私は元々工学系を専門とする人間だが、趣味で放送大学などで経済学系の勉強もしてきた。常々思うのだが、経済学というのは、理工系を専門とする人間の趣味としては最適ではないだろうか。特に定年後などの知的な趣味としてもいいのではないかと思う。
現代の経済学というのは、結構数学をつかう。数学を使って物事を理解し解析するのは、元々理工系の得意とするところだ。だから海外には、理工系出身の経済学者も結構いる。わが国でも野口 悠紀雄氏が工学部出身だというのは良く知られた話である。また我が国で一番ノーベル経済学賞に近いと言われている宇沢弘文氏も理学部出身である。
理工系の学問と違い、経済学の勉強は、実験装置も要らず、本と紙と鉛筆があればできる。一番の魅力は、適当なことを言っても、責任を取らなくてもいいということだ(笑)。理工系の人間は、例えば設計で寸法が1mm間違っても、安全上の問題などで責任を問われる可能性がある。たとえ第3者的な立場であろうが、変なことを言えば、非難轟々は明らかだ。しかるに、経済系では、実験で検証できないせいもあり、色々な人間がそれぞれ好き勝手なことを言っても大丈夫である。まさに理工系の人間の、仕事の重圧から解き放たれた定年後の知的な趣味として最適ではないだろうか。
私がこんなことを書くのも、どうも経済関係の学者の書くブログを読んでいるとイデオロギーが先に立って、実証的な態度が抜けているような気がするからである。マル経なんてのはその最たるものであるが、そうでなくても○○主義だとか△△派だとか言った表現が目につくのは、理工系の分野ではまず考えられない。彼らに任せておくと、日本が変な方にミスリードされないかと不安である。それを防ぐためには、理工系の素養のあるものが、ニュートラルな立場からもっと経済の分野で物を言っていかなければならない。でも、残念ながら在職中には時間がない。そこで、定年後に趣味として経済学をやることを勧めるのである。
例えば、経済学者のひとりである池田信夫氏は自分のブログで積極的に経済に関する自らの意見を発表している。これに対して、小倉秀夫氏などは彼のブログで、新自由主義的な論調だと批判している。確かに池田氏の主張はどこかイデオロギーが先行している様に感じ、いわゆる経済の専門家でない者から見ても納得しかねることを言っていることも多い。池田氏は、こんな場合、相手を経済学を知らない素人として見下したような論調で批判することが多いように見受けられるが、経済学というのは、何らかのモデルを選択して議論しているだけにすぎないものであり、それが現実を範囲的にも期間的にもどの程度まで説明できるかは誰にも言えないだろう。これが、物理学などと違う、経済学の大きな弱みでもあると同時に、おいしい点でもあると思う。
そういえば、池田氏は、「経済学者のコンセンサス」で面白いことを言っている。Mankiw's blogを引きあいに出して、<「経済学者が3人いたら意見は4つある」などといわれたのは昔の話で、現在はかなり広範な合意が成立している。>と主張しているのだが、経済学の領域では、多数決で正しいかどうかを判断するのだろうか。他の学問の分野では多数派が必ずしも正しくないというのは、何度も繰り返されて証明されてきたことだと思うのだが。
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○その他関連記事
・書評「経済物理学の発見」:時空の流離人
・「こら!たまには実証しろ!!」:404 Blog Not Found
・「経済学者の皆さん、今こそ議論に参加すべきときではなかろうか」:H-Yamaguchi.net
・「経済学はサイエンスであるべき」: 理系脳毒之助Diary
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現代の経済学というのは、結構数学をつかう。数学を使って物事を理解し解析するのは、元々理工系の得意とするところだ。だから海外には、理工系出身の経済学者も結構いる。わが国でも野口 悠紀雄氏が工学部出身だというのは良く知られた話である。また我が国で一番ノーベル経済学賞に近いと言われている宇沢弘文氏も理学部出身である。
理工系の学問と違い、経済学の勉強は、実験装置も要らず、本と紙と鉛筆があればできる。一番の魅力は、適当なことを言っても、責任を取らなくてもいいということだ(笑)。理工系の人間は、例えば設計で寸法が1mm間違っても、安全上の問題などで責任を問われる可能性がある。たとえ第3者的な立場であろうが、変なことを言えば、非難轟々は明らかだ。しかるに、経済系では、実験で検証できないせいもあり、色々な人間がそれぞれ好き勝手なことを言っても大丈夫である。まさに理工系の人間の、仕事の重圧から解き放たれた定年後の知的な趣味として最適ではないだろうか。
