空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

奈良円成寺の紅葉と 「運慶の大日如来坐像」

2019-11-07 | 日日是好日

梓澤要さんの「荒仏師運慶」を読み始めるとすぐ(まだ50ページほどしか読んでないけれど)、運慶の第一作が柳生の奥、円成寺に納められていると書いてあった 。柳生はそう遠くなかった気がする、では円成寺に行ってみるか。

検索すると、運慶の仏像が国宝に指定され多宝塔に納まっているそうだ。奈良公園方面は渋滞中だけれど山道なら行けるそうで。それなら出発だ。

なんと国宝や重文の多いお寺ではないか、それも鎌倉時代、(運慶だもの)テンションが上がってきた。

それに庭園や多宝塔もある。

実は多宝塔は何度見ても不思議に思える。初めて嵯峨の常寂光寺で見たショックは今は薄れてきたけれど、それでも円形の白い漆喰塗のカメバラ(亀腹)という部分が奇妙な感じがする。美しいのだけれど、異郷の香りがするというか、塔に似合わないアンバランスな気持ちがする。それでもふっくらとした塔は仏舎利を守っているという。気になってよくよく見たら、ピカピカで新しいはずここの多宝塔は平成になって復元されたとか、朱色も一際鮮やかだった。

本堂には藤原時代の重文の阿弥陀如来座像が透かし彫りの光背を背負っているし、周りには四天王が控えている。筆と巻物を持っている広目天に挨拶をした。後期は筆記用具を持っていない広目天もいるようだが、一応読んだ本の感想ぐらいすぐに書けますように、本気で手を合わせたが、これを他力本願という、という声がどこかから聞こえた、ような。

 

角が生えたような形の、出雲大社に似た建物が二棟(というのかな)あった。春日大社を建て替えた時古い社を移築して鎮守寺として持ってきたそうで、古事記の世界だ。この際と思って帰ってから、出雲造と春日造という建物の建築図、(設計図かな)眺めてみたがそうなのかと不思議な形がすこし理解できた。角部分の名前も千木(チギ)というのはどこかで見たことがあるが、いつも驚くのは、何にでも小さい些細なものにも名前があることで、世に存在するものは皆名前を持っている。素晴らしい。こんな世界で名前がないというのは実に悲しいことだろう、柄にもなく深く考えると話が長引きそうでのでここでやめる。

紅葉は始まったばかりだったが、古い建物に実によく似合う、それで下手な写真が一割増しに見えるし。

大日如来坐像の前に運慶自筆の墨筆銘があった。自信満々会心の作だったことが判る。それにしても遠い遠い時代から時空を超えて作者の存在感に感銘を受けた。

 

Unkei's Dainichi Nyorai (運慶の大日如来)

 

そのうち読み終わったら感想を書くけれど、最近は別室に大切に移された「大日如来坐像」と、その時の運慶について、梓澤要さんはこんな風に書いている。

 

智拳印を結ぶ両腕をあえて胸から大きく離し、ふところに広い空間をつくった。きらびやかな腕輪瓔珞で飾った上半身はたっぷりと厚く、豊かに。腰は逆に思いきり引き締めた。ゆったりと座す結跏趺坐の膝は、両側に大きく張り出して安定感を与えた。頭上の大きな宝冠は繊細な透かし彫りで、大きさのわりに軽やかさと優雅さを表わし見る者の視線を上へと導く。

丸すぎず頬の引き締まった顔は若い。弓なりの永い眉、小鼻の張った高い鼻梁、くっきり刻んだ唇は小さすぎず大きすぎず。端正だが脆弱ではない。強い意思を持つ高貴な青年の姿にした。

延寿の姿かたちを写しとったことに後悔はない。

*延寿、、運慶が通い詰めて子を産ませた白拍子。行方がしれなくなり子供だけが見つかった。というストーリーも始まりに置かれている。

 

 

奈良 円成寺に行ってきました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「盤上の向日葵」 柚月裕子 中央公論新社

2019-11-06 | 読書

 

 

