laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

1月歌舞伎まとめ

2010-01-31 | agenda

歌舞伎座中心にできのよい演目が多くて、幸せな月間でした。

 

MVP

芝翫、吉右衛門、勘三郎の三人でがっつり悩んだ結果

 

道成寺の花子・勧進帳の義経二役ともに完璧の出来だったってことで

勘三郎

 

次点は車引の芝翫、吉右衛門
それに演舞場から黒塚の右近

 

MIP

 

切られ与三の「若い者」

左十次郎!!!

久々に着流しの渡世人姿が見られました。

何度も書いてるようですがやくざ姿させれば日本一のさとぴー。
小姓姿日本一の梅丸。これだけは譲れません。

 

次点

石切梶原の俣野 歌昇

 

よくて当たり前っちゃ当たり前なんだけど。ああいうきっちりした芸を持った役者は本当に見ていて気持ちいい。

 

MDP

鏡獅子海老蔵

(特に前シテ)

女形の踊りはやめといたほうがいい。
夜の部の伊達の十役は賛否両論だが、見ないで済んでよかったかも。

 

国立のOTくんは、まだ若年ということで保護観察にしておいてあげる。

 

作品賞

 

これまた道成寺・車引・黒塚・袖萩・(楽の)草摺引など候補満載の中・・・

空前絶後だろうってことで、

車引

アラサン(傘寿)の国宝二人の初役への挑戦、ただ挑戦しただけじゃなくて十二分の成果。今年のナンバー1はすでに決まっちゃったのか、みたいな勢いです。

 

次点は道成寺黒塚
道成寺は時分の華とまことの華の共存の瞬間に。
黒塚は、血という形でない芸の継承が可能だってわからせてくれた感動に。

 

充実した月でした。

 

 

 

 

 


魅力に満ちた失敗?作

2010-01-29 | spectacles

一本の樹の中にも流れている血がある

そこでは血は立ったまま眠っている

 

1960年、寺山修司23歳!の処女戯曲。冒頭の自作詩をモチーフにつづられた、
難解かつ文学性の高い戯曲、らしい(読んだことはまだない)。

 

 

タイトルの「失敗作」というのは逆説的、というか・・・

観客(自分も含めて)にどの程度原作者寺山および演出家蜷川の意図が伝わっていたかは怪しいものだ、という意味を含めたつもりです。

伝えたかった意図とは別のところで、それぞれの観客がそれぞれのインパクトを抱いて帰った、という点ではタイトル前半の「魅力に満ちた」のほうに主眼があるのですが。

 

ご存知のとおり、ストーリーやキャストを細かく説明するような親切なブログではないので、詳細が知りたい方は自分でぐるぐるしてください。

けっこう年は食ってるつもりだが、さすがに寺山や60年安保の時代は実感としては記憶にない。ただ、日本の猥雑な原風景、そして若者が政治のことを熱く語る時代だったことは物心ついたかついてないかの自分にもうっすらインプリントされている感じはあって。

 

芝居の中で決して交わることのない2グループ。
ひとつは美しきテロリストグループ(森田剛・窪塚洋介・寺嶋しのぶ)。そしてもうひとつが猥雑な世間グループ(六平直政ほか)。
どちらとも絡むわけでも絡まないわけでもなく登場するパンク歌手(遠藤ミチロウ・圧巻)。
猥雑な世間グループの猥雑さがなんとなく足りない気がしたのは、やはり現代の、しかもこぎれいなコクーンという空間だったからだろうか。
こびと・ヤクチュウ・オカマの登場人物がそれぞれ、小人症・拒食症・性同一障害などのこぎれいな言葉に置き換えられた感じかな。
猥雑グループが猥雑でなければテロリストグループの崇高さが立ち上がってこないと思うんだけど、現代の大資本下でいわゆる「アングラ表現」をすることの難しさ・限界みたいなものを感じてしまった。
闇のない世界なのだなあつくづく2010年の日本というところは。(あるんだけど隠してるといったほうがいいのか)。

まあ小難しいことを論じ始めると長くなるので、とりあえず気に入った役者を並べておこう。

まずは先ほど圧巻!と書いた遠藤ミチロウ。正直田口トモロヲと混同する程度の知識しかなかったのだが(苦笑)パンクシンガーの底力を見せ付けられました。もう打ちのめされてしまった。ぜひライブにいってみたい。どうしようおっかけになったら。

そして若手の中では六平の息子役(趣味・猫殺しw)の大橋一輝。非常に難しい役なんだけど、独自の間合いのユーモラスな感じと、純粋で危ない感じのバランスをぎりぎりのところで保っていて、これはもう芝居カンがいいとしかいえないと思った。まだ22歳の大学生らしい。今後期待。

美しきテロリスト三人はそれぞれに悪くなかった。
森田剛に関しては期待値ゼロだったから、思ったよりは健闘していたというイメージ。小柄な体が少年の一途さを現すのに適していたのかな。リアルな芝居は、窪塚との対比なんだろうけれど、寺山ワールドからは浮いていたような気もしたけど。それも演出意図なのかもしれないし。なんせ小難しいワールドwだからなあ。
なんと18歳wの役をそれなりに見せていた寺嶋しのぶはさすがの存在感。この人の魅力は(同じ梨園出身の松たかこもそうなのだが)声ですね。怒鳴ったり張ったりしなくても、心の中に染み渡るようにきっちり客に伝わるあの声。

 

さて、あえてここまで触れなかったのだけれど、出ました!
世紀の美青年。世紀のカリスマ。世紀の逸材。

もう大絶賛してしまいます。自分の語彙の貧弱さがもどかしいほどにすばらしかった窪塚洋介

なにがすばらしいって、容姿です。

もともと美青年だとは思ってたけど、ちょっと馬鹿っぽくて甘いところがいまいちだったのが、さまざまな(本当にさまざまだった)人生体験を経て、甘さがそぎ落とされ、恐ろしいほどのとがった美貌がこれまた震えるほどの存在感とともに舞台の上でそれこそ血のように立ち上がってゆらゆら燃えていたのだ。

はい、一目ぼれです。

せりふは正直堅いし、初舞台というのがうなずけるように空間のなかで長い手足をもてあましているように見える場面も再々。いや、それすら魅力的だったりするのだが。

色悪という歌舞伎用語がこれほど当てはまる逸材はないと思った。

舞台の上の窪塚を見つめながら

あー伊右衛門やらせたい

あー太陽を盗んだ男いいだろうな

あー赤と黒のジュリアンソレル!

あー砂の器!

あー倉橋由美子のさそりたち!

あーあーあーあーあー

 

と次から次へとやってほしい役がlavieの脳裏に湧き出て湧き出て・・・

ごめんなさい。途中からは森田ファンのジャニーズおたくのようにただの窪塚おたくになって、寺山や蜷川はどーでもよくなってました。

ひひひ。lavie名物訳知り顔からミーハーへの豹変ですな。

 

数年前の事故のとき、よくぞ神はこの逸材を天に召されることなく、地に落としてくださった・・・あ、堕天使もいける!!

