしているようだが、今回はなぜかロンドンに来ており、そこで発生した奇妙な事件をロンドン警視庁に手を貸して解決している。

 その事件とは、ムルクというエジプト人が、ジャック・ケッチに狙われるというもの。彼に絞首台の模型が送られてきたり、彼の運転手が殺されたまま、ロンドンの街を車で失踪したり。おまけに、警察には、ムルクがルイネーション(破滅)街で吊るされたという通報が入る。そのルイネーション街というのはロンドンには存在しない街だ。

 ところで、ジャック・ケッチとは、イギリスの処刑人の代名詞。きっと、子供たちが悪いことをしたら、お母さんが「ジャック・ケッチが来るよ」なんて脅かしていたんだろう。某番組の影響で西日本では有名な「ガオーさん」と同じような位置づけだろうか?でも調べてみたら、初代のジャック・ケッチは首を斬るのがあまりにへたくそなので大ブーイングを受けたようだ。でもこれは処刑される方にしたら、かなりの恐怖だろう。何しろ一発で決めてくれないから、何度もやり直しになってしまうので、その分恐怖や痛みを味わうことになる。

 ただ、文化の違いのためか、読んでいてもそれほど不気味さは感じなかった。これがたぶんイギリス人ならかなり不気味なんだろう。

 それにしてもイギリスは、「ジャック」という名前のついた怪人が多い。本書に登場する「ジャック・ケッチ」もそうだけど、「ジャック・ザ・リッパ―(切裂きジャック)」なんてのもそうだ。そういえば、「バネ足ジャック」なんてのもいた。

 まあ、ジャックというのは、イギリスでは男の名前の代表のような扱いだから仕方がないのかもしれない。日本でも変な怪人が出てきたら、太郎とか花子とか呼んでもいいのではと思ってしまう(笑)。例えば、「なまはげ太郎」とか、「口裂け花子」なんて。あっ、そういえば、「トイレの花子さん」というのがいたか。

 とまあ、こんな与太話を書いてるくらいだから、私には、寝るのも忘れて貪り読むというようなものではなかった。少し読んでは、退屈で中断し、また読み始めたときは最初の方を忘れているので、また初めからという感じだ。クライマックスに近づいたら、多少は面白くなってきたのだが。

☆☆

※初出は、「本が好き!」です。

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書評:ディズニー・USJで学んだ 現場を強くするリーダーの原理原則

2017-12-03 09:22:10 | 書評:ビジネス
ディズニー・USJで学んだ 現場を強くするリーダーの原理原則
クリエーター情報なし
内外出版社

・今井千尋

 実は私はいただきものということでもなければ、ビジネス書の中でも人材開発に関するものはまず読まない。なぜなら、どうしても精神論になりがちだし、言葉遊びが好きだといったような面が目立つからだ。(戦略や情報通信関係などは割と好きだが)

 本書についても人「材」をわざわざ人「財」と言い換えたり、本当の仕事とは「志事」だとか、なんだかよく分からないことが書かれている。

 そもそも本書は誰に読ませるために書かれているのだろう。どう読んでも、経営層などのトップリーダーが対象になっているとは思えない。

 例えば本書にはこう書いてある。<その理念(経営理念)は、経営幹部から管理職へ、管理職から現場のリーダー、現場のリーダーからスタッフへ伝えられていくはずです>(p79:( )は評者による)これを読むと、リーダーとは管理職より下の職位だということになる。係長というのは、普通は管理職と呼ばれているが、労基法上の管理職にはならないから、結局ここでいうリーダーとは、係長、主任、作業班長、職長クラスということになるのだろうか。ところが、136頁には、「現場管理職のリーダー」という表現がある。「えっ、管理職って本書でいうリーダーに入るの?」と、ちょっと戸惑う。138頁には、経営層、リーダー層、スタッフ層と3段階になっており、79頁の管理職はどこに行ってしまったのだろう。言いたいことは分からないでもないが、どうにも言葉の使い方に一貫性が感じられない。(ちなみに私は、言葉の定義をはっきりしないままに議論を進めるというのが嫌いだ。)

 また、6頁には、こんなことが書かれている。<私は「ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンでできていることは、誰でも、どんな企業でも、どんな職場でも再現可能だ」と考えています>

 これは、明らかに書きすぎだと思う。例えば工事現場やものつくりの現場で、見学に来たお客様に、テーマパークのスタッフのように明るく大きな声であいさつをしても、私などは、「危ないから、ちゃんと前見て仕事しろよ!」なんて思ってしまう。

 また、時給の高い求人が出るとスタッフが辞めてしまうことについては、「共に働く価値」をリーダーが発信することを勧め、「金になびく人はより高い時給の仕事を見つけたら、辞めていく」から引き留めるのは無意味だと言っている。(p221)しかし、人には色々な事情があるものだ。それを「金になびく」と貶めるような表現を使うのはどうだろうか。そんなことを言うのなら、バイトの子にも正社員と同じ待遇を与えればいいじゃないかと思うのだが。結局、やりがいとかいったような精神論で煙に巻いて安いバイト料で人件費を浮かそうということじゃないのかな。

 ただ、「伝え方」、「捉え方」によって問題が生じることがあるのは賛成だ。私も、現役時代にこんな経験がある。A4の書類をB5でコピーすることを依頼した。もちろんB5に縮小コピーして欲しいということだ。ところが、返って来たのは、書類の一部だけを等倍のまま、本当にB5でコピーしたもの。この時から、人によっては、「サルでもわかる」ような指示の仕方をしなければいけないというのは実感した。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:電気計算2017年12月号

2017-12-01 20:55:06 | 書評:その他
電気計算 2017年 12 月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
電気書院


 電気主任技術者やエネルギー管理士を目指す人たちのための受験雑誌の12月号。昔は、色々な資格に関する受験雑誌があったものだが、少子化の影響か、人々のハングリー精神が希薄になり、勉強をして資格を取ろうという意欲が無くなってきたのか、それとも理工系の方面に皆が興味を持たなくなってきたのか、種類がどんどん少なくなっていく。

 情報処理に関する受験雑誌など、昔は数種類はあったように記憶しているが、しばらく前から全滅状態だ。電気主任技術者については、健闘しているようで、いまも関連雑誌が販売されているが、売っている書店自体が減っているので、昔よりかなり販売部数は減っているものと推測する。雑誌の価格も昔より格段に上がってしまっている(昔の価格はもう記憶にないが、それでも1000円以上していたような覚えはない。今は、この号で1620円だ。)

 電気は、ものづくりをしているところなら必ず使われており、電気主任技術者というのはかなり間口の広い資格なので、持っていて損をすることはないと思う(必ずしも得をするかどうかは分からないが。)

 この雑誌には、電気主任技術者試験(通称「電験」)やエネルギー管理士(電気)を受験する際に必要な色々な知識が詰め込まれているのみならず、電気技術者として知っておくに越したことはないトピックス的なものも多く連載されている。私も電気主任技術者試験やエネルギー管理士試験(昔は確かエネルギー管理士の試験は別の雑誌になっていたような記憶があるが、今はこちらに統合されているようだ)の際にはかなり世話になった。

 理工系離れが叫ばれ、大学の電気関係の学科を出ていても、本来は工業高校卒レベルのはずの電験3種でさえすんなりとは合格できない大学生が増えている現在、もっとこの手の雑誌が売れてもいいと思うのだが。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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