シャーンドル・マーライ
1900年 コショ(現スロバキアのコンツェ)に生まれる。フランクフルト大学及びベルリン大学に学ぶ。
その頃、無名のカフカを見出し、ハンガリーで翻訳。
1930年代にハンガリーを代表する作家となるが、48年に亡命。
作品はすべて発禁処分になり、やがて忘れられた。
1989年 ベルリンの壁崩壊の直前、亡命先のサンディエゴで自殺。
1990年 祖国ハンガリーで出版が再び開始される。
90年代末、本書の国際的成功により、20世紀の最も重要な作家の一人に名を連ねることとなる。
久し振りにトーマス・マンやヘルマン・ヘッセの世界を思わせる文学に出会った。未だ友情という徳が輝いていた時代ならではの悲しい物語に心打たれる 川本三郎(文芸評論家)
ハンガリーの高名な作家シャンドール・マーライの傑作「灼熱」は体制転換後五十年を経て再び刊行され、脚光を浴びた。だがその直前、亡命先のサンディエゴで彼は孤独のうちに自らの命を絶っていた。国を出てから四十一年後。奇しくもそれは本編の主人公ヘンリクが友コンラードを待ち続けた歳月と重なる。これは、文学がまだなんのためらいもなく「文学」でいられた幸せな時代の作品である。(訳者あとがきより)
ハンガリーの貴族で今は将軍のヘンリクは、待ちわびていた友コンラードからの便りを受け取る。彼が行方不明になってから41年、当時24歳だった彼らは年老いていた。
ヘンリクはコンラードが旅立った日を再現し古びた館には明るく蝋燭が灯された。ヘンリクには問い質されなければならない疑問が胸に積み重なっていた。ヘンリクの友情は真実だったのか嘘なのか。原因はコンラードか自分か、それとも妻のクリスティーナなのか。
意味深く、繊細な心にしみる物語をうまく語れないので、引用が多くなる。長く長く待ち続けた友人が現れたとき、ヘンリクの心の中の言葉は整理されて、発酵して、究極の香りを持つようになっていた。それは友コンラードに向けられていたものが、やがて一つ一つの言葉が鏡のように自分を映し出す。間違ったのは誰か、こういう悲哀の源は誰が作り出して育てたものか、ヘンリクは年の歩みとともに思いは乱れたり、たゆたったり澄み切ったり淀んだりした。そして確信どおりコンラードは現れた。もう二度と会うこともないような老いた二人の時の流れの中に。
コンラードから手紙がとどいた。
「昔と同じように、とお望みですか?」
「そうだ、あのときのままに。最後のときのようにな」
「わかりました」
ニニは言った。
それから将軍に近づいて、身をかがめ、そのしなびた手に口づけした。その手には指輪がはめられしみと血管が浮き出ていた。
「取り乱さないとお約束ください」
「わかった」
将軍は小声で優しく言った。
父は近衛将校で、貴族の家柄だった。士官学校に入り10歳のとき隣のベッドに寝ていたコンラードと知り合う。
初めて会った瞬間から、ふたりはこの出会いが自分たちを生涯結びつけるものだと感じた。
ヘンリクは緊張しながら父親に紹介したが父はコンラードと握手をして、家族の一員に迎えた。
二人とも一人ではないことを感じて幸せだった。何もかも共有した。
二人が将校になった時、コンラードは家族を紹介した。父は男爵だったが名ばかりで疲れ果てていた。家は狭くて泊まれず、コンラードは自分に必要なものを与えるために身を削って暮らしている両親の話をした。
「だがこんな風に生きていくには僕にはとても辛いんだ(略)二十二年このかた、父は一度もウィーンにいったことはない。自分が生まれ育った町なのにこれもみな、息子の僕を、自分たちが力及ばずしてあきらめたひとかどの人物とやらにするためさ(略)
コンラードはごく低い声でつぶやいた。
4日間ふたりはこの町にとどまった。発ったとき二人はこれまでの人生で初めて、自分たちの間に何かが起きたという感情を抱いた。一人がもうひとりに借りがある。そんな感情だった。それは言葉では言い表せないものだった。(略)
