セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「蜘蛛巣城」

2013-11-01 23:15:39 | 邦画
 この作品、初見ならばDVD・ブルーレイの日本語字幕付で観るように! 
 戦後の黒澤作品中、最も録音状態が悪く、字幕なしで観たら3割以上意味不明に。

 「蜘蛛巣城」(1957年・日本)
   監督 黒澤明
   脚本 小国英雄 橋本忍
       菊島隆三 黒澤明
   原作 W・シェークスピア「マクベス」
   撮影 中井朝一
   美術 村木与四郎
   照明 岸田九一郎
   音楽 佐藤勝
   美術考証 江崎孝坪
   出演 三船敏郎
       山田五十鈴
       千秋実

 見よ妄執の城の址
 魂魄未だ住むごとし
 それ執心の修羅の道
 昔も今もかわりなし

 寄せ手と見えしは 風の葦
 鬨(とき)の声と聞こえしは 松の風
 それ執心の修羅の道
 昔も今もかわりなし

 OPとエンディングに使われた、この謡曲の歌詞そのままのような作品。
 W・シェークスピアの4大悲劇の中で最も陰惨と言われている「マクベス」を日本
の風土に合わせ、見事に移し変えています。
 脚本チームの一人である橋本忍氏は、原作モノを脚本化する場合の要諦を、
 「生き血を搾り取る、他は要らない、とにかく生き血だけが欲しい」
と言ってますが、「藪の中」(「羅生門」)、「蜘蛛巣城」は、その良い実例なのでは
ないでしょうか。
 特に、この作品に於ける脚本チームの功績は、シェークスピアの「マクベス」に
有った弱点を綺麗に補った点にあると思います。
 それは、L・オリヴィエに「そのアイデア、貸して欲しい」とまで言わしめた、レデ
ィ・マクベス(浅茅~山田五十鈴)の懐妊。
 「マクベス」の弱点等と尊大な事を書きましたが、原作でも本作でも(全ての)
マクベス夫人というキャラクターは、奸智に長け我執に囚われた非常に精神的
にタフな存在として登場、暗躍します。
 それが真ん中辺り、マクベスの「主殺し」を境に退場、再び登場する終盤には、
劣勢と因果の恐怖から狂気に囚われた弱い女に変化してる。
 あの強かな女が、思い通りに事が進まないからといって錯乱状態から狂い死
にするタマか?(笑)なんです。
 舞台で演じるレディ・マクベスが難役なのは、出番のない間にまるで性格が変
わってしまうのを、観客に「いかに納得させる事が出来るか」という大問題が存
在するからだと、僕は思っています。
 だからこそ、「ハムレット」のオフェーリア、「オセロー」のデズデモーナに較べて
格段に(女優にとって)「やりがい」の有る役なのです。
 そして、この「マクベス」と云う作品、主役は文字通りマクベスなのですが、マク
ベス、レディ・マクベスの両者が好演した場合、出ずっぱりのマクベスより4分の
一位しか出番のないレディ・マクベスの方が印象に残ってしまう不思議な作品で
もあります。
 (「マクベス」の上演、というと決まってレディ・マクベスは誰?となるのは、この
為)
 「蜘蛛巣城」でも、映画史上、最も危険な撮影で殆ど「命懸け」とも言える三船
敏郎(好演)より、出番の少ない山田五十鈴の方が絶賛を受けています。

 少し話が逸れましたが、この「強かな女」が「か弱い女」に変化する動機として
「懐妊→死産」を持ってきたのは本当に秀逸で、これによってバンコォー(三木
義明~千秋実)と息子を殺害しようとする動機の必然性が出てくるんです。
 原作だと「三人の魔女たち」の予言(マクベスの後はバンコォーの息子がイン
グランド王になる)を「受け入れたくない」だけで、これはこれで充分動機になり
得るけれど、自分の子供の為に己が手を血で汚した、とした事で、より説得力
が生まれました。
 これは、本当に素晴らしいと僕は思っています。

 この作品、「史上最も成功したシェークスピア映画」と賞賛されていますが、
日本人には結構ハードルが高い作品だと僕は思ってるし、僕の理解力では、
とても及ばないというか、本当の「面白さ」は理解出来ていないと思っています。
 勿論、何も知らずに観ても、充分、鑑賞に堪える映画だと思うのですが・・・。
 「蜘蛛巣城」には二つのハードルが有るんです。
 一つは原作を読んでいた方が良いで、これは別に、それ程難しい事じゃない
(4大悲劇の中では一番短くて一直線な話だし)。
 問題は二つ目、「能」と「狂言」の素養がないと、意味してる事が瞬時に解らな
いと云うハンデが古典芸能に疎い、僕を含めた普通の人に有ると思うんです。
 「蜘蛛巣城」は映画とはまるで異質な「能」の表現・演出法で作られた作品な
んです。
 「寄り」を極力使わず殆どのシーンを「引き」(つまり「舞台」)で見せていく。
 鷲津武時の顔は能の「平太」の面、浅茅の顔は「曲見」の面。
 通じてる人なら、この顔だけで、それぞれの性格と背負ってる「業」が解る。
 あばら家で糸車を回してるのが何故「物の怪」なのか、これは「黒塚」を知らな
ければ瞬時に解らない。(原作を読んでれば、「三人の魔女」の変形という事は
直ぐ解るけど、それが何故かは解らない)
 開かずの間の血塗られた壁(「鏡板の老松」)、主殺しを実行した鷲津が床を
踏み鳴らしながら後ずさりしてくる場面、その槍を受け取る浅茅の足の運び、橋
懸かりに見立てた渡り廊下、全て「能」の動きであり決まり事なんです、それを素
養として持ってる人って、少ないですよね、僕もそうなんですけど。(笑)

