文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:銭湯:「浮世の垢」も落とす庶民の社交場

2018-05-01 21:58:25 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
銭湯:「浮世の垢」も落とす庶民の社交場 (シリーズ・ニッポン再発見)
クリエーター情報なし
ミネルヴァ書房

・町田 忍

 昔のちょっとませた男の子のあこがれの職業といえば、銭湯の番台だった。今はまず銭湯に行くことはないので、現在どうなっているのかはよく知らないが、昔は、いろいろと見放題だった(少なくとも多くの、ませた少年はそう想像していた)のである。しかし、そんな 銭湯も今や絶滅危惧種といっても過言ではない。本書によれば、1968年には18325軒もあったものが現在(2015年10月現在)では4000軒を切るまでに減っているという。

 私の生まれ育った場所は田舎だったので銭湯というものはなかった。初めて銭湯というものに入ったのが、大学進学のために京都で一人暮らしを始めてからだ。昔は学生用のアパートと言えば風呂などないのがデフォで、その代わりにいたるところに銭湯があった。

 これは余談だが、当時住んでいたのが坂の上なので、原付で銭湯に通っていた。風呂から上がってみると、バックミラーが無くなっているのは何度も。ひどいときはリアサスペンション(後ろにある大きなバネのような部品。わからなければググってほしい。画像がいくらでも出てくるので)やハンドルについているグリップ部分が片方無くなっていたこともある。バックミラーはまだわからないでもないが、リアサスペンションやグリップなんて盗んでどうするんだろうと、憤るよりは不思議だった。

 本書は、庶民の社交場たる銭湯の歴史から始まり、全国の銭湯に見る地域性や銭湯建築銭湯の浴室に描かれる絵画などを紹介している。私は三助さんを実際に見たことはないが、知識としてはかってそのような仕事があったのは知っていた。かなり昔に絶滅した職業だと思っていたのだが、最後の三助さんが引退したのが2014年だというから意外だった。また、幕末の頃には、銭湯の近くに住んでいた人は、男女を問わず素っ裸で自宅に帰る場合もあったようである。今ではちょっと考えられないことだ。

 温泉のようなものを除けば、これだけ内湯が普及している世の中だ。通常の銭湯というものは、衰退していくのは避けられない運命なのだろう。しかし、我が国には、確かにこのような庶民文化があった。それを忘れないためにも、このような本が出版される意義は高いと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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