「忍ぶ川」、原作では上野界隈(多分、不忍池~根津)にある料亭とのこと。
映画でも、この付近の設定なのかもしれません。
飛鳥山を上野のお山に見立て、替わりにしたのかも。
映画では架空の何処かにある料亭と解釈するのが自然な気がします。
只、撮影地は上野・谷中から北西方向5kに固まっています(下町を除く)。
哲郎は早稲田大学生、根津辺りから都電20番線で行けば早稲田まで1kちょっとの所までは、
1本の都電で行けます(終点、江戸川橋から10分くらい歩くけど、学生なら何でもない)。
でも、飛鳥山でも全然構わないと言うか、こっちの方が断然便利、早稲田まで32番線で一直線。
映画でも一瞬出てくるけど、見直してみると繋ぎカットだから場所を示してるとは言えません。
東京在住の目から見ると、飛鳥山近辺に「忍ぶ川」が有る設定の方が納得なんです。
但し(笑)、飛鳥山だと「深川巡り」が遠すぎる(記事では都電を乗り継いだ場合を書いた)、
上野なら半分の距離だし多分1回の乗り換えで深川、木場へ行けると思います。
本日、快晴。来週の連休が今日ほど晴れるか解らないので、半休の午後(障害持ちなので土曜は半休にしてる)、
ちょいと出掛けてみました。
取り敢えず、守備範囲の南端から。
東京編のクライマックスが始まる、
「7時に陸橋で」
「7時を6時にしてくれないか、待つ時間が堪らないんだ」
その待ち合わせの陸橋。(芋坂跨線橋)
今ではフェンスが付けられ面影は有りませんが、フェンスを取り除けば映画のままです。
待ってる志乃の元へ哲郎が早足でやって来ます。
「私が馬鹿だったんです、元村さんは私の婚約者という事で~」
の台詞と共に二人が歩くのは、多分、この橋の手前に広がる谷中霊園(ちょっと墓地で写真を撮るのは控えました)。
いくら暗い環境で育った二人だからといって、恋人同士の会話が墓地を歩きながらというのは考え難い。
では何故、墓地なのか?
哲郎の過去、束縛を墓の下に埋める覚悟が出来た、って事なのかも。
この後、志乃の父の危篤で呼び出された哲郎は、坂道(本郷の歴史遺産みたいな下宿屋の横~去年、取り壊された)を登り、更に土手を登って行きます(このシーンは東京じゃなく栃木のシーンのついでに撮ったと思われる)。
地獄から地上へ駆け上がる、これも、そんな暗喩に見えます。
志乃が浅草寺四万六千日(7月10日)で買ってもらったホウズキの吊り鉢を持って「見返り美人」した場所。(この時の志乃が全編通じて一番可愛い(汗))
場所は先程の跨線橋から北西に500m、日暮里駅から七面坂通称「夕焼けだんだん」を
谷中銀座商店街へ降りた辺り。
(谷中商店街は東京で成功してる数少ない商店街)
映画撮影時には真ん中の手摺りは無かったんですね。
でも、○○○ホテルの看板は今も有りました。
(「夕焼けだんだん」は近年付けられた名称、撮影時に何と呼ばれてたかは不明。
猫の多い所なので「夕焼けにゃんにゃん」とも呼ばれてるらしい)
谷中銀座から更に北西へ3k。
哲郎が自分の宿命を志乃へ語り、二人の距離がぐっと縮まった「六義園」での逢瀬。
志乃は、この門を潜り、
この橋を渡り哲郎の元へ急ぐ。
二人が語り合ったベンチ付近。
「六義園(りくぎえん)」
五代将軍綱吉の側用人として絶大な権力を誇った柳沢吉保が下屋敷に作った回遊式庭園。
後に岩崎弥太郎が別邸とし整備した非常に趣ある場所。
染井門(普段は、ここから400m歩いて横の門から入る)
尚、この染井門の本郷通りを挟んだ斜向かいに、「忍ぶ川」のモデルと言われる寿司割烹「思い川」が有る。
残念ながら、つい最近店じまいしたようです。
※バブル前までは六義園の中から見て木々の上にビルを見せない、という不文律が有ったらしいのですが、バブル以降、
そんな事はお構いなしで、本郷通り沿いに高いマンションが立ち並び「六義園」を自分の庭のように見下ろすようになりました。
※志乃が入って来た門は庭奥の東屋へ通じる裏道、多分庭園を眺める客人の目に触れないように作った道のような気がします。
