laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

まとめて面倒見よう!

2016-08-30 | kabukiza

個別に立てたり、項目すら立てなかったりで計数回は見た八月納涼歌舞伎。それぞれの感想は初回とそこまで変わっていないので、この項目でまとめて感想書くことにしました。はい、手抜き&すでに忘却の彼方ゆえ。

まとめちゃったのでいくら忘却とはいえかなり長くなりました。長文ご容赦。(楽日の翌々日、30日記)

 

一部

(粋じゃない、なんて粋じゃないね)

一部自体、一回しか取ってなくて、山姥はパスでした。11時開演はブラジル時間で過ごしているときにはきつい。

権左と助十

どうしてもこの演目だと劇団のもの、特に菊五郎三津五郎と比べてしまうのはしょうがないよね。
巧い下手ではなくて、こういうザ・世話物ができる役者が少なくなったなあ、と。これからどうやって江戸の粋・風情を体現できる役者を育てるのだろうか。
少なくとも今回の染五郎獅童のは、私が思う世話物とはまったくの別物だったな。

つまらないわけではなく、それぞれに芸達者なので、芝居としては成立してるんだけど、それは、単なるお江戸風コメディーなんだよね。

それは壱太郎についても同じことで、江戸の中に混じった上方ものというにおいがまったくしない。器用に上方訛りは操っているけれど、これまた「上方風役者」としかいえなくて。江戸前が絶滅危惧種だとすれば、上方はもはや絶滅しちゃってるんじゃ?と。(藤十郎さん竹三郎さん生きてるけどもう往年の芸は無理だからなあ)。 

いちばん感心したのは勘太郎の亀蔵。劇団でたいていこの役をやってるのは團蔵なのだが、比較すると、亀蔵のほうが屈折していて、寂しがり屋風。ただの悪者ではなく、酒もって来たとき、実は本当に仲直りしたかったのじゃ?と思わせる雰囲気を持っていて。なんだか権左と助十のほうが相手を「村八分」にする嫌みなやつに見えてしまったり。

これが、染五郎と獅童がザ・江戸前になりきってないせいのような気もします。

具体的にどこがどうと指摘もできずに江戸前じゃねぇ、ってぐだぐだいうのは、それこそタイトル通り、粋じゃないのでこの辺で。

 

二部

せいせいするほど、すっからかん)

外題忘れた、東海道弥次喜多ドタバタ

…これはひどい。
何がひどいって、タイトル通り、すっからかん。

くだらないお笑いものが悪いというわけではない。納涼だし、腹抱えて笑ってああ楽しかったという出し物があってももちろんいいと思う。

思うけれど・・・

とにかく、せっかく染五郎猿之助という若手芸達者が四つに組んでるのに、何一つ新しさも、冒険もないんだもの。
土台は定番東海道膝栗毛。ユーモア芝居は完全にドリフの逆輸入。楽屋落ちはそれぞれの身内話と、ワンピースや獅子王の当て込かみ。
そこに派手な映像と、舞台転換と、本水と、ちりばめて、最後に宙乗りつけて、ちょちょいのちょい、金だけかかるけど頭は使ってない。
「八月の客」なんざこれで大喜びだろ、というのが透けて見えちゃって・・・ああばからしい。
物語としてすら、途中まで狂言回しで大活躍していた弘太郎の読売が消滅いてそれっきり(アマテラス特急に振り切られたということなんだろうがw)とかあまりにいい加減な仕上がりで。 

実際、大喜びの客がそこそこいるのもそら恐ろしい。日本人の民度・・・みたいな大上段の話までちらっと頭をかすめてしまった。
これからの大歌舞伎をしょってたっていくだろう若手がこんな手抜き芝居をやってていいのだろうか。
唯一救いというか希望だったのが金太郎團子コンビ。次次代を担う二人が、けなげな道中姿を見せてさわやかだった。 