私がこんなことを書くのも、どうも経済関係の学者の書くブログを読んでいるとイデオロギーが先に立って、実証的な態度が抜けているような気がするからである。マル経なんてのはその最たるものであるが、そうでなくても○○主義だとか△△派だとか言った表現が目につくのは、理工系の分野ではまず考えられない。彼らに任せておくと、日本が変な方にミスリードされないかと不安である。それを防ぐためには、理工系の素養のあるものが、ニュートラルな立場からもっと経済の分野で物を言っていかなければならない。でも、残念ながら在職中には時間がない。そこで、定年後に趣味として経済学をやることを勧めるのである。
例えば、経済学者のひとりである池田信夫氏は自分のブログで積極的に経済に関する自らの意見を発表している。これに対して、小倉秀夫氏などは彼のブログで、新自由主義的な論調だと批判している。確かに池田氏の主張はどこかイデオロギーが先行している様に感じ、いわゆる経済の専門家でない者から見ても納得しかねることを言っていることも多い。池田氏は、こんな場合、相手を経済学を知らない素人として見下したような論調で批判することが多いように見受けられるが、経済学というのは、何らかのモデルを選択して議論しているだけにすぎないものであり、それが現実を範囲的にも期間的にもどの程度まで説明できるかは誰にも言えないだろう。これが、物理学などと違う、経済学の大きな弱みでもあると同時に、おいしい点でもあると思う。
そういえば、池田氏は、「経済学者のコンセンサス」で面白いことを言っている。Mankiw's blogを引きあいに出して、<「経済学者が3人いたら意見は4つある」などといわれたのは昔の話で、現在はかなり広範な合意が成立している。>と主張しているのだが、経済学の領域では、多数決で正しいかどうかを判断するのだろうか。他の学問の分野では多数派が必ずしも正しくないというのは、何度も繰り返されて証明されてきたことだと思うのだが。
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世間では経済学部って文科系とされてますが、むしろ理科系でよいのでは と考えます
学部1~2年で教える内容さえ高校数学全部やらなかった文科系の人たちにはかなりしんどいのでは、と
特に最近はゆとり授業の影響で、ますますその傾向があるかもしれませんね。
理系出身で、院は経済学に入ったものです。
マル経専門として残念?です。哲学ではないですが、そもそも人はどういう見方をしてもイデオロギーから逃れられないのではないですか?
まあそれは別にしても、マル経でも実証はあるし、数理的議論もあります。宇沢と同じくノーベル賞候補にもあがった、森嶋通夫も数理マルクス研究の論文・著書があります。
また、イデオロギーと科学の分離を掲げるマル経の宇野理論というのもあります。
それは別にして、池田信夫氏の経済学に関する部分はあまり信用しない方がいいです。マンデルフレミングモデルや、水平のフィリップス曲線の解釈でとんでもない間違いをしてて、経済学者間では失笑を買っています。
多かれ少なかれ、そういったことはあるでしょうが、そこは程度問題でしょうね。自然科学の分野ではどんなイデオロギーを持ってやっていても、実際の現象と矛盾したらアウトですから。
>池田信夫氏の経済学に関する部分はあまり信用しない方がいいです。
いやむしろつっこみどころをさがすことがとても勉強になります(笑)。
「責任」というどういう意味の「責任」ですか。
理工系の方々は、自分が世に送り出した機械や技術の不具合が自分の設計ミスによるもので、そのために、人が死んだ時どうするんですか。
理工系の方々、「特有の」その時の「責任」の取り方ってあるんですか。
もしかして、一般人の知らないところで、慰謝料を払ったり、刑務所に入ったりして、「責任」をとっているんですか。
「非難を浴びる」ことが「責任」の取り方なのであれば、どの学問でも、どの業界でも行われているはずです。
「非理工系の人」が、「非難を浴びる」という意味での「責任」をとっていないことを証明する証拠があるのですか。
枝葉末節な部分をとらえて、そこに脊髄反射的に反応する、もっとも幼稚なパターンだと思います。
それに、誰が「非理工系の人」全体が責任をとってないと言っていますか。勝手に一般化するというのも反論としては稚拙ですね。
「非理工系」を「非理工系」「すべての人」と捉えたのですね。
ここでの「非理工系の人」とは、「経済学者」を意味します。私の作文力がなくすみませんでした。
>枝葉末節な部分をとらえて、そこに脊髄反射的に反応する、もっとも幼稚なパターンだと思います。
枝葉末節とは、ちなみに「中心から外れた事柄。本質的でない、取るに足りない事柄」とインターネットに定義がありました。
私の指摘が「取るに足りない」理由は何ですか、ご教示ください。今後の参考にしたいと思います。
そういった観点から、あなたのコメントを観ると「枝葉末節」なことだと言っているのです。なお、言葉の意味というのは一定の広がりを持っています。そのなかから、私もそこまでは言っていない「取るにたらない」という意味をわざわざ選択しているのは、ご自分がそう思っているからではないですか。
ついでに前のコメントについても、理解できていなようなので説明しておきましょう。
理工系の職場の多くは法的な規制に縛られていることが多いのです。中には両罰規定といって、会社だけではなく本人にも刑罰が下される場合があります。
