…なのかなあ?
この頃、本当にすべてがうまく回っている気がする。
やりたいことを、臆せずやることができるようになってきた気がする。
逆に、調子に乗り過ぎて失敗しないようにと気をつけようと思うくらい。
去年、このブログを始めて…。
ネットで何かを登録するのが好きでなかった私には、結構冒険だった。
でもきっと、私は、こんな風に自分を表現する場所をずっと求めていたんだろうなと思う。
そして数カ月遅れて、フェイスブックを始めた。
ブログとフェイスブック、どちらも苦手なアカウント取得というところから始めた。
私は、この二つの性質の違いにはっとする。
ブログの方は、誰にもURLを教えないつもりで始めた。
その方が、誰に気兼ねすることなく書きたいことが書けると思ったから。
謂わば、ここは私の秘密の場所。
ところが、フェイスブックの方は真逆である。
私の書いたことは、すべて友達に対してオープンである。
中には「義理友」と呼べるよく知らない人もいる。
そんな人にも、私の考えていることが流れていっちゃうんだ、と思うと、
最初はちょっと抵抗というか…。
「みなみちゃんて、こういう人だったんだ」って思われるのが恥ずかしいな、みたいな、
そんな思いがあった。
でも、すぐに開き直った。
「私は私。こういう人だって、みんなに知ってもらってかまわない」。
そんな風に思えるようになった。
そして確実に、それまで疎遠になっていた友達とこまめに言葉を紡ぎ合えるようになった。
この二つの場所の存在が、私にはとても大きいと思う。
心おきなく、心の中のいろいろなことを語れる場所と、
友達と繋がっていると、実感できる場所。
2007年に、チビコが死んで…。
その後、私はそれまでは興味のなかったいろいろな考え方を受け入れるようになって、
それで私は変わったと思っていた。
変わったと言っても、心の中だけのことである。
それでも、ものすごく生き易くなって…。
今は、それを受けての第二段階というところかな?
自分自身に対する行動の制限が、ものすごくはずれていった感がある。
「自分のやりたいことをやりなさい」。いろいろな本にそう書いてある。
でも、やりたいことのない私はどうしたらいいのか?
「子供のころにやりたかったことで、やり残したことをやってみなさい」。
子供のころにやりたかったことで、今もやりたいと思えることなんてない。
「頼まれたことを何でもやってみなさい」。
こんな頼りない私に、頼みごとをしてくれる人もそうそういない。
せいぜい、外回りの仕事で町中をうろうろしいる時に、道を聞かれるくらい。
そんなことでも、できるだけ丁寧に教えてあげることで満足する。
やりたいこと…。
今思えば、それはちっぽけなことで良かったんだ。
その中でも、ブログとフェイスブックの二つはなかなか大きなこと。
そして、思いっきり好きな歌が歌いたかった私は、一人カラオケに挑戦した。
気後れして、なかなか連絡の取れなかった友達に連絡を取るようにした。
勇気がなくてできなかったこと、面倒くさくてできなかったこと、
興味がなくてやる気になれなかったこと、いろいろだが、
それらのちっぽけなことが、どんなにか私の心を開放してくれたことかと思う。
やっぱり、恋のおかげもあるのかな?
恋のエネルギーは、嬉しいことも、辛いことも、独りでただ抱え込んでいるには大き過ぎて、
私を外へ外へと押し出したのだろう。
Mくんの、私に対する役割は、ただそれだけのことだったのかもしれないが、
そうでないかもしれない。
考えてみれば、彼が私に求めたように、
あちらが痛い、こちらが痛いと言って、リハビリに通い続けることは、
私には、できそうにないことだった。
それならば、他の道を考えなければならない。
その為に、神様は、私の前から一旦Mくんの姿を隠してしまったのかもしれない。
大体、あのままMくんがあそこにいたとして、
私が「もう通えません」と告げたなら
Mくんは、「ああ、そうですか。それじゃあさようなら」で済ませてしまったかもしれないし。
今の距離と時間は、Mくんにも、不倫とかじゃなくてもっと別の方法で、
私と繋がることができると、理解してもらうためにあるのかもしれない。
伏見稲荷大社で、ひいたおみくじ。二十三番。
「これまで死ぬる思いの苦労を続けて、やっと峠をこしたところである。
ここで過去を清算して、再出発せよ。幸運は前途に待っている」。
Mくんのことばかり考えていた私だが、さすがにこれがMくんとのことを言っているのだとは思えなかった。
もっと、Mくんのことも含めて、大きなことを言っているのだろうと薄々思っていた。
チビコが死んでから、もうすぐ丸9年。
長い時間だったのか、短かったのか。
9年かけて、やっとここまできたんだな。
チビコ、ありがとう。
もうすぐ命日だね。またお参りに行くよ。