個人的には最後まで大好きにはなれなかった勘三郎だけど、それこそくだらない芝居もいろいろやってたけれど、これに比べたら常に「勝負!」してたよなあ、と改めて 大きな存在だったと確認してしまう結果になりました。

 

紅かん

 

弥次喜多が納涼の新勢力?中心の座組なのに対して、こちらは勘三郎の手下たちwを中心にした舞踊。
典型的な江戸風俗舞踊なのだけれど・・・ここでもまた、江戸前を表現できる踊り手不足を痛感。
いちばんましな勘九郎の朝顔売りですら、どうも粋が、ではなくて活きがない。彌十郎が江戸前とはほど遠い客だから、というわけではなくて、やはり、勘九郎自身の疲れあるいは気力不足からかなあ。特に初日は生彩を欠いていた。楽はこれで終わり!という気分からか、朝顔売りの楽しさが伝わってきたのでちょっとほっとした。
長い長い仕抜きの橋之助による踊り。歌舞伎の演目のもじりなども入って、十分楽しい場面であるはずなんだけど・・・ちっとも楽しくない。
姿もすてきだし、踊りも下手じゃない。なんでここまで退屈なのか・・・退屈しのぎにいろいろ考えてみたけれど、どうしてもわからない。
以前の橋之助は、自分だけが楽しそうで客に伝える気がないんじゃないか、と思われたのだけれど、さすがに50づら下げていまだにそんなことはないと思うし。
この人の、役者としての素質と、人気のなさのアンバランスは本当、私にとって永遠の謎だわ。

最後の総踊りで、ようやく勘九郎のめざましい切れのある動きを堪能してちょっとだけほっとした。

…というわけで、ほーら、本来の納涼の仲間のほうがずっと内容よかったでしょ!と胸張れる内容でもなく。 
あーあ。

 

 

三部

(父になり、父から巣立つ)

結論から言えば三部だけで今月は十分だった。(山姥見てないので、そこはスルーで)。

 

土蜘

間狂言と後シテ「は」受けていた。まあよくできた芝居だから、後半は誰がやってもそこそこ盛り上がる。
問題は前シテ、特に胡蝶と智躊(こんな字だっけ?ま、いいや)。
胡蝶ってよく考えると前シテの中の間狂言というか箸休めだよね。別に出てこなくて物語は成立する。
それだけに、際だって美しい、とか際だって舞がいいとかないと、絶対退屈する。で、今月の扇雀にはどっちもないから必然的に客席には眠りの精が訪れる仕掛けに。あたしゃ寝ませんでしたけどね。本当だよw扇雀さん踊り巧くなったなあとちょっと思った。まあ退屈でしたけど。
太刀持ちの團子が所作もきれいで台詞も(初日はとちってたけどw)きちんと時代になっていて、実に巧い。巧すぎていわゆる「子役風」なのはいいのか、悪いのか。まあいいんでしょう、器用なのがここのおうちの芸風。

問題の智躊。花道の出、一切気配を見せなかった勘九郎とどうしても比べちゃうのだが、所作板がきしんじゃうのはまあ本人の責任ではないとしても、なんだかとても普通。怪しさも恨めしさもなーんも感じられない。
本舞台にたどり着いてからも、とっても普通で、本当にこの坊さん、快癒祈念に来たんじゃないの?と思っちゃう。
ま、そのほうがいきなり糸撒いたときの驚きが強いので計算かも、って絶対違うし。

というわけで退屈をしのいで前シテが終わり。

待ってました!の間狂言。

今月唯一の、どころか何年ぶりか?の猿勘連れ舞。…を楽しみにしてたんですけど。
その場になったら、3歳幼児に、目を奪われてしまい、初日はほとんど猿勘見てませんでした。「子供と動物には勝てない」って本当ですなあ。
 

