文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
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オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

2019-04-30 10:14:18 | 書評:その他
オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方
鶴見 優子
セルバ出版

 本書は、著者の鶴見さんが大学を卒業し、就職してから慶応通信で学んだ体験を表したものだ。もっとも最初から慶応に憧れていたわけではないようだ。鶴見さんが受験生のころ憧れていたのは早稲田大学。しかし一浪して入ったのは第8志望の女子大。仮面浪人として早稲田を受験するも振られっぱなし。大学を卒業すると、大手進学塾の正社員として就職する。でも早稲田にいけなかったことが学歴コンプレックスとなって鶴見さんを苛む。

 それではなぜ鶴見さんが早稲田でなく、慶応通信に入ったのか。鶴見さんによれば、仕事でたまたま行った慶応三田キャンパスの石畳に魅せられ、この大学に通いたいと思ったかららしい。しかし、働きながら通信制の大学で学ぶというのはなかなかハードだ。通信制というのは、時間的な融通が利く半面、基本的には自分で勉強しないといけないからだ。小さいころから塾に通い、何でも人から「習う」癖のついている今の若者には辛いかもしれない。

 私は入ったことはないのだが、大学通信の中でも慶応通信は特に厳しいと聞く。普通は学士入学なら3年次から学ぶことができる(最短2年)のだが、慶応は外国語を取りなおさないといけないので最短でも2年半かかってしまう。卒業率も低いらしい。鶴見さんの場合は卒業まで11年半かかったようだ。

 通信制の大学には様々な動機を持つ学生が学ぶ。大学を一度卒業したものが生涯学習のために学んでいる場合もあるだろう。私の場合も就職までの学生専業時代は大学院修士まで出ているのに、放送大学に入り、既に5回卒業している。そして感じたのは、通信制の大学を卒業するのは、通学制の大学を卒業するよりずっと大変であること。通信制の大学に通うものは、個人差はあるものの学習意欲が高い人が多いということ。しかしそれを知らない者は、間違った評価をする。例えば友人の母親が言ったというセリフにそれは端的にあらわされているだろう。

「18歳から22歳の間に行っていた大学(の偏差値)が人生のすべてです。その後にいくら行っても意味がありません。」(p87)

 まず、ご自分は、人を評価できるような大学を出たのだろうかという疑問が湧く。そして、この言い方だとその後、何を学ぶということもやっていないのだろう。また浪人をした者はこの期間には入らない。

 もちろんこういった人ばかりではない。何をやるにしても遅すぎるということはないのである。いくつになっても学ぶということは大切なのだ。

 若干気になることがある。世間一般でもそうなのだが、学校を偏差値で見ていることだ。例えばあの大学の偏差値はいくらというような言い方をする。私たちが学生のころ、模擬試験などを受けると偏差値は出てきたが、それはあくまでそのテストでの自分の位置づけがどの程度になるのかということだと理解していた。だから、偏差値が学校についているのはいまでも理解できないし、そもそも偏差値の本来の意味は、私の理解している通りなのだ。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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