モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
歌劇「劇場支配人」序曲
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲
歌劇「フィガロの結婚」序曲
歌劇「魔笛」序曲
フリーメースンのための葬送音楽
指揮:ブルーノ・ワルター
管弦楽:コロンビア交響楽団
録音:アイネ・クライネ・ナハトムジーク(1958年12月17日)
4つの序曲(1961年3月29日、31日)
フリーメースンのための葬送音楽(1961年3月8日)
LP:CBS/SONY SOCL1006
このLPレコードは、巨匠ブルーノ・ワルター(1886年―1962年)が、最晩年に遺した一連の録音の一枚である。コロンビア交響楽団とは、ワルターの録音を後世に遺すために臨時に編成されたオーケストラの名称。このようなケースは他にあまり聞いたことがなく、それだけにワルターという指揮者は、当時別格の扱いを受けていた大指揮者であったということが分る。ワルターは、死去する数年前から、このコロンビア交響楽団とコンビを組み、録音だけの活動に終始した。この一連の録音活動の中でも、得意としたモーツァルトは最後の最後に収録されたわけである。そう思ってこのLPレコードを聴いていると、ワルターが、その長い指揮活動の最後に到達した境地が切々と語られているようでもあり、聴いていて何か背筋にぞくぞくしたものを感ずるほどである。ワルターのモーツァルトは、柔らかく、優雅に、そして大きく広がる空間のような包容力を持って描き出される。常にモーツァルトの音楽が歌うように流れているのである。このLPレコードは最晩年の録音だけに、何か枯淡の境地のような気分が、通常よりも横溢しているように感じられる。しかし、根底にはワルターのモーツァルトに対する熱い想いが常に潜んでいるわけであり、単なる枯淡の境地とはいささか異なる。このLPレコードのライナーノートで大井 健氏も「モーツァルトの音楽はワルターの音楽性とかたく結びついており、モーツァルトとワルターの間には、普遍的な精神の交流が存在しているのではないだろうかと考えられるほどです。そして、ワルターはモーツァルトをこよなく愛し、尊敬しており、そこにまさに、たとえようもないモーツァルトの音楽の美しさが生まれているのです」と書いている。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、ワルターのモーツァルトへの深い想いがその根底に流れていることが手に取るように分る演奏だ。ゆっくりとしたテンポの中に、愛惜の情が溢れ出ていることが聴き取れる。ワルターが最後に行き着いたモーツァルト像がそこにはある。これとは打って変わって、4つの歌劇の序曲集は、実に若々しく機知に富んだ演奏内容で、心からモーツァルトの音楽を楽しんでいるかのようだ。そして、最後の「フリーメースンのための葬送音楽」では、ワルターがこの世との別れの挨拶でもするかのように、静かで、深く、澄み切った心情が余す所なく表現され尽くされている。(LPC)
グリーグ:劇音楽「ペール・ギュント」
①ノルウェーの婚礼の行列(第1幕)
②序曲、花嫁の略奪とイングリッドの嘆き(第2幕)
③山の魔王の殿堂にて(第2幕)
④オーゼの死(第3幕)
⑤序曲、朝の気分(第4幕)
⑥アラビアの踊り(第4幕)
⑦アニトラの踊り(第4幕)
⑧ソルヴェーグの歌(第4幕)
⑨序曲、ペール・ギュントの帰郷(第5幕)
⑩ソルヴェーグの子守歌(第5幕)
指揮:ヴァツラフ・ノイマン
管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
発売:1974年
LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード) FG‐259
ノルウェーの作曲家グリーグは、同じくノルウェーの劇作家のイプセンから、自作の詩劇「ペール・ギュント」の付帯音楽を作曲して欲しいという申し出に応え、苦心の末、5幕38場の戯曲に23曲の付帯音楽を書いた(1874年~75年)。ノルウェーの古い伝説によったイプセンのこの劇そのものは、1876年に初演されたが、主人公のペールによって引き起こされる騒動が、ノルウェー人の弱点を見せ付けられるようだということで、観客の反感をかってしまったと言われる。しかし、グリーグが付けた音楽は非常な好評を得たため、その後、グリーグは4曲づつの組曲を2つ作曲した。これが劇音楽「ペール・ギュント第1組曲/第2組曲」として、現在でもしばしば演奏されている。今回のLPレコードでは、この2つの組曲の8曲を、劇の進行順に配列し直し、さらに2つの組曲には含まれていない「ノルウェーの婚礼の行列」と「ソルヴェーグの子守歌」を添え、新たな一つの組曲として演奏している。指揮のヴァツラフ・ノイマン(1920年―1995年)は、プラハで生まれた。