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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

旅ケルクの記録16(マンストン編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年09月08日 21時13分28秒 | ダンケルク
<旅行7日目続き>

フィッシュ&チップスを食べた私は、マンストンへ向かうバスに乗るべく次の場所へ移動をいたしました。38番系統(38 towards Minster / Birchington)のバスに乗って、マンストンにあるスピットファイア&ハリケーン博物館に行くためです。
あまりにもバスが来ないので不安になってバス停の看板をジロジロ見ていたら、隣にいた女性+おじいちゃんsに「どこに行きたいの?」と聞かれる始末。
彼らに「多分これだよ!」と教えてもらったバスに乗り込むものの(38番だったし)、会話を聞いてたバスのドライバーに「博物館に行きたいなら後ろにきてるバスに乗れ!これは違う!」と言われたりもしたのですが。地元の人も間違える路線って、どんだけ複雑なのか。とはいえ、それにしてもありがたかったです。会話をしなければドライバーに私の行き先が聞かれることもなく、全く違う方向のバスに乗ってたかもしれないし。




ひたすらバスを待ってた場所にあったスーパーに飾ってたポスター。警察や消防、病院などのサービスに携わる人たちに会計オフのサービスのお知らせ。こんな田舎(失礼!)のスーパーに自然に貼ってあるという事実に感動した。

ドライバーに教えてもらい、すぐ後ろに止まっていた同じ38番系統の別の行き先が書かれていたバス(同じ時刻に同じ系統の違う方向へいくバスがきてたんですね...わからん!←公式HPに 38 towards Minster / Birchingtonと書いてあったのを失念してた人)に乗り込み、いざ、マンストンへ出発。20分程度の移動です。
ちなみに、博物館の最寄りのバス停ですが、公式HPには「As there are no bus stops immediately outside the museum, we recommend asking the bus driver to direct you to the best to disembark.(バス停近くにないからバスの運転手に降りるのに適当な場所を聞いてね!)」とあったので、Google mapをテキトーに調べて「Fire station」か「Esmonde drive」が最寄りのバス停っぽいあたりをつけてましたが、このバスは本当にここらあたりを走ってくれるのか、全く安心できないまま乗ってました。おかげで自分の位置をGoogle mapを開きっぱなしにして確認しながら乗ってたので、側から見たらさぞやマヌケな奴に見えたことでしょう。
おかげで?、バスに同乗していたお兄さん(小学生たちを引率してた)が見かねたのか?、「この次のバス停(Fire station)で降りたらスピットファイア&ハリケーン博物館ですよ!」と教えてくれました。それに対して「Thank.. (ブッフォと唾を飛ばす)Sorry...」としか言えなかった私のポンコツ加減よ....。ああ、ハンサムなお兄さんごめんなさい。
ちなみにバスの降車ボタンは、そのお兄さんが引率してた小学生の誰かが押してくれまして、全方位にペコペコしながら降車しました。もうラムズゲートに足を向けて寝ない(ありがとう、少年少女たち...)

そんなこんなで、なんとか到着した博物館。空軍基地に囲まれた場所にある博物館だから、周りにナーーーーーーーンにもない!というところにありました(ラムズゲート駅からタクシーに乗った方がいいかもですね)。


何もない。さすがは空軍基地!人通りもない(徒歩で歩いてる人、私だけだった)


Spitfire way。通りにSpit fire通りの名前が付いており、ラシい感じ。

国内外を問わず、基地に近くに行くのは滅多にないことなので(私はミリオタじゃないし)、キョロキョロしながらも目的の博物館に入りました。いきなり飛行機がドーーーーーンとあって、おののきました。そして、距離が近い。展示ブースにあまり人は入ってませんでした(3、4人くらい)ので、ロンドンのRAF博物館とは違う距離感が。
←車でドライブがてら付属のカフェでのんびりお茶を飲んでる人は結構多かった


入り口にあるパイロットの像


入り口。


まずはハリケーン(Hawker Hurricane IIc LF751)。劇中ではピーターのお兄さんが乗っていた戦闘機です。当時の最新機種にして最強のメッサーシュミットに歯が立たなかったせいで、随分とヨーロッパで苦杯を嘗める羽目になったとか。付属の武器も展示してあり、そういやこれは戦闘機だったと、ゾゾっと生々しいものを感じたりも(かっこいい!のはかっこいいんだけど)。