 

早速探して読んでしまったブログでも舞台にはまったようなことを書いているので、ぜひとも今後もどんどん舞台に出続けて、その麗しのカンバセと麗しの肢体を拝ませてください。

できるならばもうちょっとだけ台詞回しも上達してくれれば、文句ないのですが

 

とりあえず完成度とか言い出すといろいろあるわけだが、(受け取り手のこちらの感性度wにも問題あるし)遠藤ミチロウと窪塚洋介を再発見できただけでもこの芝居を見てよかった、と心から思った。

 

 

終演後、森田ファンらしきおねえちゃん二人連れが「なにあれ、近未来SF?」と語り合ってるのを聞いて肝をつぶした。
アラサーのおねえちゃんにとってはテロリストがいるニッポンなんてSFとしかかんがえられないのだろうね。でもおねえちゃんたちも「ゴウクン超よかった!」って満足してたし。まあ窪塚超きれい!ってミーハーに堕してwしまったあたしがどーこーいえる権利はないわな。

 

 


エイテツかっけー

2010-01-28 | spectacles

伝芸界のたのきんトリオ(古っ)こと亀井・田中三兄弟が歌舞伎や能やあちこちのゲストを招いて開催し続けてる伝芸入門シリーズ。

何回目になるのかな。近所が会場ってこともあってほぼ皆勤に近い出席率ですわ。

特に今回は昨年マイ・プチブームとなった林英哲がゲストとあって、勇んで出かけました。

期待にたがわずタイトルどおり。

はい、みなさんご唱和ください。

英哲、かっけー!!!

素でしゃべってるとほんとただのちっこい筋肉質のおっさん(魚河岸あたりにいそう)なのに、撥を持つと突然超かっこよくなるのだ。

金沢城の中村屋の公演では弟子も引き連れてやった『三絶』のソロヴァージョン『宴』を演奏したんだけど、個人的にはソロのほうが好きかも。竹井なんとかさんの笛もなかなかむせび泣いてて和太鼓とよくあうし。

もうこのパートだけで大満足でした。

あ、あとは謡曲『高砂』のお稽古を観世喜正さんにつけてもらったこと。
邦楽って不思議よね。お手本の歌が一度目と二度目で音程ぜんぜん違ってるの。あれでいいんだよね。結局節回しのパターンと味が合ってればいいんだろうな。洋楽になじんでしまった自分の耳と硬くなった頭ではなかなか慣れそうにもない。謡曲習おうかと思ったこともあるんだけど、無理かも。

でも楽しかった。

 

♪た~か~さ~ご~やぁ~~~~って謡えるようになっても、梅玉さんにこの調子で大向こうをかけてはいけませんよ。間延びすることおびただしい。

 

あとは・・・まあつけたしというか。

 

その『高砂』を仕舞で喜正さんが舞うのだけれど、やっぱり能ど素人としては面をつけて衣装もつけてやってくれたほうがかっちょいい気がした。ワキの謡い手さんに一人若いイケメンがいたのでその人ばかり見てたのもいかんかったか。

もうひとつ、『老松』を愛之助が踊った。
最初めでたづくしのあたりはきっちり踊れていてさすが愛之助も家元になっただけあって精進してるな、と思ったんだが、廓話の色っぽい振りになったらがっかりだった。まったく色気がないんだもん体にも手先にも。

 

ってことで能と歌舞伎にはいまいち感心できなかったんだけど、エイテツ&喜正せんせーで元は取った気になったのでまあよかったんじゃないでしょうか。

 


伸び行く世代

2010-01-26 | kabuki a Tokio

まずは第一部

 

昼は初日以来だったのですが、うれしい衝撃でした。特に最初の踊り、すばらしかったです。

草摺引

 

この踊りがこんなに面白いなんて!大発見です。

初日は牛若丸みたいなやわい五郎(亀治郎)と、強すぎて面白みにかける朝比奈(勘太郎)で、逆のほうが絶対いい!と思っていたのだけれど、楽にはこんなにいい感じに仕上げてくるなんて。

さすが若手。さすが名人同士。

こういう急速の進歩があるから、花形歌舞伎は面白い。あと、しょっちゅう見すぎるとこの変化にも気づけないかもしれないから、月にせいぜい2-3回ってのが、いいペースなのかもと見すぎを反省したりして。

よくなった原因の大きいひとつは、二人の今月のお役によるんだと思う。日ごろ女形がほとんどの亀治郎、最近は立役ばかりやっている勘太郎が、その癖を引きずったまま迎えてしまった初日。
だから弱弱しい五郎、強すぎる朝比奈という印象になったのだろう。
それが、一ヶ月間、亀治郎は立役ばかりやり、勘太郎も哀れな袖萩という女形を経験することによって、それぞれの体に残っている「荒事因子」「女形因子」が目覚めてきたんじゃないだろうか。

亀の五郎は、まあちっちゃいっちゃちっちゃいんだけど、よろいを操る手さばきなどに、明らかに力強さを増していて、あと、表情の強さが初日とはまったく違っていて。ちゃんと剛勇に見えた。

勘太郎の朝比奈は、あねさんかぶりをしての「悪身」の振りが初日はいかにもとってつけたようだったのに、楽ではきっちり女形の身のこなしになっていて、猿隈との対比でなんともいえぬ滑稽味が出ていた。

本当にそれぞれのうまさと進歩を堪能できて、朝いちから大満足でした。

 

御浜御殿

 

一つ目の演目であんまり満足しすぎて疲れたのでパスしてしまいました。
初日から進歩してよくなってるかも?と思わないでもなかったのだけれど、初日の亀助右衛門に辟易していたので、どうしてもそれに付き合う気力が出なかった。

 

将門

 

うーむ。

若手でもたいして進歩しない人もいた。

七之助の踊りはもぼ100パーセントそうなのだが、出の瞬間が最高で、(きれいだし)動き出すとどんどんがっかり度が大きくなるんだもんなあ。
妖しさ、悲しみ、大きさ、どれも中途半端。がんばってください。
腰高棒立ちはもういい飽きたんだけど相変わらず。
あと、この人はリズム感や運動神経が悪い意味でよすぎるのだろうか。日舞のテンポがなんつーか洋楽リズムを刻んでいるようで、ダンスっぽいのよね。音楽(地方)に乗りすぎているというか。日舞、邦楽のノリと決定的に違っているのが不思議だ。生まれたときからずっと邦楽聴いて育ってるだろうに。

勘太郎光圀はまあ悪くはないけど、滝夜叉に合わせましたって感じかな。今月の勘太郎三役のなかではいちばんつまらない。

 

 

第二部

 

いわゆる「見すぎ」状態(有料で4回+ただで1回計5回)。なのに昼を二回しかみてないせいで、ポスターはもらえなかった(男女蔵の挨拶を聞いてない)。おめちゃんおめちゃん、やりたかったな、ちょっとだけ。

袖萩

 

楽で完成したかな、という感じ。あるいは楽だから思い切ったのか。

女形の発声を初日以降、4度目の観劇までは地声のなかで女声を出そうとして四苦八苦していた感じ。楽は開き直って、というかもう当分女形の声出さなくていいからか、いわゆるカンの声を使ってきた。なのでずいぶん自然に聞こえたのだと思う。カンの声を25日間使うときっとのどが大変なことになるだろうから、これは裏の手で、ずっとは使えないと思うんで、やはり女形をやるにあたって、勘太郎のネックが声であることに変わりはないのだと思う。

