森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年3月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | ||||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | ||
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | ||
30 | 31 | |||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
あえて「国民の味方」という大企業会長。
この間、『週刊ダイヤモンド』を題材にエントリーを公開している。
というのも、同誌が「働き方格差」という特集を組んでいたのに惹かれて、つい手にしてしまったからだ。
そもそも、しかし、労働者が自らの働き方を自分で決められる、そんな力をもっていようはずがない。
働き方を自分の思いに沿おうとそうでなくても、むしろ常に外から強いられてきたのが労働者であった。
したがって、この見方に立てば、その結果、生じる「格差」もまた、労働者自らが選び取ったものでもなんでもなく、つまるところ強制された結果にほかならないということになる。
とはいえ、この「ダイアモンド」誌に掲載されていた、赤木智弘氏、八代尚宏氏の意見について私の思うところをのべた。
その上で、さらにいま一人、注目した人物がいる。
丹羽宇一郎氏。氏は、伊藤忠商事会長である。
まず、氏の語っているところ、言葉の端々に感じることのできる、そのバランスのよさに、私はある種の発見を感じ取ったようでもあった。
財界にもこんな人物がいるということに正直驚いた。
氏の認識が大方にうけいれられるであろうことは、以下の言葉からも察することができる。
全国の540万事業所のうち、従業員が100万不意とを超える大企業はわずかに1%にすぎない。残りの99%は中小企業。しかも、従業員20人以下が90%を占めている。事業所数ではなく、労働者数でも、中小企業で働く労働者が87%にもなる。 |
氏の中小企業にたいする視線は、つぎの語りようにも集約されているように思う。
中小企業の従業員は、社長から「今週は忙しい。頼むから週末も出勤してくれ」と言われれば断ることはできない。10人や20人の企業で、自分の意見を通すことは難しいからだ。無給の休日出勤や残業がまかり通っている。その結果、実質的に最低賃金を下回っている中小企業も少なくないはずだ。
そうしなければ、企業として存続できないから、苦渋の決断をしていることがほとんどだろう。大企業の100万円と中小企業の100万円では、意味が全然違う。にもかかわらず、強者の大企業が中小企業に発注する際、「100万円くらい、いいだろう」と安易に、コストカットを要求する。 |
その上で、氏は「少なくとも、大企業には、中小企業への発注額を上げて、中小企業に回るようにするなど、できることから始めてほしい」とよびかけるのである。
そして、「悪質な違反や、不当解雇には禁固刑も含めた罰則の強化が必要なのではないか。法令順守のためにいは禁固刑と罰金のバランスが大事だ」とコンプライアンスへの厳格な態度を表明している。
ルールをないがしろにしてきた大企業のこれまでと現状にたいする反省が込められているといえないか。
私は経済界でも、組合でもどちらの味方でもない。強いていえば、国民の味方だ |
こういい切る丹羽氏は本物なのかもしれない。少なくとも彼の言葉によるかぎり。
日本の企業家にもこんな潮流があることに、日本国民は確信をもてるのかもしれない。
これからの日本を展望する上では、このような意思表明を打ち出すことのできる企業家との率直な対話は欠くことのできない仕事といえないだろうか。(「世相を拾う」08046)
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
「歴史の記憶」と『母べえ』
スペインからのニュースでは、上下両院選挙で与党の第一党が確実になり、サパテロ首相が続投するもようだ。
左派与党、第1党確実に=サパテロ首相続投へ-スペイン総選挙 スペインの上下両院選挙は9日の投票締め切り後、即日開票され、サパテロ首相(47)率いる左派与党・社会労働党が、日本の衆院に当たる下院(定数350)で第1党の座を確保した。今後4年間、同首相が引き続き2期目の政権を担当する。 ただ、右派野党の国民党も善戦、社労党の議席は過半数に届かなかった。好調だったスペイン経済に昨年秋以降、陰りが見えていることなどが要因とみられる。 内務省の発表によると、開票率95.88%の時点で、社労党が169議席(得票率43.73%)、国民党は154議席(同40.13%)を得る見込みだ。 |
サパテロ政権のこの4年間の実績をみてみると、カタルーニャ自治州の自治権拡大、女性への暴力根絶に向けた法律、男女同権法の制定、同性婚の合法化、若者への家賃補助の実施など、相次いで改革を実行している。一方で、経済では年3%前後の、欧州では比較的高い成長率を維持しながら、不安定雇用が全体の3分の1に達するなど問題点も指摘されてきた。