ハリケーンの全体


コックピット


ある種の生々しさを感じた銃


パイロットが側でくつろいでるレイアウト。この構図は写真でもみたことあるし、RAFにとっては一般的なスタイルだったのかな?結構ゆるい。


おなじみの?ロールスロイス社製のエンジン(BOBで活躍した飛行機のエンジンとの説明)


RAFのバイク。ファリアたちが乗ってたとしたら、こんなだったのかな。ちょっと見てみたかった...。

マンストンはBOBの際に前線基地として機能し(ダウディングのレーダー防空システムの中の基地でもあった)、さらにはドイツ空軍の空爆の攻撃対象にもなった基地であった関係で(空爆のせいでマンストンのあたり一面は麦畑のように穴だらけになった)、BOBに活躍したパイロットたちの装備品が博物館には展示してありました。あ、これは...という展示品も多かったです。






全てWW II当時にRAF兵士たちが着用していたもの。


パイロットが着用していたアーヴィンジャケット。ファリアみたい。


隊(飛行中隊)のリーダーの制服。フォーティスリーダーもこれを着ていたんでしょうか?Squadron leaderとあったから少佐の服かと思ったけど、袖口のラインが大尉っぽいような気も(コリンズは1本だったから少尉かな?と思うけど、有識者の判断を仰ぎたいところ)

お次はスピットファイア。ファリアやコリンズたちが乗っていたかもしれないスピットファイアMk I型ではありませんが(Supermarine Spitfire Mk XVI(LF) TB752)、これもWW II時に大活躍した機種。なぜか中身まで見れてしまうというサービスっぷり。スピットファイアについては運転シミュレーションもあり(要予約)。とてもかっこよかったです。







さらには本編後のコリンズが使用したかもしれない?ブローニング銃や、ファリアに因縁の深い?ガスタンクの展示も。







他にもパイロットやリーダーたちの手紙なども展示してあり、この飛行機を操っていた人間たちが現実にいたのだ、ということを思い起こさせてくれます。それがフツーの同じ人たちなのだということも。
博物館ブース自体は小さいのですが、色々と密度の濃ゆい博物館でした。ダ民で時間的余裕のある人は、ぜひ訪れるのも良いのではないでしょうか?グッズ売り場のお土産も、RAF博物館とは違うラインナップでカッコよかったです。ジャムとかアメのパッケージは素朴な感じでした(田舎の博物館って感じでした)。

さて、博物館をでた私は、この博物館にきたルートを逆にたどるべく、ラムズゲート駅にいくはずの38番系統のバスに乗り込みました。そして、すぐ降りる羽目になりました。はい、また別のバスに乗ってしまったんですね....。←慣れない土地でバスに乗るとき、ドライバーにはちゃんと質問しとこうね!このバスはXXに行きますか?って!

バス停2つ分の距離だったのですが、東京と違って田舎のバスなので、とにかく1区間が大きい!すぐちナビを見ながら元に戻ろうとしたのですが、戻るためのバスは1時間後くらいで、しかも、もどった頃には本命のバスの最終便が出て行く時間(田舎のバスの最終時間は早い)...ということで、自力で最寄りの鉄道駅まで歩いてリカバリーをすることに(ヒイヒイ)。
幸いなことに、最寄り駅としてミンスター(Minster)駅への道がGoogle先生により導かれ(ラムズゲートよりも近い)、人っ子一人いない田舎の道をヒイコラ30分くらい歩いてなんとかたどり着くことができました。駅の看板をみた瞬間に安心して座り込みました...。もうシリコンバレーに足を向けて寝ない(ありがとう、google...)。

さておき。
安心しすぎて涙がちょちょぎれそうになりながらミンスターから電車に乗った私ですが、何を思ったかラムズゲートを経由して2、3駅ほど離れたディールに行くことに決めました。
ディールは、劇中で、ボルトン中佐が救援に来たリトルシップに「ディール(から来たのか?)」と言っていた、あのディールです。ディール自体は撮影地点ではないのですが、空気を感じに行くことに。下調べがないし、地元の博物館の時間もすぎてるから、本当に空気を感じるためだけに。←大抵、地域の博物館に行けば情報が掴める。ダイナモ作戦に参加した船があるなら、得られるかと思ったが、閉館時間だったので断念。

