梓澤要さんの「荒仏師運慶」を読み始めるとすぐ(まだ50ページほどしか読んでないけれど)、運慶の第一作が柳生の奥、円成寺に納められていると書いてあった 。柳生はそう遠くなかった気がする、では円成寺に行ってみるか。
検索すると、運慶の仏像が国宝に指定され多宝塔に納まっているそうだ。奈良公園方面は渋滞中だけれど山道なら行けるそうで。それなら出発だ。
なんと国宝や重文の多いお寺ではないか、それも鎌倉時代、(運慶だもの)テンションが上がってきた。
それに庭園や多宝塔もある。
実は多宝塔は何度見ても不思議に思える。初めて嵯峨の常寂光寺で見たショックは今は薄れてきたけれど、それでも円形の白い漆喰塗のカメバラ(亀腹)という部分が奇妙な感じがする。美しいのだけれど、異郷の香りがするというか、塔に似合わないアンバランスな気持ちがする。それでもふっくらとした塔は仏舎利を守っているという。気になってよくよく見たら、ピカピカで新しいはずここの多宝塔は平成になって復元されたとか、朱色も一際鮮やかだった。
本堂には藤原時代の重文の阿弥陀如来座像が透かし彫りの光背を背負っているし、周りには四天王が控えている。筆と巻物を持っている広目天に挨拶をした。後期は筆記用具を持っていない広目天もいるようだが、一応読んだ本の感想ぐらいすぐに書けますように、本気で手を合わせたが、これを他力本願という、という声がどこかから聞こえた、ような。
角が生えたような形の、出雲大社に似た建物が二棟(というのかな)あった。春日大社を建て替えた時古い社を移築して鎮守寺として持ってきたそうで、古事記の世界だ。この際と思って帰ってから、出雲造と春日造という建物の建築図、(設計図かな)眺めてみたがそうなのかと不思議な形がすこし理解できた。角部分の名前も千木(チギ)というのはどこかで見たことがあるが、いつも驚くのは、何にでも小さい些細なものにも名前があることで、世に存在するものは皆名前を持っている。素晴らしい。こんな世界で名前がないというのは実に悲しいことだろう、柄にもなく深く考えると話が長引きそうでのでここでやめる。
紅葉は始まったばかりだったが、古い建物に実によく似合う、それで下手な写真が一割増しに見えるし。
大日如来坐像の前に運慶自筆の墨筆銘があった。自信満々会心の作だったことが判る。それにしても遠い遠い時代から時空を超えて作者の存在感に感銘を受けた。
Unkei's Dainichi Nyorai (運慶の大日如来)
そのうち読み終わったら感想を書くけれど、最近は別室に大切に移された「大日如来坐像」と、その時の運慶について、梓澤要さんはこんな風に書いている。
智拳印を結ぶ両腕をあえて胸から大きく離し、ふところに広い空間をつくった。きらびやかな腕輪瓔珞で飾った上半身はたっぷりと厚く、豊かに。腰は逆に思いきり引き締めた。ゆったりと座す結跏趺坐の膝は、両側に大きく張り出して安定感を与えた。頭上の大きな宝冠は繊細な透かし彫りで、大きさのわりに軽やかさと優雅さを表わし見る者の視線を上へと導く。
丸すぎず頬の引き締まった顔は若い。弓なりの永い眉、小鼻の張った高い鼻梁、くっきり刻んだ唇は小さすぎず大きすぎず。端正だが脆弱ではない。強い意思を持つ高貴な青年の姿にした。
延寿の姿かたちを写しとったことに後悔はない。
*延寿、、運慶が通い詰めて子を産ませた白拍子。行方がしれなくなり子供だけが見つかった。というストーリーも始まりに置かれている。
奈良 円成寺に行ってきました。