マックンのメモ日記

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世界最大級の恐竜、米国自然史博物館で公開!

2016-01-19 11:58:35 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
Tレックスやバロサウルスよ、ちょっとどいて場所を空けてくれ。新しい前史の巨大恐竜がニューヨークの町にやって来る。今週、アメリカ自然史博物館で公開されます。

 ティタノサウルスという用語で知られるこの恐竜は、週末15日に一般公開されます。同博物館で展示される最大の恐竜であり、これまで発見された世界最大級の恐竜です。全長は122フィート(約37メートル)、背丈は20フィート(約6メートル)で天井に届くほどです。地球上を闊歩していた1億年近く前の体重は推定約70トン。アフリカ象の少なくとも10頭分です。

 復元骨格模型と並んで、最近発見されたティタノサウルス化石から最も良く保存されている骨の一部も展示されます。それには長さ8フィート(約2.4メートル)の大腿骨も含まれています。

 ディエゴ・ポル氏は、2014年にアルゼンチンでこれまで知られていなかった恐竜を発掘した古生物学者の1人です。同氏は「あらゆるものが極端に大きかった」と述べ、「作業を開始して数日後、それが巨大だと気付いた」と語っています。

 ティタノサウルスの最初の発見は、ある農民からの電話で始まりました。彼はアルゼンチンのパタゴニアにある遠隔の砂漠地域で化石を発見しました。ポル氏と、同国トレレウ市の古生物博物館の同僚たちが急いで調査した結果、相当重要な発見ではないかと考えました。ポル氏は「時には何の成果にもつながらない断片の発見があるし、時には、幸運にも素晴らしい一連の骨を見つける場合もある」と述べています。

発掘チームの別の古生物学者ホセ・ルイス・カルバリド氏によれば、この恐竜が完全に輝かしい姿を現すにはしばらく時間がかかったといいます。同氏は「(発見場所への)最初の訪問はエキサイティングで、大腿骨を発見した」と述べました。しかし同時に、「この発見の重要性を本当に知るのは、2度目ないし3度目の訪問の時だった」と語っています。

 ポル氏によると、現場から発掘された200個以上の化石は、これまでに知られていない種(しゅ)のものだったのです。それらは、これまで発見されていなかった史上最大の生き物の存在についての手掛かりを提供するといいます。この恐竜は、発見されてまだ新しいため、正式な名前が付けられていません。

 ニューヨーク古生物学会の会長で、ニューヨーク大学の講師を務めるドン・フィリップス氏によると、「ティタノサウルス」という言葉は、実は同じような構造や大きさを持つ巨大な恐竜の一群のことを指すといいます。フィリップス氏は「これらは、皆さんが良くご存じのように、長い首と尾を持つ極めて大きい恐竜だ」と述べ、「これまでに存在した中で最大の地上動物だ」と話しました。

 ティタノサウルスは草食動物だったと考えられています。このためフィリップス氏は「われわれがその時代に戻って生きていたとしても、彼らは恐らくあまり脅威ではなかっただろう」と述べました。ただし「上から足で踏みつけられない限りはだ」とも付け加えました。(ソースWSJ)

金融でも先駆者だったデビッド・ボウイ!

2016-01-17 21:57:34 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
英国の世界的ロック歌手で10日に死去したデビッド・ボウイさんは音楽やファッションの新境地を開いたことで人々の記憶に残るだろう。だがそれだけでなく、ボウイさんは金融面での先駆者でもあった。

 ボウイさんは1997年に、作品の将来の売り上げに対する権利を売却し、5500万ドル(約65億円)の資金を調達した。いわゆる「ボウイ債」と呼ばれるこの債券の画期的な発行は、ミュージシャンが作品の知的財産権の使用料(ロイヤルティー)を証券化した初めての例だった。他の多くのアーティストと違い、ボウイさんはロイヤルティーを完全に所有していた。

 そのタイミングは絶妙だった。米金融業界ではちょうど、変わった金融商品に対する人気が急騰していた。しかも、音楽ファイル共有サービスのナップスターなどによってCD販売額が地に落ちる前だった。