さっきまで迷子になって、行き当たりばったり移動はもうやめだ!と思ってましたが、リカバリーできたら調子に乗ってしまいました(ばか)。ということで、次はディールです。


(ディール編に続く)



Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 岩堂憲人(昭和57年)「機関銃・機関砲<近代戦の主力兵器総鑑>」サンケイ出版
4. ジョン・ベダー(昭和46年)『スピットファイア』(山本 親雄 翻訳)サンケイ新聞社出版局
5. マーチン・ケイディン(昭和46年)『メッサーシュミット』(加藤 俊平 翻訳)サンケイ新聞社出版局
6. バトル・オブ・ブリテン 戦闘機集団レーダー網(英国公文書館蔵)、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房社
7. Johnnie Johnson (初版1956年、再版2010年)、『WING LEADER』Crecy Publishing社
8. Spitfire and Hurricane museum公式HP <https://www.spitfiremuseum.org.uk/> (参照2018-04-23)

旅ケルクの記録15(ラムズゲート編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年09月08日 20時28分38秒 | ダンケルク
<旅行7日目>

さて、ロンドン観光を満喫?した次の日、今度はイングランド東部の都市ラムズゲートに向かうべく、South Eastern railwayに乗り込みます。ついこの間、ドーバーからロンドンに行くときに乗った電車と同じ路線なので、少しだけ見慣れた感じがあるのがうれしいところ。というわけで、またしても水戸黄門の紋所よろしくブリットレイルパス(ロンドン)を振りかざしながらVictoria駅から出ている直通の電車に飛び乗り、いざ出発。ロンドンからラムズゲートまで電車90分程度の旅と相成りました。


ウェイマスで見た風景とは、すこし違う感じがするのはプラセボなのか、地域特有のものなのか。同じイングランドといえども、州が違うと違ってくるものなのか。下知識なしのイギリス観光をしてる客としては、よく解らず(なんとなーく違うなー…くらいで言語化できない。知識ないのが哀しい)。
そんなこんなでありもしない知識を捻り出してる日本人をさておき、多少の運行トラブルはあったものの(運行ライン上の駅でトラブルが発生したため、当初の予定を変更しつつもd迂回ルートを取るなどした)、電車は無事にラムズゲートに到着しました。


小さな駅だった。混む感じもない。

ラムズゲートはイングランド南東部の小さな港町(人口4万人程度)であり、カンタベリー物語で有名なカンタベリーや、BOBのフロントラインとして機能したRAFの基地がある街マンストンも近くにあります。
そんな街に私が行く動機は中世の物語ではなく、もちろん映画「ダンケルク」であり、つまりはラムズゲートがムーンストーン号のモデルになったSundowner(サンダウナー)号を擁する街だからであり、ジョージがかつて住んでいた街だからでもあります。<劇中に一瞬うつったジョージの新聞記事より。

ラムズゲート駅についた私は、ひとまずバス(バス; Stagecoach、路線Loop)にのってSundowner号が停泊しているハーバー(バス停:Harbour)へ向かいました(駅からバスで5分程度。近い)。バスはハーバーへ向かうバカンスのお客さんがチラホラといたので、それなりの観光地域なのかも。
<Stagecoachが出している1日フリー切符を運転手さんから買って乗車(4.3ポンド/大人; Thanet dayrider)

海軍にゆかりのある街ということで、ハーバーのあちこちに海軍所縁のモニュメントがあったりしました。ダイナモ作戦のSundowner号に限らず、多くの民間人が海軍に協力していた証左でもあります。実際、Sundowner号以外にも5隻の民間船(リトルシップ)がダイナモ作戦には参加していましたし。
ロイヤルを冠する世界一の海軍、かつ親しみのあるロイヤルネイビーに憧れる少年は多かったでしょうが、ジョージもその一人だったりしたのでしょうか。


ドーバー海峡に面する港町(@Harbor)。サマーバケーションのシーズンということもあり、近くの浜辺でマリーンレジャーを楽しむ人も。公衆トイレもあかるくて綺麗だった(とはいえ、夕方の深い時間に1人で使いたくないかも)。