もしかしたら、深川への道中として深く考えずに撮った都電32番線、荒川車庫行き。
六義園から、また北西に2k。
現在は都電荒川線として都内唯一の都電(終点は専用軌道の有った三ノ輪まで延伸)。
滝野川一丁目付近から飛鳥山方向。
飛鳥山公園
シーンとしては最初の跨線橋から谷中霊園、回想を挟んだ次のシーン(距離的に6kは離れてる(笑))。
「すると元村さん・・・」
「元村さんはどうしたんだ」
「・・私を欲しがりだしたんです」
「・・で、やったのか?」
「やるもんですか!」
(※現在の「ヤッたのか」ではなく「あげた(与えた)」の意味、たった50年で言葉の印象が・・)
これは失敗、帰ってDVD見たら道路のRが逆(笑)、右へ50mくらい行った辺りと思う(ここはS字カーブになってる)。
現在は短いモノレールが出来て、あの階段は無くなっています。
二人の始めてのキスシーンは、この辺りかと。(キスシーンの一つ前のカットは、この道を100mくらい行った所かも、とにかく違う)
飛鳥山
江戸郊外の名所として有名、飛鳥山の桜は江戸町民に鳴り響いており季節ともなれば庶民が花見に出掛けました。(僕も子供の頃、家族総出で一回行った記憶が有る)
飛鳥山より音無橋方向(十条方向)、川向う右奥には関東のお稲荷様の元締め「王子稲荷」が有ります。
その先500mくらい行くと「名主の滝公園」があり、この辺りは参拝、行楽で江戸期には現在より遥かに栄え、料理屋も多かったと思われます。
昭和末頃までにも有名な料理屋が残ってました。
何故か飛鳥山の横にも似た跨線橋がある。(笑)
(昔はアーチは無かった気が・・・)
・監督のイメージ程、橋が長くなかった。
・橋のたもとに民家が欲しかった(山側は公園で崖地、橋を渡って来た人は左右直角に曲がるしかない)
・こっちの方が人通りが多くて嫌だった。
これ以上、思い浮かばない。(笑)
長~い記事にお付き合い下さり、ありがとうございます。
最後にお詫びと言うか、秋の薔薇です。
※お題の映画は今日観るつもりでいます。
映画でも、この付近の設定なのかもしれません。
飛鳥山を上野のお山に見立て、替わりにしたのかも。
映画では架空の何処かにある料亭と解釈するのが自然な気がします。
只、撮影地は上野・谷中から北西方向5kに固まっています(下町を除く)。
哲郎は早稲田大学生、根津辺りから都電20番線で行けば早稲田まで1kちょっとの所までは、
1本の都電で行けます(終点、江戸川橋から10分くらい歩くけど、学生なら何でもない)。
でも、飛鳥山でも全然構わないと言うか、こっちの方が断然便利、早稲田まで32番線で一直線。
映画でも一瞬出てくるけど、見直してみると繋ぎカットだから場所を示してるとは言えません。
東京在住の目から見ると、飛鳥山近辺に「忍ぶ川」が有る設定の方が納得なんです。
但し(笑)、飛鳥山だと「深川巡り」が遠すぎる(記事では都電を乗り継いだ場合を書いた)、
上野なら半分の距離だし多分1回の乗り換えで深川、木場へ行けると思います。
本日、快晴。来週の連休が今日ほど晴れるか解らないので、半休の午後(障害持ちなので土曜は半休にしてる)、
ちょいと出掛けてみました。
取り敢えず、守備範囲の南端から。
東京編のクライマックスが始まる、
「7時に陸橋で」
「7時を6時にしてくれないか、待つ時間が堪らないんだ」
その待ち合わせの陸橋。(芋坂跨線橋)
今ではフェンスが付けられ面影は有りませんが、フェンスを取り除けば映画のままです。
待ってる志乃の元へ哲郎が早足でやって来ます。
「私が馬鹿だったんです、元村さんは私の婚約者という事で~」
の台詞と共に二人が歩くのは、多分、この橋の手前に広がる谷中霊園(ちょっと墓地で写真を撮るのは控えました)。
いくら暗い環境で育った二人だからといって、恋人同士の会話が墓地を歩きながらというのは考え難い。
では何故、墓地なのか?