三部は三回見たのですが、のりゆきに関しては、初日がいちばんよかったかもw
すごく楽しそうにゆらゆら揺れて、足や手で拍子取っていて。動きすぎてお面がずれそうになって、後見のいてうくんが必死で支えてたw
二度目は、動いちゃだめといわれたのか、とてもおとなしくて安心して見ていられたけれど、つまらなかった。ま、そのおかげで父ちゃんたちの踊りも見られましたが。
三度目、楽はちょうと中間。適当に踊りながら、落ち着いて間合いもとれていた。
ただ・・・一ヶ月でもっと台詞は進歩するかと思ったんだけど。進歩なかったなあ。w
声が小さいのはしょうがないとしても、きっと、台本知らない人にはまったく伝わってなかったんじゃないかなあ。

「それ知られたら百年目」「許させられい、許させられい」 

それしゃーたら○×えんめ   しゃらーい、しゃらーい

と聞こえましたよw

いやいいんです。かわいいからね。だけどね。だけどね。野暮なおばちゃんでごめんね。

 

後シテで感心したのは国生。まあ四天王が子供ばかりだったので一つ頭抜けてたってのもあるんだけど、声がちゃんとできあがって、線の太いいい立ち役になりそうな気配が。ひょっとすると父親よりいいかも?w

いや、父親も10月に偉大な名前を継ぐのだからそろそろ大化けしてくれることを祈りたい。芝翫の名前で下手なことやったら許さん!

 

山名屋浦里

 

私の八月を返せ!ともう少しでいいそうになった今月の歌舞伎。

最後の最後に、オリンピック寝不足でも来てよかった!と思わせてくれる芝居に出会えました。本当、これがあってよかった。

吉原で実際にあった話をタモリが掘り起こし、鶴瓶が落語にし、それを見た勘九郎が、歌舞伎にしようと即決。
かなりのとんとん拍子で歌舞伎座にかかることが決まったらしい。

まあ、内容は大人のおとぎ話というか、歌舞伎版ちょっといい話というか。軽いんだけど。

花魁と田舎武士の人情と奇妙な友情の話。
実話なのか、本当に?実話だとしてもかなり粉飾されてるでしょ?と思うのは世間ずれした汚いおばちゃんのゲスの勘ぐり。
嘘みたいな話に真実味を与えてるのは、勘九郎演じる田舎侍の人間性。野暮天と四角四面の融通の利かないやつ、と思われてもしょうがない人物像なのだけれど、ぎりぎりのところでピュアなまっすぐな人間に見せている。
七之助の浦里もまた。ただきれいなだけの花魁ではなく、中にピュアな田舎娘の魂を持ち続けていたことを、ちゃんと感じさせてくれる。

これ、役者がだめだと、とんでもない嘘くさい話になってしまうところを、中村屋兄弟が実にはまっていてぎりぎり切り抜けたんだと思う。

兄弟の当たり役って、鰯売りとか仇夢とかこれまでもいろいろあったし、籠釣瓶なんかもそうなっていくのだと思うけれど、父親がやっていない芝居での兄弟の当たり役、見つけたなあと、勘九郎に拍手送ってあげたい。
天日坊もそうではあったけれど、あれはクドカンと串田作品を勘九郎と七之助が見事に演じた、という形だったけれど、
今回のは勘九郎が見事に自分たちに合った題材を見つけて、歌舞伎座に掛けるところまでもって来た、というところが大きく違っている。

まさに、次男の初お目見えをプロデュースした土蜘で、「父になり」

親とは違う、兄弟の当たり役をプロデュースしたこの作品で「父から巣立った」のだと思った。


そしてまた、次の世代へ受け継ぐ新しい「家の芸」にこの狂言がなっていくといいなあ、とも。気が早すぎるけど。

おまけ。終演後の集合写真。やっぱりタモさんすてきw

(S雀さんのブログより拝借しました。ありがとうございます)

てか今気づいたけど、なんでシド君と香川君がいるんだ?w

 

 

 


 

 

 


ザ・勉強会!