この頃、本当にすべてがうまく回っている気がする。
やりたいことを、臆せずやることができるようになってきた気がする。
逆に、調子に乗り過ぎて失敗しないようにと気をつけようと思うくらい。
去年、このブログを始めて…。
ネットで何かを登録するのが好きでなかった私には、結構冒険だった。
でもきっと、私は、こんな風に自分を表現する場所をずっと求めていたんだろうなと思う。
そして数カ月遅れて、フェイスブックを始めた。
ブログとフェイスブック、どちらも苦手なアカウント取得というところから始めた。
私は、この二つの性質の違いにはっとする。
ブログの方は、誰にもURLを教えないつもりで始めた。
その方が、誰に気兼ねすることなく書きたいことが書けると思ったから。
謂わば、ここは私の秘密の場所。
ところが、フェイスブックの方は真逆である。
私の書いたことは、すべて友達に対してオープンである。
中には「義理友」と呼べるよく知らない人もいる。
そんな人にも、私の考えていることが流れていっちゃうんだ、と思うと、
最初はちょっと抵抗というか…。
「みなみちゃんて、こういう人だったんだ」って思われるのが恥ずかしいな、みたいな、
そんな思いがあった。
でも、すぐに開き直った。
「私は私。こういう人だって、みんなに知ってもらってかまわない」。
そんな風に思えるようになった。
そして確実に、それまで疎遠になっていた友達とこまめに言葉を紡ぎ合えるようになった。
この二つの場所の存在が、私にはとても大きいと思う。
心おきなく、心の中のいろいろなことを語れる場所と、
友達と繋がっていると、実感できる場所。
2007年に、チビコが死んで…。
その後、私はそれまでは興味のなかったいろいろな考え方を受け入れるようになって、
それで私は変わったと思っていた。
変わったと言っても、心の中だけのことである。
それでも、ものすごく生き易くなって…。
今は、それを受けての第二段階というところかな?
自分自身に対する行動の制限が、ものすごくはずれていった感がある。
「自分のやりたいことをやりなさい」。いろいろな本にそう書いてある。
でも、やりたいことのない私はどうしたらいいのか?
「子供のころにやりたかったことで、やり残したことをやってみなさい」。
子供のころにやりたかったことで、今もやりたいと思えることなんてない。
「頼まれたことを何でもやってみなさい」。
こんな頼りない私に、頼みごとをしてくれる人もそうそういない。
せいぜい、外回りの仕事で町中をうろうろしいる時に、道を聞かれるくらい。
そんなことでも、できるだけ丁寧に教えてあげることで満足する。
やりたいこと…。
今思えば、それはちっぽけなことで良かったんだ。
その中でも、ブログとフェイスブックの二つはなかなか大きなこと。
そして、思いっきり好きな歌が歌いたかった私は、一人カラオケに挑戦した。
気後れして、なかなか連絡の取れなかった友達に連絡を取るようにした。
勇気がなくてできなかったこと、面倒くさくてできなかったこと、
興味がなくてやる気になれなかったこと、いろいろだが、
それらのちっぽけなことが、どんなにか私の心を開放してくれたことかと思う。
やっぱり、恋のおかげもあるのかな?
恋のエネルギーは、嬉しいことも、辛いことも、独りでただ抱え込んでいるには大き過ぎて、
私を外へ外へと押し出したのだろう。
Mくんの、私に対する役割は、ただそれだけのことだったのかもしれないが、
そうでないかもしれない。
考えてみれば、彼が私に求めたように、
あちらが痛い、こちらが痛いと言って、リハビリに通い続けることは、
私には、できそうにないことだった。
それならば、他の道を考えなければならない。
その為に、神様は、私の前から一旦Mくんの姿を隠してしまったのかもしれない。
大体、あのままMくんがあそこにいたとして、
私が「もう通えません」と告げたなら
Mくんは、「ああ、そうですか。それじゃあさようなら」で済ませてしまったかもしれないし。
今の距離と時間は、Mくんにも、不倫とかじゃなくてもっと別の方法で、
私と繋がることができると、理解してもらうためにあるのかもしれない。
伏見稲荷大社で、ひいたおみくじ。二十三番。
「これまで死ぬる思いの苦労を続けて、やっと峠をこしたところである。
ここで過去を清算して、再出発せよ。幸運は前途に待っている」。
Mくんのことばかり考えていた私だが、さすがにこれがMくんとのことを言っているのだとは思えなかった。
もっと、Mくんのことも含めて、大きなことを言っているのだろうと薄々思っていた。
チビコが死んでから、もうすぐ丸9年。
長い時間だったのか、短かったのか。
9年かけて、やっとここまできたんだな。
チビコ、ありがとう。
もうすぐ命日だね。またお参りに行くよ。