 ボウイ債の発行後、ロックのロイヤルティー証券化というニッチ分野を築き上げた投資銀行家のデービッド・プルマン氏は、「デビッド(ボウイさん)は最初、自身の楽曲の売却を検討していた。しかし、楽曲は自分の子供たちのようなもので、売りたくないと悟った」と話す。

ボウイさんがマンハッタンのミッドタウン地区にあるプルマン氏のオフィスを訪れたとき、同氏は斬新な金融工学の一つを提案した。ボウイさんの最初の25のアルバムからの売上高を一つの金融ビークルとして発行する債券の担保とするやり方だ。つまり、自身の作品に対する権利を譲り渡すが、それは一時的だ。

 プルマン氏は「彼(ボウイさん)の最初の反応は『証券化とは何だ?』というものだった」と話す。「しかし、私が説明すると彼は一瞬たりとも躊躇(ちゅうちょ)しなかった。彼は新しいことにトライすることが重要だということを自ら具現化してみせた」と振り返る。

 米金融・保険大手のプルデンシャル・ファイナンシャルがプルマン氏の会社から直接この債券を購入した。10年債で利回りは7.9%だった。私募だったため、金額的な条件ははっきり分かっていない。

 需要はものすごかったとプルマン氏は思い出す。そして、同氏の会社にも同様な案件が幾つも舞い込んだ。中には、ジェームス・ブラウンさんやマーヴィン・ゲイさんといったアーティストもいた。

 ボウイ債の営業では、通常とは違った質問も多かった。

 「投資家会議で、投資会社や保険会社、格付け会社から決まって最初に聞かれる質問は『デビッドに会ったのか?』というものだった」とプルマン氏は話す。「その次には『(ボウイさんの妻でスーパーモデルの)イマンさんに会ったのか?』と聞かれた」という。

ボウイ債は、資産担保証券という急成長市場の記念碑ともいうべき存在になった。資産担保証券は石炭工場からスポーツチームに至るまで、あらゆる主体が生み出す資産を裏付けとして発行される証券。

 資産担保証券へ投資するファンドのポートフォリオマネジャーで、ボウイさんのファンでもあるロンドン在勤のロブ・フォード氏は「革新的だった」とし、「最終的には、全ての種類の資産に関連する証券化の基本形になった」との見方を示した。

 ボウイさんは、楽曲のダウンロードがCD販売を侵食し始めた時期に、過去の作品を利用して利益を得た。ボウイさんは2002年のニューヨーク・タイムズ紙とのインタビューで、10年後に著作権が存在しているとは思わないと話していた。音楽は「水道や電気のような」ありきたりのものになっている可能性が高いだろうとも語っていた。(ソースWSJ)

maccun(マックン)のDTMによる自作曲。MySpace編

2016-01-05 11:28:04 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
久しぶりの自作曲です。今回はmyspaceでの公開ですが、一部youtubeでも公開しています。

ただ、youtubeは動画にしなければならないので、その分ハードルが高くなり、すべての曲を公開していません。その点、myspaceは動画にしなくてもいいこともあり、今までの曲をすべて公開しています。ということで、今回もmyspaceでの公開になています。

 これは秋に川縁の桜並木を散歩しながらいろいろ物思いにふけりながら散歩しているというイメージの曲です。どちらかというと曲は短調のものが多いため、この曲もやはり短調となっています。

 本当はいろいろな曲を作りたいと思っているのですが、頭に浮かんでくる曲が短調ばかりなので、なかなか思うように長調の曲ができないところが悩みの種です。

 よろしければ聴いてみてください。ついでに他の曲も聴いてみていただければ嬉しいです。


秋の散歩道

https://myspace.com/maccun/music/songs?sid=114085706

ハッピーホリデイとなり死に絶えたクリスマス、様変わりのNY繁華街!

