「燃ゆる女の肖像」(「Portrait de la jeune fille en feu」、2019年、仏)
監督 セリーヌ・シアマ
脚本 セリーヌ・シアマ
撮影 クレール・マトン
美術 トマ・グレゾー
音楽 ジャン=バティスト・デ・ラウビエ
出演 ノエル・メルラン
アデル・エネル
ルアナ・バイラミ
ヴァレリア・ゴリノ
18世紀のフランス、結婚予定だった姉が死に、修道院から連れ戻された妹の伯爵令嬢エロイーズ、高名な画家の娘マリアンヌは彼女のお見合い用の肖像画を描くように夫人から依頼された・・・。
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=56y2GWHMaoU
今年の第一作「アンモナイトの目覚め」のコメント見てたらこの作品名が出てきて、そう言えば劇場へ観に行くつもりだったなと。(コロナで断念)
「アンモナイト~」が機微と無理解と少しの駆け引きなら、こちらは「定め」の中の機微でしょうか。
フランス映画って余り説明せんタイプだと思ってたけど、最近は随分と優しくなったみたいで、この作品の肝はギリシャ神話のオルフェとユリディスの葛藤であり、その情景はビヴァルディ「四季~夏」であると主人公たちの口を借りて説明してくれています。
マリアンヌが振り返ったオルフェの心境を現実よりイメージの中に閉じ込めることを選んだのではと説明しますが、これは作家の阿刀田高氏も同じことを書いているので定説なのかもしれません。
又、この二人が18世紀の現実では決して結ばれないことを対比によって執拗に描いていきます。冒頭近辺でマリアンヌがエロイーズを描いた「燃ゆる女の肖像」そのものを提示してるけれど、エロイーズにあげた本(オルフェ物語)の28ページに挿絵のようにマリアンヌ自身を描いたスケッチももう一つの「燃ゆる女の肖像」であって二人は同化した存在であるのに、過去に閉じ込めると割り切り振り返ったマリアンヌ、振り返れないエロイーズ(夫と子供のいる現世を生きていく)であり、或は現実のエロイーズとマリアンヌが見る幻覚のエロイーズ~冥界のユリディス、住む世界の違う二人として描かれます。まぁ、エロイーズもあの28ページに閉じ込められたマリアンヌのイメージを抱いて生きていくのだから、二人とも同じなのかな。
そんな事を内包しながら進んでいく物語は映像も美しく惹き付けるものがありました、家政婦ソフィの存在と堕胎の意味は何なのだろう?この数週間の出来事が「存在してはならない事」と示しているのだろうか、ちょっと、判りませんでした。
似た内容ながらラストを観客に委ねた「アンモナイトの目覚め」、明確に答えの出てる「燃ゆる女の肖像」、しかし、ラストの見応えは「四季~夏」をバックにエロイーズが見せる表情の移り変わり、長回しの撮影に応えたエロイーズ役のA・エネルの演技に軍配が上がると僕は思いました。
・エロイーズ役のA・エネル、18世紀に修道院から出てきて嫁に行くにしてはトウが経ち過ぎてる感が。(失礼!)
