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鳥の巣頭の世迷い言

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旅ケルクの記録9(ロンドン編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月14日 05時11分45秒 | ダンケルク
<旅行4日目>


コンチネンタルスタイルのホテルの朝食(ロンドンのホテルとしては安い部類にはいるホテルですが、紅茶+牛乳は美味しかった!)

ロンドンのB&Bで朝を迎えた旅行4日目。
簡単な朝ご飯をもりもり食べた私は、うきうきと地下鉄に1時間ほど乗ってロンドン郊外のコリンデールへ出かけました。『ダンケルク』の劇中でファリアやコリンズが属していた”Bloody air force” こと、RAF(イギリス王立空軍; Royal Air Force)の博物館、Royal Air Force (RAF) museumに行くためです。今年で創立100周年ということもあり、様々な企画やイベントも開催されつつある賑々しい雰囲気を味わいながら、博物館へ向かいます。看板やフラッグが道にあるので迷いようがないという分かりやすさ。


駅を出たすぐ側の道路にある看板。ピクトグラムが可愛い。


museumへと連なる100周年のフラッグ。有刺鉄線みたいな飛行機雲のイラスト。

RAF100周年ということで、あちこちにフラッグが立ち並んでいるのを見ると、「空軍はどこにいる?!(Where is the bloody air force?!)」と、劇中でも、また史実でも、味方であるイギリス軍兵士にも罵られたり喧嘩になったというRAFの過去を考えると、(RAF兵士たちの)苦労が報われて良かったと思うべきなのか。
もちろん、ダンケルク撤退が完了した1940年6月4日の夕方に行なわれたチャーチルの演説や、その後のチャーチルの回想録によって、RAFの働きは言及されてはいる訳ですが。
『It was gained by the Air Force. Many of our soldiers coming back have not seen the Air Force at work.』(1940/6/4 チャーチル演説一部)

『(ダイナモ作戦において)イギリスとドイツの空軍の資質が直接試されることになった。我が戦闘機司令部は大きな努力を払って、現場の上空を絶えず警戒し、勢力において優る敵と戦った。刻々とドイツ戦闘機隊と爆撃機隊に食い込み、大きな損害をあたえ、分散させ、追い払った。(中略)不幸にして、海岸の軍隊は、この勇壮な空中戦をほとんど見ていない。多くの場合、何マイルも離れたところや、雲の上で行われたからである。(中略)陸軍の中には、空軍に対して激しい怒りをぶちまけるものもあり、ドーバーやテームズの港に上陸した軍隊のあるものは、何も知らないところから、空軍の制服を着た軍人を見ると、悪口を浴びせた。』(W. チャーチル『第二次世界大戦』より抜粋)

一般市民、あるいは兵士たちのRAFへの印象はダンケルクの数か月後に起こったバトル・オブ・ブリテン(ドイツ空軍による英国本土の攻撃)以降に変わったわけなのですが、それはつまり空軍の活躍+犠牲が一般市民の眼に見えるまでにフロントラインが迫ってきたということであり、そもそもの軍隊の存在意義を考えると皮肉と言うかなんというか(国民の生命および財産の保護...)。
吉田茂の防衛大学の学生への訓示を併せて思い出して、なんとも言えない気分になったりも。
<君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。

とはいえ、何のための道具なのか、何を目的に開発されたのか、などを差し置いても、やはり戦闘機やその製造技術、それを乗りこなすために鍛錬をしたパイロットたちや周辺のスタッフたちは、どうしようもなくカッコ良いと思えるものです。政治とか軍事とか、いわゆる『難しい事情』を忘れてワクワクするというか。物理的にとんでるのってそれだけでも楽しい。
スピットファイア開発設計の技師であるミッチェルがスピットファイアを開発した過程には興奮しますし。特に、エアレースのシュナイダー・カップで世界記録のスピードを他国メーカーと競っていく過程、ロールスロイス社のエンジンとタッグを組む過程、1936年にスピットファイアが初飛行し、イギリス空軍に実戦配備されるまでの過程等には、宮崎駿の映画「紅の豚」や「風立ちぬ」を思い出して、おもわずニヤリとしてしまいます。
(そしてもちろん、ドイツのメッサーシュミット教授がメッサーシュミットを開発した過程も、同様に)