2015-12-27 11:22:48 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
12月の「ホリデーシーズン」に差し掛かかったころ、テネシー大学のダイバーシティー推進オフィスは、「ホリデーパーティーがクリスマスパーティーに見えないようにする」ための指針を公表しました。

 「これでは偽物のクリスマスパーティーを開かなくてはならなくなる」。仰天したテネシー州議会がこの指針を撤回させましたが、最後に笑ったのはクリスマスを抹殺しようとする人々だったようだ。実際、反クリスマス派が勝利を収めています。今年、米国では国民のイベントとしてのクリスマスが死に絶えてしまいました。

 米国民にとって歴史的にクリスマスの中心地となってきたニューヨークの5番街を歩いてみると、それを実感できます。

 米国民は何世代にもわたって12月になれば一家でニューヨークを訪れ、クリスマスのお祝いムードに浸ってきました。商店やレストラン、ブラウンストーンの建物、パークアベニューの常緑樹、そして何と言っても5番街のショーウインドーはクリスマスであふれていました。そこはクリスマスから逃れられない場所で、第一、逃げたいなどと思う人は誰もいなかったのです。

 たとえ自分以外のどの神も信じていないとしても、12月のニューヨークと言えばクリスマス一色に染まり、街は華やいでいた。

 多くの人にとって、12月にはサックス・フィフス・アベニューやロード・アンド・テイラー、バーグドーフ・グッドマンといった百貨店めぐりをするのが当たり前の行動だったのです。天気が良かろうが悪かろうが、人々は38丁目から59丁目にかけてぶらぶら歩き、華やかなクリスマスの飾りにあふれたショーウインドーを見ようと歩道を埋め尽くしたそうです。

 ところが、今年は家にいたほうがましだったそうです。今年の12月の5番街と言えば、クリスマスらしさはほとんどかけらも見られないし、それどころかもっと悪くなっているといいます。

 確かにロックフェラー・センターの見事なクリスマスツリーは今年も健在で、ロックフェラー・センターから5番街を渡った向かい側にあるセントパトリック大聖堂では正面が洗い清められ、大きな緑のリースが飾られています。しかし、今週、5番街を歩くと、目にするものはクリスマスらしくないばかりか、反クリスマスとしか言いようがないほどです。

 5番街では今年、伝統のサンタクロースさえ見当たりません。サンタの小人たちもいません。今までのクリスマスは死に絶えてしまったかのようです。

 サックス・フィフス・アベニューのショーウインドーの光景は何とも表現しがたいそうで、サックスはこれを「ザ・ウィンター・パレス」(冬の宮殿)と呼んでいるのですが。

 バーグドーフ・グッドマンのいわゆる「ホリデー向け」ウインドーの飾りは、「ザ・フロスティー・タージ・マハル」(霜の降りたタージ・マハル)になっており、手相占い師とローマ神話に登場する神キング・ネプチューンが愛人と座っています。

 まさか、ロード・アンド・テイラーの象徴的なクリスマスディスプレーのショーウインドーに聖ニコラウスが飾られていないことはなかろうと思ったそうですが、何と見当たらなかったのです。その代わり、小グマやカップケーキ、ジンジャーブレッドマン、カナダガンが並んでいました。

 クリスマスに背を向けていないところが1カ所だけありました。メーシーズのショーウインドーの一角には、テレビアニメ「ア・チャーリー・ブラウン・クリスマス」のキャラクターたちがクリスマスらしくはしゃいでいました。

 クリスマスが失われた時代には、生まれたばかりのキリストとサンタクロースは初期キリスト教徒の地下墓地「カタコンベ」に戻ることになるのです。そこでは誰に対しても(「メリークリスマス」の代わりに)「ハッピーホリデーズ」と言わずに済むからです。われわれの知っているクリスマスは死に絶え、12月25日は感謝祭の小型版のようになることでしょう。

 米国でクリスマスを祝うことが、旧ソ連のように告訴に値する犯罪にならない限り、キリスト教徒の家族はクリスマスの朝、教会に行き、自分たちの信仰の始まりを再確認し、一日中家でクリスマスソングを聴きながら過ごすことでしょう。(ソースWSJ)

コロンブスに勝てなかった“新大陸発見者”とは?