そして、とくにあげたいのは、フランコ軍事独裁政権時代(*1)に弾圧された犠牲者の名誉を回復する「歴史の記憶法」を制定したことだ。
歴史の記憶法。同法の成立は、過去にどのようにむきあうのか、日本との対比でいろいろと考えさせてくれる。
「歴史の記憶法」は昨年11月、スペインで成立した。1936年から39年まで続いた内戦とその後75年までの軍事独裁政権下で政治弾圧を受けた犠牲者の名誉を回復し、遺族を補償する内容のものだ。
共和制を求める人々に対して軍政下で行われた裁判は「非合法」と規定した。遺族年金の充実、犠牲者の身元確認の促進、内戦や政治弾圧に関する資料の保存などをすすめる。一方で、フランコ将軍や蜂起をたたえる記念碑やシンボルの撤去も求めている。
2004年に発足したサパテロ政権のもと、内戦と軍政時の被害を調査する委員会が発足するなど、弾圧についての調査、研究が進んでいた。
そこで、思うのは日本の現実である。
日本では、人民戦線政府ができたことはもちろんないが、しかし、政治弾圧は厳然としてあった。治安維持法によって、共産主義者だけではなく、民主主義者、リベラリスト、宗教者にも弾圧の手は及んだ。
この治安維持法を、山田洋次が映画化している。『母べえ』である。
ドイツ文学者・野上滋(坂東三津五郎)はある朝、治安維持法違反で検挙されてしまう。二人のこどもたちと父との暮らしも語らいも、これが最後であった。権力にとって不都合であれば、検挙できる。野上の存在そのものが邪魔だというわけだ。これが治安維持法である。
山田の作品で一貫している家族というテーマは、政治(弾圧)という、この作品の横軸と交わり、政治弾圧の非人間性をいっそう鋭く暴いている。母べえ(吉永小百合)の死の直前の、天国でなんか野上滋に会いたくないという言葉は、それまでじっと耐えて、滋との再会を願っていた佳代の、権力への激しい抵抗の意思表明と抗議だといえるのではないか。
戦後、治安維持法は廃止された。
しかし、日本では、治安維持法犠牲者にたいする国家の責任が明確に表明されたためしはない。謝罪や補償の要求にたいしても無視している。記憶に対峙する忘却ともいえる。
歴代政府のこうした対応は、一方での戦犯の復権を許してきたことと軌を一にしている。
歴史の記憶として、軍事弾圧を断罪し、その犠牲者を高く評価するスペインと、以上の日本の対比は鮮やかにすぎる。すなわち、それは両者の民主主義の成熟度のちがいを示しているのだろうか。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
*1;スペインでは、1931年の統一地方選挙で共和制支持派が勝利し、同年12月にはスペインを主権在民の民主的共和国とする憲法が制定されています。
その後、36年2月の総選挙では、共産党や社会党、共和党なども加わった人民戦線が勝利し、政府をつくりました。しかし、同年7月、フランコ将軍らが軍事反乱を起こし、内戦が全国に広がり、36年10月半ばには反乱軍がスペイン本土の約3分の2を占領します。
39年3月には反乱軍がマドリードを制圧し内戦は終結。これ以降、75年11月にフランコが亡くなるまで軍政が続き、共産党や労働組合の活動家らが不当に逮捕、処刑されています。
最近とりあげた本
- 『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』;紙屋高雪 赤木智弘「正規が非正規を搾取する」。のだろうか。
- 理不尽社会に言葉の力を;;小森陽一 「お前の代わりはいくらでもいる」。
- 日本再軍備;フランク・コワルスキー 「時代の大うそ」からはじまった自衛隊。そして米軍。
- ルポ貧困大国アメリカ;堤未果 堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』-あとを追う日本は…。
- 貧困の克服:アマルティア・セン 「かかりやすさ」はどこにあるのか。
- 公共哲学とは何か;山脇直司 橋下徹知事に問う-憲法は誰が学ぶべきか。
- 世界2月号 『世界』2月号「医療崩壊をくい止める」の感想
ビッグマックからみた自動車産業。。
しかし、そのマクドナルドが未払い残業代訴訟で敗訴したことを知らない人は存外、多いのかも。
直営店長は管理職ではないという判決が下ったのだ。つまり、管理職とは何かが争われた。
こんなマックなのだが、その認知度は、ビッグマック指数なるものが国際的に認められていることでも明らかなように、確実に大きい。世界的な知名度だといえる。経済をみる上での一つの尺度になっているのだから。
ビッグマック指数。
この指数はもともとイギリスの「エコノミスト」の発案によっている。
それは、全世界でほぼ同一の品質ものが販売されているので、購買力の比較に用いるのに適しているという判断にもとづいていた。
これにしたがえば、日本のビッグマックの価格は、税込み290円(08年1月・東京都、日本マクドナルド)。課税前価格は276円になる。ニューヨーク・マンハッタンでは3.49ドル(課税前)。
だから、仮に課税前価格を同一になるようにすると、為替ルートは1ドル=79.1円となる。
これを購買力平価と考えてよい。
