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 高知県知事選結果を踏まえた今後の戦略

2019年11月26日 09時39分47秒 | 政治

 

                                

                      「植草一秀の『知られざる真実』」
                                    2019/11/25
            高知県知事選結果を踏まえた今後の戦略
             第2489号
   ウェブで読む:https://foomii.com/00050/2019112501101461061 ──────────────────────────────────── 11月24日、高知県知事選が投開票日を迎えた。
結果は自公推薦候補の勝利に終わった。
投票率99%段階での候補者の得票は以下の通り。
当選 浜田省司 56 自公推薦   173,715 松元顕治 35 立国共社推薦 111,355
投票率は47.85%だった。
桜疑惑で安倍自公に逆風が吹いていたが、自公推薦候補が大差での勝利を収め た。
国政選挙にも通じることだが、主権者の半分以上が参政権を放棄している。
したがって、主権者全体の25%から30%の意思で知事が選出され、政治が 決定されてしまう。
自公候補の浜田氏は総務省の公務員を務めていた人物。
安倍政治は官僚政治でもあり、官僚出身知事は安倍内閣の流儀に従う。
高知県の主権者の3割は官僚機構が統治する旧来型の地方統治を望んでいると いうことになる。
安倍内閣の政治私物化の現実は目を覆うばかりである。
これを批判する主権者は多数である。
しかし、それが投票行動に結びついていない。
半分以上の主権者が投票所に足を運ぶ行動を取っていない。
投票所に足を運ばぬのだから、どのような政治が行われても、文句も言えない ということになる。

日本政治の根幹の問題は、日本の主権者にあると言わざるを得ない。
第二次大戦後に民主主義が導入されたが、それは市民が、自分たちの力で勝ち 取ったものではない。
敗戦後に米国が日本に導入したものである。
敗戦直後には日本の主権者の意思で革新政権が樹立されたけれども、この革新 政権が米国の政策転換と衝突した。
1947年、米国のトルーマン大統領は「ソ連封じ込め」を米国外交政策の基 軸に据えた。
敗戦後の日本の占領統治を司ったGHQではCS(=民政局)が主導権を握 り、徹底的な民主化路線が採用された。
その結果として1947年の総選挙を通じて社会党党首の片山哲氏を首相とす る革新政権が樹立された
しかし、このタイミングで米国の外交路線が転換し、GHQの民主化路線は一 気に後退した。
GHQの主導権はCSからG2(=参謀2部)に取って代わられ、日本民主化 政策は急激に抑圧されたのだ。
GHQは片山哲内閣、芦田均内閣の破壊を主導し、米国傀儡の吉田茂内閣を創 設した。
思想弾圧が急激に広がった。
レッドパージの嵐が吹き抜けた。
吉田茂首相は米国に服従する日本の創設に尽力し、左派勢力を弾圧した。

その後、吉田茂首相辞任を受けて石橋湛山内閣が誕生したが、米国は石橋内閣 の長期化を恐れた。
石橋首相は米国に服従せず、米国に対しても言うべきことを言う姿勢を示した からだ。
米国の意向通りに石橋内閣は短命に終わった。
米国が石橋首相の健康に何らかの危害を加えた疑いが濃厚だ。
石橋首相辞任後に首相に就任したのが岸信介氏である。
岸信介氏は戦犯容疑者として収監されたが、GHQによって釈放された。
GHQが釈放した戦犯容疑者は岸信介氏の他に、正力松太郎氏、児玉誉士夫 氏、笹川良一氏などがいる。
これらの戦犯釈放者は、釈放後、米国のエージェントとして日本政治を表と裏 から取り仕切ったのだと推察されている。
米国の外交政策は「ソ連封じ込め」に完全にシフトし、米国の対日占領政策は 「民主化」から「非民主化」に転換した。
石橋湛山首相が辞任し、岸信介氏が首相に就任すると同時に完全な対米従属政 治が創設され、戦後日本の政治潮流が確固たるものにされた。
吉田茂氏と岸信介氏こそ、対米隷属日本政治の父祖である。
その孫二人が現在の日本政治のトップに君臨していることは単なる偶然ではな い。
日本の民衆は、敗戦直後と60年安保闘争の時期に民衆の力を発揮して行動力 を示したが、刑事司法を支配する政治権力が思想弾圧を強めるにつれて、もの を言わぬ国民に変質してきた。
いまこそ、主権者が立ち上がり、行動するべきときであるが、そのエネルギー が全体として不足してしまっている。
この現状の打破がどうしても必要である。