2015-10-18 15:38:32 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
米国にはレイフ・エリクソンデーという記念日があります。毎年10月9日、北米へ最初に到達したヨーロッパ人ともいわれるアイスランド人探検家、レイフ・エリクソンを記念する日です。

 ところがこの日は、10月第2週のコロンブス・デーの陰に隠れて、ほとんど注目されていません。現在、コロンブス・デーは連邦政府の祝日で、学校や民間企業の多くがこの日を休日としています。

 しかし、19世紀から20世紀初めごろ、クリストファー・コロンブスはある論争の標的になっていました。多くの人々が、北米大陸を最初に発見したのはコロンブスより500年も前にこの地へやってきたエリクソンであると主張したのです。

 1892年、米国はコロンブスの米大陸到達400周年を祝いました。当時、多くのイタリア系米国人が、イタリア人であるコロンブスの功績を米国が認めたことを誇りに思っていました。一方で、北欧をルーツに持つ人々は、コロンブスではなくエリクソンをたたえるべきだと感じていました。

 当時、米国各地で反移民・反イタリア人感情が高まっていたことも、エリクソン支持に拍車をかけました。「米大陸へ最初に到達したヨーロッパ人が、南欧出身ではなかった」という主張が受け入れられやすかったと、アイルランド国立大学メイヌース校の歴史講師ジョアン・マンシーニ博士は語っています。バイキングが北米に定住していたことを裏付ける考古学的証拠は見つかっており、今後も新たな証拠が出てくるだろうとみられています。

 エリクソンが支持された理由はほかにもありました。マンシーニ氏によると、19世紀の米国では、非カトリック教徒はカトリック教会に対して強い懐疑を抱いていたといいます。そうした時期にコロンブスが注目を浴びたため、反移民・反カトリック主義者たちが、国をあげて記念するならコロンブスよりもむしろエリクソンだと言い出し、多くのアングロサクソン系プロテスタント教徒も、エリクソンを新大陸の真の発見者とする意見を支持したのです。

 コロンブス400周年の前後、ローマカトリックの団体「コロンブス騎士会」はイタリア系米国人の団体と協力して、コロンブス・デーの制定を議会へ働きかけました。1907年、コロラド州初のイタリア系新聞社を創設した人物の活動により、コロンブス・デーは同州で初めて公式の祝日となったのです。それから数年のうちに15州がこれに続き、1971年に連邦政府の祝日となった頃には、既にほとんどの州がコロンブス・デーを祝っていました。

 レイフ・エリクソンデーを祝うようになったのも20世紀初頭ですが、コロンブス・デーほど広く浸透することはありませんでした。20世紀半ばには米国の記念日(大統領がその日にちなんだ告示を発する日)となったものの、多くの人は何の日であるかすら知らないのです。

 コロンブスがエリクソンに「勝利」したのは、イタリア系米国人が早くからロビー活動を行ったためもありますが、たとえ最初の発見者でなかったとしても、コロンブスの方がヨーロッパ人の米大陸移住により大きな役割を果たしたことも大きな理由でしょう。

 今日、コロンブスかエリクソンかの戦いは影を潜め、それよりもコロンブス・デー自体を祝うべきかどうかに議論の焦点は移っています。サウスダコタ州ではコロンブス・デーの代わりに「アメリカ先住民の日」を設け、ハワイ州とアラスカ州はどちらもコロンブス・デーを祝っていません。

 実際のところ、コロンブス・デーに反対する人の間では、コロンブスもエリクソンも自分たちがそれまで知らなかった場所を「発見」したというだけで、米大陸にはヨーロッパ人が来る以前から多くの人々が住んでおり、ヨーロッパ人の米大陸移住にどちらがより貢献したかなどという議論には意味がない、という見方もあります。(ソース ナショナルジオグラフィック)