哲郎の過去、束縛を墓の下に埋める覚悟が出来た、って事なのかも。
この後、志乃の父の危篤で呼び出された哲郎は、坂道(本郷の歴史遺産みたいな下宿屋の横~去年、取り壊された)を登り、更に土手を登って行きます(このシーンは東京じゃなく栃木のシーンのついでに撮ったと思われる)。
地獄から地上へ駆け上がる、これも、そんな暗喩に見えます。
志乃が浅草寺四万六千日(7月10日)で買ってもらったホウズキの吊り鉢を持って「見返り美人」した場所。(この時の志乃が全編通じて一番可愛い(汗))
場所は先程の跨線橋から北西に500m、日暮里駅から
谷中銀座商店街へ降りた辺り。
(谷中商店街は東京で成功してる数少ない商店街)
映画撮影時には真ん中の手摺りは無かったんですね。
でも、○○○ホテルの看板は今も有りました。
(「夕焼けだんだん」は近年付けられた名称、撮影時に何と呼ばれてたかは不明。
猫の多い所なので「夕焼けにゃんにゃん」とも呼ばれてるらしい)
谷中銀座から更に北西へ3k。
哲郎が自分の宿命を志乃へ語り、二人の距離がぐっと縮まった「六義園」での逢瀬。
志乃は、この門を潜り、
この橋を渡り哲郎の元へ急ぐ。
二人が語り合ったベンチ付近。
「六義園(りくぎえん)」
五代将軍綱吉の側用人として絶大な権力を誇った柳沢吉保が下屋敷に作った回遊式庭園。
後に岩崎弥太郎が別邸とし整備した非常に趣ある場所。
染井門(普段は、ここから400m歩いて横の門から入る)
尚、この染井門の本郷通りを挟んだ斜向かいに、「忍ぶ川」のモデルと言われる寿司割烹「思い川」が有る。
残念ながら、つい最近店じまいしたようです。
※バブル前までは六義園の中から見て木々の上にビルを見せない、という不文律が有ったらしいのですが、バブル以降、
そんな事はお構いなしで、本郷通り沿いに高いマンションが立ち並び「六義園」を自分の庭のように見下ろすようになりました。
※志乃が入って来た門は庭奥の東屋へ通じる裏道、多分庭園を眺める客人の目に触れないように作った道のような気がします。
もしかしたら、深川への道中として深く考えずに撮った都電32番線、荒川車庫行き。
六義園から、また北西に2k。
現在は都電荒川線として都内唯一の都電(終点は専用軌道の有った三ノ輪まで延伸)。
滝野川一丁目付近から飛鳥山方向。
飛鳥山公園
シーンとしては最初の跨線橋から谷中霊園、回想を挟んだ次のシーン(距離的に6kは離れてる(笑))。
「すると元村さん・・・」
「元村さんはどうしたんだ」
「・・私を欲しがりだしたんです」
「・・で、やったのか?」
「やるもんですか!」
(※現在の「ヤッたのか」ではなく「あげた(与えた)」の意味、たった50年で言葉の印象が・・)
これは失敗、帰ってDVD見たら道路のRが逆(笑)、右へ50mくらい行った辺りと思う(ここはS字カーブになってる)。
現在は短いモノレールが出来て、あの階段は無くなっています。
二人の始めてのキスシーンは、この辺りかと。(キスシーンの一つ前のカットは、この道を100mくらい行った所かも、とにかく違う)
飛鳥山
江戸郊外の名所として有名、飛鳥山の桜は江戸町民に鳴り響いており季節ともなれば庶民が花見に出掛けました。(僕も子供の頃、家族総出で一回行った記憶が有る)
飛鳥山より音無橋方向(十条方向)、川向う右奥には関東のお稲荷様の元締め「王子稲荷」が有ります。
その先500mくらい行くと「名主の滝公園」があり、この辺りは参拝、行楽で江戸期には現在より遥かに栄え、料理屋も多かったと思われます。
昭和末頃までにも有名な料理屋が残ってました。
何故か飛鳥山の横にも似た跨線橋がある。(笑)
(昔はアーチは無かった気が・・・)
・監督のイメージ程、橋が長くなかった。
・橋のたもとに民家が欲しかった(山側は公園で崖地、橋を渡って来た人は左右直角に曲がるしかない)
・こっちの方が人通りが多くて嫌だった。
これ以上、思い浮かばない。(笑)
長~い記事にお付き合い下さり、ありがとうございます。
最後にお詫びと言うか、秋の薔薇です。
※お題の映画は今日観るつもりでいます。
お疲れ様でした・・・って多分お疲れではなかったでせう☆
陽の加減で、鉦鼓亭さんの行かれた時刻の感じがよく分かります。
きっと志乃さんがほほ笑みかけてくれたと思います♪
・・・ただ、記事になさるのがきっと大変でしたね~! 遅い時間ですし・・・。
見せて頂いて、私は嬉しいです、有難うございます♪
それぞれのお写真に、今・現在生きて、それぞれの人生の日々を、生活をしている、
東京の皆さまが写っていて、とっても良い感じです。
(もしも誰も写らなかったら、かえって良い感じしなかったと思います)
特に見返り美人のところ、あんな感じホントにイイです☆
皆さんの中に紛れて、志乃さんがいそうで(笑)。
あと、私は熊井監督が好きですし、その丹念な取材の社会派作品群を見ているので
この作品でも必ず、ご自身でロケ地を吟味され、よくよく考えられて決められたと信じています☆
(最初はスタッフが見つけていくつか候補があったかもしれないけど?)