劇中のドーソンさんではありませんが、スピットファイア開発メンバーやパイロットたちは、きっと自分たちの乗った飛行機の『口笛のようなエンジン音』、’Sweetest sound’をとにかく愛してやまなかったでしょう。1936年にスピットファイアの試作機に乗ったRAFパイロットたちはひどく狂喜したと言いますが、『スピット』という愛称の優れた同機に興奮を覚えたことでしょう。最初にスピットファイアが配置された第19中隊(第12戦闘機集団)のパイロットたちの心情はいかばかりか。
『現在、飛んでいる「スピットファイア」はほんの一にぎりしかない。空を飛ぶときにおこる、あのなつかしい口笛のようなひびきをきくこともめずらしい。しかし、その後わたくしは、ときどきなつかしい操縦席にすわって飛行するのだが、そのとき「マーリン」発動機の音が、あの勇敢にたたかった日々を思いださせてくれるのである。』(ジェームズ・エドガー・”ジョニー”・ジョンソン英国空軍少将(昭和48年当時)、元RAFのスピットファイアのパイロットで、かつイギリス空軍きってのエースパイロット:ジョン・ベター著、『スピットファイア』(昭和48年)より抜粋)

さて、そんなこんなで歩いて行って、RAF博物館に到着です。道路からフェンス越しに見えるスピットファイア(レプリカ)やハリケーン(レプリカ)にワクワクしながら入場です。


ハリケーンのレプリカ


入口からしてデザイン性がある。陸上自衛隊の広報センターの「りっくんランド」とは雰囲気が違う感じにやや戸惑う。管理する団体や目的が違うといわれればそれまでなんですが。←シン・ゴジラのロケ地巡りで行ってきたので。それにしても、元が空軍基地の敷地に建てた博物館なだけあって、敷地は広い。

入ってすぐの手荷物検査を受けた後、さっそく突入。
なんといっても広い敷地に展示する建物が複数点在しており、一つ一つの建物の中には展示品が沢山あるので、効率よく行かねばなりません。集中して見るのは体力も使いますし。第二次世界大戦(WW II)に焦点をしぼり、じっくりねっとり見ていけば良い…。
などと思っていたのですが、RAFの制服やら何やら、スピットファイアやロールスロイス製エンジンに遭遇して興奮してしまい、効率とか回る順番とか要領が、すっ飛んでしまいました。だって、そこにあるんだもの、本物が。



WW II頃のドッグタグ。ファリアやコリンズがつけてたのかもしれないとhshs。メタルじゃないのが意外。←いままで見てきた映画の影響+不勉強






マスコットやチャーム


兵士が使用していたバイオリン。

展示品にWW I時に兵士が愛用していたバイオリンがあり、一瞬驚いたのですが、考えてみればRAFに入隊するのは比較的上流の家柄の人が多かったそうなので、小さいころから教養の一環として習ってた人も多いかも。コリンズはともかく(Oilを「おいう」と発音するスコットランド出身!)、ファリアはソフィスティケートな都会っ子のスメルがするので、小さい頃に嫌々ながらも習っていたらと想像すると面白いかも。
『空の勝利の鍵はチームワークにあった。スピットファイアのパイロットたちは、生活も遊びも訓練も戦いも、つねに一緒にやった。』とRAF元パイロット(ジョンソン少将:昭和48年当時)も言及するくらいだったので、あんがいファリアが弾くバイオリンに耳をかたむけるコリンズ…みたいな光景を、どこかで目にすることはあったのかもしれません(←妄想を真顔で断言するオタク)。
それにしてもマスコットや小物がいちいち可愛い(イギリス人、熊が好きだなあ)。


脱出を想定している人(=パイロット)向けの脱出用キット。パイロットが占領地で捕虜になった場合に一般人に紛れて脱出するためのもの。捕虜になった場合、地図(シルクに印刷された地図←折りたたみ自由だし、紙よりは怪しまれない)が回収されることもあったとか。また、こうした地図は本のカバーやチェス盤、トランプカードなどに挟み込まれて秘密裏に捕虜収容所に持ち込まれたそう。パイロットのブーツも切って普通の靴と変わらない体裁にして逃げられるようにした仕様になっている。(最悪な状況の中で、ベターな状況に近づけるよう選択肢が与えられてるというのはいいな...と思ったり。最悪を想定し、打開するための手段をきちんと考え、そのための教育訓練が実施されているというのが素晴らしい!覚悟を教えるのでなくて!)