 演技について。
 浅茅を演じた山田五十鈴は、これ以上ないレディ・マクベスで、世界中で賞賛
されたのも納得です。
 眉根一つ動かさずに、夫をそそのかす、リアリティから遠い演技なのに凄まじ
いくらいのリアリティを感じさせてくれます。
 「手を洗う」シーンは言わずもがな。
 さて、鷲津武時を演じた三船敏郎ですが、誰もが一番吃驚する「矢ぶすま」の
シーン。
 「あれは演技じゃなくて素」という人も居ますが、よく観て下さい、あれだけ近場
へ(超望遠で撮ると前後が圧縮されるから見た目程近くはないらしい)矢が突き
刺さるのに一瞬も「まばたき」をしません。
 人間なら誰でも反射的に「目を瞑る」ものですが、恐怖の中でも自らの意識で
「目を開いた」ままなんです。
 ただ本能のまま段取りで動いてる訳じゃないのです、死ぬ思いをしながら懸命
に演技をしてると僕は思っています。

 この作品、初めて観たのは20歳をちょっと過ぎた頃なのですが、その時は台
詞の聞き取り難さもあってイマイチでした。
 でも、ずっと何故だか、心に残っていて。
 そして1,2年前、3回目の再見をしてからは、大好きな「黒澤作品」の一つに
なりました。
 物静かに進む話の中で抑え付けられていくエネルギー。
 そのエネルギーが溜まりに溜まっていく感じ。
 「起・承・転・結」ではない日本の演出法「序・破・急」
 その鬱屈したエネルギーが僕を捉えて離さないのです。

※この作品が海外で評判高い理由は、向こうの人間にとってシェークスピアが基
 本教養という事もありますが、向こうでは字幕付だから日本人みたく「台詞聞き
 取れない!」が無い。(笑)
※「マクベス」では、R・ポランスキーが1971年に作った「マクベス」も素晴らしい出
 来映えだったと思います。
 「蜘蛛巣城」の英題は「Throne of Blood 」(「血の玉座」)というのですが、ポランス
 キーの「マクベス」は、もう「血の玉座」そのものと言っていい程の血まみれ「マク
 ベス」です。
※4大悲劇の中では一番名台詞が多いと思ってる「マクベス」ですが、「蜘蛛巣城」
 関連の一番の名台詞は、三船敏郎のコレだと僕は思ってます。(笑)
 「黒澤の野郎!バズーカでぶっ殺してやる!!」
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4 コメント

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おはようございます! (宵乃)
2013-11-02 09:45:33
「マクベス」を知っている方から見ると、この作品の方が奥方の精神的変化に説得力があるんですか~。
わたしは元を知らないから、それでもちょっと引っかかってしまいました。
あと、能や狂言の表現方法は詳しくないものの、あまり深く考えない性質なので、とにかく圧倒されてたかも。詳しいともっと面白いんでしょうね。

>「生き血を搾り取る、他は要らない、とにかく生き血だけが欲しい」

すごいセリフ…。これだけ聞いたら、吸血鬼映画のセリフかと思ってしまいそう(笑)
でも、確かに原作モノの映画を作るときは、忠実に作ったものより、こうやってエッセンスだけを抽出して、大胆にアレンジして作った作品の方が、エネルギッシュで印象的になるような気がします。

>「黒澤の野郎!バズーカでぶっ殺してやる!!」

伝説の名台詞ですね(笑)
返信する
おはようございます (ディープインパクト)
2013-11-02 10:26:17
 日本の映画なのに字幕がないとさっぱり意味がわからない気持ちはよくわかります。あれはやっぱり録音状態が悪いからですかね。昔『七人の侍』を劇場で観た時も、何を言っているのかサッパリわかりませんでした(笑)
 蜘蛛の巣城は面白かったです。マクベスを大胆に日本風にアレンジすると、こんな風になるんだと感心しました。
返信する
遅くなりました! (鉦鼓亭)
2013-11-03 08:23:04
 宵乃さん、コメントありがとうございます
 (昨日は終電帰り&酔ってたので返事は控えました)

原作では懐妊も死産もなく、いきなり「血が落ちない」ですから、もっと唐突。(笑)
「マクベス」の翻案で、僕が素晴らしいと思ってる「地獄に堕ちた勇者ども」でも、ソフィが生きる屍と化すには「陵辱」という出来事が挿まれる訳で、やはり何か理由がないと辛い展開なのかもしれません。

この映画、最後のあのシーンまで、ずっとエネルギーが開放されず、鷲津がどんなに暴れても叫んでもスクリーンの枠から飛び出す事が出来ず、エネルギーがどんどんスクリーン内に集積されていく感じがするんです。
それが美的構図と相まって、観る人に印象を残すのかもしれません。
(負のエネルギーですが~笑)

吸血鬼映画のセリフ>ホントにそうですね、ニンニク好きそうですけど。(笑)

伝説の台詞>これに関しては深く三船氏に同情します。(笑)
返信する
いらっしゃいませ! (鉦鼓亭)
2013-11-03 08:34:22
 ディープインパクトさん、レスが遅くなって、
 すいません。

録音>当時、撮影所が全面リニューアル中で、使えるステージも機材も少なく、オンボロで酷いのばかり。
(傍を通るバスの音がセットに居ても聞こえたとか~笑)
ダビングルームも完成してなくて、殆ど仮設小屋のような所で「アフレコ、音入れ」をしたそうです。
今のDVDは、あれでも相当改善されていて、昔、名画座で観た時は、ず~~っと酷かったです。

「蜘蛛巣城」>本当に素晴らしいアレンジで、僕は好きな作品です。
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