ジャパンからきた呑気なオタがバスに揺られること5分、あっさりとハーバーに到着。たくさんのヨットに肝心の船を見つけきれるのかビビりましたが、あんがい簡単に見つかりました。






Sundowner号。こじんまりとした船。

Sundowner号はクルージング用のプレジャーボートですが、ダイナモ作戦で130名もの兵士を詰め込んでダンケルクからラムズゲートへ帰ってきた船と思えないくらい小さかったです。あいにく、ヨット乗り場には関係者以外の人間は下りることはできなかったので上からの撮影のみとなりましたが、思ったよりもカジュアルな感じでぷかぷか浮かんでました。
Sundowner号はその後も海軍に協力をし続け終戦を迎え、その後の1990年には再度ダンケルクへ50周年のアニバーサリー航海をしたようです。もともと1912年に製造されたことを考えると、意外と丈夫なつくりなのかしらん。もしろん、地元の方々が大事にケアされていたのでしょうが。
←これについての記事/情報は、すぐ隣にあるRamsgate maritime museum(ラムズゲート海洋博物館)のパネル展示で見ることが出来ます。


船にあった、船についての説明書き(ズームで撮影)。タイタニック号沈没事故の生き残り乗務員であるチャールズ・ライトラーは6/1にダンケルクからラムズゲートに兵士130名を連れ帰ったとある。

ちなみに、この時までに、この船に一番人が乗った時で21名だったそうなので、可能な収容人数を大幅に超過していた模様。兵士130名を乗せて船がラムズゲートに帰ってきた時、ラムズゲートの役人たち+軍人たちはまず、その人数が本当にいるのかを信じようとせず、そして驚きこう言ったそう。
「神の心理だ、兄貴!あいつらをどこに詰め込んだんだ?」
←劇中ではこう言われていた。「How many you got in there?(どれだけいるんだ?)」



ダンケルクの海岸線とリトルシップたちの航路などのメモ書き
<イギリス海軍は脱出のための海路を3つ(X,Y,Z)設定した。劇中のドーソン親子のモデルになったライトラー親子はXルートを使ってラムズゲートへ帰還するルートを選択したとされる(Ramsgate maritime museum展示パネルより)。
*上図は、Museum Dunkerque 1940 Operation Dynamo展示パネル、及び、ダンケルク海岸線(イギリス国立公文書館 No. ADM 1/9997)を基にガバ鳥がてきとうにメモ書き。


ダンケルク劇中でムーンストーン号の船長であるMr.ドーソン(ドーソンさん)のモデルになった、チャールズ・ライトラー(Charles Herbert Lightoller;タイタニック号の乗務員の生き残りにしてイギリス海軍退役中佐)は、その息子であるLieut Frederic Roger Lightoller(次男。海軍に所属。1906年生まれ。1945年、フランス ノルマンディーで38歳で戦死)と共にダイナモ作戦に参加した訳ですが、どうやら船には当時18才の少年(Gerald Ashcroft; シースカウト)も乗船していたとか(Ramsgate maritime museumの展示ブース説明より)。
ライトラーさんのもう一人の息子、ロジャーの弟(末息子)であるブライアン(Herbert Brian Lightoller;史実では、イギリス空軍所属の爆撃機ブレニムに搭乗していた。ブレニム自体はダンケルク劇中に、一瞬だけ登場している。)は空軍に義勇兵(*)として参加し、開戦した次の日の1939年9月4日にドイツで22歳で戦死したとあり、ピーターのお兄さんの運命に重なり(フィクション上の人物とはいえ)いろんな思いを馳せずにはいられません。ロジャーも1945年にフランスのノルマンディーで戦死するわけですが、息子2人を大戦で亡くすこととなったチャールズ・ライトラーの胸中やいかに。
(*)Find a graveのオリジナル説明にはRoyal Air Force Volunteer Reserveとあった。

ちなみに、1940年5月のニューヨークタイムズにはチャールズ・ライトラーらによる兵士救出劇の一部が記事になって掲載されていたのですが、ここに載っていたエピソードを見るに、本当にこの人たちがドーソン父子のモデルになったんだなあと本当に実感します。ピーターが敵を撃墜しているスピットファイア(=ファリア、コリンズ)に歓声をあげていた場面を思い浮かべることができるほどに。