けれど、実際の2月半ばの為替レートは1ドル=107.7円なので、ビックマック指数とくらべると実際は円安、つまり円が大幅に評価されていることになる。
置き換えると、つぎのようになる。
東京で買ったハンバーガーは、ニューヨークにもっていくと、3.49ドル。ようは、日本円にすると376円になる。東京で276円の元手のものが376円で売れるわけだから、そこに明らかに利益がもたらされる。もちろん、輸送にともなう食品の劣化などここでは考慮にいれていない。
そこで考えたいのは、トヨタなど自動車産業が輸出によってどんなふうに利益をあげているかということだ。
そのために、ここで、自動車1台はビックマック1万個分に相当するという等式がどの国でも成り立つという条件を前提とする。
すると、日本で276万円(課税前)の自動車はアメリカで3万4900ドルになる。だから、日本から輸出して売れれば、利益を売ることになる。ちなみに先の2月半ばのレートによれば、375万8730円になる。ようは、単純に100万円近いを利益を得ることになるのだ。
この間の日本で生じた現実はこんなことではなかったのか。トヨタはこうして莫大な利益をあげてきた。
ビッグマック指数を以前にとりあげた際、各国で原材料が異なることなどを、非国民通信さんからコメントで教示いただいた。もちろん万能のように扱うことは許されないが、しかし、購買力を単純に比較するには簡便な指標となる。
ようするに、自動車産業が輸出によって、円安といわれる際に、どのように無条件に利益をあげているのか、定性的によく理解できるのではないか。その上で考えるのは、輸出産業はさらに輸出戻し税というまったく労力を要しない減税のしくみ、というより収益増のしくみが存在するという事実だ。高い収益はこうして確保されている。
逆に、円高ならばどうなるのか。その際、国民はどうなるのか、考えてみるのも悪くはない。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
ビッグマックからみる日本の豊かさ、貧しさ
八代尚宏、堂々と解雇規制緩和を求める。
八代尚宏がまるで、格差が「正社員」と「非正社員」の対立によって生じたかのように語っている。この両者の対立が主要因だと言い切っている。
格差問題の本質は、年功賃金の「正社員」と、市場賃金の「非正社員」とのあいだの昔からある「身分差」が、長期経済停滞のしたで顕在化したことにある、と考える。つまり、企業と労働者の“労使対立”だけでなくて、正社員と非正社員の“労労対立”こそが、大きな格差を生んでいる。 振り返ってみれば、終身雇用制、年功序列賃金などに象徴される「日本的慣雇用慣行」は、かつてのような高い経済成長率を前提にして、よく機能した雇用システムである。 現在のような高齢化・低成長時代に、日本的雇用慣行に過度にとらわれると、正社員の年功序列や雇用を守るために、新卒の若年者や非正社員が“調整弁”になってしまう、そこに雇用調整の負担が集中する。(*1) |
正規と非正規とを切り分けて、総人件費を抑制してきたのは誰だったのか。他人事のようにいう。
八代自身、どこに身を置いてきたのか。たしかにICUで教職をえているのかもしれないが、本籍・大企業の学者さま。
この両者の「対立」を逆手にとって、八代は、今後の処方箋を提起する。
企業の雇用保障にもっぱら依存するのではなく、働き手個人の多様な働き方を認める「雇用ルール」が必要になるだろう。その基本精神は、正社員と非正社員の違いを問わず、働く内容に応じた均衡処理を目指すことだ。 |
もちろん労働者側の原則である同一労働、同一賃金とは似て非なるもの。
八代の魂胆は、正社員の待遇を引き下げことにこそある。いっそうの非正規化ともいえないか。
そして、その際、八代が要求するのは、均衡処遇という以上、つまるところ正社員の解雇法制なのである。
多様な働き方というが、そんなものを労働者が自分で決められたためしはなかった。
多様な働かせ方を企業が望み、実際に、労働者は多様化させられてきたにすぎない。
労働者には選択肢はなかったのだ。
依拠すべきはまず国際的にも確立されたフィラデルフィア宣言ではないか。
ILOは、「国際労働機関の目的に関する宣言」(フィラデルフィア宣言)で「労働は、商品ではない」という原則を掲げた。
雇用では直接・常用という完全雇用でなければならないとする。
解雇と期間の定めのある有期契約を規制、労働時間制を基礎とし、パート労働者とフルタイム労働者との均等待遇を求める。
賃金は、同一労働同一賃金、最低生活保障を原則とし、貧困と格差の解消を求めている。
だから、宣言の立場は八代と対極にあるといってよいし、八代の言説は、日本の労働者をめぐる環境が当たり前の基準からいかにかけ離れているかを端的に示す例だろう。(「世相を拾う」08045)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
*1;『週刊ダイヤモンド』(08年3月8日号)
【関連エントリー】
赤木智弘「正規が非正規を搾取する」。のだろうか。
赤木智弘「正規が非正規を搾取する」。のだろうか。
