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「雨心中」 唯川恵 講談社文庫

2015-03-02 | 読書


帯より「セックスしなくても一緒にいたい。それは幸せか、絶望か」
……………………
女性の心を描き続けてきた名手が今だからこそ描けた究極の恋愛小説。

解説 瀧 晴巳(裏表紙)より
「怖い小説だ、と思う。容赦ない小説だ。(中略)
いくら体を重ねたからって、それがなんだというんだ。男と女の関係は儚い。どんな恋もいつかわ終わる。終わることのない愛が欲しい。これが野望でなくて何だろう。野望の正体がわかれば、それはすべての女の見果てぬ夢でもあるとわかる」



読み終わったとき、母性本能だといえば言えるし異性愛ともいえるこの不思議な物語はなぜ書かれたのか考えてみた。

養護施設に弟分になる周也がきたとき芳子は孤独感と分かれることが出来た。周也を可愛がり、施設を出てからも一緒に住み、姉弟として、頼りない、無責任な周也をかばい続ける。女が出来ると女のところに行かせ、短期間しか続かないで止める仕事も容認して、男としての責任を全うさせることをしない。
ついに周也にも心から好きな女が出来て、遠い五島列島に行ってしまう。そこでやっと地道に暮らしはじめた。暫くして妻のカオルは外から来た男の羽振りのよさに、一緒に島を出てしまった。

芳子は一人になったとき養護施設を手伝い始めたが、施設が廃止されて、また独り暮らしに戻ったとき、芳子を訪ねてふらりと周也が現れる。すでにオルは殺されていた。
周也は復讐のために罪を犯し、芳子は出所を待ち一緒にいくら暮らせるものと思っていた。周也はカオルを弔いに五島列島に行くと言う。快く承知してみたが、ついに芳子は駅に走る。


帯も解説も特に惹かれるものではなかった、時間を割いて読んでみたのは、二冊目だけれど、唯川さんの小説を解りたいと思った。だが残念ながら、帯に対しては、そういうことも多々あるでしょう、恋愛は夫々違う形なのだと思い、えてして自分の信じているもの、本能的にどうしようもない感情は、図る尺度がないのではないかという、自分流の思いがあった。

こういった甘えたもたれあいの生活がなんになろう、当人同士それでいいなら、とやかく言う筋ではないのではないか。最後がはッピーエンドでほっとしたといいたいが、この話に明るい未来はない、どこに堕ちていっても、どんな過酷な運命であっても自分たちが引き寄せたものに従って生きていくしかない。
形は変わってもありきたりの人生の一端にしか過ぎないと思われた。





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