僕の財産を使ってくれ。実際、彼は自分の莫大な財産をどうしたらいいのかわからなかったのだ。だがコンラードは毅然として言った。「びた一文、受け取るわけにはいかない」(略)
コンラードは早々とふけた。二十五歳ではやくも読書用めがねが必要だった。(略)彼らはお互い相手を好いていたので、それぞれの「原罪」を許した。つまり豊かさと貧しさを。母とコンラードが「幻想ポロネーズ」を弾いたとき、父が漏らした「別種であること」は、コンラードに友ヘンリクの心を支配する力を与えた。
父の言葉は、両親の心の隔たりについて父が気づきながら暮らしてきた歴史を物語っていたのだが。
コンラードもまた、かすかに嘲笑と侮蔑が入り混じった、それでいて抑え切れない好奇心を感じさせる口調で、世間について語った。それはまるで、あちら側、つまり彼の反対側の世界の出来事に興味を抱くのは子どもや無知な人間だけだというようだった。
内心の声を感じながらも彼らは強烈な何ものにも犯されない「友情」という言葉を信じあるいはお互いを縛り続けていた。
コンラードが何も告げずに消えたとき、ヘンリクは初めて彼の家を訪れた。コンラードはそれまで訪問を拒否し続けていた、だがその部屋は実に芸術的に整えられ、高価な家具や椅子が置かれていた。コンラードは農場を受け継ぎ遺産を手にしていた。
空き家に立って呆然としていたヘンリクはそこに妻がきたのを見て驚いた。彼女はコンラードの幼馴染で同じ世界を共有していた。彼女はここへの道を知っていたのだとヘンリクは思った。
コンラードが去ったのは妻のせいなのだろうか、だがそれを聞くこともなく、コンラードがいなくなってすぐに別居した妻は7年後に亡くなった。
出会った二人はお互いの顔に時の流れを見た。そしてヘンリクは昔の友情の底に流れていた思いに気づいたことをしみじみと話す。殺したいほど憎まれていたかもしれないとおもう。猟銃をかまえたコンラードがチャンスをみすみす見逃して撃たなかったことを話す。
コンラードは漂泊した国々の話をする。どこにいても異国人だった年月の話をする。
ヘンリクは答えがほしかった。長年考えてたまっていた言葉でコンラードに問い糺す。絆について。二人が共有した情熱について、生きてきた意味について。
「なぜ僕にそれを聞く?」
コンラードは静かに言った。
「そのとおりだということは君が良く知っているじゃないか」
二人は無言で挨拶をし、深々と頭を下げた。
夜が更けてコンラードは帰る。もう遭うことのない将来に向かって。
「それではロンドンに帰るのかね」
自分に言い聞かせるように将軍は言った。
「そうだ」
「そこで生きていくのか」
「そこで死ぬんだ」
* * *
何も思わないで読書にふけった頃の香りがした。静かな気取りのないしみじみとしたいい作品だった。作者の影が投影されているように感じた。
余談が許されるだろうか。
ヘンリクは一方的に、自分を中心に身分や社会制度や二人の立場などの違い、根本的な心の向かう方向の違いがやっと見えたことを話す。それが不意にコンラードを駆り立ててしまったと思う。彼は自分の考えをコンラードに確かめたかった。それはそれでいい。人とはそういうものに生まれている。
「逐電」という言葉をコンラードは嫌がった。逃げたのではない、コンラードはヘンリクの問いに答えてはいない、ヘンリクはもう答えを出してしまっている。それでいいとコンラードは思ったのではないか、いまさらなにを言っても。過去に双生児だと見られようとも二人は一人ずつの人間で、ヘンリクはヘンリクの見方しかできないと、人はどんなに情熱的で純真だとしてもお互い全てを理解することはできない。ヘンリクのように41年間かかっても知ることが出来ない人間の心の深い闇を持っているのが、生きていくことなのだ。私も出来るだけ何事も隠さず生きたいと思うが、やはり触れて欲しくない部分はそれ以上に沢山持ち合わせている。
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