赤木智弘の『若者を見殺しにする国』は、売れている。ぼくの『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』の売れ行きなど問題にならないくらいに。だって発売15日で2刷りだよ! この種の本でありえねえだろ。くそう。 橋本健二『新しい階級社会 新しい階級闘争』 |
こう語るのは、紙屋研究所の紙屋高雪。
私事ながら、彼がこっちに越してきて、彼を友人のカテゴリーに、勝手に私はしまいこんでいる。
その紙屋の先の物言いなのだが、これは半ば冗談。
もっとも、内心忸怩たる思いがまったくないと言い切ってしまうと、自書を上梓した紙屋をないがしろにするそしりは免れまい。
ところで、この書き出しではじまる一文で、紙屋がいいたかったことは、正規労働者が非正規を搾取しているという論点への、赤木の強い執着でもある。この赤木の論点の核心である。
サヨクの紙屋はもちろん、これに不同意だとのべる。
紙屋ならずとも、労働者による革命が社会をかえ、そうして資本家の搾取から解放される社会がつくられるとマルクスが考えてきたことにしたがえば、むろん赤木のこの言説に強い違和感をもつはずだ。
搾取とは、階級社会において、生産手段の所有者が直接生産者に対して必要労働時間以上に働かせ、その労働の成果を取得すること(とりあえず広辞苑)にほかならないのだから。
生産手段所有者が、直接働いてはいないのに、働いた者から成果を奪い取るのが搾取というわけである。
すると、正規とはいえ、生産手段をもたずに働く労働者なのだから、その正規労働者が非正規労働者を搾取するとは一体どういうことになるのか、誰しもたちまち「迷路」にはまってしまう。正規、非正規を差別選別する意思は、少なくとも雇用者のそれであって、正規労働者のそれではなかった。
赤木が着目するのは、非正規と正規という、資本家、別の言葉でいえば生産手段を所有する者が支配する雇用形態にみられる差異なのである。
だが、そうではなくて、生産手段の所有というものをあえて定立してこそ、搾取の姿はとらえられるのではないか。
この赤木が『「経済合理性」が生んだ搾取の構造 社会と企業は新たな“軸”をもつべき』という文章を、『週刊ダイヤモンド』(3月8日号)に寄せている。
そこで赤木曰く、
企業側にはかつてのような「従業員の生活に責任を持つ」姿勢はいっさいない。それもこれも経済合理性が世界全体を貫く主軸となってしまったことが原因である。そうした世界では、人間は経済を支えるための手駒でしかなかった。いわば「経済の自由」を維持するために、人間が搾取される構造になってしまっている。 |
けれど、かつて企業が従業員の生活に責任をもったことがはたしてあるのだろうか。経済が経済と自覚されるにいたって、人間が搾取を免れた時代があったろうか。
経済合理性ということがいわれはじめる前でも、そうした世界ではと限定せざるとも、人間が経済を支えるための手駒でしかなかったとはいえない社会がかつてあっただろうか。
こうみていくと、赤木のいうところはほとんど意味をもたないと私には思える。
つづけて、赤木はいう。
ニートやフリーターの増加などの社会問題を考えるとき、そうした「経済の自由」の対抗目標を考え、「労働者に対する社会や企業の責任」を定義し直す必要があるのだ。だが、「経済の自由」と同等の意味を持ちうる別の軸は、新たに創造されるものではない。そうした軸は、素朴でもあり、しかし力強い生得的なものであるはずだ。 |
素朴であって、力強く、そして生得的な対抗軸とは、それではどのようなものか。赤木は語る。
一つが「愛国心」だろう。たとえば「フリーターが正社員によって奴隷のように搾取されていることは正しいのか?」といた同胞を愛する感情は、有効な対抗軸となりうるのではないか。また、かつての家族形態を復興させ、男女のどちらかが働いて生活費を稼ぎ、それを結婚により再配分するような、「家族軸」も有効かもしれない。 |
というものだ。
この文脈では、いつの間にか、紙屋が指摘した、正規による非正規の搾取に置き換えられてしまう。しかも、奴隷的搾取。
つまるところ、赤木は正規労働者に自己否定を迫ろうというわけだ。
その上で、彼が、「経済や愛国心、そして家族など、さまざまな軸を複数巡らすことによって、誰もがどこかの軸で優遇され、べつのどこかで差別されるようになれば、それは結果として平等に近い状態になるのではないだろうか」というに至ると、ほとんど無内容を語っているとしか私には思えなくなってしまう。
たしかに、労働組合が非正規雇用者の組織に力を入れはじめたのは、長い労働組合運動の歴史からすれば、ごく最近のことに位置づけられるだろう。
しかし、それでも過去を振り返ってみると、こんな試みもあった。
たとえば地域労組などをとおしてパート労働者など不安定就業層を視野にいれて組織してきた経験もある。
また、中小(零細企業)で働く労働者の権利追求の課題は、すなわち中小企業の経営を守る運動と結合して中小の企業家とともに共通の課題でたたかうべきという観点が提示され、実践に移されてすでに数十年にはなるだろう。
要は、これらはひとくくりにすれば大企業・財界の日本社会の支配を問う運動であったといえる。労働者全体の権利や生活を守る上では、このような取り組みが不可欠だと思うのだが。