・・・飛鳥山、というのはなぜそう言うのでしょうね~???
私からすれば飛鳥、とは明日香村に通じて、甘樫丘を想像してしまいます(笑)。
「やる」というのは今でも、見下してモノをくれてやるという意味でも使いますが、
確かに今のお若い方にはそっちの意味の方が普通なのでしょうね~
恐ろしい事ですネ~嫌ですネ~日本語を美しく使いたいですネ♪
そしてそして、素晴らしい秋の薔薇!!!
このような切り花になさって、リビングやダイニングに飾られる奥様は本当に素晴らしいし、
鉦鼓亭さんは本当にお幸せですネ~☆☆☆
***********************************
このきじとは関係ありませんが、今年2本目の邦画の「☆」がとうとう出ました!
それが、成瀬監督なのです(笑)。(オンエアです)
好きな作品か、嫌いな作品か、どっちかに分かれる監督さんです(笑)。
.
コメントありがとうございます
夕方6時から町会の手伝いが有ったので心ならずも駆け足になりましたが、余りに天気が良かったので出掛けました。
ちょっと膝の具合が良くないので、夜は膏薬だらけになりました。(笑)
入谷霊園(23区内3大霊園の一つ)は、何でこんなに遊山の人が多いんだ!
「上野のお山巡り」のコースなんだろうか、外人も多いし。(笑)
何が目当てなのか、東京モンにもサッパリ?
従○位とかの立派なお墓が多かったけど・・・。
谷中銀座>写真をアップすると見えますが、赤い三角コーンの所に自動車が通れる細道が横切っていて、向島、浅草、入谷方面から帰る時の抜け道に使っているんです。
だから、ピンときました。
時間は無かったけど、ここが一番、志乃さんを感じました。
「六義園」は15年ぶり位なんですけど、やっぱりいい場所で好きな所です。
昔より小綺麗に整備されましたけど、もう少しすると、もっと紅葉が美しくなり混雑も酷くなると思います。
(開園に合わせない限り、ひっそりとした庭園を写すのは今の時期無理、見える範囲の人は後ろ姿にしたかったけど無理な事でした(谷中も))
飛鳥山>名前の由来は・・・、?です。
家から都電1本なので、最初に憶えたのが「飛鳥山」の方、後から飛鳥、飛鳥時代を知る始末。(笑)
八代将軍・吉宗が整備したそうで、まぁ言える事は、
江戸期までは、「京へ上る」、「東下り」で京都・奈良への憧れが上にも下にも有ったし、
昔の有名な花見として、秀吉の「醍醐の花見」、「吉野の花見」(関東の代表種、ソメイヨシノは飛鳥山の直ぐ傍、巣鴨・染井村が開発した品種)が伝わっていたから、上方っぽい名前を付けたのかもしれません。
ちなみに名前は「山」ですけど、地形を見れば「山」ではなく台地から伸びる尾根の突端が周りに突き出てるだけ。
キスの前、二人が見つめ合うシーンの下方に運動場みたな平地が見えから、多分、そのシーンはここじゃなく、もっと奥側、そこなら旧「紙の博物館」横のテニスコートが見えると思います。
でも、そこからだと、今度はネオンの角度がキスシーンの角度と異なるん気がするんですよ。(笑)
薔薇>嫁さんが喜びます。
ありがとうございます!
☆>良かったですね。
僕も今年は大当たりで、オールタイム・ベスト10が大変動です。