1993年には細川連立政権が誕生した。
自民党一党支配の呪縛をようやく解き放った。
しかし、権力奪還を最優先する自民党は連立政権に加わった社会党を取り込 み、政権の再転覆に成功してしまう。
また、1993年の政権交代は総選挙後に7党8会派が連合して連立政権を樹 立したもので、主権者が選挙を通じて新しい政権を選択したものではなかっ た。
その後の紆余曲折を経て、戦後日本政治史上、主権者の選択で初めて政権刷新 を実現したのが2009年であった。
主権者が選挙を通じて民主党を大勝させた。
その結果として2009年に民主党を軸とする連立政権が樹立された。
この民主党が2010年7月参院選に勝利して衆参ねじれを解消していれば、 日本の政治史はまったく異なるものになったはずだ。
ところが、首相の座を強奪した菅直人氏は、突然、消費税率10%への引き上 げを参院選公約に掲げて惨敗した。
本年10月に消費税率が10%に引き上げられたが、この政策を明確に提示し た首謀者は菅直人氏なのだ。

菅直人氏は鳩山内閣が掲げた政治路線の刷新をことごとく破壊した。
鳩山政権は戦後日本政治の根幹を刷新しようとした。
米国が支配する日本
官僚が支配する日本
大資本が支配する日本
を刷新しようとした。
しかし、そのために、米官業の既得権勢力から総攻撃を受けて首相辞任に追い 込まれた。
これを目の当たりにした菅直人氏は、手のひらを返して、すべての施策を元に 戻したのだ。
米国に服従し、官僚に服従し、大資本の政治支配を容認した。
この結果、政権交代の意味は消滅した。
菅直人氏が敷いた路線をそのまま引き継いだのが野田佳彦氏である。

日本の主権者は、民主党政権に大いなる期待を寄せたが、民主党自身がこの期 待をすべて裏切った。
その結果として、民主党に対する期待は失望へと変わり、その心境が安倍内閣 の復活を許す原動力になった。
メディアはこの機を逃さず、民主党攻撃キャンペーンを展開して現在に至る。
民主党はその後、右往左往を演じているが、2010年に鳩山内閣を叩き壊し た主力メンバーがいまなお、旧民主党勢力の中核に位置している。
選挙で安倍自公を倒すには野党がまとまる必要がある。
しかし、その野党に「あいまい勢力」、「隠れ与党勢力」が潜んでいるなら、 野党連合に対して主権者が積極的に支持する気持ちになれないというのが現状 である。

安倍自公の政治私物化は目に余るが、いまの野党勢力全体に全面的に期待を寄 せる気持ちが萎えてしまっている。
投票所に足を運ばない主権者が半分もいることは問題だ。
しかし、それを主権者の怠慢とは片付けられない重大な問題が存在するのだ。
それは、既存の野党が、本当の意味での安倍政治打破の気魄を示していないこ とだ。
11月15日の緊急院内集会でれいわ新選組の渡辺てる子氏が渾身の叫びを発 した。
「立憲民主や国民民主に、本当に安倍政治を倒すという思いがあるのか。」
これが主権者の声そのものであると感じられる。

消費税増税に突き進む経済政策は明らかに間違いだ。
そうであるなら、まずは、消費税率を5%に戻すことで野党全体が手を組めば いいではないか。
この路線の採用が「れいわ新選組」へ譲歩に見えるから、そのような行動は取 りたくない。
こんな狭い視野でものごとを考えるなら、永遠に主権者の強い支持など得られ るわけがない。
「政策連合」の運動を主権者が主導して、全国で始動させる必要がある。
主権者が束になって動けば、日本政治を変えられる。
既存の政党任せでは事態を変えることはできない。
主権者が主導して「政策連合」を構築しなければならない。



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