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空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「本取り虫」 群ようこ ちくま文庫

2015-10-02 | 読書



女性に好かれるエッセイを書く人だと聞いて読んでみた。

1996年発行だから群さんは今より若かった。それでも取り上げられている本は、とても共感を持ったし、初めて紹介されているものは読んでみようかと思った。

単に本の紹介でなく、それを自分の生活に取り込んで語られているところ、以前同じ本から同じような感動を受けたことを思い出し、ナルホドと納得した

読書をただの絵空事ではなく、生活の中に浸みこませるような読み方は好きで、人によっては全く異なる読後感を持つことも察しられるが、群さんとは生き方や、受け止め方が当然異なった部分もあり、共通している部分もあって面白かった。

森茉莉「贅沢貧乏」 群さんの目から鱗が落ちた本に入っている。「自分さえ気に入っていれば、人がなんてったっていいじゃないか」これがいい。「どんな状況にいても自分は自分だ」というのもいい。

「檸檬」「山月記」の感覚的な読みもとても面白かった。初めて知ったのが学校の国語の教科書というのも出発は同じ。ただ、教科書を読んでよく分からなかったところが後年読み返し、中島敦の「虎」を読んで、これは人に対するおもいやりでもある。自分が好きになれない人を全く拒絶するのではなく、自分とは異質なものとして認めつつ、理解をするということを教えてくれているような気がする。哀しいだけでなく、一縷の救いがあるのだ。やっと私も「山月記」を読んで、じーんと出来るような歳になったのかと、しみじみとした。
と書いている。

「世間の約束事への挑戦」
「妖婦の世界」
「母娘の絆」
などは生活に照らした想いが述べられている。

「手作りの生活」
私も手作りが好きで編み物や縫い物をする、中でも温かい色合いを染め出す草木染のくだりは、読んでいるだけで豊かな気持ちになる。
日本古来の色や呼び名についての群さんの愛情が感じられる。

森南海子さんの「手縫いの旅」にふれて、生活に密着した手作りの文化を書き起こして、温かい気持ちにさせてくれる。

「古典ってこんなに面白い!」
という章もある。言葉遣いや馴染みのない漢字も読みこなしていけばこんなに面白いものはない。昔も今も変わらない、女はどこまでも女だし滑稽さに手を打つ気持ちにも、変わらない人々の生活がある。
古典は面白い、と書いている。

自分の面倒は自分で見るという独立した生き方でありながら、私のように専業主婦を喜んでいる女にも、そうだそうだと思わせてくれる、読み甲斐のある、新しい読書の世界まで見えるエッセイ 
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10月2日 金曜日 晴れ <竹藪・竹叢で>

2015-10-02 | 山野草

曇っていたが、ポイント情報を見ると、次第に晴れてくるという。急いで出発した。

朝は、いつものように不審者にならない程度に辺りを見回しながら歩く。

夜コースは、散歩の同行人がコンディションで名前をつけた。

・ミニコース(疲れてしまっている時)
・ショートカット(一応一日の気分的な締めであるく)
・一回り(程ほど疲れるくらい)
・フルコース(頑張って2000歩)

朝は、私なりに選んだ5コース+αがある。 今日は坂を下りたら向かいの田んぼに白鷺がいた。コース1だ。のんびり歩いていたので、そばまで行って飛ばしてみよう。と回りこんでじりじりと近ずく。白鷺って少し鈍いかな、ヨチヨチ歩いているのでカメラを構え、さぁお飛びなさいと、二三歩走り寄ってアップにした。これが間違い。飛んだことは飛んだが レンズの外に飛んでいてしまった。(誰も見てなかったとしよう)

またチャンスはあるさ。

つづきを歩き始めて、竹やぶに来た。珍しくもない、いつもの山に向かって竹ばかりがうっそうと茂っている所。山城のたけのこは甘く柔らかく名産品で有名だが、その流れでこのあたりも竹やぶが多くて春に朝掘りのたけのこの売店がでる。ただ悲しいことに若者が「たけのこ離れ」だそうで、気合の入った丸まるとしたたけのこはどこかの高級料亭に行くようだ。

ただ、春になると「むやみに中に入らないでください、警察が巡回しています」などと無粋な札が建つ。

竹やぶで足を止めて奥まで見通してみると、竹の梢は風で強く大きく揺れて、ぶつかるのかコンコン、たまに高い音でカンと鳴る。

竹は粘り強く、繊維が揃っていて種類も多い。生活になくてはならないものだっただろう。近くで野菜作りの人が私を珍しそうに見ていたが、このあたりではどこの屋敷にも少しの笹と竹やぶがあったのだと話してくれた。

そこで、不思議に思っていたので、竹に書いている数字は何かと聞いてみたら、たけのこが生えた年なのだそうだ。

俳句で、「竹の秋」というのは春の季語。たけのこに栄養をとられるので黄色くなるのだそうだが、そこはかとない親心がここにもある(笑)
「麦秋」というのも春だけれど、麦畑ももう近くにはない。花材になって竹の筒などに活けられているのをたまに見るくらいになった。

と、竹やぶ観察をして遊んでいたら、時計が8時半になっていた。9時に植木屋さんがくるといっていた。遅れないようにと普段にないスピードで帰ってきたが、もうトラックが止まっていた。大失敗。





雨雲が西から東に流れている。その上に青い空が見える。洗濯よしっ!


アカシヤのつぼみが出来ている。咲くのは梅の後なのに準備中。


白鷺に出会う。鳥だって物思う秋かも。


十月桜かな? 違った、スモモの花だった。


芋ほりの後、くず芋は捨ててある。時代だな


マイナンバー始まる。竹にも生まれた年がついていた。


「アオツヅラフジ」
秋の実の中でもひときわ美しい(と独断と偏見で思っている)


にんじんの花が咲いていた。セリ科の花らしく白い傘のように開いている。
同じ仲間でも、山や高原で見上げるようなシシウドに出会うと遠くに来た感じがする。







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