・女同士の性愛シーン、かなり露骨な「アンモナイト〜」に較べればこちらは控え目、只、こちらには露骨な堕胎シーンがある。
・マリアンヌ役のノエル・メルラン、初見なのに既視感があると思ったら宮里藍さんだ。
・ヴィバルディの「〜夏」の説明部分はyoutube 本編映像の中にあります、僕はあの楽器を最初に聞いた時ハープシコードと聞いたのでチェンパロとは反応出来ないのです、大雑把に言えばイギリスがハープシコードで大陸がチェンバロ。「嵐が来て」→「人生で一番燃え上がる時が突然、やって来る」、「虫たちが騒ぎだします」→「人生の夏が突然やって来れば、人はアタフタしてしまいます」
嗚呼、君よ 振り返るべきか わが朱夏の 過ぎ去りしを 知るためにこそ
寂庭
R4.1.15
DVD
監督 セリーヌ・シアマ
脚本 セリーヌ・シアマ
撮影 クレール・マトン
美術 トマ・グレゾー
音楽 ジャン=バティスト・デ・ラウビエ
出演 ノエル・メルラン
アデル・エネル
ルアナ・バイラミ
ヴァレリア・ゴリノ
18世紀のフランス、結婚予定だった姉が死に、修道院から連れ戻された妹の伯爵令嬢エロイーズ、高名な画家の娘マリアンヌは彼女のお見合い用の肖像画を描くように夫人から依頼された・・・。
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=56y2GWHMaoU
今年の第一作「アンモナイトの目覚め」のコメント見てたらこの作品名が出てきて、そう言えば劇場へ観に行くつもりだったなと。(コロナで断念)
「アンモナイト~」が機微と無理解と少しの駆け引きなら、こちらは「定め」の中の機微でしょうか。
フランス映画って余り説明せんタイプだと思ってたけど、最近は随分と優しくなったみたいで、この作品の肝はギリシャ神話のオルフェとユリディスの葛藤であり、その情景はビヴァルディ「四季~夏」であると主人公たちの口を借りて説明してくれています。
マリアンヌが振り返ったオルフェの心境を現実よりイメージの中に閉じ込めることを選んだのではと説明しますが、これは作家の阿刀田高氏も同じことを書いているので定説なのかもしれません。
又、この二人が18世紀の現実では決して結ばれないことを対比によって執拗に描いていきます。冒頭近辺でマリアンヌがエロイーズを描いた「燃ゆる女の肖像」そのものを提示してるけれど、エロイーズにあげた本(オルフェ物語)の28ページに挿絵のようにマリアンヌ自身を描いたスケッチももう一つの「燃ゆる女の肖像」であって二人は同化した存在であるのに、過去に閉じ込めると割り切り振り返ったマリアンヌ、振り返れないエロイーズ(夫と子供のいる現世を生きていく)であり、或は現実のエロイーズとマリアンヌが見る幻覚のエロイーズ~冥界のユリディス、住む世界の違う二人として描かれます。まぁ、エロイーズもあの28ページに閉じ込められたマリアンヌのイメージを抱いて生きていくのだから、二人とも同じなのかな。
そんな事を内包しながら進んでいく物語は映像も美しく惹き付けるものがありました、家政婦ソフィの存在と堕胎の意味は何なのだろう?この数週間の出来事が「存在してはならない事」と示しているのだろうか、ちょっと、判りませんでした。
似た内容ながらラストを観客に委ねた「アンモナイトの目覚め」、明確に答えの出てる「燃ゆる女の肖像」、しかし、ラストの見応えは「四季~夏」をバックにエロイーズが見せる表情の移り変わり、長回しの撮影に応えたエロイーズ役のA・エネルの演技に軍配が上がると僕は思いました。
・エロイーズ役のA・エネル、18世紀に修道院から出てきて嫁に行くにしてはトウが経ち過ぎてる感が。(失礼!)
・女同士の性愛シーン、かなり露骨な「アンモナイト〜」に較べればこちらは控え目、只、こちらには露骨な堕胎シーンがある。
・マリアンヌ役のノエル・メルラン、初見なのに既視感があると思ったら宮里藍さんだ。
・ヴィバルディの「〜夏」の説明部分はyoutube 本編映像の中にあります、僕はあの楽器を最初に聞いた時ハープシコードと聞いたのでチェンパロとは反応出来ないのです、大雑把に言えばイギリスがハープシコードで大陸がチェンバロ。「嵐が来て」→「人生で一番燃え上がる時が突然、やって来る」、「虫たちが騒ぎだします」→「人生の夏が突然やって来れば、人はアタフタしてしまいます」
嗚呼、君よ 振り返るべきか わが朱夏の 過ぎ去りしを 知るためにこそ
寂庭
R4.1.15
DVD
もしかすると本作があるかもしれませんね、近いうちに覗いてみます。
コメントありがとうございます!
レンタルショップが昨年春に閉店してしまいました
〉この町もも最盛期には半径500m内に4軒有ったレンタル屋さんが一番小さく流行りモノしか置いてない一軒を残すのみ、利用していた隣町の2軒も相次いで閉店、今は自転車で15分の所にあるTSUTAYA2軒が頼みの綱になりました。(その内1軒は風紀の悪い所ど真ん中で余り行きたくない(汗))
近いうちに覗いてみます。
〉もし、その時は感想聞かせて下さい。
明日記事をアップしますので、お時間頂けたらお願いします。
>そんな事を内包しながら進んでいく物語は
寂庭さんらしい難しい記事だと思いましたが、きっとそうだと思いました。
>映像も美しく惹き付けるものがありました、
18世紀の田舎の描写が、飾らずに、美しかったです!