2016-08-24 | kabuki a Tokio

双蝶会@国立小劇場見てきました。
タイトル通り、全員「お勉強してます」感満載で、好感が持てました。お一人ゲストさんが突き抜けてお上手でしたがw

車引

例によって何やるのか知らずに出かけて行きました。よその人の筋書きで寺子屋という文字が見えてしまい、ちっ、と舌打ちしたのですが車引もやるとは、幕が開くまで知りませんでした。w

というわけでもちろん配役も知らなくて。

深編み笠の中の二人、ずっと米吉と歌昇だと思ってました。
米ちゃん、台詞が一応時代になってるなあ。でもなんかちっちゃい?背も盗めるようになったのか。
かしょくんはどうしてあんなに力むんだろう。荒事だからって見てて疲れるほど力むのはどうなのよ?

とか思ってたら

笠取ったら私の梅丸くんと私のノスケちゃんじゃないですかっっw

そもそもこの会に来よう!と決心したきっかけが梅丸出演だったことをこの瞬間に思い出しました。遅すぎですw

こんな私ですから。顔見たとたんに一気に評価が甘くなります。
いや、好きな役者だからというわけではなくて(それもある)、米歌コンビと梅種コンビでは年齢もキャリアもまったく違うわけでして。

梅丸くんは声がまだ時々裏返るけど、台詞回しはきっちりしていて本当に基礎ができてる印象。
見た目は、顔が小さくて(ウタタネ兄弟と比べると本当に小さい)隈ののりがいまいち。素顔がいちばんきれいという歌舞伎役者としてはちょいと残念な状況ですが。そのうち顔もうまくなるでしょう。

種之助は・・・たしかに力みすぎで笑っちゃうのですが、ノスケにとってはほぼ初めて?の荒事の大役ですから、これくらい力んでもいいんじゃないかなあ。あれじゃ25日続けたら確実にのどやられちゃうぞ、という発声は、おいおい播磨屋さんに直してもらってください。

車引、そうなると松王がかしょくんなのね、と思ったらその通りでしたw
さすがに、一日の長 、出てきたら安心した。
発声も所作も安定しています。松王にしては柄がちっちゃいのはいかんともしがたい。
彼は播磨屋さんを目指すより、天王寺屋とか大和屋さんの荒事をもう少し勉強したほうがいいのかも。
柄が小さくてもちゃんと大きく見える役者さんたちでしたから。

杉王がたぶん竹松君。筋書きすてちゃったから違ったらごめんなさい。
時平に父さんか伯父さんがつきあうのかと思ってたら又之助さんでこれまたびっくり。親ばかじゃないんだなあ。

 

寺子屋

 

今度こそ米ちゃんが千代で源蔵がノスケちゃん、松王はそのままかしょくんで・・・あれ?戸浪はだれ?と悩んでしまいました。
結局お昼休み中に同行の友人にヒントをもらって、ああ、ここでゲストか!(いや、年代的には同世代の勉強会仲間なのかな?)と納得。
たしかに米ちゃんの千代は荷が重すぎるw

というわけで、千代の梅枝くん。やはりゲストでしたw
ほかの三人と比べると圧倒的に巧い。そこだけ歌舞伎座。
巧ければ感動するかというと、そうでもないのが歌舞伎の妙味でして。。。
音の会の京蔵さんの時に思ったのと同じような感じ。アンサンブルの中でちょい浮いてる。物語に感動する前に彼の台詞に感心してしまう、というのは、ちょっとどうなんだろう? 