1945年、ヴィオラ奏者としてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に加わると同時に、1943年から1947年まで、スメタナ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者としても活動した。さらに、1948年から1950年まで、チェコ・フィルの常任指揮者を務めた。1961年からは、ドレスデン国立歌劇場とライプチヒ歌劇場で定期的に指揮活動を行い、さらに1962年にはプラハ室内管弦楽団を創立。1963年には、カレル・アンチェルと共同でチェコ・フィルの常任指揮者に復帰。そして、1964年からはコンヴィチュニーの後を受けて、ライプチヒ歌劇場とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽総監督という重責を担うことになる。ヴァツラフ・ノイマンは、チェコ音楽、特にヤナーチェックの歌劇を得意としていたが、グルック、ベートーヴェン、マーラーなどドイツ・オーストリア系音楽にも定評があった。このLPレコードで、ヴァツラフ・ノイマンの指揮は、北欧の郷土色をたっぷりと沁み込ませ、情緒のある表現力を存分に発揮している。単に表面的な華やかさを狙うのではなく、一つ一つの曲の持つ特徴を、心からの共感を持って演奏しているところが、他の指揮者とは一味も二味も異なるところである。(LPC)
グリーク:ホルベルク組曲(ホルベルク時代から)
二つの悲しき旋律
ノルウェー舞曲
抒情組曲
指揮:ジョージ・ウェルドン
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団(ホルベルク組曲/二つの悲しき旋律)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(ノルウェー舞曲/抒情組曲)
LP:東芝EMI EAC‐30166
これは、グリークの管弦楽曲を収録したLPレコードであるが、どの曲もグリークの魅力的な旋律が存分に込められた曲であり、グリークという北欧の大作曲家の素顔を知ることができる。「ホルベルク組曲」のホルベルクとは、デンマークの文学の父と呼ばれたルードヴィ・ホルベア男爵を指す。グリークと同郷のノルウェーのベルゲン出身で、コペンハーゲン大学の教授を務め、デンマークの古典文学を興し、高めたことで知られる。その頃、ノルウェーは、独立しておらず、デンマークおよびスウェーデンに支配されていたため「デンマークのモリエール」などと呼ばれていた。グリークは、ホルベアの生誕200年を記念して、1884年にピアノ独奏用の「ホルベルクの時代から」を作曲し、翌年にこれを管弦楽用に編曲した。全5曲からなり、北欧風ロココ趣味的内容となっている。「二つの悲しき旋律」は、1880年に作曲された「六つの歌」第1巻から第2曲目「過ぎた春」と第3曲目「胸のいたで」を基に管弦楽用に編曲したものだが、この時、第2曲目と第3曲目を入れ替えているが、2曲とも悲愁に満ちた美しい抒情曲となっている。ノルウェーには素朴な舞曲が数多く存在するが、グリークは「ノルウェー舞曲」Op.35と「交響的舞曲」Op.64の2つの管弦楽曲を遺している。「ノルウェー舞曲」は、1881年頃に作曲された作品。「抒情組曲」は、全10巻わたるピアノ独奏曲「抒情小曲集」を基に管弦楽用に編曲した作品。1891年に発表された「抒情小曲集」第5集の6曲のうち4曲を「抒情組曲」として管弦楽用編曲したもの。このLPレコードでは、1943年から1951年までバーミンガム市交響楽団の首席指揮者を務めたイギリス出身のジョージ・ウェルドン(1906年―1963年)が指揮をしている。北欧の自然の素朴な美しさを優しく包み込んだようなグリークの管弦楽曲は、ウェルドンのように、心のこもった演奏をする指揮者が一番よく似合う。どの曲もしみじみとした雰囲気を湛えた演奏となっており、じっくりと聴くのにはこの上ない演奏内容となっている。(LPC)
ロッシーニ:弦楽のためのソナタ集 第1番/第2番/第3番/第6番
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1968年8月17日~21日、スイス、サンモリッツ、ヴィクトリア・ホール
LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) SE 8006