袖萩という女そのものの性根はきっちり体に叩き込まれていたようだ。
ひとつひとつの所作が尾羽打ち枯らした盲目女のそれになっていた。ずっと気になっていたおきみを着替えさせるときの後姿、楽に初めて「ずっと女」の後姿だった。初日なんて、後ろ向いたとたんに男のいかり肩になってたもんなあ。

貞任はもう初日から完成形に近かったので申し分なし。

声の問題さえクリアすれば、二役やれる役者としては当代1.2じゃないだろうか。

楽にもう一人感心したのが男女蔵のケンジョウ直方。老けがどうしても無理だと思っていたのだけれど、袖萩を思いながら切腹するシーンの血を吐くようなせりふにはじーんときた。正直男女蔵に泣かされるとは思わなかった。

楽は袖萩でもおきみでも浜夕でもなく、直方に泣かされてしまったのでした。

 

悪太郎

 

これに関しては「袖萩」についてきちゃうんで、5回も見たあたしが馬鹿なんです。

はい、正直飽きました。

3回目くらいが一番楽しかった。

亀治郎の悪乗りも後半にいくにつれてだんだん鼻についてきたし。

 

正直たいした狂言じゃないんで、当分おなかいっぱいです。

亀鶴の端正な踊りが一服の清涼剤だったわ。

 

 

楽のご挨拶はとっても簡単でした。

まずは悪太郎の登場役者のうち三人がご挨拶。

あれ?という感じで(一人足りない)残る一人、男女蔵を待っていると。

男女蔵は太郎冠者の扮装に、直方の白髪の鬘をつけて登場。
時間がなくて今年はたいしたことできなかったのね。

でも工夫はしたかったのね。

 

その後、全員に手招きされて下手からまずは七之助。あとでまたもっと後ろのほうから勘太郎。二人はスーツ姿。

6人並んで(スーツの二人は遠慮深げに)お辞儀して終わり。

例年のように一人ひとりの挨拶とかは一切なし。

なんかいろいろわけありなのかもね(意味深)。

 

とりあえず朝一の踊りがすばらしかった!

こんなに面白いならもう一度見たかった!

と思えるくらいにしておくのが、きっといいんでしょうね。

芝居見物も、ご馳走も腹八分目がいちばんよろしいのです。今月の教訓。
(ほとんどおなかを壊しっぱなしでそれでもご馳走食べていたおばかな今月のあたし)。

 

 

 


ほっかほか

2010-01-24 | spectacles

日本一早い速報ブログですよ、きっと。

と思ったんだけどここを見てるジュリーファンの人に心当たりは二人しかいないのだった。

で、速報ったって、ファンでもない、メモも取ってないあたしのこと。すでに20曲のうち半分以上は忘れてる。

 

覚えてる限りでやった曲。順不同。

胸いっぱいの悲しみ・彼は眠れない・ジンジンバンバン・落ち葉の物語・スマイルフォーミー・あんじょうやりや・あふれる涙・アリフライラィライラ・砂漠のバレリーナ・明日は晴れる・プレジャープレジャー・この空を見てたら・いとしい勇気・ラブ抱きしめたい・ACB・忘却の天才

 

忘却の天才なので忘却の天才で終わりにしましたが、ほかにもなんちゃらの子守唄とか、オープニングの曲とか数曲はあったなあ。忘れたもんはしょうがない。

 

一着目はデニムに上はテニスの王子様のようなチルデン風ジャケット。脱ぐと白地にブルーの手形プリントシャツ。手形はデニムにも散らしてあってこれが一番よかった。
二着目はベルベットっぽいワインカラーと臙脂の間のようなパンツに同系色ゴブラン織りジャケット。これはデブに見えた。中はヘンリーネックシャツ。

三着目はパンツは同じで白いシャツにきんきらきんのスパンコール飾り。この飾りが腹話術人形みたいだった。

 

 

で、書きたかったことはひとつ。

ジュリーファンのみなさんには顰蹙をこめた黙殺を買ったけれど、やっぱりACBで

「おめでとうなんだね、ボクとゆーこ」って歌ってたんじゃないかなあ。あたしの目の前だったから、空耳じゃないと思うんだけど。

去年で結婚20周年だったんだね。そのあとで「長続きするなんて思ってなかった」みたいな詩が続いた気がするし・・・
そうだったらちょっと私物化でいやですけどね。

気分悪いかもしれませんが、再度、再再度ごらんの予定の方、確かめてみてください。まあ初日だけやってみた、だけかもしれないけどね。

 

以上愛情も知識もゼロの速報性のみでのレポでした。(24日21時13分記)

内容の充実を求める方はよそにどうぞ!


これ以上を望んでは罰があたるだろう。でも。

2010-01-22 | kabuki a Tokio

とうとう100日切ってしまいましたね。

春の寿

 

京屋さんのご出演は一日限りの春の夢だったようで。

前半はぼーっと見てました。福ちゃんは梅玉さんとかと組むとおとなしくていいなあ、とか。
後半、女帝が出てきて、ああやっぱり魁春さんか、とがっかりしたようなほっとしたような気分でいたらいきなりクララが、じゃなくて魁春さんが立って前に出てきたのでびっくり。初日近辺は京屋さん用の振り付けで座ったきりだったからね。

でも立った魁春さんの踊りはほとんど見る暇がなく、筋書きと首っぴきで「御曹司を探せ!」(なんせほとんど見たことない御曹司が四人。どれがどれだか当てはめるのが大変)をやってるうちに終わっちゃいました。

高麗蔵さんと松江さんにいたっては一度も確認しなかったんじゃないだろうか。

 

 

車引

 

初見の大感動はちょっと薄れたけれどやはりすばらしかった。

 

大感動が薄れた要因のほとんどは吉右衛門の声。
まあ予想はされたけど、あれだけ脳天突き抜けるような声を二週間以上も出し続けていたらつぶれるよねぇ。さすがに工夫して聞き苦しいところまでは行ってなかったけれど、迫力不足は否めなかった。
もうひとつ、桜丸の芝翫さんが、こちらは慣れてきたのか、前回の初々しいかわいらしさが2割減って感じ。前回の必死で梅王についていく小動物の得体の知れないかわいらしさ、あれは初役ならではのものだったのか。それにしても80過ぎて初々しくなれる役者って仕事はある意味うらやましい。
梅王丸がちょっと弱っちく(十分強いけど)なった分時平の存在感が前より増したような。富十郎、動きさえなければまだまだ迫力あるよね。
で、ある意味一番安定していたのが松王の幸四郎。三兄弟ではぐれてる感じもよくでてたし。

今、筋書きを読んでみたら本文での三つ子の設定って

「生ぬるこい桜丸が顔つき、理屈めいた梅王が人相、みるからどうやら根性が悪そうな松王が面構え」

なんだって!

もうこの三人ぴったりすぎ!決定版というべきではないでしょうか。
いや高麗屋さんも含めて褒めてますって。

 

道成寺

 

車引がよかったものの初見をしのげなかったとすれば、こちらは初日近辺よりさらに深みを増した表現と、媚びない姿勢で慄然とする舞踊世界を見せられた感じだった。

個人的にまだまだ好きになれない僻目根性でいえば「芸術院とかブンカなんとかとか狙い路線に入りました?」と突っ込みたいところだし、実際そうなのかもしれないけれど、媚を抑えて深みを出す、なんて一口にいって、すぐできる役者など世の中にほぼいないだろう。

やはりこの人の資質は計り知れないんだと、好き嫌いは別にして、この人の最上の状況を目撃できる幸福をしばし味わうことにした。

 

けれんは全部なくしちゃっていいんじゃないか。今の状態の勘三郎なら。引き抜きはずるりと蛇体になる部分だけでいいし、鐘入りで終わりにして欲しかったなあやっぱり。

いや押し戻しの團十郎、先日の勧進帳より声が出ていてよかったんだけど。左十次郎の迫力ある鱗四天も見られてうれしかったんだけど。

 

中二つが最高なのは同じ印象だけど、最初に見たときは車引>道成寺だったのが今回は道成寺>車引に変わったかな。

 

 

切られ与三

 

前回何の期待もしないで見て意外とよかったのだけれど、そういうわけで今回はちょっと期待しちゃったらいまいちだった。

まあこんなもんでしょう。

特に前回悪くないと思った源氏店の後半部がだれた。

染五郎のせりふが姿の1/10も魅力がないのと、弥十郎の蝙蝠安に暗さがないのがつまらなくしている要因だと思うのだが、結構難しいよね、あの場をだれずに持たせるのってきっと。

最近特に世話物の福助には(生でみたことないんだけど)歌右衛門を感じさせられる瞬間が増えている。今回も源氏店で黙ってる部分に色濃く感じた。まあ黙ってるといいってのは昔からなんだけどさ。

 

ってことで満足は満足だったんだけど、一度目を超えてないってことと、結局雀右衛門を見られなかったという二点がタイトルにつながるのでごじゃいます。

楽、浅草じゃなくて歌舞伎座見たくなってきた・・・


ここはどこ?

2010-01-22 | passe-temps divers
ほら、フランス大使館。




執務室もこんなにおしゃれでかわいく変身。



これ、マジ欲しいんですが。



治外法権だからこそ(違う)の偽札製造室


トイレもこんな素敵な落ち着かなさに


ハンガー跡は日常なのか作品なのか不明


消火栓は一行加えれば作品に(読めますか?)


作品的には自然を使ったものが気に入った。たとえばこれとか


いちばんのお気に入りはこれかな。色っぽい。



股の間からマリオ



1月31日までやってます。なんと無料。太っ腹だね。
触ったり写真撮ったり自由なのもさすが。

いのちあらばまた他日!

2010-01-21 | spectacles

いただいた招待券だったのでなんの前知識もなかったんだけど、花組芝居の人がけっこう出ていたらしい。

何よりびっくりしたのが小屋の小ささ。正直学生時代にあてくしが主演女優を務めたときの○○ホールのほうがよほどでかかった。
あとで調べたら70人収容って・・・教室でやってるようなもんだったね。

それだけ濃密な空間で濃密な劇世界だったかといえば・・・確かに役者の汗やつばは飛んできたけれど、伝わるものはそれほどなかったような。

個人的にブンガク少女の常として、ダザイは読みふけったほうなので余計思いいれがあるのかもしれないが、何しろ主役のダザイ像がはっきりしないのがいらついた。

おちょくってるのか、批判してるのか、あるいは共感しろといっているのか。

ダザイオサムとツシマシュウジをせっかく二人の役者に割っているのだから、そこらへんもう少し突っ込めたんじゃなかろうか。

女優のうちの一人の無理な発声やすべりぎみのギャグも気になった。

気に入ったのはついたて三つを使ったシンプル極まりない場面転換。狭い空間を有効に使っていたと思う。

 

しかし、あたしが招待券もらったくらいだから、60人の観客の何割が入場料払ってるのかなあ、しかも払ったとしても2000円台だったしなあ。

こら、売れない役者はバイト漬けってのも無理がないわ、って汗まみれで「表現行為」にいそしんでいる役者さんを妙に冷静にながめてしまった下北沢の夜でありました。


敷妙を思う

2010-01-20 | kabuki a Tokio

二部だけはすでに4回も見ているので(感想はあげてないけど、14日にもこっそりただでもぐりこんでいたのです)、ストーリーを追うというよりはポイントポイントを見て、あとは妄想やら昼寝やら。

 

袖萩

 

こちらはさすがに昼寝はしない。一度勘太郎を見ながらうつらうつらしてみたいものだが、残念ながら一度もできたためしがない。愛ってやつはやっかいだ。

袖萩も貞任も手に入った芝居。間の桂中納言(もちろん偽なんだが)がもう少しメリハリ利いてもいいかな。特に花道で中納言から貞任に変わる部分はいいんだけど、またしれっと中納言に戻る部分はもっと強調してもいいのでは。

あと、袖萩の出、完全に目が見えない状態でやってるらしい。14日に見たとき、おきみちゃんの先導がいまいちだったのか、門を超えて向こうまでいっちゃっておきみちゃんに引き戻されてた。三味線もまったく見えない状態で弾いてるんなら、あの程度でも見事!というべきなのか。

ほかの役者については、印象変わらないなあ。男女蔵はよくやってるけど、風格が足りないし、歌女乃丞はとにかく顔が怖い。愛之助は勇壮さが足りない。七之助は風格がない。愛之助が義家で、亀鶴が宗任だったらかなりよくなったと思うが、やはり兄座頭だと弟出したいのかなあ。弟袖萩だったら巧拙関係なく、兄より泣けたかも、なんて兄ファンなのに思ってしまういけないlavieなのでした。外見と声は大切。

次回は二役を分けるパターンも見てみたいっす。

 

で、タイトルの敷妙さんですが、義家の奥さん。で袖萩の妹。重要な役なのに一切出てこない。省略されているのではなくて、原本にも出てこないらしい。
今回の観劇では、暇だったせいかなぜか敷妙の顔が七之助になって、直方の切腹のときや、袖萩祭文のなかでちらついてならなかった。
義家の妻として、直方の娘として、そして袖萩の妹(貞任の義理の妹)として、もう一人のヒロイン、敷妙はそのときどういう気持ちですごしていたのだろうか。
その後も義家に滅ぼされた安部一族のことをどう思って眺めていたのだろうか。

あたしがクドカンや渡辺えりだったらここらへんに目をつけて敷妙主人公の裏袖萩とか書いちゃうけどなあ。(あえて野田秀樹とは言わないのがあたしの謙虚なところだ。ってちっとも謙虚じゃないか)。

 

何度も何度も同じ芝居を見るといろいろ空想できてやっぱり楽しいなあ。
懲りずにもう一度見るけど、今度はラストだからきっちり空想せずに舞台の上を楽しむぞ。

 

悪太郎

 

前回実に達者な亀治郎を堪能したのだが、14日といい19日といい、なれすぎたのかちょっとぐだぐだ、つか例によってやりすぎ亀ちゃんになってきて。
いわゆる「見てみて、うまいでしょ」状態。それに「客席アピール太郎」状態。
ああちょっと前までの勘三郎だなあ、なんて思っちゃいました。
適度に乗りつつ、適度に抑えつつ、いい感じで相手したのが亀鶴。この二人はなかなか相性のいいコンビかと。亀鶴は踊りもどんどんよくなってきてる。