私がいちばん感動したのは、まったく別のあるシーンでした。そのシーンについては後述するとして。

かしょくん松王はいろいろ物足りなかったかな。技術的には問題ないのですけれど、習った通りにやるので手一杯という優等生芝居そのもので。 それ以上でもそれ以下でもない。勉強会だから合格点なのかもしれないけど、彼のキャリアからしたら、もう少し突き抜けてくれてもいいかなあ、と。

米ちゃんの戸浪、これが意外に(失礼)よかったのですね。研の会のおかるに続いての丸本物の大役、両方に感じたのは、決して巧くないんだけど、役の本性をつかむのが巧いんだなあということ。おかるちゃんって、戸浪ちゃんって、こんな子だったんだろうなあと思わず思ってしまう。若いが故の強みかもしれないけれど、妙にリアルなのよね。これに技術が加われば「きれいなだけ」なんてことはすぐなくなると思う。

そして、そして。いろいろな意味で問題の種之助。

本当、へったくそw
声はうわずってるし、所作ぐだぐだだし。
(あ、へったくそ!というのはあくまで最低基準以上をクリアした上での愛情ある罵詈なので、誤解しないでね。一応丸本物の定石はできてます)

へたくそは大嫌いのはずの私がなぜノスケくんに惹かれるか、去年の船弁慶のころからうっすらわかってはいたのですが今回、再確認できました。

この子、いいか悪いか知らないけど、自覚してか無自覚にかもわからないけど、オリジナルなんだよなあ。

去年の感情あふれすぎの静に引き続き、今年もやってくれましたw

首実検が終わり、菅秀才の無事を確認したとき、ノスケちゃんてば、菅秀才を抱きしめちゃってたんだよね。これ、だめでしょ普通w
型としても、当時の身分制の中で生きてた人としても、主君の子供を抱きしめるなんて絶対してはならないこと。
だけど、やった!救われた!切羽詰まった苦境を切り抜けた中で、ああよかった!という気持ちで抱きしめるっていうのは、現代的な感覚としてはとてもわかる。
現代人wの私も、そこで涙がどばーーーーっと。で、涙が引いたあとで、「こりゃ禁じ手ちゃうんか」と冷静に判断した。 

さて、この「主君の子供を抱きしめちゃう」オリジナリティ、播磨屋のおじさま公認なのか、この日限定の「やっちまった」行為で後で厳しくしかられたのか、は永遠の謎ですが、まあ、知りたくもないかな。本人、いつの日か本公演でやるときは、きっとしないと思うので。
つまり公認だったとしても、君たちの勉強会なんだから、やりたいようにやってごらん!って話だと思うから。

 

…それ以外にも、首を差し出せ、と詰め寄られての「…お待ちくだされ」の胸が苦しくなるようなトーンとか、2.3カ所で本当にびっくりするような芝居をするんだよねぇノスケくんてば。

このテンション、にいさんはもちろん、なかなか同世代の役者で持ってる人は少ないと思うので、やはり今後とも注目せざるをえない逸材だと思う。

なので、来年の双蝶会はゲストが誰であれ、絶対見逃さないようにしよう。 

 

 

 


今のところのベストオブベストイケメン(ズ)

2016-08-15 | passe-temps divers


男子1500フリーの金メダルパルトリニエリと銅メダルのデッティのイタリアコンビ。
何この美しさ。

肉体美を誇る競泳陣の中でもかなりの高水準。しかも二人並んでるし、ユニフォームアルマーニだしw
もう非の打ち所がございません。

 

直後に手ぶら決定した入江たんへの悲しみをこれを見て和らげよう。

大会後半にこのコンビを凌ぐ美形に出会えますように。


翔、翔けろ!

