文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評;ヒトでなし

2019-04-08 09:24:37 | 書評:小説(その他)
 <俺は、ヒトでなしなんだそうだ。>(p10他)


 主人公は尾田慎吾という男。下の娘を亡くしたことがきっかけで、妻には離婚され、職場は頸になり、住むところも無くなった。一時景気が良かったのだが、今は借金塗れの高校時代の同級生・荻野常雄の持つマンションに転がりこんだことが、ドラマの幕開けとなる。ある日、荻野のところに闇金の取り立てがやってくる。ところが鍋屋というチンピラが兄貴分の江木を刺殺したことから、ストーリーは意外な方向に進んでいくのだ。


 なぜか、荻野は、自分の祖父・湛宥が住職をしている山寺に死体を捨てに行く。行動を共にするのは、尾田と、彼が跨線橋で出会った塚本祐子という女性。そして鍋屋。


 ところがこの寺というのが、色々訳アリの人物の集まる場所であり、住職の湛宥というのがとんでもない破戒坊主なのだ。


<とんだー破戒僧だ> と呆れる尾田に、


<破戒してない僧がおるなら会ってみたいものだわ。>(p391)


と答え、こんなことも言う。


<俺はな、出家して、この寺で、もう何十年も、人でなしになるための修行をしている>(p416)


 迷いがあるから人間なのだ。迷いを脱して、悟りの域に入る。それは人を超えた境地。つまりは「ヒトでなし」になるということなのだ。解脱ということは、こうなのかもしれない。しかし尾田の場合はもとから「ヒトでなし」なのである。娘の死はそれを自覚するきっかけになっただけのようだ。そんな彼に、湛宥は、<これで伝法灌頂は済ませたことにする。・・・(中略)・・・今からお前が阿闍梨だ。>(p771)と告げる。


 実は尾田の娘の死に関しても大きな出来事があるのだが、ネタバレになるので、どんなことかは本書を読んで確認して欲しい。


 京極夏彦さんの作品には仏教を取り扱ったものが結構ある。この作品はそんな京極さんの宗教観が現れているようで、極めて興味深い。

☆☆☆☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする