「ドラキュラ」(「Bram Stoker's Dracula」、1992年、米)
監督 フラシス・フォード・コッポラ
脚本 ジェイムズ・V・ハート
原作 ブラム・ストーカー
撮影 ミヒャエル・バルハウス
音楽 ヴォイチェフ・キラール
出演 ゲイリー・オールドマン
ウィノナ・ライダー
アンソニー・ホプキンス
キアヌ・リーブス
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=PlDbxogHPao
ドイツ表現主義の古典「ノスフェラトゥ」(F・W・ムルナウ監督、1922年)をF・F・コッポラが独自の視点で焼き直した作品、と言えば聞こえはいいけどコッポラをしてドイツの映画古典をアメリカ商業主義によってどっちつかずの作品にしてしまった感じ。
「ノスフェラトゥ」に関して僕は原点を観てはいないのだけど、同じドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督のリメイクと本作を観ると、怪奇趣味に彩られた耽美主義的作品なのかなと思う、その耽美主義・神秘主義を追求して作り上げたのがW・ヘルツォークの作品で本作は耽美主義を追いながらも商業主義と妥協してしまい、解り易く、そして、最悪にも神秘的要素を装いながらディズニーのように結末(結論)を明示してしまっている、これでは神秘・怪奇に対する想像の余白の切り捨てで、脚本を担当した「パットン大戦車軍団」の余韻、監督した「ゴット・ファーザー」のアル・パチーノのはラストシーンとは正反対の安易さに堕落してしまってる気がしてならない。
同じリメイクながらギリギリまで削ぎ落としたW ・ヘルツォークの作品に対し、本作は語り過ぎ、説明のしすぎと感じました。
G・オールドマン、A・ホプキンス、K・リーブス等、豪華出演陣を揃えたにも関わらず、無駄遣いにしかならなかった作品という印象。
君想い 異形となるを 厭わねど
想いしひとは 吾にあらずや
寂庭
R3.7.18
DVD
監督 フラシス・フォード・コッポラ
脚本 ジェイムズ・V・ハート
原作 ブラム・ストーカー
撮影 ミヒャエル・バルハウス
音楽 ヴォイチェフ・キラール
出演 ゲイリー・オールドマン
ウィノナ・ライダー
アンソニー・ホプキンス
キアヌ・リーブス
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=PlDbxogHPao
ドイツ表現主義の古典「ノスフェラトゥ」(F・W・ムルナウ監督、1922年)をF・F・コッポラが独自の視点で焼き直した作品、と言えば聞こえはいいけどコッポラをしてドイツの映画古典をアメリカ商業主義によってどっちつかずの作品にしてしまった感じ。
「ノスフェラトゥ」に関して僕は原点を観てはいないのだけど、同じドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督のリメイクと本作を観ると、怪奇趣味に彩られた耽美主義的作品なのかなと思う、その耽美主義・神秘主義を追求して作り上げたのがW・ヘルツォークの作品で本作は耽美主義を追いながらも商業主義と妥協してしまい、解り易く、そして、最悪にも神秘的要素を装いながらディズニーのように結末(結論)を明示してしまっている、これでは神秘・怪奇に対する想像の余白の切り捨てで、脚本を担当した「パットン大戦車軍団」の余韻、監督した「ゴット・ファーザー」のアル・パチーノのはラストシーンとは正反対の安易さに堕落してしまってる気がしてならない。
同じリメイクながらギリギリまで削ぎ落としたW ・ヘルツォークの作品に対し、本作は語り過ぎ、説明のしすぎと感じました。
G・オールドマン、A・ホプキンス、K・リーブス等、豪華出演陣を揃えたにも関わらず、無駄遣いにしかならなかった作品という印象。
君想い 異形となるを 厭わねど
想いしひとは 吾にあらずや
寂庭
R3.7.18
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