赤木がいうように正規と非正規の、そして正規のなかでの、あるいは非正規のなかにすら「格差」が厳然として存在する以上、生産手段をもたない、搾取の対象たる労働者の、その全体の生活改善をめざすためには、正規と非正規の差異を強い、正規のなかでの、あるいは非正規のなかでの「格差」をいやおうなしに強いる根本の構造にたちむかうしかけ、共同を必要とする。
その共同は今日、他階層の、たとえば中小の、零細の商工業者との共同をも少なくとも必要とするのではないか。
この赤木の言説とよく湯浅誠のそれとを対比して考えることがある。
湯浅は、格差社会の深化のなかで、所得格差や雇用格差、教育格差などが幾重にも一人の個人に覆いかぶさっている事実を強調した。なかでも、フリーターに共通しているのは、五重の排除だと指摘した。
その5つとは、教育課程からの排除、企業福祉からの排除、家庭福祉からの排除、公的福祉からの排除、自分自身からの排除である。
つまるところ、自分自身がこの社会のなかで生き延びる根拠そのものをも見出せなくなるという意味で、個人は社会から排除されるのである。
この湯浅の把握にしたがえば、赤木の視界の狭さは明らかだろう。
そして最近の「反貧困集会」など、非正規と正規の「共闘」はすでに新たな発展をみせていて、その意味で、赤木の視線を現実は凌駕しはじめているといえるのではなかろうか。(「世相を拾う」08044)
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
PS;紙屋をダシにして、ここまで好き勝手にいいたいことをいってきた感は否めません。とくに彼の著書の、冒頭のような形だけの紹介に終わるのは、まったく忍びない。
『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』の感想は後日のべたいと思うけれど、非正規雇用の現実を打開するには、正規・非正規という二項対立の枠組みのみに視野を奪われるならば、それは不可能であることを強調しておきたかったというのが率直な思いでした。そして、それは冒頭の一文で紙屋がもっとものべたかったことではないでしょうか。
改憲にむけ自民、民主が溶け込む。
以前に政党の溶解ということについてのべました(参照)。
まさに、政党が溶け込んでしまっています。
自民党の国会議員やOBでつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)は4日、国会内で総会を開き、新たな役員として、民主党の鳩山由紀夫幹事長や国民新党の亀井静香代表代行らを顧問に、民主党の前原誠司前代表らを副代表に迎え入れた。昨年、それまでの「自主憲法期成議員同盟」を衣替えして活動を始めたが、今回は超党派に枠を広げ、改憲機運の盛り上げをめざす。 総会で中曽根氏は「改憲のような国家的大問題は超党派で決めていかねばならない」とあいさつし、安倍前首相も「改憲は私のライフワーク」。民主党を代表して田名部匡省参院議員も「改憲はここ数年で決着すると決めてやらないと」と呼応した。 与野党改憲派がタッグ 鳩山由・前原氏ら役員に |
この議員同盟の新体制は、個別の課題で、というより今後の将来にかかわる改憲の課題で、自民、民主の垣根はないということを示しています。
もちろん、それぞれに所属する議員の一部で構成されたものではあるのですが。
けれど、自民、民主の両幹事長が顧問にすわるというのですから、自民、民主両党の意思はこの同盟とともにあると考えてよいでしょう。
つねづね二大政党制を推進する勢力の欺瞞に私はふれてきましたが、ここに至って、二大政党制が何に対抗しようとしているのが、あらためてはっきりしました。
この同盟は、組織的には九条の会に対抗することを明確に打ち出したのです。
メディアも基本的には歓迎しているのでしょうか。朝日も、毎日、読売も肝心の議論の中身を伝えてはいません。以下は「しんぶん赤旗」から。
四日の新憲法制定議員同盟の総会では「拠点となる地方組織づくり」を方針として確認しました。 愛知和男議員同盟幹事長は活動方針の説明の中で「われわれと正反対の勢力、『九条の会』と称する勢力が、全国に細かく組織作りができておりまして、それに対抗していくにはよほどこちらも地方に拠点を作っていかねばなりません。そこが今後の活動の大きな焦点となる」と強調。「各党支部や青年会議所などに頼んで拠点になってもらうことも一つかと思う」と提起しました。 中曽根康弘会長も「各党の府県支部に憲法改正の委員会をつくり、全国的な網を張っていくことが私たちの次の目標。そしてできれば超党派の全国的な国会議員、地方議員の連合の会をできるだけ早期につくりたい」と発言しました。 |
ということは、必然的に、名乗りをあげた自民党議員だけでなく、鳩山、前原氏など民主党議員もまた、九条の会はもとより、九条改憲は必要ないと考えている国民への敵意を鮮明にしたということになるのではないでしょうか。
これまでは自民党が中心でした。が、鳩山氏などが新たに加わったことは、溶解がさらにすすんだことを意味します。
大連立はいちおう頓挫した恰好でしょうが、個別・具体的な問題で、実践に移されています。(「世相を拾う」08043)
憲法議員同盟の役員
新憲法制定議員同盟総会で了承された役員は次の通り。☆は新。かっこ内の元は元職。敬称略。
【会長】中曽根康弘(元)
【会長代理】中山太郎(自民・衆院)