大名と太郎冠者のコーナーは。

 

悪いですが、14日から、お昼寝タイムとさせていただいております。
ので感想もなし。

 

さて、あとは楽日だけだ。一部は初日以来なので、かなり変わってるだろうな。楽しみ。


本気と書いてマジと読む

2010-01-19 | kabuki a Tokio

夜の部の身体が震えるほどの感動はなかったものの、幹部役者全員本気と書いてマジと読む全力投球状態で心地よい観劇でした。歌舞伎チャンネルの収録が入っていたので中だるみもなくて運がよかったのかも。

 

 

娘七種

 

おめでた曽我もののなかでもいちばんなんちゃって度が強い(lavie調べ)舞踊なので、気楽に、気楽に。福助静御前きれい。橋之助五郎かっこいい。染五郎十郎優しそう。別に見なくてもいいけど見たら見たで幸せ気分になれる、ある意味舞踊の王道、ひとつめ狂言の王道。

 

石切梶原

 

本気と書いてマジになってる幸四郎がなかなかいい。
幸四郎の時代物は、例のもごもご口調と、時代ぶりすぎる大げささが好きじゃないんだけど、どちらも今回はあまり気にならなかった。
歌昇の俣野が絶品。この人の赤面は急速冷凍保存して次代に残したいほど素敵だわ。
ほか、おおむね役者は好演だったのだけれど、個人的にこの芝居自体があまり好きではないのだ。自分の理解力が足りないだけなのかもしれないが、いくら源氏びいきだからって、平家に属しておきながら源氏のために味方の武士をだまして名刀をわが手に入れるって、ろくなもんじゃねーと思ってしまう。

まあ今回の芝居、そのろくなもんじゃねーっぷりが高麗屋の風貌にマッチしていたのでますますよかったともいえるのですが。

あと、変な大向こう多すぎ。お決まりの「役者も役者!」は間がとれてないど素人のおばさんがかけやがるし、幕切れにこれはプロと思われる大向こうから役者なんちゃら!とまたしてもへんな大向こう。知人に確認すると「役者千両!」と言っていたそうですが、「役者年表!」とか「役者ですよ!」とか聞こえてしまった。なんじゃそら、と脳内混乱、芝居の後味消し飛んだよ。

 

勧進帳

 

現歌舞伎座最後の勧進帳は成田屋。

個人的に團十郎の弁慶に名調子はまったく期待していないのだが、そんなことより気になったのは全体として元気というか覇気というかエネルギーというかオーラというか、が感じられなかったこと。かなり疲れているのだろうか。
声に張りがなく、足元が怪しい瞬間も何回か。
成田屋弁慶のいちばんの魅力であるおおらかさ、暖かさがちょっと感じられなかったのはさびしい限り。

ただ、その弱弱しさはかなさが後半思わぬ味となって、後述する義経の存在とあいまって、弁慶の必死さ、ぎりぎりの危うさを際立たせ、実に成田屋の弁慶では初めて「判官おんてを・・・」でむせび泣いてしまったのだよ。役者って絶好調ばかりが(結果的に)いい芝居とは限らないのかね。深いなあ。

義経を絶賛する前に富樫。実は富樫梅玉、義経勘三郎と聞いたとき、逆じゃねーの?とぶーたれていた。勧進帳の義経は1に芝翫、2に梅玉と決め付けていたし、梅玉の富樫はどうにも冷たくてお役所仕事をしている中堅管理職(まあ当時の富樫はまさにそうなんだが)にしか見えないんだもん。腕カバーして、指をなめなめ「決済」のはんこ捺して、めんどくさそうにあくびしてそう。

…と思ってたんだけど、昨日の富樫は本気と書いてマジと読む。うん。やる気出してたね。どこがどうっていうわけでもないんだけど、特に後半、酒盛りの時の弁慶を見つめる目や、幕切れで花道の弁慶を送る目に、自ら死まで覚悟して義経一行を見逃す決意みたいなものが伺えた。富樫、梅玉としては最高によかったです。

で、本日のMVPは文句なく勘三郎の義経。先ほど書いた1に芝翫2に梅玉の先入観を覆す、実にもうなんともいい義経でした。本気と書いてマジだった。しつこいですね。
最近の勘三郎の芝居によく感じることなんだけど、勘三郎の芝居を見せつけるのではなくて、ふんわり、ごく自然にその役になりきっちゃってる

ああ、いい義経だなあ。。。と思ってふと見ると勘三郎だった、って感じ。
ただ座っているたたずまいが悲劇の御曹司。運命に翻弄され、兄に疎まれ流浪の身になった憂いが全身に漂っている。行儀の悪さが一ミリもない。そういう点では義父の芝翫義経より上かもしれないとすら思った。
いい意味でも悪い意味でも俺を見て見て!の下品さが身上だと思っていたこの人のどこからこの上品さが出てくるんだろう。身体の中から引っ張り出してきたんだろうね。
この人は最近どうなっちゃったんだろう。正直ここ数ヶ月の勘三郎は神がかっているとすら思う。おそらく役者としての最高点を今極めている(逆に言えばこれから下る?)んだと思うが、一人の名優の最高点に立ち会えた喜びを素直にかみ締めつつ、最高点が長続きすることを願わずにはいられない。

ただ、個人的には勘三郎を好きな自分がいまだに嫌い、というか慣れないのも事実。はははは

四天王・従卒は地味といえば地味だがそつなく仕事をこなすメンバーで、かえって三人を際立たせる効果があった。四天王にイケメン御曹司とかいるとついついそっちばかり見ちゃったりするもんね
太刀持ちが梅丸でなかったのが意外。なぜ?
ごひいき玉太郎、姿勢悪いよ、かわいいけど。ここは背筋の伸びた梅丸で見たかった。玉ちゃんごめん。

團十郎の体調が気にかかりつつも、その不調ぶりが逆に舞台効果となって堪能できた勧進帳でした。

 

松浦の太鼓

 

播磨屋、うまいなあ。本気と書いてマジになってる。はい、しつこくてすみません。もうこれで終わりです。

ただ、うますぎて、ちょっといやみというか、わざとらしかった。この芝居もあまり好きじゃない要因になってるんだけど、松浦の殿様って、要するにあほでしょ。
風流とか風雅を好むのはかまわないが家来や他人にまで押し付けて、上機嫌になったり不機嫌になったり。ただのわがままというには度がすぎて、やはりKYのあほとしか見えない。
反体制派(なのか?)lavie的には権力の不条理!なんて怒りもこみ上げてきたりして。おぬいちゃん怒れ、怒れ!