このLPレコードに収められたロッシーニ:弦楽のためのソナタ集は、1804年、ロッシーニが僅か12歳の時に作曲した弦楽四重奏のための作品である。弦楽四重奏曲といってもヴィオラは使われずに、ヴァイオリン2、チェロ、コントラバスという異例の楽器編成が取られた。何故このような編成となったかは謎であるが、どうも当時、芸術パトロンをしていたアマチュアのコントラバス奏者のために書いたため、というのが事の真相らしい。この弦楽四重奏曲を基に弦楽合奏用に編曲したのが、弦楽のためのソナタ集(第1番~第6番)である。全部で6曲からなるこの曲集は、全てが急・緩・急の3つの楽章からなっている。この曲集の一つでも聴いてみれば分るが、その完成度の高さから、とても12歳の少年が書いた曲とは想像もつかないのである。後年、オペラ・ブッファで名を馳せたロッシーニであるが、室内楽曲は多くはなく、この処女作ともいえる弦楽のためのソナタ集が、ロッシーニを代表する室内楽曲として現在、定着している。つまり、ロッシーニは恐るべき少年であったわけである。このLPレコードで演奏しているのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年―1989年)指揮ベルリン・フィルである。このソナタ集を演奏するのは、通常の弦楽四重奏では、どうもその真価は発揮されないようである。このことを最初に指摘したのは、この曲集を校訂したアルフレド・カセルラという作曲家であり、「弦楽合奏で演奏するのが一番いい」ということを言い出した。以後、現在では、通常、弦楽合奏で演奏されている。このLPレコードは、ベルリン・フィルのメンバーによる弦楽合奏である。ここに収められた4曲の中では第3番が一番有名であるが、他の3曲もそれぞれ魅力的な曲で楽しめる。後年、オペラ・ブッファで名を馳せたロッシーニを彷彿させるように、何とも親しみやすいメロディーが現れては消え、また新しいメロディーが現れるといった塩梅であり、まるでオペラのアリア集でも聴いているかの感覚に捉われる。そんな曲をカラヤンは、比較的スローな曲の運びを見せる。カラヤンの指揮ならば、さぞや疾風怒濤の如く演奏すると思いきや、その逆で、実に細部に目が行き届いた、ゆっくりとしたテンポの演奏だ。このため、否が応でもベルリン・フィルの豊かな弦楽合奏の響きがリスナーの耳に届くことになる。カラヤンの見事な作戦勝ちといったところか。(LPC)
ベートーヴェン:序曲選集
「コリオラン」
「フィデリオ」
「レオノーレ」第1番/第2番/第3番
指揮:フランツ・コンヴィチュニー
管弦楽団:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
発売:1974年
LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード)
「コリオラン」序曲は、当時ウィーンの詩人で法律家でもあったハインリヒ・コリンが、1902年11月に上演した5幕からなる戯曲「悲劇コリオラン」を基にベートーヴェンが作曲した作品。「フィデリオ」序曲は、ベートーヴェンが遺した唯一のオペラの序曲。1805年11月20日に「レオノーレ」という題名でこのオペラは初演された。しかし、この1週間前にフランス軍がウィーンを占領したため、3日間の上演で中止されてしまった。翌1806年に改作され、3月と4月に上演されたが、今度は報奨金の件でベートーヴェンは劇場側と喧嘩をしてしまい、怒ったベートーヴェンは、続演を断ってしまった。それから8年が経った1814年5月に、このオペラは徹底的に改訂され、題名も「フィデリオ」に改められて、上演され、ようやく大好評得たという。「レオノーレ」序曲第1番は、1807年のプラハにおける上演のために書かれ、そのまま破棄されたという説があり、実際のオペラの上演には使われてはいない。「レオノーレ」序曲第2番は、オペラ「レオノーレ」が1805年に初演された時に書かれたもの。「レオノーレ」序曲第3番は、1806年の改作の上演の時に作曲されたもので、序曲の名作として今日でもしばしば演奏される。フランツ・コンヴィチュニー(1901年―1962年)は、オーストリア出身で、旧東ドイツで活躍した名指揮者。ライプツィヒ音楽院で学ぶ。フルトヴェングラー時代のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でヴィオラ奏者として活動した。その後、指揮者に転向。1927年にシュトゥットガルト歌劇場の練習指揮者として指揮者活動をスタートさせ、3年後に首席指揮者に就任。1953年から1955年までシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務め、1955年以降はベルリン国立歌劇場の首席指揮者も務めた。1952年、東ドイツ国家賞を受賞。1949年から亡くなる1962年まで、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長)を務めた。このLPレコードでのコンヴィチュニーは、いつになく現代的な感覚をもって指揮をしており、今聴いても古めかしさはあまり感じない。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の重厚で燻し銀のような音色を巧みにリードして、ベートーヴェンの序曲の真髄を余すところなく聴かせてくれる。特に、レオノーレ第3番の演奏は完成度が高く、今でもこの曲の録音の最高の一つに挙げられよう。(LPC)