【顧問】衆院=海部俊樹、中川秀直、丹羽雄哉、中川昭一、瓦力、山崎拓、☆安倍晋三、☆伊吹文明、☆谷垣禎一(以上自民)、☆鳩山由紀夫(民主)、綿貫民輔、☆亀井静香(以上国民新)、参院=青木幹雄(自民)、元職=塩川正十郎、奥野誠亮、森下元晴、上田稔、倉田寛之、関谷勝嗣、片山虎之助、☆粟屋敏信、☆葉梨信行、谷川和穂
【副会長】衆院=津島雄二、古賀誠、野田毅、島村宜伸、深谷隆司、与謝野馨、高村正彦、二階俊博、町村信孝、額賀福志郎、大野功統、斉藤斗志二、杉浦正健、森山眞弓、堀内光雄、☆臼井日出男、☆石原伸晃(以上自民)、☆前原誠司(民主)、平沼赳夫、☆玉沢徳一郎(以上無所属)、参院=☆藤井孝男、☆尾辻秀久(以上自民)、☆田名部匡省、☆渡辺秀央(以上民主)、山東昭子(無所属)、元職=小野清子
【副会長兼常任幹事】衆院=保岡興治、鳩山邦夫、大島理森、船田元、金子一義(以上自民)、参院=鴻池祥肇、☆泉信也(以上自民)
【幹事長】愛知和男(自民・衆院)
【副幹事長兼事務局長】柳本卓治(自民・衆院)
【副幹事長】中曽根弘文(自民・参院)
【常任幹事兼事務局次長】衆院=☆平沢勝栄(自民)、参院=林芳正、岡田直樹(以上自民)
【常任幹事】衆院=☆松原仁(民主)、☆下地幹郎(無所属)、参院=☆谷川秀善、☆中川義雄(以上自民)、☆亀井郁夫(国民新)、元職=飯田忠雄、永野茂門
【監事】萩山教嚴、木村太郎(以上自民・衆院)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
【関連記事】
新憲法制定議員同盟:自・民同舟 鳩山由氏らが初の役員入り(毎日)
新憲法同盟、自民党と民主党の幹事長を顧問に (読売)
貧困ビジネスの射程。または社会保障の展望。
東国原宮崎県知事が徴兵制を口にしたことがあった(参照)。
彼の意図がどこにあったにせよ、戦争をしようとする国にとっては、兵士をどう確保調達するのか、重要な課題となる。
しかし、徴兵制をひくまでもなく、兵士を供給する源がないわけではない。
では、どうすればよいか。
このブログでは堤未果の本を何度か取り上げた(参照)。
彼女が紹介する米国の実態は、この問いの見事な解を与えている。
そう。
兵士リクルータがいる。
彼らがねらいを定めるのは高校生たちであった。
しかも、ある一点で彼らは共通している。出身が貧困層だということだ。
最近、貧困ビジネスという言葉が目につくようになった。
これにしたがえば、リクルータたちはまさに貧困ビジネスに従事する者たちだ。
つまり、戦争はまごうことない貧困ビジネスなのである。
別のいいかたをすれば、貧困ビジネスの究極の姿が戦争だろう。
今日、日本では、多重債務がしばしば話題になる。
それだけ消費者金融が市場を拡大してきたともいえそうだが、多重債務がひんぱんに問題とされる背景を探れば、庶民の日々の生活苦という問題にいきつくだろう。
増税と負担増でそれはさらに広がった。
こう語ると、自然と、一方の空前の利益をあげながら、税を逃れている大企業を思わざるをえない。
ようするに、利益を確保する前提ともなったリストラや非正規雇用への置き換えで苦しんだのは、庶民であった。
生活は雇用形態に左右され、いよいよ不安定になった。
だが、こんな現状のままでも、貧困層、とくにワーキングプアとよばれる、巨大な層は、十分に兵士供給源になりうる。
食べていくために自らの生命をかけるという選択をせざるをえないわけだ。これも想定に入れておいてよい。
食うために働き、生きてきて、生きつづけるために、こんどは生命を危険にさらすという、何というジレンマ。
憲法25条。
「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されているはずである。
問いたいのは、貧困ビジネスの対象となる状態を、健康で文化的な最低限度の生活とよべるかどうかだ。
そこから脱却可能なように、個人の健康や生命を保障するのが25条の示すものだろう。
生存権とよぶこともできよう。
その意味で、国民全体が人間らしい生活を送れるように求める社会保障を保持していこうとする方向は、戦争をしないという意思と固く結びついている。(「世相を拾う」08042)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
PS;マスメディアでも、ワーキングプアや貧困をとりあげることが珍しくなくなってきました。おそらく、それは、さまざまな国民各層の多様なとりくみを反映し、一方で、貧困や社会保障の底が抜け落ちている現実に国民の多くが気づきはじめたことを反映しているのでしょう。
その上で、貧困や社会保障の底が抜け落ちている現実を仮に社会の亀裂とよぶならば、その亀裂を乗り越えて人間らしい生活を送れる状態を展望していくには、戦争をしない国をどうつくっていくのかを語ることにほかならないと思うのです。
【関連エントリー】
堤未果『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』と新テロ法案
フランスの危機。日本の医療崩壊。
日本の医療崩壊が指摘されている。同じことがヨーロッパでも起きているらしい。今日の日本からみると、フランス、お前もかと思える、こんな書き出しではじまる。