で、そういうあほなわがままぶりが吉右衛門には似合わない。なにか裏できちんとしたことを考えていそうな期待をしちゃんだよね。でも結果ただのあほなんだけどさ。

これはlavieが見た中では勘三郎とか仁左衛門がちゃんとあほに見えて(ほめてる)よかった。
とにかく「播磨屋うまいなあ」と冒頭で書いたとおり、それ以上でもそれ以下でもない。「播磨屋の芸」を堪能するにはいいけれど、逆に言えばあくまであほ殿を上手に演じている播磨屋であって、決して松浦のあほ殿には見えないんだよね。

脇ですばらしかったのが其角の歌六。殿様にこういうのが本当の粋人なんだよ、と説教したくなる、変幻自在ののらりくらりとした会話。其角ってすげー頭のいい人だったんだなあと初めて納得した。実は弥十郎がやったときは逆に空気の読めないおっさんだなあと思ってたんだけど
おぬいは芝雀。悪くないけど何かが違う感じ。台詞回しが大仰すぎるのか?
大高源吾は梅玉。この役は正直もう少し若々しさと雄雄しさがほしかったような気もするけれど。橋之助あたりにやらせてもよかったんじゃ。と思ってちらしを見直したら橋之助は朝イチの15分の踊りだけなんだね、今月出番。なんだかもったいないなあ。父桜丸のアンダースタディなのかもしれないが。

 

アンダースタディといえば、この日、夜の部いちばんの踊りに雀右衛門丈ご出演だったとか。

実は前々日からかぜを引いていて、そうでなければ踊りと車引きを幕見しようと思っていたのだった。ちちちちっくしょう。雀右衛門さんに会い損ねた。
あまりお元気とはいえない状況だったらしく、当方が再び夜の部を見るまでご登場くださるかどうか、不安である。

 

 


BAD WORSE WORST WORSTEST(失笑) 

2010-01-15 | kabuki a Tokio

ときどき、聞かれます。

「なんで海老蔵の舞台見に行くの?どうせ文句たらたらいうってわかってるのに」

だよねぇ。

「本当は好きなんじゃないの?」

なんて聞かれたことすら。

さすがにそれはないけれど、たぶん歌舞伎好きとしては成田屋の御曹司がいつまでもアレじゃ困るよって気持ちはあると思う。顔も声も、好き嫌いを超えていいものを持っている役者だから、いつか突然大化けしてくれるんじゃないかという期待もある。いや、あった、というべきか。

 

まずは順番に感想を。

 

対面

 

様式美と役者の華を楽しむだけの舞台なのに。

とにかく、舞台に満ち満ちていてほしい正月気分、めでたい感じが皆無なのが致命的。
個人的に段治郎がいないとはいえ、肩入れしたい、おもだかチーム主体の舞台なんだけど、これはいただけなかった。
笑三郎の大磯の虎は行儀がよくておとなしいだけ。春猿の化粧坂少将に至っては終始退屈そうにしか見えない。猿弥の小林朝比奈もひととおり。
後列並びでいちばん目立っていたのが成田屋弟子の新十郎というのも、おもだか贔屓にとってはこんちくしょう、である。

なんでああ、海老蔵公演になると借りてきた猫状態になっちまうのかね。

で、主役は海老蔵、ではなくて獅童の五郎。対するに十郎は笑也。笑也は彼なりによくやっていたと思う。十郎のやわらかさはなかったけれど、さすがに女形だけあって、優雅さはあったし。彼の白塗りは嫌いじゃない。
問題は獅童。なんじゃありゃ。

所作がことごとく現代劇。荒事の張る発声はことごとく怒鳴り声。
荒事は稚気で、っていうのを荒事は幼稚に、と誤解してないか?
妙にクレヨンしんちゃんしてる部分も多々。
荒事の稚気とはなにか。今月歌舞伎座車引の吉右衛門梅王丸を見て少しは勉強してもらいたい。

lavie的に最大級の罵声を浴びせたくなった。

つまり

「海老蔵より下手」!」

海老蔵=WORSTという基準があるわけで(あるんです!)WORST以下ってことですね。WORSTESTの称号を贈ってしまおう。

 

こんななかけなげに座頭を努めていた右近。お供の猿三郎・弘太郎を含めて三人のみががんばっていたかな。

右近に祐経の大きさが出せるとは実に意外だった。終始落ち着いていて、五郎十郎がアレだったせいか、本当に堂々と、父性さえ感じさせるいい祐経だった。

だけど周りがあの雰囲気じゃなあ。気の毒。

 

 

黒塚

 

ずーーーーっと前に猿之助で見たことがあって。

そのときの印象。

「ススキの原っぱをばあさんがうろうろしてるだけの退屈な芝居」

 

そのときのあたしに教えてあげたい。

 

「もう少し注意深く見てごらんよ。すげー面白いから!」

 

たしかにススキ原をうろうろしてる舞踊なんだけれど、右近の熱演もあって、そこに鬼女になってしまった女の悲しみや、絶望、ひょっとして救われるのではないかと思う希望の光、など本当に女の心持が切々と描かれていて。

あのうろうろが本当に面白かった。三階からオペラグラスでずっと目で追ってしまった。うろうろだけでも一階かぶりつきで肉眼で見たかった・・・

冷静に判断してあの部分の心理表現が、右近よりはおそらく猿之助のほうが優れていたのであろうから、初心者時代のあたしはすっごく面白いものを見逃していたことになるぞ。痛恨。

しかし、普通なら印象に残るはずのひとつ家の場面や後ジテの派手な立ち回りなど忘れていて「原っぱでうろうろ」だけ覚えていた自分も変わり者というか、ある意味見所あるぞ、とも思ったり。はい、自分で自分をほめたいタイプです。

後ジテはもうすごい。たぶんここは猿之助よりすごかったんじゃなかろうか。何せきっちり所作ができている上に若くて身体能力があるので、ジャンプも回転も半端じゃない。スピード感もあって。

鬼になってしまった女の悲しみが後シテから感じられなかったのが唯一の欠点だけど、あれだけ隈取して、女の悲しみを顔の表情以外で出せって、40そこそこの役者には無理な注文だろうし。

今の市川右近としては最高の水準、つまり今見られる黒塚としては最高のものを見せてもらったと思います。

おもだかの家の芸らしいけれど勘三郎とかでも見てみたいと思った。

ここでは猿弥も大活躍。滑稽味大爆発でしかも踊りも見せてくれた。
門之助が持ち味爆発の高僧役。お供の猿三郎弘太郎(前幕に引き続きコンビだ!)もよかった。

もうひとつ、特筆すべきなのが囃子。

特に三味線は最近の歌舞伎囃子のなかではぬきんでた技量だったような。筋書きを買っていないのでどなたの演奏かわからないのだが、三味線と長唄に、ここまで感動したのも久しぶり。小鼓に傳左衛門がいたりして、囃子からも猿翁十種復活に力が入っているのがよくわかる舞台だった。

 

安い三階席だったので、まあこの一幕に満足しただけでもよしとすべきなのだろうけれど。

 

 

鏡獅子

 

 

WORSTEST(ないから)よりもっとBADがあるとは人生ってわからないものですね。
MOST WORSTってか。(ないってば)

 

さっきの「海老蔵より下手」の最大級の罵倒をご本家の海老蔵にもいわなくちゃ。まさに海老蔵より下手な海老蔵、でした。

どうしてこいつは見るたびにだめになるんだよおおおおおおおお。

 

局に引っ張り出される弥生を見た瞬間

だめだこりゃ

と思いました。

 

めちゃめちゃ大また、体は棒立ち。
華奢になったから背を盗む必要ないとでも思ってるのか。
どう見ても両側のつぼね(歌江右之助)を蹴散らしそうな勇ましさ。

踊り始めてもその印象は変わらず、どころか悪化。

弥生の踊りのキモは二枚扇をいかに落とさずに操るか、とでも思ってるんでしょうかね、この人は。
歌舞伎見始めて一年程度の素人ならともかく、まさか、と思いますが。腰のばねを十分に使って(失笑)曲芸のような扇使い。なんだか全体に水芸でもやりそうな雰囲気でした。

とにかく、足の運びが雑というか、浮いてるというか。重心が上下にゆれまくりというか。まさか仁木の引っ込みを弥生でお稽古してます?(もちろんすげー皮肉です。今月仁木は宙乗りで引っ込むんだよね?)