>家政婦ソフィの存在と堕胎の意味は何なのだろう?
私なりに思うのは、彼女のあの行為の再現した絵を描くためにいたような気がしました。
残酷なことですが、階級とか思うし、マリアンヌも経験したと言っていたので・・・。
>「アンモナイトの目覚め」
オンエアがあったら見たいと思います。
>「四季~夏」をバックにエロイーズが見せる表情の移り変わり、長回しの撮影に応えた
どんな映画にも滅多に見ないようなすごい演技でした!
1発オーケーだったような気がします。。。
・マリアンヌ役のノエル・メルラン、初見なのに既視感があると思ったら宮里藍さんだ。
(笑)激しく同意します(笑)。
・僕はあの楽器を最初に聞いた時ハープシコードと聞いたのでチェンパロとは反応出来ないのです、
私は中学か高校の音楽の授業でチェンバロと習ったし、
「モーツアルト」で皇帝が弾いていたのが忘れられず(笑)。
>大雑把に言えばイギリスがハープシコードで大陸がチェンバロ。
勉強になりました!
.
コメントありがとうございます!
高名な父の名前を使わなければ自分の作品を世に出せず収入もままならない、エロイーズにしても有力な男の庇護下に入らなければ生活できない、そんな女性の自立を内包してる作品なのだろうけど、僕の感覚だとオルフェウスの葛藤を利用した、「思い出」と割り切れる女と引きずった女の対比、良い悪いの二元論でなくどちらの要素も持ち合わせてるのが人間で、人間の中に矛盾せず存在する二つの物語を描いた作品ではないかと感じています。だからこそ、二人のヒロインの気持ちも解るのではないかと。(同性愛を描くのは男の所有物にならなければ「愛」を語れない時代への皮肉かな)
どんな映画にも滅多に見ないようなすごい演技でした!1発オーケーだったような気がします。
〉あれは凄い、確かに1発の可能性を感じます。
この作品を思い出す時、このシーンが一番印象に残ってるし、他の全てのシーンがこのシーンの陰に隠れてしまうようにも感じてしまいます。
音聞いて「あ、ハープシコード」と咄嗟に思うのですが、直ぐに「えっと、別名何だっけ」で数分間。(笑)
今年もどうぞよろしくお願いいたします(ペコリ)。
「アンモナイトの目覚め」を見ました。
秋のオンエアを録画ミスし、再放送でやっと見られました!
記事は書かれていないんですね???
しずくさんとのやり取りを読ませていただきました。
こちらにコメント書かせていただきますね。。。
私もあのエンドロールの音楽で(波の音で)
ここが生きる場所と言っているように思ったし、
2人のことは、シャーロットがたまに図々しく会いに行き、
メアリーは仕方なしに受け入れる気がしています。
純愛映画というのはどうかなあ?と思うけど
男女間でもよくある内容だったので、まあ普通の映画だったと思います。
ちゃんと学校でメアリーさんのことを教えてほしいですね、化石のことを。
明日記事をアップしますので、お時間頂けたらお願いします。
時節柄ご自愛くださいませ。
本年もよろしくお願い致します!
似た感じの作品だからか後に観た「燃ゆる女の肖像」のイメージが「アンモナイト〜」を上書きしてしまったようで、午前中はいろいろと思い出していました。(歳です〜大体、細部まで思い出せた(笑))
1年経つと、これが女同士の純愛かは定かに思えなくなったけど、あの時、しずくさんに書いたように「夫の居ない時に」miriさんの仰るように押し掛ける(笑)気は僕もあると思います。
メアリーの反応もmiriさんにかなりの部分同意できるかもしれません。
いま、思い出してみて、この作品が女同士の純愛バリエーションなのか「洲崎パラダイス 赤信号」のような腐れ縁になっていくものなのか、ちょっと迷いが出ました。
「燃ゆる女の肖像」は映画文学という感じ、対して、この作品は?結構、考えたのですが、強いて言えば、こちらはより直裁的、オブラートがない感じかな、その癖、被写体に対する距離は「燃ゆる〜」の方が近く、「アンモナイト〜」には少しだけ距離というか客観性を感じる、そんな風に思いました。