「フランス医療制度の危機」という、『ル・モンド・ディプロマティーク』の文章だ。
フランスの病院および医療制度の危機的な現状は、偶然のなせるわざではない。原因の第一は医師不足にある。過去20年間にわたって歴代政権がひたすら推し進めた政策のせいだ。年間に養成される医師の数は8500人から3500に減った(1)。この縮小政策を提唱したのは医療エコノミストの一部と自由診療医協会である。 http://www.diplo.jp/articles08/0802.html |
日本の厚労省は医学部の定員を削減してきた。そのことが今日の医師不足の引き金になっている。記事にあるフランスもまったく同じところから危機がもたらされているということになる。
フランスは国内総生産(GDP)の11%を医療費に費やしている。ドイツやカナダ、スイスと同等で、アメリカ(16%)より少なく、イギリス(9%)より多い。フランスの医療費の割合は今後も増大し、2025年には15%に達すると考えてしかるべきだろう。
これは社会的な選択である。自由主義の信奉者もまた、医療費の対GDP比が増えること自体に反対はない。彼らが反対しているのは、この大金が収益の法則を免れてしまうことだ。実に驚くべきことに、無用な処方箋の乱発や医療従事者のストの多発、といった原因による医療費の濫費に目くじらを立てるエコノミストや政治家は、以下に述べる三つの分野での多大な濫費については何も言わない。 |
OECD諸国の医療費のGDP比を示した図を示す(参照、*1)。
記事で、フランスは11%とあるが、図でも11.1%とほぼ同じ数値だ。日本はこの時点で、8.0%である。
そして、記事によればフランスでも医療費が高いとはいっても、その真の要因に少しも迫ろうとしないらしい。これも日本と同じであろう。
その三つの分野とは、
- 第一は、製薬産業による濫費である。
- 第二に、医療自由化の信奉者は、部分的な民間参入の結果がどうなったかについては押し黙っている。
- 第三に、フランスは民間営利クリニックへの入院がヨーロッパで最も多い(23%)。
医療費をもっとも増高させるこれらの要因。大きな方向でいえば、日本の実情とまったく変わらない。日本では薬剤費が医療費全体の3割以上を占めている。「保険で使われている薬剤の価格は世界一高く、また医療材料の価格も外国と比べて大変に高く設定されてい」ると指摘される(外科系学会社会保険委員会連合)ほどの、製薬企業などの市場として提供されているというわけである。
保険内診療の自己負担分の拡大、保険外の追加料金の容認、保険医指定の取消という恫喝、民間営利クリニックの(高い収益率による)発展といった様々な政策措置を眺めわたすと、そこには実に一貫した流れがある。社会保険からの診療報酬を細らせ、民間保険をはじめとする補助的保険の間口を広げるということだ。補助的保険の関与が増えれば、医療格差は2段階どころか10段階にも20段階にもなりかねない。めいめいが「ア・ラ・カルト」式で、必要度ではなく経済力に応じて保険を選ぶようになるだろう。医療の民営化のつけを払うのは誰か。富裕層でも中の上の層でもない。とはいえ貧困層でもない。基礎的医療保障でカバーされているからだ。最も大きな打撃を受けるのは、月給が法定最低賃金の1から2倍という中の下の層だ。賃金労働者の過半数に当たる。 |
細部をみれば日本とフランスでは、ちがいはあるのだろう。日本では、生保基準にも満たない賃金で働き、働いても貧困を抜け出せない層の存在が指摘されてきた。気になるのは、この記事でいう「最も大きな打撃を受けるのは、月給が法定最低賃金の1から2倍という中の下の層だ。賃金労働者の過半数に当たる」という部分で、この層に日本のワーキングプアに相通ずるものを感じてしまう。ただし、日本では、同時に、「基礎的医療保障でカバーされている」はずの生活保護にも削減・縮小の牙がむけられている。
だから、こうした医療を破壊させる施策には抵抗せざるをえないというのが筆者らの立場だ。
つぎのように対案の基本的立場を明らかにしている。
こうした政策を食い止めるために、公共サービスを擁護する立場から出せる対案は、住民の必要から出発し、医療への平等なアクセスを保障するような改革だろう。連帯を基本とする医療費負担制度は、社会保険料と税金を財源とすべきである。 |
かかりやすい医療を保障すること。
医療費の負担は保険料と税金を財源にすべき。
これらの2つは別のことを表現しているのだが、要するに、社会保障の再分配の機能を保持しようということである。
これに大いに賛成する。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
*1;社会実情データ図録から。
【関連エントリー】
患者の側からみる医療崩壊の経済。
ハケンはモノとして扱え。
朝日新聞が昨日取り上げ、再燃した形だ。
あるいは共産党だからよけいに話題になる面もあるのかもしれない。
私がよく訪問するブログでも、その扱いようはさまざまだが、取り上げられている。
たとえば、
BLOG BLUES
Les Feuilles sous la neige (en attendant le printemps...)