手先は大雑把、袱紗の扱いは乱暴。もう目を覆いたくなる惨状です。

獅子頭を持ってからはもう見るのをやめました。獅子頭をならす派手な音でだいたい所作は想像できましたから。

 

引っ込んでほっとしたところで胡蝶は子役ちゃん二人。ほっそり系とぽっちゃり系。ぽっちゃり系は男の子?
ふたりとも御曹司系よりはきっちり踊れていて、まあなんつか、ここで気を静めるしかないって感じ。

 

後ジテはさすがにダイナミックで前ジテほどいらつくことはなかったですけど。

 

毛振りの回数が多いほうがいい、という変な概念を客に(役者にも?)植えつけちゃったのは中村屋だよねぇ。三人連獅子で100回振るなんてのを当たり前にしちゃったからなあ・・・

ここでも海老蔵くんは勘違いしてる。中村屋親子(少なくとも2人/3人)は、100回振ってもきっちり重心が安定していて最後まできれいに振れているんだよ。だからこそ100回の価値があるわけで。

 

海老蔵、ちゃんと振れていたのは最初の20回くらい。後半半分以上は体が斜めになって足はずれまくり、もう上半身の力で振り回してるのが見え見えな見苦しい振り方で。

あんな形で60回(くらいだった?)やるなら、きっちり30回のほうがどれだけ潔いか。

 

まあどんなんでも回数多いのを喜ぶ客が多いからなあ。

勘三郎、あんたっていろいろ罪な役者だよ。

 

ってことで、結論としては

海老蔵くんも「家の芸」を大切にしたいなら、「やらない勇気」を持ってほしい、と心から思いました。

やればやるほど「家の芸」を侮辱してることになると思うよ。

どうしてもやりたいなら後ジテだけの特別ヴァージョンで頼みます。

あんた、永久に女形の舞踊は無理だよ。きっと。

 


普通に良い映画を観る喜び

2010-01-13 | cinema

久々に、実に久々にいい映画を観ました。

 

予告編を見た限り、ちょっと心配だったのがフランス映画にありがちなエキセントリックな女の争い映画なんじゃ?ということだったんだけど。

ぜんぜんそんなことなくて、穏やかな日本人のあたしが見ても納得できる、一人の女の、人生を取り戻していく過程を淡々と描いたいやみのない内容でした。

15年間も投獄されるにいたった殺人の動機や15年の刑になってしまったことへの現実感のなさとか、周囲の空気がちょっとやさしすぎとか、つじつまの合わない部分もあったりはするんだけど、何よりも女主人公を演じたクリスティン・S・トーマスと妹のエルザ・ジルベルスタイン(見たことあると思ってたら『ミナ』に出てたのね)が二人ともいい。
そう。人生を取り戻したのは刑務所から出てきた姉だけではなく、子供を生む覚悟ができなくて養子をとったりしていた妹のほうも、だったのよね。

ところで姉の恋人として登場するミシェルおじさんが好みだ。いや、はげつるびんの外見ではなく、インテリだけどお茶目で、やさしいけと皮肉で時々孤独な影を漂わせてるあたり。実にフランスっぽくて、しかも日本のおじさんにもいそうなタイプで。

ラストのバルバラの歌唱も胸を打ちます。邦画のいかにもタイアップ!みたいな変な主題歌じゃなくてこういう内容にあった歌ならラストの歌ってのも悪くないんだよね。

大傑作!とか大作!ではなくて普通にしみじみ感動したいときにはお勧めです。

そうそう、宣材としていちばん多く使われている上の写真、なんでこんなしわくちゃなんだろう。予算がないから一枚のポスターを使いまわしてるの?んなわけないよな、なんか意味あるんだろうな、と思ってたら、映画を見たらなぞが解けました。うむ。凝ってるっちゃ凝ってるが、あたしみたいに使いまわし?と思っちゃう人もいるんじゃないだろうか。いないか。


緊張が解けて

2010-01-12 | kabuki a Tokio

二部、初日を見た限りではいまいちで、袖萩見たさに四回もチケット取っているのにどうしよう?恒例パス大会かしら?と思っていましたが、袖萩も悪太郎も二回目のほうがずっとよかった。パスしないですむかも。

袖萩

 

勘太郎の声はいまいちなんだけど、こちらが慣れたのか、最初から覚悟してたせいか、むしろパパの花子の声を聞いたせいか、「パパよりましじゃん」と思ってしまいました。なんという比較対照!

たぶんパパの若いころはもっとまともな声だったと思うので、これから兼ねる役者を目指すなら、のどだけはもっと大切にしていただきたい。うわさによれば相変わらずヘビースモーカーらしいので、謹んでほしいなあ。

二役ではあるが声は三色使い分けなければならないので、(袖萩・桂中納言・貞任)これはまことに大変な役ですなあ。
つくづく思ったのはどんどん「立役」しかも「大立役」の役者になりつつあるのかなあということ。後半の貞任はもうまことにすんばらしいとしかいいようがない迫力。
播磨屋さんに習った(よかったね!)らしいけれど、あの大きさはたぶん父親に教わったのでは出せなかったのでは、と思ってしまう。
今後名前をついで行くんなら兼ねる役者を目指すんだろうけれど、今ののどや体つきを見ていると無理くり兼ねる役者を目指さないで大立役を目指したほうがいいのかもなあ・・・なんてカンタの女形大好き!なあたしすら思ってしまった。

いや、やっぱりカンタの花子と弁天とお光とそしてお岩は見たいなあ・・・

 

すんません、今回カンタについてのみの感想でおしまいです。芝居全体については次回。

 

悪太郎

 

これも初日よりずっとよかった。

とくに亀治郎がすばらしかった。

初日は硬かったもんなあ。亀治郎ほどの人ですら緊張するのかな。

踊りの線のやわらかさ、自由自在な動き、これはもう正直若手どうこうではなくて勘三郎と並んで2トップといってもいいような気がする。この二人、あたしの中では勘三郎の長男wより似てるんだよね。

なんつーか踊りの質、見せ方、そして芸そのものへの姿勢に類似点が感じられる。

すっげーうまいんだけど、どっか苦笑いを交えて遠巻きにしてしまうタイプ。

というわけで、苦笑いを含みつつ、うまいなあと舌を巻かせていただきました。

 

この芝居も亀治郎の感想のみにて。

 

