色々な人のブログを回っていると、「資格」についての定義が結構ばらついているのを目にする。考えてみると、これは案外難しいかもしれない。試しに、gooの国語辞典で検索してみると、「資格」の定義は、次のようになっていた。
1 あることを行うのに必要な、また、ふさわしい地位や立場。「理事の―で出席する」
2 あることを行うために必要とされる条件。「税理士の―を取る」 (gooの国語辞典より引用)
このように、「資格」と言う概念は、かなり幅広いのだが、資格マニアの方も自分の持っている資格について述べる時に、さすがに最初の定義で使っている人はいないと思うので、ここでは二つ目の定義の方について述べてみよう。
しかし、この二つ目の定義も、一般に認識されている「資格」の定義からは不十分だと言わざるを得ない。確かに、法律に基づいて、「一般に禁止・制限されている行為を行政機関が特定の人に対して許すことや、特定の人に権利を定めて地位を与える」(Wiki「免許」より引用)という「免許」についてはこの通りなのだが、例えば「情報処理試験」などは情報処理の業務を行う上で必ずしも必要ではない。
私は、「資格」には広義の資格と狭義の資格があると思っている。そして、狭義の資格とは免許のことであり、広義の資格には、これに検定を加えたものだ。検定とは、ある技術・技能等を持っていることを保証する制度のことである。また、芸事では慣例として「免許」と言う言葉を使うこともあるが、これは法的な根拠は無いので、分類としては検定に含まれるだろう。そして免許はほぼ無条件に「資格」としてカウントできると思う。
更にもうひとつ、これはあまり明示されてはいるものにお目にかかったことはないのだが、特に検定の場合は、私は、「社会通念上一定の評価ができるもの」というのがあると思う。なぜなら、一定の評価がされているような検定でない以上、その人の技術・技能等が保証されているとは言えないからである。
これらに照らしてみて、迷い易い個別の事例について検討してみよう。まず「学位」である。これは、法律に基づいて、学位を名乗るということができる権利を与えるものだから、資格としてカウントできるだろう。
次に、講習だけで取得できるようなものだが、社会通念上一定の評価がされているようなものなら、取得の方法にはよらないだろう。しかし、怪しげな民間資格やネット検定の多く、通信教育の修了などは、仮に資格と自称していても、社会的な評価と言う意味で、資格として扱うには疑問がある。
また、最終的に資格を取得するための部分的な要件となっているようなものは、それ自体を資格として扱うべきではないというのも普通の感覚だろう。だから、資格試験の科目合格や、学位を得るための条件となっている大学等での単位取得を独立した資格として数えるべきではないと考えている。
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しかし、この二つ目の定義も、一般に認識されている「資格」の定義からは不十分だと言わざるを得ない。確かに、法律に基づいて、「一般に禁止・制限されている行為を行政機関が特定の人に対して許すことや、特定の人に権利を定めて地位を与える」(Wiki「免許」より引用)という「免許」についてはこの通りなのだが、例えば「情報処理試験」などは情報処理の業務を行う上で必ずしも必要ではない。
私は、「資格」には広義の資格と狭義の資格があると思っている。そして、狭義の資格とは免許のことであり、広義の資格には、これに検定を加えたものだ。検定とは、ある技術・技能等を持っていることを保証する制度のことである。また、芸事では慣例として「免許」と言う言葉を使うこともあるが、これは法的な根拠は無いので、分類としては検定に含まれるだろう。そして免許はほぼ無条件に「資格」としてカウントできると思う。
更にもうひとつ、これはあまり明示されてはいるものにお目にかかったことはないのだが、特に検定の場合は、私は、「社会通念上一定の評価ができるもの」というのがあると思う。なぜなら、一定の評価がされているような検定でない以上、その人の技術・技能等が保証されているとは言えないからである。
これらに照らしてみて、迷い易い個別の事例について検討してみよう。まず「学位」である。これは、法律に基づいて、学位を名乗るということができる権利を与えるものだから、資格としてカウントできるだろう。
次に、講習だけで取得できるようなものだが、社会通念上一定の評価がされているようなものなら、取得の方法にはよらないだろう。しかし、怪しげな民間資格やネット検定の多く、通信教育の修了などは、仮に資格と自称していても、社会的な評価と言う意味で、資格として扱うには疑問がある。
また、最終的に資格を取得するための部分的な要件となっているようなものは、それ自体を資格として扱うべきではないというのも普通の感覚だろう。だから、資格試験の科目合格や、学位を得るための条件となっている大学等での単位取得を独立した資格として数えるべきではないと考えている。
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・本の宇宙