2016-08-13 | kabuki a Tokio

音の会、昨今の過密スケジュールwと寝不足の間をかいくぐって、最後の合邦だけ見てまいりました。

行ってよかったわあ。の感想はいつか、きっと書く。→8月27日感想書きました。

合邦

2週間もたっちゃうと何も覚えてないなあ。

玉手を演じた翫之助さん(だったよねw?)が山城屋さんにそっくりで。まさかかくし○妄想は発症しませんでしたが、似すぎていてかえって必要以上に物足りなさを感じてしまったかも。普通にすてきだったんですけどね。花形が中途半端に勉強でやる玉手は、俊徳のこと本当に好きすきちゃって。。。のにおいが強くなってあまり好きじゃないので、これくらいがちょうどよかったw

浅香姫と俊徳丸は研修所出身京屋コンビ。妙さんは可憐な赤姫で出ず入らずでよろしい。蔵さんは・・・うまいのはわかるんだけど、一人異色w。
三角関係の三角の普通の意味なら俊徳が頂点でしかるべきなんだろうけれど、この物語ではあくまでも玉手が頂点であるべきだと思うんだけど。
うますぎて、一人気持ちよさそうに糸に乗ってる(むしろ糸を引っ張ってた?w)のはちょいとどうなんだろう?

うまいひとなんだけど、脇で目立ちすぎるのは本当にうまいとはいえないのかも。

合邦と女房は・・・えっと誰だっけ?あ、女房はいつも国立の勉強会でいい役やる紀伊國屋の・・・名前忘れたwちょっと若々しすぎて玉手と姉妹に見えたかも。合邦のひともうまかったけど同じくちょいと若すぎた。

…んなことはどーでもいいや、と思うくらいに感心したのが、合邦で奥を語った翔太夫。
まだ20代?30ちょっと?

とにかく歌舞伎ではほとんど出語りでお目にかかったことはないお顔でしたのでかなりの若手だと思うのですが。

傳左衛門さんと、萬太郎を足して二で割ったような丸っこいおだやかな容姿から繰り出される哀切な義太夫節、素晴らしかったです。
歌舞伎竹本も最近名手が次々なくなったり、廃業したりで、かなりジリ貧だったのですが、この人、久々の有望株じゃないでしょうか。
愛太夫を同じ音の会で認知したのと同じような感動を覚えました。

というわけで、タイトルです。
葵→愛に次ぐ本格派太夫として頑張っていただきたい。

彼を見られたこと(だけ)で、寝不足の中、半蔵門まで駆けつけた甲斐がありました。
 

 

 

 

 


マイナーなのか、メジャーなのか

2016-08-12 | cinema

キャロル見てきました。

うーん。

イロイロな意味で理解できなかった。

の、感想はいつか書くのだろうか。きょうも眠いw

→Olympicとpcのせいwでだだずれこみ、もはや内容も忘れてしまった8月27日。

 

理解できなかったのにはさまざまな理由があったような気がするのだけれど、そういうわけでほぼ忘却。
忘却ながらも覚えてることをぽつぽつと。 

女と女の恋愛がそもそも頭では理解できても、感性として理解できない体質だということが大前提にありまして。
もう一つの大前提として、オリンピック疲れwで、途中30分近く意識を失っていた、というもう一つの大前提がありまして。 

その上で。(同行した友人に、30分近くにあった出来事wをレクチャー受けて、一応話はつながってます)。

戦後すぐ?’50年代?の時代で、それぞれの女性が自分の生活を捨ててまで惹かれ合った要素があまり見つからない。
意識不明の30分にそこらへんが丁寧に描かれていたのかと思ったのですが、伝聞ではそうも感じられなかった。
キャロル役のケイト・ブランシェットは、なぜか私が見ている映画ではつねに超美人というか、魔性で誰もが墜ちる女性を演じているのだけれど、個人的な美意識からそこまでの魅力を秘めた外見だとは思えないし、年下の女役のひとは普通にかわいいのだけれど、20歳すぎて急に女性への愛に目覚めるわけで、やはり、なんらかのきっかけがきちんと描かれてないと、この恋愛そのものに納得がいかない。

現代ならともかく、50年代なら女性同士の恋愛に差別とか偏見とかまだまだ強かったとおもうのだけれど、それもさして描かれていない。
逆風と戦うことでより愛が強まる・・・とかそういうわけでもない。

