お金にまつわる…

2016-09-20 12:42:08 | あれこれ
私はケチだったと思う。
と言うより、欲しい物があまり無かったのかな?
自分の興味のない物に対しては、高いお金をかけたくないと思うのは普通なのかもしれない。
若い頃には、服とか、化粧品とか、そこそこお金かけてたと思うから。

それに、外食するのにはあまりこだわらなかった。
家族で行く時は、人数が多いので、あまり高級?なところには行かなかったけれど。
お金がもったいないから、家で作ろう、と思うタイプでもなかった。
お金がない時期でも、ランチに誘われれば二つ返事で出かけていった。

じゃあ、どこがケチなのか?
あれれれ…?こう書いてみると、私全然ケチじゃなくない?
でも、ケチだったと思う。
要するに、興味のあるものがあまり無かったんだと思う。
ブランドには全く興味がないし。
特に、子育てしてた頃は、服も化粧品も、全くと言っていいほど気を使わなかった。
食材も、安ければいいと思っていた。
産地とか、どうでもいいと思っていた。
貯金しようと思っても、なかなかできないのにイライラしていたのかもしれない。

かと言って、節約をがんばったかと言うと、そうでもない。
時々テレビで見るここまで節約している!!という人を紹介する番組など見ると、
ああはなりたくないと思っていた。
うまく言えないけど、心がケチだったのかなあ?

貯金して何かを買おうという目的があったわけでもない。
漠然と、家を買う時、車を買う時、お金がいると、それくらい考えていた。
実際、お金がないと、心が荒むという経験もした。
計画的にお金を使うということもできなかった。
1ヶ月の食費を決めて、その中ですまそうとかは考えていなかった。
必要な物を買っているだけなのにお金がないと、そんな風に思っていた。

スピリチュアルに触れるようになってからだ。
「お金は貯めるものじゃなくて、循環させるもの」。
「必要なお金は与えられる」。
そんな言葉が、少しずつ私の中に浸透していった。
お釣りを間違って少なく受け取ったときなど、
「私が損をすれば、誰かが得をする」。
そんな風に思えるようになった。

お金は人のために使うと、倍になって戻ってくる。
だから、人のためにお金を使う時は感謝しなければならない。
収入の1割を寄付しなさい、という言葉もある。
改まって寄付などと言うと、いろいろ考えてしまうので、
寄付用に100円玉をたくさん入れた財布を持ち歩き、募金箱があるたびにお金を入れるように心がけた。

母は、小学校を退職してからも、長年私立の幼稚園で園長をしたりしていたので、
結構な年金をもらっていたようだ。
私が子供のころは、欲しい物を買ってもらえなくて反抗したりもしたけれど、
(そう、高校生の時に、4000円くらいのスカートを買ってもらった時、めちゃくちゃ嬉しかった
晩年は、気前が良くなって、顔を見せるたびに何か買ってくれたり、
お小遣いをくれたりしていた。
私の子供たちにも、私が買ってやれないものを買ってくれていた。
私が欲しくても買ってもらえなかったお雛様も、娘には立派なものを買ってくれた。

そんな母が、私に少しだけ自由に使えるお金を遺してくれた。
それは、我が家には関係のないお金である。(うまく表現できない)。
私たち夫婦で作った財産ではない。
だから、このお金は有効に使おうと思う。
まず、私がケチをやめることである。
でもまあ、私は母が亡くなる少し前からケチをやめてはいたのだが。

欲しい物が買えるようになった。
美容院にも、きちんと行くようになった。
いろいろと我慢させてきた子供たちにも、折りにふれ、お小遣いをあげられるようになった。
夫がちょっと高い買い物をしても、笑っていられるようになった。
行ったことのないアロママッサージも体験してみた。

お金のことでカリカリしないでいると、心が豊かになる気がする。
必要なお金は手に入るのである。