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ただ、「社会通念上一定の評価ができるもの」というのが判断に苦しむところです。
社会通念上、「簿記3級合格者」より「税理士の簿記論科目合格者」の方が、どう考えても上でしょう。
また、「英検4級合格者」より、「東大で英語の単位を1単位習得した者」の方が、どう考えても上と思われます。
「学位」については、学校教育法上認められたものですが、逆に、「取得単位」も同様に、学校教育法上認めれらたもので、「成績証明書」を請求すれば取得履歴が使え、例えば、国家資格である危険物取扱者の受験資格(甲種:化学に関する単位を15単位以上取得)になったりします。
昔は、こんな愚かなことをテーマにあげる人はほとんどいなかった。何故なら、資格とはある程度の評価を得たものに限られていたから。
それが、玉石混交の「石」の部類に属する資格が氾濫し、やろうと思えば1年で100ぐらいの資格が取得できる時代となり下がってしまった。
「石の部類の資格」でも数の上で評価されるなら、「国家資格の科目合格」や「国家資格の一次試験合格」や「学校法人の単位取得」の方が、しっかり学習した上での学習履歴なのだから、社会通念上評価できるのでは・・・と思ってしまった訳です。
それが、資格の世界では認められないと知った上で、でも、「資格とは一体なんだろう」という一石を投じたかった。そして、数の論理が先行する風潮にも疑問を投じたかった。
さて、貴兄の学位は資格という考え方は、私はカウントには加えてませんが、「教育資格」であると認識し、尊重しております。
で、短大は短期大学士だから資格としていいと思いますが、専門学校、高校、中学、小学校、幼稚園、保育園はいかがでしょう?
あるいは、学位を出せない「大学校」というのもあります。
そう考えると、貴兄のように資格一覧をだされている人は立派だと思います。世に多数存在する「××の資格王」の方々は、一体、何をカウントしているか不明ですから(私も、公開してないので、大きなことは言えませんが・・・)
まず、「社会通念上」と言ったのは、本文にも書いたとおり、検定が技術・技能・知識などを習得していることの証明である以上、一定の評価の無いものは「資格」と呼ぶに値しないということであり、それは、資格自体の難易度と直接結び付いている訳ではありません。3級なら3級なりの技術等をもっていることを証明できれば良いと思います。
次に、
>、「簿記3級合格者」より「税理士の簿記論科目合格者」の方が、どう考えても上でしょう。
>また、「英検4級合格者」より、「東大で英語の単位を1単位習得した者」の方が、どう考えても上と思われます。
と言ったような疑問については、先に言った通り、資格は、それなりのことを証明できればいい訳ですから、難易度によって資格かそうでないかということは適当ではないと考えます。
また、資格と呼ぶからには、それ自体の独立性も必要だと思います。これは、狭義の意味での資格すなわち免許の考え方を拡張したものだと思っていただけば分かりやすいと思います。
免許の場合、いくら科目合格をしていても、それだけでは法的に、何の価値もない。税理士の科目合格だけでは、税理士業務はできないし、大学の単位を一つ取得しただけでは、学士は名乗れません。これは、難しいかどうかという価値とは本来関係ないものです。
>短大は短期大学士だから資格としていいと思いますが、専門学校、高校、中学、小学校、幼稚園、保育園はいかがでしょう?
これについては、専門学校の場合は一概に言えないところがありますが、専門士、高度専門士を名乗れるのなら、資格に数えられると思います。中学、小学校卒業は義務教育なので、資格としてあえて区別することはできないでしょう。幼稚園や保育園卒業は、何の技術等の習得を証明するものでもないので、これも資格とは呼べませんね。高校は微妙なところですが、大学の学士のように名乗れる名称がないことから資格に分類しない方が適当だと思います。
もちろん、特に検定については、必ずしもきっちりと線を引き切れるものではないと思いますが、これまでに、資格本などで、数を誇っている人の内訳を見ると、あまりにも違和感があることが多かったので、フラ夫さんの記事をきっかけに、自分なりの考えを纏めてみた次第です。
貴兄のように、資格に対する自分なりのポリシーを持っておられれば、1本、筋の通った回答ができると思います。そして、それが正解だと思っています。
公にカウントする基準はないですし、これからも基準は設けることはできないでしょう。
我々のように「資格」を学修のための目安にしている学習者はいいですが、本を書いたり、金銭のやりとりをするようになったら、ある程度、社会的にも納得感のあるカウント方法で、しかも公開しておかないと、「詐欺まがい」と呼ばれても仕方がないでしょうね。
数より質、何のために資格をとるのかという「大義名分」を大切にしていきたいと思っています。
資格のカウント法もですが、それ以上に資格の難易度などについても、いい加減な記事が目に付きます。この著者、絶対にこの資格の事を良く知らないなと思うこともままありますし。