スピットファイアMkVb

それにしても、博物館に展示されるものとあって、スピットファイアは綺麗な状態で保管されていました。ダンケルクのダイナモ博物館に展示されていたボロボロのスピットファイアとは雲泥の差過ぎて、思わず「うっ(泣)」となりました。勝利の女神の祝福をうけた者と受けなかった者の差異の大きさに泣けてきたというか。
フランスのダイナモ博物館(ダンケルク)に展示されてたスピットファイアのプロペラは途中からポキンと折れてたし、ハリケーンなんて、プロペラ一つだけになってたし(中身はどこへ?海の中へ?)。
博物館に展示されているのは撃墜されずに生き残った、あるいは出撃しなかった等、いろんな理由があるのでしょうが、やはり外も中身も無事であって欲しいもの。
<ダイナモ博物館で展示されていたスピットファイア+ハリケーンの展示写真については拙ブログ『旅ケルクの記録5(ダンケルク編 その3)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅』に。


バッテリー


ロールスロイス「マーリン3」エンジン
Sweetest sound…とドーソンさんのように言ってみたくなるロールスロイス社製のエンジン。このエンジンとタッグを組んだスーパーマリーン社(設計技師:ミッチェル)の飛行機は世界一のスピードをマークし、やがて戦闘機「スピットファイア」へ繫がっていく。
因みに、上述の元RAFパイロットのジョンソンも同じようにスピットファイアのエンジン音をSweet soundと言っている。
<“I found the engineer officer and together we had a look at her, gleaming and bright in a new spring coat of camouflage paint. Later I took her up for a few aerobatics to get the feel of her, for this was the first time I had flown a Mk IX. She seemed very fast, the engine was sweet and she responded to the controls as only a thoroughbred can. I decided that she should be mine, and I never had occasion to regret that choice.” James Edgar “Johnnie” Johnson; His first encounter with EN398 (Spitfire)





フォーティス隊も愛用?していたスピットファイアMkI


給油中?のスピットファイア。思ったよりも給油する燃料タンクの容量が小さいのに慄く。

それにしても、スピットファイアの実物が思ったよりずっと小さいことに驚愕しました。私が日本からヨーロッパへ来るときに乗ったスーパージャンボとは本当に全然違うんだなあと。スピットファイアの弱点は航続距離(MKI型680km、MKIIa型651km)が短いこと…とwikiやベター著の『スピットファイア』に載ってた情報が頭をかすました。劇中で3.空(1 hr)とあったけど、さもありなん。飛行可能時間は90分なんだもの。
フォーティス隊長が「燃料を残せ」と言っていたのはダンケルク撤退戦でスピットファイアは海の上で交戦するということもあったんでしょうか。燃料切れで海に落ちたら、あとは英独どちらかの海軍に拾ってもらうしかなくなるから。
敵に撃たれて海上に不時着する直前のコリンズが「15ガロン!」と言っていた時点でファリアの燃料はギリギリだったのでは…などと思ったり(帰らなかったのがファリアのファリアたる所以なのでしょうが)
ちなみに、スピットファイアの機関銃はブローニング銃と呼ばれ、もとはコルト社の機関銃を導入していたが、イギリス国内で生産が開始されて名前になったのだとか。スピットファイアのパイロットは、ときに相手パイロットの白い歯が見える距離まで近づいて撃ったとの話も。
『スピットファイア』の著者ベター(←元カナダ空軍のスピットファイアのパイロットでもある)によると、射撃性能はドイツのメッサーシュミット(7.3ミリ機関銃)より良かったとのことだけど、ここはイギリスでもないドイツでもない、第三者の意見を聞きたい所。←イギリス・ドイツの各戦闘機パイロットによる著作を見る限り、互いに自分の所の飛行機の性能が良いと主張してる感じがするし。

ダンケルク劇中ではフォーティス隊(+ちらっと一瞬だけ見えた爆撃機ブレナム)しか見えなかったRAFですが(まさに「空軍はどこにいた?!」状態)、実際のダイナモ作戦においては、スコットランドの部隊をのぞく全ての部隊の戦闘機が出撃したということで(RAFのホームページで適当に中隊の履歴を検索すると、結構な部隊の戦歴にDukikが入っている)、実際に200機近い飛行機と80名以上のパイロットがが失われたことを考えると、フォーティス隊以外にも観客の目には見えないだけで戦っていたのかも…と思ったりもします(それこそ、観客の私たちからも空軍がどこで戦ってたのか見えてなかったのかも…なんて思ったり)。
ダイナモ作戦まではパイロットの射撃訓練も組織的に充分につめていたが、それ以降は自主性にまかせるしかなくなったという主旨の話もありますが、この作戦の後にBOBがあり、イギリス以外の国(ポーランドやベルギー等)からの亡命パイロットや義勇兵の活躍を聞くと、RAFの慢性的なパイロット不足(=死亡率が高く入れ替わりが激しい)が伺えます。
とはいえ、慢性的なパイロット不足(リソースの不足)については、それこそドイツ空軍でも日本の軍隊でも同じだったわけですが。