また、刑罰には問われなくても、設計や製作ミスで安全性に問題のあるような製品を世に出してしまった場合に、社内的に何の咎めもない企業があるのなら紹介して欲しいものです。
一方、百花繚乱の感がある経済学者や経済評論家が社会的な制裁を受けたという例は聞いたことがありません。
なお、どこの誰ともわからない人とこれ以上生産性のない議論を続ける気になりませんので、議論を続けるなら自分のブログのURLなり残していってください。
趣旨は了解しています。
コメントは必ず、ブログと同じ趣旨のコメントをしなければ、ならないのですか。
そうしないと、「幼稚なパターン」と揶揄されるわけですね。
でしたら、ブログを書く前にそのような但し書きを、コメントする人(=読んでくれてる人)にしていないけと、コメントする人に失礼でしょう。
「枝葉末節」の意味は複数あると思われているようですね。
この四文字熟語を構成する①「中心から外れた事柄」②「本質的でない」③「取るに足りない事柄」の三つの言葉は、どれも似たような意味で、今回の文脈では、③を選択しても、①を選択しても、大した差はないので、私は、すべて同じものとして発言しました。
いや、全く意味は違うぞ、と思われるのであれば、国語辞典を読まれてください。
②両罰規定について
両罰規定を初めて知りました。勉強になりました。
ただ、ウィキペディアによれば、両罰規定
は、「法人の代表者や従業員が業務に関し違法行為を行った場合、当人のみならず、法人も処罰できるという規定」となっています(http://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%BD%B0%E8%A6%8F%E5%AE%9A 2009/5/8現在)。
「理工系」って言葉や、「技術者本人」って言葉、もしくは、それに類する言葉が全くないですね。
文を読む限り、企業で働く、エコノミストといわれる「経済学者」も当然含まれています。
③制裁について
>刑罰には問われなくても、設計や製作ミスで安全性に問題のあるような製品を世に出してしまった場合に、社内的に何の咎めもない企業
「社内的な咎め」とは、降格や減給など、ですか?理工系の技術者でなくても、失敗すれば、誰でも、「社内的な咎め」は受けます。
>百花繚乱の感がある経済学者や経済評論家が社会的な制裁を受けたという例は聞いたことがありません。
では、調べてみましょう。
論証したいのであれば、Aという経済学者は、Bという他人に害を及ぼす発言をしたが、「社会的制裁」と考えられるものは何も受けなかった、という論理を組み立てるてて、証明すべきでしょう。
非難を浴びる程度であれば、2チャンネルの履歴等を見れば、すぎに見つかるのではないでしょうか。
なお、「聞いたことがない」という論拠は、論拠になりません。
なぜなら、その論拠は、どのような見解に対しても、「聞いたことがない」と言って批判できるからです。
④最後に
私は、理工系の方と一緒に働いているので、理工系の方が、「理工系」独自のどんな重い「責任」を負っているか、知りたかった、というのが、このようなコメントをした理由の一つです。
そのあなたからの回答は「社内的な咎め」「避難を浴びる」でしたが、それのどこが、「理工系」独自なのか、私には、分かりませんでした。
また、機会があるときに、教えていただければ、と思います。
あなたは、自分で勝手にこうだと思い込んでしまう悪い癖があるようですね。
①枝葉末節について
言葉にいくつもの意味があると誰が言いましたか?言葉は点ではなく面だと言っているのです。辞書はその中で代表的な点をとらえて説明しているのであり、それぞれの点の間では微妙にニュアンスが違います。ニュアンスの違いが分からないのなら、それは言葉に対するセンスの違いとしか言いようがありませんね。
>コメントする人に失礼でしょう。
趣旨を汲まないで枝葉末節なことに稚拙なコメントを書き込む方がよほど失礼だと思いますが。人のブログにコメントする以上それなりの礼儀があってしかるべきと思います。
②両罰規定について
誰も理工系の職場だけだとは書いていませんが?理工系というのと理工系「だけ」というのは全然意味が違います。集合論を学校で習いませんでしたか?
独占禁止法なども両罰規定があり、別に理工系でなくても、カルテルに加担した者は罰則を受けることもあります。これは、どちらがリスクが高いかということで、技術系の職場の方がリスクが高いということですよ。
それに比較の対象としているのは、理工系以外の会社員ではありません。あくまで、経済学者や経済評論家のような人々です。勝手に比較対象を変えないでいただきたいものです。
③制裁について
これも②とほぼ同様ですね。
>「聞いたことがない」という論拠は、論拠になりません。
「ない」ことを否定するのは反例を上げれば済むことです。「ない」ことの証明は一般に不可能なので、十分な反例があげられない以上論拠になりえるというのが私の考えです。
なお、誰も2チャンネルの履歴のことなど言っていませんよ。私の言っているのはその人の人生に影響のあるような話です。