のように。ブログ管理者の共産党にたいするスタンスがそのまま記事に反映している。
志位氏が取り上げたのは、派遣労働の実態であった。
横暴のかぎりを尽くす大企業。派遣労働者がその犠牲になっている深刻な現実。
それを氏はただしたのだった。
反響が大きいということは、氏の質問を共有しうる素地の広がりを示している。
つまり、派遣労働の広がりを示している。その環境下にある青年労働者が多いということを表しているし、それを理不尽がと考えている青年が少なからず存在することの反映であるだろう。
しかし、現実はどうか。
最近、非正規雇用の実態が明らかにされた。
総務省の前月29日の発表によれば、派遣・契約社員、パート・アルバイトなど非正規雇用の占める割合が33.5%になったということである(07年度平均)。
非正規雇用の占める割合は過去最高となった。
ようは3人に1人は非正規雇用の労働者ということだ。男性では18.3%、女性は53.5%ということらしい。
私事で恐縮だが、私の事務所に直接関わる人たちの境遇を考えてみれば、毎日、早朝から事務所の清掃をしてくれる女性労働者たちは非正規。郵便物配布を民間業者と契約しているが、実際に配布するのはおそらく非正規雇用の労働者だろうし、ビルの管理を担当する労働者は身分不安定な契約社員ということになる。いたるところに派遣・契約社員、パートという形態で働く人たちがいる。
なんでも02年と比較して07年には非正規雇用者は280万人を超える増加らしい。逆に正規雇用は48万人減っている。正規雇用から非正規への置き換えが進んだ結果だ。
話を元に戻す。
志位氏の質問後、氏が実態を暴露したキヤノンはまるで質問をふまえたかのように、正規雇用をふやすことをあわてて公表している。
このこと自体が、すでにキヤノンがいかに酷いことを労働者に押し付けてきたのかを端的に示すものだと考えるが、ともあれ公言した以上、これを早急に実行に移してもらいたい。
そのキヤノンだが、ホームページで目標を世間に明らかにしている(参照)。
しかし、同社のこれまでは、少なくとも掲げている目標とは裏腹に徹底して労働者に犠牲を押し付け、利益確保に汲々としてきたという事実である。ハケンはモノとして扱うもの。これを徹底して追求し、利益をあげてきた(*1)。
キヤノンの質問後の対応はたしかに素早かった。だが、労働者派遣制度の見直しを検討する厚労省の研究会(参照)は、これまでの議論の到達点を後退させる発言が相次いだという。
つまり、「常用雇用の代替禁止」や「臨時的・一時的業務に限定」などの考え方が反故にされる危険性もありうるということである。
別の言葉でいえば、厚労省のこの研究会では派遣労働の保護と強化をめざそうとする立場を鮮明にしているということだ。
ハケンをめぐるこの攻防は、どこまでも利益確保を追求しようとする大企業と、その利益確保が労働者への犠牲押し付けを前提にしているという現実をいよいよ明らかにするだろう。
また、国会のなかで、各党がどのような対応をするのか見極めたい。(「世相を拾う」08041)
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
*1;データによれば、1999年の同社の純利益は702億円だったのが、2006年には4,883億円に急上昇しています(利益率は同じく6.8%から16.8%)。
「お前の代わりはいくらでもいる」。
ある案件を抵抗もなくとおしてしまうためには、暗黙の了解が得られていなければならないだろう。根回しが常態化するのも、了解をとりつけることにほかならない。
案件が理不尽なものである場合、なおさら「暗黙の了解」状態をつくり出すために四方八方からの力と全神経とが注がれることになる。
80年代に入って、「行革」の名で新自由主義的施策がとられ、その後とくに小泉構造改革では、隠すことなく「改革」には痛みをともなうことが喧伝された。
その際、自己責任と言う言葉が大いに効力を発揮した。
新自由主義は、それを推進していく上で、国民の中に必ず推進していくためのしかけを構築する。それは端的にいえば分断と差別という形で、弱者に牙を向けてくる。医療においては、医師と国民、あるいは医療従事者と国民、さらには社会保険加入者と国民健康保険加入者などのように。加えていえば、老人と現役世代、生保受給者とそのほか、という具合に枚挙に暇がない。政府・厚労省、財務省は、自らの医療費抑制、社会保障切り捨てを守備よく成し遂げるために、階層間の対立と軋轢を生み出す宣伝と組織に血道をあげてきたといっても過言ではない。因みに、税制の面では、いわゆるクロヨンという、裏づけのない政府の宣伝が長らく中小零細業者を苦しめてきたことも我われは知っている。 なぜ共同戦線か。 |
このように新自由主義的改革は、格差社会ともよばれるような日本社会のなかに亀裂をつくりだした。
その際の亀裂は何によって生じたのか。それを小森陽一が説いている。
『理不尽社会に言葉の力を』。副題に、ソノ一言オカシクナイデスカ? とある。
明らかなように、小森は、新自由主義的改革がすすめられていく過程で駆使された言葉の一つひとつを取り出し、論理的な矛盾を衝く。
言葉は、私たちの周りに、どこにでもいる部長が、あるいは課長が、先輩が吐きつづけたものだ。
なかには「改革」に加担しているという意識はないのかもしれないが、何気なく使っているようなものもある。
逆に、この現実があるから、これほどまでの格差社会が形づくられてきたといえる。
たとえば、目次からひろって列記すると、
- お前の代わりはいくらでもいるんだよ
- 君はこの仕事向いてないんじゃない?
- 空気読めよ
- 派遣は責任とらなくていいからいいよな
というふうになる。
しかし、格差社会は容赦はしない。われわれ社会人だけのものではない。すでに小中学生のなかにもそれは貫かれている。
- こんなこともわからないの?
- ○○ちゃんはできるのに…
- あんたにはすごくお金をかけているんだからね
- いじめられる側にも問題がある
私たちの周りに氾濫する言葉たち。言葉の力は大きいのである。列記した言葉は、ときには鋭利な凶器にも変わりうる力をもつ。
言葉の力が大きいのならば、異議を申し立てよう。ソノ一言オカシクナイデスカ? という具合に。そうして小森は、これらの言葉に対置すべき言葉を語っている。
他者の存在を認めるのならば、一読に値する。
われわれは、あらゆる制度やルールを外されて、自己責任ですべてをやることはできない。
言葉を操る生きものとしての人間は、まず自らが使用する言葉のシステムに内在する、制度やルールにしたがって自分を社会化し、他者との社会的なかかわりの中で生きていく |
のだから。(「世相を拾う」08040)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
次ページ » |