黄色のノーズが目印のメッサーシュミット
劇中では黄色いノーズでしたが、ダイナモ作戦が実施された1940年6月の時点では黄色に塗られていなかったのだとか(映画上の演出)。
1935年に初飛行、1938年から戦闘に参加したドイツの誇る戦闘機であるメッサーシュミットは、当時の世界トップクラスの性能を誇る戦闘機で、イギリスの戦闘機ハリケーンを圧倒した。空飛ぶサラブレッド。ドイツ空軍の快進撃を担ったといっても過言ではないのかも?エンジンはダイムラーベンツ社。エンジンが重く、空中での小回りする能力(旋回する能力)はスピットファイアより、やや劣っていたとか。
『あまりにも数が少なく、出現がおそすぎた』(マーチン・ケイディン著『メッサーシュミット』より抜粋)と言われていたくらいなので、歴史にifは禁物とは言いますが、メッサーシュミットが大量生産されていたら、あるいはヒトラーが運用を誤っていなければ、ドイツの快進撃はもっと続いていた…のかもしれません。こう考えると、兵器にかぎらず、システムや製品の開発やオペレーションをマネージメントをする人間のクオリティーって大事になってくるなあと思います。知らんけど。


背中あわせ?のように配置されてるスピットファイアとメッサーシュミット。とかく比較されがちな機体だからだろうか。物語のワンシーンかと思ってしまいました。スピットファイアと戦ったはずの日本の零戦がないのは、展示のコーナーがドイツ空軍とイギリス空軍の空中戦であるバトル・オブ・ブリテン(BOB)のコーナーだからか?BOBコーナーには、戦闘機集団の司令官にして防空レーダーシステムを構築した立役者のダウディング空軍大将や、ロンドンを含むイングランド南東部の防衛にあたった第11飛行隊司令官のキース・パーク少将の写真も。
<イギリス空軍は防衛にあたり空域をわけ、飛行場と管制基地を配置した。第11飛行連隊がロンドンを含むイングランド南東部、第12飛行連隊がイングランド中部、第10飛行連隊がイングランド南西部となる。こうした空域はさらにいくつかのセクターに分けられ、セクターごとに管制基地(高空用レーダー基地、低空用レーダー基地)が配置され、当時としては最新の防空レーダーシステム(ダウディングシステム)を構築した。


ピーターのお兄さんが乗っていたホーカー ハリケーン。
メッサーシュミットはハリケーンを圧倒したと『メッサーシュミット』にもあったが、ダンケルクの博物館に展示してあったハリケーンのプロペラの一部を思い出して、泣けてくるなど。


劇中ではダンケルクのビーチ上のイギリス兵+フランス兵たちにぼろんぼろん爆弾を落として行ったドイツ空軍爆撃機ユンカース ストゥーカ。




劇中で掃海艇に爆弾をボロボロ落としていたドイツ軍の爆撃機ハインケル。乗務員の乗る箇所(風防の部分)が金属製ではないが、彼らの安全が気になるところ。←撃たれてエンジンは無事だがパイロット死亡で墜落しそう。


イギリスの爆撃機ブレナム。ダンケルク劇中で一瞬だけ登場。ジョージの頭上のはるか上空をフランス→イギリスへ移動。








WWII当時のパイロットの服装。ファリア大尉のタイプ。RAFの1940年代のパイロットの写真を見る限り、ファリアみたいな服装(セーター+制服+ジャケット)だったりコリンズ少尉みたいな服装(シャツ+ネクタイ+制服)だったり、さまざまだったのですが、イギリスには衣替えみたいな規定はないのかな?夏服と冬服が混じってフリーダムな感じがしますが、他の国の空軍もこんな感じだったのかしら。


股引みたいなパイロットの下着。マネキンが金髪なのもあってコリンズが着替えてるのかと思いました。


RAFパイロットたちの戦いを顕彰したステンドグラス。マンストン(BOBにあってRAFの前線基地として機能した)にあるスピットファイア&ハリケーン博物館にも、ステンドグラスを撮影してプリントアウトしたものが展示されてましたが、それだけRAFにとってはとても象徴的で大事なものなのかも。


飛行中隊のバッジ。各中隊には独自のマークと銘(モットー)があった。
ちなみにスピットファイアが初めて配置された第19中隊のバッジはイルカ。銘はラテン語で「Possunt quia posse videntur; They can because they think they can」。この中隊はダンケルクにも出撃している。←最初に第19中隊のイルカを見た時、赤塚不二夫が書いたウナギイヌみたい…と思った。ごめん。


平和が一番だ..と思いながら芝生に寝転ぶ。←オタ活動は世情が安定してないと難しいしね!