あ、一言だけ。

大名と太郎冠者、なんとかしろ!w


荒唐無稽のあり方について考えた

2010-01-08 | cinema

昨年は映画のベストを決められるほど本数を見ておらず、質もまた、ベストを選んだとしても入れようと思うレベルの作品はひとつだけ(『そして私たちは愛に帰る』)という運だかチョイスだかの悪さだったし。

今年はもう少し映画もみたいなあと思っています。

といいながら映画に関してはどケチかつ反ハリウッドなので、安いときにハリウッド以外、となるとなかなか見る機会が増えないのも事実。

 

今年もお世話になるでしょうご近所映画館二本立てレディスデイ800円。

 

BALLAD名もなき恋のうた

 

二本立ての最初に見たこれが、正確に今年の初映画。

 

サイサキ悪いっす・・・

漫画(クレヨンしんちゃん!)原作のタイムスリップものということでどうしてもJINと比べてしまうわけなんだけれど、我が家のアナログ低画質テレビで見たJINのほうがずっと、人手も予算も潤沢であろう劇場映画のこれより上質なのはなぜなんだろう。

VFXが高度であればあるほど、役者と脚本のうすっぺらさが露骨にでてしまうという皮肉な結果。

荒唐無稽な設定が悪いといってるのではない。少なくとも映画を見てる間はその設定を楽しめるようなテンポ・芝居・状況の説得力がほしいのだ。
映画館を出てから、あれ?すっかりだまされたなあ、でも楽しかったなあ、という「心地よい悔しさ」こそがこういう荒唐無稽映画の醍醐味だと思うんだが、この映画に関してはとにかく無理な設定とへたくそな芝居にいらいらさせられ通しだった。

一番腹が立ったのが似非人道主義。現代の小学生が戦で大将の首を取ることの是非がわからないのはともかく、その小学生に説得されて大将の命を助けてしまうアマアマなクサナギ侍。よかったよかったと肩叩き合う戦国武将たち・・・。

何が何でも人殺しはよくない!という似非人道主義こそ、かえって人命を軽視してることにつながってるんじゃないの?

唯一の楽しみはJINこと大沢たかおを見ることだったんだけど、これまた性格設定がめちゃくちゃで。こんな糞作品できっちり芝居をしてる大沢が気の毒だった。
ほかに気の毒ながらいい仕事をしていたのは姫(ガッキー)の侍女で香川京子、父親で中村敦夫など。

どんな糞作品でも作ってる人、出てる人は一応一生懸命なんだろうなあ。でも出来があれじゃいくら一生懸命作ってもいいわけにはならないわ。

 

 

二十世紀少年・最終章

 

むしろBALLADが見たくて出かけた二本立てだけれど、映画としてはこちらのほうがだいぶマシだった。

とりあえず荒唐無稽を、怒りではなく楽しんで見られたからね。
役者や脚本がしっかりしていることもあったけれど、とにかく、変な説教くささがあまり感じられず、徹底して娯楽作品として作られているところに制作側のポリシーが感じられた。

荒唐無稽な映画は、荒唐無稽であることに製作者が照れや疑問を持った瞬間に露骨に恥ずかしくなっちゃうからね。この作品、とりあえず製作者自身が楽しんでる監事は伝わってきた。

ただ、ラストに大きな不満が。

トモダチの正体については、予想していたとおり+αだったのだが、正体が明らかになってからの後日談が長すぎ、というか蛇足。
トモダチの最後が映画の最後でも十分後日談のエピソードは想像の範囲内だと思うんだけど、あそこまで丁寧に説明しないと昨今の観客は理解しないのだろうか。

なんでも親切に説明、なんでも親切にVFXで作られて、リアルに見せてくれる。そんな楽チンなものをわざわざ1500円かけてみる人はよほどの金持ちか暇人だろう。

今回の二本はともにテレビキー局が制作にかかわっている。もともとDVDやオンエア広告料を狙って制作したとしか思えない。この不自然なまでの親切さは茶の間で「ながら」見る客用にはいいのかもしれないが、金を払って集中してみるべき映画ではなかった。

二本のうちではまあ楽しめた二十世紀少年ですらそうだったのだからBALLADについては推して知るべし。

 

ああ、今年も映画運、悪いのかなあ。


音羽屋に聞け!

2010-01-06 | kabuki a Tokio

去年はお休みだった、菊五郎さん主催の新年会(違う)に参加してきました。

例年、↑とでも思わないと腹が立つほどグダグダ芝居が多いのだけれど、今年のは意外なほど芝居として成立していて、普通に楽しかった。もちろん恒例菊五郎社長のショータイムもあったけどね。

芝居についてはどうこう論じるようなものじゃないので、気になった役者さんについて一言ずつ。

菊五郎はいいなあやっぱり。何をやっても色気があっていやみがないのがいい。後半法界坊っぽいシーンを見ながら、この人の法界坊もちょっと見てみたいと思った。ってやったことある?

時蔵、老け役はかわいそうだと思ったけれど、意外なほどよかった。何より本人が楽しんでやっているのが伝わった。ただ、数年前ならこの役を田之助がやったんだろうな、と思うとちょっとさびしい感じも否めなかった。田之助はせりふも動きも最小限の役しかもう無理なのかな。

今回一番よかったのが松緑。特に前半終わりの春永の引っ込みは切れといい勢いといい、かっこいい!と声かけたくなった。勧進帳とか暫は某おうちの馬鹿ぼっちゃんよりずっといいと思うけど、いつ見られるんだろう。特に暫。

菊之助は今回女形なしで見所ないなあと思っていたら最後にいきなり裸武者の大サービス。大サービスのはずなんだけど、それほど感動しないのである。裸なら海老蔵の裸のほうが見たい!とあたしですら思ってしまうのはなぜなんだろう。

菊五郎劇団の若女形としてすっかり定着した梅枝、代わりに立役が多くなってきた松也。このカップルは安心してみていられる。萬太郎はこのところ見るたびに上達してきて、頼もしい限り。右近も声が安定してきて本来の実力に戻りつつある。男寅は・・・大きくなったなあ。寅年だし、がんばろう!

橘屋三兄弟とその子供たちは相変わらず地味な扱いだなあ・・・

あとはもう劇団ならではの芸達者。団蔵、亀蔵、橘太郎、菊十郎、菊市郎、菊史郎、徳松・・・あたりまでは見分けがつくけれど見分けのつかない人々まで、慣れ親しんだ息の合いっぷりで楽しめた。

菊十郎さんがもろにプロンプに向かって「え?何?」と聞き返しちゃっても腹が立たないのはこれがやはり劇団新年会だからだろうか?

タイトルはエグザイルのパロディより,北千住観音再びより笑えた、前半飛び出した突然のおやぢギャグから。

「遠からんものはオトワヤに聞け!」

不意を衝かれて爆笑。芝居途中だったので堪えるのが苦しくて、死ぬかと思った。

 

そういえば地下鉄の中吊りでしか見なかった、サブタイトル?『黄金の鯱を盗んだ男』を見て『太陽を盗んだ男』を思い出したのってあたしだけ?
菊五郎さん、絶対ジュリーを意識してる!と思ったのもあたしだけ?

 

だろうなあ