そう。

この映画を見る限り、二人の恋愛は、同性同士ということ以外はなんてこたあない、普通の不倫なんだよね。不倫というだけで普通じゃない、と言われる向きは失礼。

タイトルはそういう意味でありまして。

普通の不倫恋愛なっらメジャーすぎて、ドラマがないし、マイナーな(当時としては)女性同士の恋愛を描くなら、もっと詳細にマイナーのマイナーたるゆえんを描いてほしかったかなあ、というのが

どメジャー(恋愛に関してだけw)な感性をもつ人間の素直な感想でした。

パトリシア・ハイスミスの原作小説らしいんだけど。まあ作者の年代当時なら女性同士の恋愛を淡々と描くことに意味があったのかもしれないな、とは思いますが今更それを映画化して、しかも大ヒットしてるという意味が、少なくとも私にはよーわからんかった、のでありました。 


二十歳過ぎたらただの人?

2016-08-07 | kabuki a Tokio

いや、そんなはずはない、と続けたいのですが。

研の會@国立小劇場見てきました。満員御礼で頑張ってました。ま、感想はタイトルどおりイマイチなんですがw
オリンピック体制につき、またしても不規則な生活になるのでいつ感想が書けるか定かではありませんがそのうち書く、と思います。たぶん。

 

というわけで不眠不休中ですが忙中閑あり。

記12日

 

…わすれてもうたw

覚えてることだけ断片的に。

 

五、六段目

勘平って物凄く所作事っぽいのね。てか右近くんの勘平が所作事っぽいのかも。所作は綺麗なんだけど、全体に薄味であっさり。

菊五郎さんに教わったからか?右近の役者としてのたちはどっちかというとこってりだと思うので、勘三郎、はもういないけど、せめて仁左衛門あたりに教われば一味違ったんじゃないかな。ま、立場上無理だが。
イメージとしては教わったことを段取りふんで必死にやってる感じ。悪くはないけど、こちらに伝わるものがあまりない。

むしろ、上手くはないけれどおかるの米吉が、雰囲気あってよかった。
おかるってこういう子なんだろうな、というリアルさ。勘平さんのことが好きで好きで。それ以外何も考えてない感じ。
無意識のエロさ、というのかな。毎晩勘ちゃん(違うw)に抱かれるのが人生のすべて、っていう。

染五郎の定九郎がびっくりするほどかっこよくない。二枚目のはずなのになんであんなにもっさりしてるんだろう。
五十両~のときの表情は口がひんまがってて美川ケンイチみたいだったし。
あれなら、本来の山賊コスwのほうが似合ってたかも。

勉強会の割に脇は充実。

楽しみにしていたなんとか兵衛(ど忘れ)の菊十郎は体調不良で残念だったけど、菊三呂のおかや、種之助の千崎弥五郎、一文字屋お才の吉弥、源六の橘太郎、いずれもベテランの味。
吉弥の完全上方と、橘太郎の完全江戸前が不自然っちゃ不自然だったけど、ま、いいでしょw

染五郎も不破数右衛門は格の違いを見せ付けた。
もう、幸四郎に近くなってるのかな。さだくろーがダメダメで老けがいけるようになった、ってことは。

とりあえず右近くんの勘平、期待したほどではなかったけど、芝居としてはワキに引き立ててもらってなんとか成立してた、った感じでした。

 

船弁慶

 

これまたすごく期待してたんだけど、期待ほどではなかった、という感じ。私期待しすぎなのかな。

やるべきことはきっちりやってるんだけど、迫力というか熱というか、それ以上のものが伝わってこなかった。
自分の会なんだからもっと自分を出していいと思うの。特に踊りは右近の真骨頂なんだから。

義経の鷹之資がとてもいい。そういえば誰かの勉強会?で中学生か高校生のころの右近が義経をやっていて、素晴らしかったのを思い出した。
子役+アルファくらいの子が義経やるとなんともいい調和を出すことがあるね。

 

どっちの演目も、肝心の主役にはじけた感じがもう少しほしかったなあ、というのが共通点でした。

二十歳過ぎたらただの人、でもいいけど三十過ぎたらまた凄い!になれるようにご精進ください。

 


発見、白タイツ王子!