<蛇足的な>
そういえば。
H.I.S Londonのツイッターアカウントさん(@his_london)が、スピットファイアのコックピット体験コーナーを有料(10ポンドていど)で今年の9月までの期間限定でやっているとのツイートをしているの見て、私、うっきうきしながら、体験コーナーへ向かったんです。うっきうきしながら向かった先にはExperienceと書かれた看板があり、いざっと乗り込んで行った先に…スピットファイア、ありませんでした。RAF創立100周年ということで、そちらのパレードに駆り出されていたそうです(7月9日にパレードがあったとか)。Closedの表示を恨みながら見てました(しくしく)



恨めしく睨む視線の先(空っぽのスペース!)


恨みをひとまずカフェで一休みして晴らす。素朴な味のケーキと珈琲。展示物は多いし敷地は広いし、で休憩をはさみつつ見学をした。


ということで、朝10時からたっぷりと集中力と体力が続く限り、RAF博物館を見て回りました。少しだけ時間が中途半端にあまったのでNational army museumに立ち寄りましたが、それは次の記事にて。



(ロンドン編3へ続く)


<スピットファイアMK I概要>
発動機:ロールス・ロイス「マリーン」3 1030馬力
武装:7.7 mm機関銃8
最高時速:583 km/hr(高度5600 m)
上昇速度:770 m/分
実用上昇限度:9670 m
航続距離:925 km
全備重量:2950 kg
全幅:10 m
全長:9.11 m

ジョン・ベダー(昭和46年)『スピットファイア』(サンケイ新聞社出版局)より抜粋


<メッサーシュミットMe109E3概要>
発動機:ダイムラーベンツ601A 1100馬力
武装:7.9 mm機関銃 2、20 mm機関銃 3
最高時速:570 km/hr(高度3690 m)
上昇限度:11250 m/分
航続距離:663 km
自重:2003 kg
全備重量:2502 kg
全幅:9.71 m
全長:8.47 m

マーチン・ケイディン(昭和46年)『メッサーシュミット』(サンケイ新聞社出版局)より抜粋



1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)HAYAKAWA nonfiction
3. ジョン・ベダー(昭和46年)『スピットファイア』(山本 親雄 翻訳)サンケイ新聞社出版局
4. マーチン・ケイディン(昭和46年)『メッサーシュミット』(加藤 俊平 翻訳)サンケイ新聞社出版局
5. バトル・オブ・ブリテン 戦闘機集団レーダー網(英国公文書館蔵)、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房社
6. haru /在処(2017年)『On my way』自費出版
7. 地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
8. Royal Air Force museum公式ガイドブック(2018年)『RAF museum suvenir book』
9. Wikipedia 「スーパーマリーン スピットファイア」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3_%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2>(2018-08-09参照)
10. Wikipedia 「No.19 Squadron 」<https://en.wikipedia.org/wiki/No._19_Squadron_RAF>(2018-08-09参照)
11. Wikipedia「ジョニー・ジョンソン」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3>(2018-08-09参照)
12. Bryan Legate (2015年10月31日) 『Heraldic Badges: Halloween edition』Royal air force (RAF) museum <https://www.rafmuseum.org.uk/blog/heraldic-badges-halloween-edition/>(2018-08-12参照)
13. イギリス空軍博物館(Royal Air Force museum)公式HP <https://www.rafmuseum.org.uk/>(2018-04-23参照)
14. イギリス王立空軍(Royal Air Force)公式HP <https://www.raf.mod.uk/>(2018-08-13参照)
15. Bill Haward(2015年)『What the RAF Airman Took to War』Shire
16. Johnnie Johnson (初版1956年、再版2010年)、『WING LEADER』Crecy Publishing社
17. The telegraph (2001年2月1日付) Air Vice-Marshal J E 'Johnnie' Johnson <https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1320495/Air-Vice-Marshal-J-E-Johnnie-Johnson.html> (2018-08-13参照)
18. Bill Gunston (2001年1月31日付) ‘Johnnie Johnson’ The guardian <https://www.theguardian.com/news/2001/feb/01/guardianobituaries2> (2018-08-13参照)
19. Mrtin Waligorski (2010/4/16)「Johnnie Jonson’s Spitfire」The spitfire site <http://spitfiresite.com/2010/04/johnnie-johnsons-spitfire-revisited.html> (2018-08-13参照)
20. イギリス空軍の脱出地図(英国公文書館蔵)、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房社
21. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第1巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
22. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第2巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
23. 君山(それはエドワルダに訊いて)(2018年)『Tell me, your thinking about DUNKIRK』(個人同人誌)

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