楽しくない

2016-09-05 14:44:57 | ストロベリークォーツ
数日前までは、何だかとってもうまくいっていた。
気持ちも落ち着いていた。

でも、ここのところ何をしても楽しくないのである。
買い物に行って、かわいい服を見つける。値段もお手頃である。
でも、最終的に買う気になれないのである。
無駄遣いしないで済んだということで良いのかもしれないが、
お金の問題ではないのである。
気持ちの問題なのである。

大体わかっている。
新しいことを始めることにした。
それでわくわくしていたのだ。
金曜日に、その件で面談に行った。
知らない人に会うというのに、わくわくする。
私としては、何て不思議なこと!!

面談はうまくいった。
相手はお二人いたが、とてもいい方で、話し易く、私もスラスラと自然体で話ができた。
一人の方とは、共通の知人がいることもわかった。
満足して帰って来たのだけれど、それ以来楽しくない。

私が始めるのは、「音訳ボランティア」というやつだ。
目の見えない方のために、市の広報などを音にして録音してお届けする。
その為の技術的なこともお勉強させてもらえるという。
「お勉強」。
自分の為に何かを勉強するということは楽しい。
以前、「校正」とか、「テープ起こし」の通信講座を受講したことがあった。
楽しかったけれど、講座を受けただけで後に繋がらない。
積極的に就職活動とかをすれば良かったのだろうけど、そこまでのエネルギーはない。
でも、今回は違う。お仕事(ボランティアだが)のために勉強するのである。
メールでそんな話をしているだけで、楽しくなってきた。

お話を聞いてみると、そのお勉強会は、月に一度か二度、6回くらいあるそうだ。
だから、私が正式に会員になれるのは、年末くらいかなと。
最初のお勉強会の日取りを決めてきたのだけれど、
2週間も先で…。
何だかそれでがっかりしたのかな?
2週間先まで、今までと同じ毎日なんだなって気が抜けたみたいな。

このことでわくわくしていた間は、Mくんのこともちょっと遠くに置いておけたような気がしていた。
何て言うか…。
最初のころの、Mくんと親しくなるなんて有り得ないと思っていたころに戻った感じで。
あの頃のままだったら、Mくんが異動してしまったら顔が見られないことも当たり前で。
そんな風に感じていた。
でも、多分ボランティアの面談を受けた後からだと思う。
またMくんのことが恋しくて恋しくてたまらない。

小池龍之介さんの本に書いてあった。

気持ちは自分の力でつくったものではないし、勝手に訪れては去ってゆくだけのものにすぎません。
そのお客さんを無理矢理捕まえて、自分の奴隷にしたりなんかしたら犯罪。
それなのに、気持ちが去ってゆこうとするのを手放さずに「この気持ち、自分のものだもん」と、
泥棒をはたらこうとするから、罰としてそれ相応の苦しみを味わうことになるのです。


そういうことなのかな?と思った。
Mくんのことを想わなくなるのが寂しくて、またMくんにしがみつこうとしているのかなと。
そうなのかな?そうじゃない気もする。
いろいろなMくんの顔が次々と浮かんできて、私に向けられた言葉が蘇ってきて。
でも、それらがもう、私の手の届かないところに行ってしまった。
そう感じる。
それを受け入れようとしている。
それを受け入れて、頑張って生きて行かないと、
もう一度Mくんに会うという夢は、絶対に叶わない気がする。