2016-08-04 | spectacles

毎度おなじみ西洋盆踊りこと、エトワールガラ見てきました。

「わたしの」エルヴェたん目当てだったのですが、ガラスの王子様ゆえ、またしても怪我でキャンセル。がっかりしながら見にいったらなんと、代理出演にタイトル通りの好みの王子発見。ははは。捨てる神あれば拾う神あり(違う)。

宣伝ポスターのビフォアフ。

こっちにはエルヴェたんいるのに

こっちでは不自然なピンクのもやもやで消されてる。で、ちっちゃい写真に載ってるのが「わたしの」ジェルマンたん。

 

↑じゃちっちゃすぎて分かりにくいのでもう一枚。これで白タイツ王子ぶりが分かってもらえるでしょうか。こんなに綺麗な脚の持ち主は肉体エリートのバレエダンサーとはいえ、めったにいない。

バレエ界で「わたしの」「たん」がつくのはエルヴェたん以外では初めてです。エルヴェたんはもう「たん」って年じゃないから

たん呼ばわりは今後ジェルマンたんのみに致しますw

感想はすぐ忘れちゃいそうだけど、忘れた頃に書くかも、書かないかも。

とにかくジェルマンルーヴェたんめっけ!ってのが特筆すべきことでしたので。

 

いい加減で適当な追記。 

なんせバレエは念に1-2度、しかもほぼパリオペラ座関係しか見てない正真正銘の初心者、いや、門外漢なので、見所は顔と脚とあとは見ていて気持ちいいかどうかってことくらいなんですけどね。

今回来日したメンバーがたまたまかもしれませんが、女性バレリーナがかなり小柄で、体操選手みたいな人が多かったのが、個人的には好きじゃなかった。妖精っぽくていいのかもしれませんが、持ち上げられてくるくる回されて、ってのが、なんだかなあ・・・。本来の意味のフェミニストなのでwww
女性でも一人でガツガツ踊る系が好きかも。

マチューガニオは本当、何踊っても「わたし、失敗しないので」の人だなあと改めていまさら感心。実は失敗したの?と思ったのですがそれは振り付けだったと後で判明wははは。その程度の鑑賞力。
同じ「わたし、失敗しないので」系でもリアブコは本当、一般人並のあの体型でよく一線級を張ってると感心させられる鋭くて美しい動き。感心はするけれど感動はしない、三津五郎さんですなwww
ちなみに今の歌舞伎界にはマチューは不在だと思う。あ、三津五郎さんももういないのか・・・涙
今回若手中心(ある意味二軍?)の編成だったらしいんですが、特に女性で今後も見てみたいなあと思わせる人がいなかったのが残念。

本当は、同世代の若手で、ジェルマンたんではなくもう一人のユーゴくんに注目していたのですが、どことなく踊りががさつで、荒削りのマチューって感じかな。まだ若いので今後期待。でも大ファンになることはないと思う。

…ってことで、楽しいっちゃ楽しかったけど、同じようなコンテンポラリーが続いたり(ま、それはそれで比較できて面白かったんだけど)、大満足とは行かないプログラムでした。

いいんですいいんです。「わたしのジェルマンたん」こと「白タイツ王子」こと「サン・ジェルマン(聖ジェルマン)」ことジェルマン・ルーヴェ23歳を発見出来ただけでも。

おざなりにネットサーフィンした結果ここにいっぱいお写真載ってました。インタビューもロングで充実してる。まだ読んでませんがw

ちょっとでもジェルマンたんに興味を持った方は写真だけでも見てみてね。お顔はちょっとだけ猿顔なんですけど、断じて王子なのだ!