人は何によって育つのだろう、やはりどんなに他人が恩情をかけても父母との血の繋がりが人を育てるのか、将棋の世界を重ねて面白いストーリーになっている。
 
 
すぐに「盤上の向日葵」読みたいと思ったけれど、まぁ遅くなってもいいかなと思って待っていた。図書館では三桁の予約があって忘れたころに来た。2018年の本屋大賞が「かがみの孤城」に決まり、二位が「盤上の向日葵」だったそうで、「かがみの孤城」も読んでみたいけれど図書館の予約はいまでも278番目では待ち遠しい。
「盤上の向日葵」は、日曜日にドラマが始まった。話題になっていたので録画していたが、まさか原作が来て、被るとは思ってもみなかった。 ちょうどいいかもとイメージ作りにドラマを見たが、新鮮な主役に渋い脇の人たちが面白そうだった。話の展開はあと3話に譲るようだったが。 そこで本を読んだ。一晩で読み切るほど面白かった。 一応柚月さんは好きでほかの作品を読んでいたが、最近作のやくざ絡みのハードボイルドは少々苦手だなと思い始めていたところで、今度は将棋か、今時の話は面白そうだし、その上「砂の器」のオマージュ作品だそうで、どんな料理法か興味津々だった。
まず、発見された死体が、7組しかない名作で高価な初代菊水月作の駒を抱いていたという。となればこの殺人は将棋の関係者ではないか。
型破りの石破刑事とプロ棋士を目指していた佐野のコンビが調べを始めた。こういう凸凹コンビは定石とは言うものの柚月さんは上手い。七組の駒の行方を求めて二人は駒の産地天童に降り立つ。
「六百万円もの価値がある駒を、遺体の両手に握らせて土に埋めるときって、どんな気持ちなんでしょう」 「さあな、将棋を知らねえ俺にはわからん。ただ、これだけは言える、俺だったら、そんな真似はしねえ。しかるべきところに持ち込んで、売っぱらう」
そうしなかった犯人の殺人の理由は、これからだ。
天童では竜昇戦のタイトルを賭けた大一番が始まっていた。三勝三敗、後がない最後の一戦である。
挑戦者は東大卒で奨励会を経ずに特例でプロになった上条桂介六段。 ここから彼の子供時代の話が始まる。
貧窮と虐待、母親の死。その頃恩人との出会いが彼を成長させた。元校長の唐沢夫婦が慈愛を込めて彼の好きな将棋の神髄をたたき込み暖かく見守ってきた。 東大に受かった桂介は将棋に天才的な力を持っていた。ふと入った将棋倶楽部で野の棋士に出会う、この人たちは様々な理由でプロになれなかったが力は並大抵のものではなく、中には賭け将棋で日銭を稼いで生活をしている者もいた。そこには自然に貸し借りができる。 桂介はそこで賭け将棋で真検師と呼ばれる棋士に出会う。これが彼が惹かれた命がけの将棋指しの世界だった。 彼は真剣師に同行して地方の大掛かりな賭け将棋の世界を知る。
卒業後はIT業界で成功し、世に知られる存在になったが、それが彼にとって幸か不幸か、縁を切った積りでいた落ちぶれた父や昔旅をした真剣師が無心に来て再び出会う。
捜査の進捗と、桂介の成長物語が交互に語られる。シーンが切り替わるように、期待とスリルが先へ先へと進んでいく。
読んだというとドラマ絡みで、殺された人は誰で犯人は誰かとよく質問された。 誰でも結末はどうなるのだろうという期待と不安が押し寄せる。面白い展開でやはり力のある作品。 だが、結末は作者の悩みどころだったのだろうか。少し縺れた話になっているのが惜しい。
桂介が持株を処分して将棋の世界に飛び込んでいくというのはよくわかる。金の無心をきっぱり退けるためには、方向転換も必要だが、彼は少し精神的に追い詰められ異常な行動の気配もある。 ここまで多くの困難と命がけの生き方をしてきた彼はまだ始まったばかりのこのあたりで、人格が崩れるような意思の弱さが見え始めるのは少し納得できない。幼い桂介は無垢で無邪気な礼儀正しい子供だっただけに。 小学生で140を超えるIQを持てば、好きな将棋で敵なしの才能を見せるのはありだとして、学生時代、道を外れると承知の上で真剣師と行動を共にする。 ここに至る過程で、貧窮と母親が狂っていって亡くなった、その原因も見てしまったせいか、あるいは恩人の唐沢には見えなかった心の底にねじれやゆがみの種が育っていったのかもしれない。 彼が持っているそのねじれは、追い詰められれば表面化して判断を損なったかもしれない。 炎の棋士という異名が付いた彼の将棋は
不利な将棋でもひたすら耐えて受け続ける粘り強さもさることながら、我慢に我慢を重ねた終盤、一瞬の隙をついてまるで火が付いたように相手の玉を追い詰める寄せの迫力からついた異名だった。燻っていた炭火が炎となり、すべてを焼き尽くすがごとく、怒涛の攻めに打って出る上条の圧倒的終盤力にプロの誰もが目を見張った。
象徴的な描写が上手い。
ただ終盤になって紙数がなくなったからか、連載のためか真剣師とのかかわりや事件の謎が明確に書き切れていないところが、ばたばたと終わったような感じを受ける原因ではないかと思う。確かに桂介の成長と、心理的な葛藤が将棋指しの心をくすぐる面白いテーマだった。欲を言えばもう少し桂介の心理を、葛藤や現実との矛盾を書いてほしかった。
将棋は少し父に教わったくらいでは理解できないがそれでも駒の運びの緊張感は伝わってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋らしくなったので出かけてきました。