『船が動き出し、後進しながらふたたび航路に入ると、そこは相変わらず地獄絵図が繰り広げられていた。(中略)爆撃機が一気、味方戦闘機の視界に入ると、突如海をめがけ、我々の後方40メートルほどの海上へほとんど垂直に突っ込んでいった。(中略)あの黒くて大きな爆撃機が水没すると、あたりに響き渡るような歓声が上がった。』<New York times記事より抜粋>

『我が家の末の息子、空軍少尉のH-B-ライトラーが<ブレニム>爆撃機に乗っており、ある時私に攻撃、防御、回避に関する有益な情報を随分教えてくれたことがあった。(中略)あるとき敵機が明らかにわれわれのデッキを掃射しようと、およそ30メートル後方から現れたことがあった。敵機は滑るようにして急降下したが、私はこの機が10から15度ほど機首をひき起こしてから撃ってくることを承知していた。「準備しろ」と息子に言うと、敵機が引き起こす瞬間まで待ち、その動きを見せたとたんに「取り舵いっぱい」と言った。』<New York times記事より抜粋>

また一方で、ピーターがいずれ徴兵されるであろうという可能性についてピーター・ドーソンを演じたトム・グリン=カーニー自身がインタビューで言及していることもあり、物語とフィクションは別物と思いつつも、ダンケルク本編後に徴兵されるであろうピーター・ドーソンが無事であるように死なないでくれと思わずにはいられません。

なお、船の近くにあったMaritime museum(海洋博物館;サンダウナー号の管理もしている)には、それらに関する資料がたくさん展示してあり、ダンケルク撤退戦に関するビデオが上映されていました(DVDが販売されてた)。
また、海洋博物館らしく、博物館にはSoundowner号のことだけでなく、他の海洋に係る展示も多かったです。船の模型や漁業の道具など。売店には海に纏わるかわいいグッズもおいてあったし、機会があればダンケルクのファンには訪れて欲しいところです。




ダンケルク撤退戦に参加した一番小さなリトルシップ、タムジン号(IWM収蔵の船)と同じ大きさ・作りの船。博物館のオジサンが、見ていきなさいよ!と促してくれた。

船をたっぷり堪能した後は、近くにあるピーターというFish&Chipsのお店でフィッシュ&チップスを頂きました。ピーターという名前の響きだけで店をチョイスしましたが、明るくて入りやすい店でした。1人で食べてるお客さんもけっこういたので、一人旅の私も安心(←日本のレストランでさえも1人で入るのに1000000 MPくらいの心のエネルギーを使う人)。


お店では魚の種類が選べるということで、私はタラを選びました。ホクホクしていて、(予想以上に)意外と美味しかったです。量が量だったので、ぜんぶ食べるのは難しかったですが。




たっぷりの量があったフィッシュ&チップス。比較のために置いたファリアが小さく見える…。

親切な店員さんの案内に助けられながら注文をして、たっぷりの料理に満足して支払をすませたら(いろいろテンパっててチップ渡すの忘れた…ごめん…)、次の目的地に向かいます。
空軍の街であり、BOB(バトル・オブ・ブリテン)において前線基地として機能した空軍基地のあるマンストンへ向かいます。



(マンストン編に続く)


Ref.)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. New York Times (ダグラス・ブランクリー編集)2005年『ニューヨークタイムズが見た第二次世界大戦』原書房
4. Ramsgate Maritime museum公式HP <http://www.ramsgatemaritimemuseum.org/> (2018-05-03参照)
5. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・ラムズゲート編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
6. Find a grave「Lieut Frederic Roger Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/56275932/frederic-roger-lightoller>(2018-09-04参照)
7. Find a grave「Helbert Brian Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/18427318/herbert-brian-lightoller>(2018-09-04参照)
8. Find a grave「Charles Herbert Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/8165323/charles-herbert-lightoller>(2018-09-04参照)
9. Stagecoach公式HP <https://www.stagecoachbus.com/> (2018-04-24参照)
10. Wikipedia「ラムズゲート」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88>(2018-04-24参照)
11. Visit Kent公式ホームページ “Sundowner” <https://www.visitkent.co.uk/sundowner/>(2018-09-07参照)