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「野生のゴリラと再会する」 山極寿一 くもん出版

2017-04-14 | 読書



ヒト科は、哺乳類サル目(霊長類)の分類群のひとつ。ヒト亜科(ヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属を含む)
旧来はヒトの種を分類するための分類項であったが、ヒトを中心とする古生物学の進展と、DNA解析の進展の結果、ヒトと類人猿、特にゴリラ属・チンパンジー属の遺伝距離は小さいことが分かり、両者もヒト科に分類される意見が主流を占めることとなった。ただし、遺伝子と表現型の関係は未だ明確ではなく、遺伝距離を即、分類に反映させることに対しては慎重論もある


ちょっと調べてみたのは、動物園に行っても猿を見るのが好きではない。動作は限りなくヒトに似ている。特に指使いなど部分的にヒトかと見間違いそうになるが、見ていると動きなどは野生そのもので、無造作に餌をばらまかれ、それに群がっていて無残な気もする、ネットで囲われて座っていたりするのが不当に思える。ましてや大型のオランウータンやゴリラとなると、そんな生活でいいのかと、動物園ってそういう所だとわかっていながら、ヒトに似ているだけについ眼を逸らしそうになる。

ペットにすれば鳥も猫も犬もかわいいし、ペット達も世話さえすれば不満はなさそうだし、動物園の動物もでものんきに暮らしているようにも見える。考えるといかにも人間は身勝手に思えるが、この本を読むと、野生もそれなりに暮らしにくくなってきている。ヒトのせいで自然が住みにくくなってきているともいえる、しかしヒトも生物の進化の途中かもしれない、今のように脳が大きくなったおかげでヒト文化やヒト文明も進化してきている。進化とばかり言えない所も多々あるが。

対面的<見つめ合い>の人間学、という本を読み始めたら文中でこの本に出合ってしまった。

なぜ対面的という本かといえば、よく知らない人と1対1で会わないといけないようなシーンは特に不得手なもので、本屋さんで目次を読んで興味をもった。対面して見つめ合うと独特の磁場が生まれるという、ボクサーやキスや顔を見ないツイッターや身近なところから対面という論を述べてあり面白い本だった、間抜けなことに1/3を残して返却期限が来てしまった。「延滞しないでください」のカードまで入っていた。そこで先に来た、「ゴリラ」を読む羽目になった。
すぐに再予約したが、人気本で(これはびっくりだった)なかなか回ってこない。

しかし、そこで同じヒト科について少し知ることができた、同じ類人猿でも、長い歴史の果てにヒトと猿とはずいぶん違ってきていることを少々学問的に知った。
「対面」から言えば「ゴリラ」は視野がぼやけるほど近くに顔を寄せる(仲間どうしても人に対しても)
猿一般は目を合わせるということは危険な行為なのだが、ことゴリラは顔を寄せることは威嚇ではない。彼らは相手の反応を見て親しみを見せることがあり、眼で語りかけたりする。「対面」は愛すべき行動だった。

この本のテーマは以前ゴリラの国で研究をしていて、この頃よく遊んだ子供ゴリラのタイタスは今でも覚えていてくれるだろうか、というので訪ねてみたということだった。そのころのタイタスはヒトにすれば6歳くらいだった。そのタイタスも今はヒトなら60歳を超えていた。

覚えているだろうか、再会したタイタスは群れのリーダーになっていた。しばらくして挨拶の声を出し、笑い声で答えた。子供に返ったように独特の形で寝転がって見せた。
ゴリラの世界を観察し続けた記録には、ヒトより大きい体で、草や木の皮を食べ、群れで身を守る智慧や独特の暮らし方は興味深く、改めて失った人の遠い過去を見る思いがした。

取りとめのない感想文になったが、対面的<見つめ合い>の人間学という本から、学生時代の参考本に出合ったように面白い本に出合い、新しい発見もたくさんあった。


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