2019-11-01 | 山野草

紅葉には少し早かったのですが、きっと高原の薄は綺麗だろうと出発しました。

あいにく前の日から雨でしたが、たまにはそれもいいかなと車も少なく呑気なものでしたが中国道に入って前が見えないほど大降りになりこれは失敗したかも、と不安になったのです。ところが姫路を過ぎるあたりから空が明るくなってきて、倉敷では雨がやみました。

大原美術館を一巡りしました。特にイベントもなく静かでした。グレコの「受胎告知」はマリア様は赤い服で、鳩も百合もそろっていて微笑ましかったです。

大原孫三郎さんの後援で絵の収集をした児島虎次郎さんの作品が集められていました。「朝顔」という絵のコピーを買ってきましたが、少女が下駄を斜めにして背伸びしながら釣り鉢に水をやっている絵が可愛くて見るたびににこにこしてしまいます。

蒜山高原は人も少なく薄の波が美しかったです。

以前家族でバーベキューをしましたが、とてもおいしかったのです、でもまだ時間も早く大山に向かってスカイラインに乗りました。大雨の跡でところどころ見晴らしのいい道に入るのは通行止めになって残念でした。

 

視界が開けて大山が見えてきて感激しました。木々は枝の先から紅葉が始まっていて美しい風景でした。山の峰は雲をかぶっていましたが時々顔をのぞかせていました。

大山には二度登ったのですが、最初の時は6月でちょうど山開きの日でした。読経の声と並んで登っていく僧侶の灯が神秘的でした。翌日、川を渡って登山を開始しましたが、警備の地元の警察の方々も登っていて、重いだろうと私たちのリュックを持ってくれました。頂上で安全祈願のお祈りの時は私たちも頭を垂れお払いに参加しました。いい思い出です。すっかり忘れていましたが今も行われているのでしょうか。

 

初めてだったのですが、麓の桝水高原という所で休憩しました。ちょうどお昼で私はぜんざいを食べましたが大きなお餅が二個入っていてご飯がいりませんでした。

薄紫のマツムシソウがたくさん咲いていました。可愛らしく美しい花で好きなのですが、以前写真で見て八方尾根まで見に行きました。湖のほとりで大きめの花に出会いましたが、それからは山でよく出会い感激でした。ただこんなにたくさん咲いているところは初めてでした。ツリガネニンジンもチラホラ残っていましたが、平地では まだ夏の終わりがここではもう秋の始まりなのかとはやいめにまた来たいねと話しました。

今回大山寺の牛さんにもあってきました。

カメラにカードがないのに気が付いたのは大山の麓で「またヤッタネ」と呆れられたのですが、その後はスマホがあるさと悔し紛れです。ただ画像を取り込んでよく見たのですが、要量も大きくなっているしピクセル数も増えているのか鮮明に写っていました。進化したものです。

ところが帰ってリサイズや切り取りをするのにPCに取り込もうとしましたがその方法が面倒で、勉強のためにまずショップに行き接続コードを勧められて買ってきました。それもちょっとした設定がいるので上手くいかず、サポートに教えてもらうことにしました。

さすがプロです。Googlephotoと同期させると、フォトアルバムができました。なんとそうなのか。コードはいらなかったです。

PCで行き詰るとサポートの方(たいていはお嬢さんです)が親切に教えてくれます。

スマホにしたとき最近は取扱説明書がなくてびっくり。設定だけは何とか出来てもなかなか使い慣れずやはり一度はサポートの方にお世話になっています。

 

カードを忘れていい勉強になりました。というわけで蒜山までの画像がありませんm(__)m

 

 

 

秋らしくなったので出かけてきました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする