laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

ずっとみていたい

2012-11-30 | kabuki en dehors de Tokio

南座顔見世初日。
夜の部の仁左衛門の勘平と勘九郎の船弁慶。
この二つだけで京都まで来たかいはありました。
昼の部も悪くはなかったですけどね…。

翌日、ちょっとだけ京都観光(東京では混んでるのでパスしたエルミタージュ展と、名残の紅葉をくろ谷さんと、歩いているうちに到着してしまった真如堂で)して帰ってきて、まったく師でもないのにバタバタしてるうちに早くも12月も3日。

初日のフンコーも薄れてしまったが・・・これ以上忘れないうちに一応メモしておきます。一言ずつになりそうですが。

昼の部

佐々木高綱

盛綱陣屋のあの高綱かと思うと、我當さん、いや高綱の憤懣もわかる。てかこれ、我當さん以外で見たことないような。そして南座でしか見たことないような。
進之介が微妙に進歩していて、普通の役者になってしまったのは、よかったのか、さびしいのか。
これくらいならもっと使ってあげればいいのに、東でも見たいぞ!
孝太郎、愛之助と松嶋屋息子世代が三人揃ったのも久しぶり。

石切梶原

團十郎の梶原って失笑した覚えしかなかったのでまったく期待してなかったのだが、これが意外な拾い物。
体調いい?声も出てるし、まあ台詞は相変わらず変なんだけど、とにかく、梶原って黙って座ってる時間が長いじゃない?その間大抵の役者はぼーっとしてる(ように見える)んだけど、團十郎の梶原は、舞台の進行すべてを腹に受け止めて、きっちり梶原としての存在感を示してる感じ。
温かい武士っぷりも、ぴったりで、この芝居で退屈しなかったのは久しぶり。
彌十郎の六郎太夫はちょっと無理してふけすぎ。七之助の梢はきーきーいいすぎ。
市蔵の囚人の酒尽くしは商品名じゃないバージョン。なにかスポンサーのカラミでもあるのだろうな。

対面

勘九郎の五郎は「荒事はワラベの心で」をその通り絵に描いたような童心ぶり。ただ無理して声を張り上げているので、これはそのうちのどをやられるのでは、と心配。
ただ、荒事でも心があるのは、車引の梅王のときも感じたのだがすばらしい。型を演じつつ、型だけでない、曽我五郎としての心が感じられるのよね。
時蔵の十郎がすばらしい。すばらしすぎて、勘九郎と並ぶと兄弟というより親子、それも母子にみえてしまうのは・・・w
形式美としての御殿、大磯の虎(秀太郎)がちょっと老けてるのが気になったがw七之助壱太郎の長いのと丸いのの二人美形の並びは目の保養。橋之助の朝比奈は太ったせいか最初翫雀かと思った。
仁左衛門の工藤は、台詞の力といい、身体の細さといい、やや座頭格には弱いかな。巧いんだけどね。

吉田屋

こんなに長かったっけ?と思わせるほど、ちょい退屈しました→寝ました。
藤十郎、手馴れてはいるのだけれど動きにやはり生彩を欠いていて、あとはもう藤十郎のイザエモンを何回見られるか、の記念樹的観劇という意味なのかなあ。夕霧の扇雀も冷たくてつまらない。
安定の吉弥彌十郎は朝から三連発で老け役。お疲れ&お気の毒。

 

夜の部

忠臣蔵五段目、六段目

対面ではやつれた様子が気になった仁左衛門だが、勘平という役にはそのやつれがきっちり心の痛みや色気を表現する武器になっていたような。
勘平の必死さと、本人が一杯一杯の必死さがリンクして、こういう見方は邪道なのかもしれないけれど、今の仁左衛門にしか出せない勘平像を図らずも作り上げていたような気がする。
いわゆる名優の名演、というのではなく、名優が必死になって、客席も必死で見守るパフォーマンスというのかな。
芝居が一期一会のライブパフォーマンスだというのはまさにこういうところに醍醐味がある。
上方風の忠臣蔵、おかやの竹三郎がすばらしいのだが、いささか力強すぎて、勘平をいじめているように見えてしまったのはバランスの問題か。だっておかやのほうがどう見ても強そうなんだもんw
脇では神埼与五郎の愛之助がさっそうとした武士っぷりですばらしい。愛之助はこの程度の役をやると本当にいいんだよなあ。で、勘平をやるとがっかりするw
そして何より特筆すべきはおかるの時蔵
何もしていないように見えて細部にまで行き届いた神経を感じさせる芝居、色気と気概のバランス、とにかく絶品。あまり組まない仁左衛門とのコンビもすばらしいと思った。この二人で十六夜清心など見てみたいなあ。むしろ今の仁左衛門がらぶらぶ系をやるなら玉三郎相手より、ずっと似合ってる気がする。
萬ちゃんのパパ、としてだけじゃなく、時蔵自身の株もあたしの中では急上昇中、なのだった。


口上

まあ型どおり、松嶋屋と成駒屋は息子世代も並んだので16人?の大人数。なかで「コレ言っていいの?」と思った発言が二つ。
一つは成田屋の「勘九郎さんは(どこぞと違って?w)本当に真面目で芸熱心。その通りなのですが、なぜか一時期広尾で一人暮らしをしていた当時の私生活が謎で。、海老蔵から聞いた話もあるのですが本日はここまでにしておきます」みたいな感じ。
広尾じゃなくて恵比寿だったんじゃないの?とか一時期彼女がいて通ってたのは誰でも知ってるよ!と思いつつ、この時期にそういうネタでくるとはさすが空気の読めない成田屋、と思ったり、よほど自分ちの息子だけが遊んでると思われてるのが気に食わないのか、とかんぐったりw
もうひとりは、襲名のご当人、勘九郎。
型どおりで終わるかと思いきや、挨拶の最後に「勘三郎の息子に生まれたことを誇りに思っています」と物凄く力強い声で宣言したのだった。感動もしたけれど、ここまで言っちゃうって、かなり症状が悪いっていってるようなもんだよなあ、とも思ったり。そういえばその前に勘三郎のことを表現したときに「父は○○だった」と過去形だったのも気になった。何気ない一言に実情って出るもんなあ・・・
勘九郎の覚悟は立派だけれど、今、彼の発言は一言一句を聞き耳立てられてる時期だから、気をつけないとなあ、とも思ったのだった。

船弁慶


いいと思って、期待して、期待して・・・そして期待を裏切るどころかその上を行くのが今回の襲名での勘九郎。これもまた期待どおり、いや、それ以上の成果を見せてくれた。

何がいいって静。こんな静謐で、かつ、義経への愛情と別れることへの悲しみに満ちた静は見たことがない。どうしても後シテの知盛に気がいってしまいがち(客も、役者も)な狂言だけれど、前半、まったく退屈することなく、それどころか涙まで浮かべて見守ったのははじめての体験。
勘九郎の舞いのすばらしさもさることながら、それをじっと受け止める藤十郎の義経のすばらしさ。世代も身長もw超えて、普通に愛し合ってる恋人同士に見えたから、この二人すごいわ!
團十郎が弁慶で付き合う。存在感はさすがだが、どうしてこの人、本行ものだとやたら重々しい節回しにしようとするんだろう。それが怪談じみちゃうんだよね。
舟長と船頭(左團次・扇雀・七之助)がやる気ない人、線が細すぎる人でこれじゃ船も進まないわ、と思ったのは内緒w
後シテの知盛の霊は、初日にしては押さえ気味?荒々しさより妖しさや哀しさを強く感じて、個人的には好みだった。顔、特に青隈がもう少し巧くなったら満点。

四つ目(ひゃは!外題忘れた!調べる気もしない!

橋之助と翫雀が相撲取りで八百長の話してて、結局奥さん(孝太郎)が身を売って夫翫雀が八百長しないで済むようになる、という話?中途寝たのでちがってたらごめん。いつ面白くなるのかな、と思ってるうちに転寝・・・
結局たぶん面白くならなかったような。
時蔵さん(おかる)が百両なのに孝太郎が二百両で売れる?なんてことだけ気になってしまったのだったwww

次回はパスでいいか。

とにかく、勘平と静に会えただけで満足!です。
そうそう、松次郎くんがこの芝居から名題になって松十郎さんになりました。もう捕手とかやらないのかな。ちょっとさびしい。千壽郎さんも名題披露して千壽さんに。二人とも襲名披露になるのだからもう少し目立つお役にしてあげたかったなあ。。。

小山三さんは吉田屋の最後に女中さんで登場。
藤十郎さんとちらっと絡んだり、現役女形として立派に美しい。勘三郎のことが心配だろうけど、きっと舞台に出てるほうが気がまぎれていいのよね。がんばれ小山三!!!がんばれ中村屋!がんばれ松嶋屋!

追記

初日から5日後、12月5日午前2時33分(二ザさん!?)、勘三郎死去。
このことについて感想を書く気には当分なれないと思うので、事実のみを記しておきます。
タイトル、意識したわけではないけれど、意識下に勘三郎のことも願っていたのかなあ・・・


I left my chocolate-sundae in・・・

2012-11-28 | voyage

唯一携帯で撮った写真がなぜかコレw
アメリカ、特に西海岸は食も人もやっぱりおおざっぱでした。
そのうちデジカメ写真も取り込んで追加アップしますがとりあえずの思い出であります。タイトルの原歌詞ご存知の方は最低でも40以上かアメリカ歌謡通w


なぜか

2012-11-23 | voyage
ここはどこでせう?
わかる人はわかると思いますが、しばらく海の外に行きます。
なんとあたしの骨董携帯はつながらない僻地wwらしいですが…。

今月の代役№1!

2012-11-19 | kabuki a Tokio

こんなところにいましたかw

国立劇場で浮世柄比翼稲妻見てきました。

今月いちばん期待してなかったw国立の歌舞伎、期待してなかったせいか、なかなか面白かったです。
いちばんの殊勲者が、染五郎の怪我で名古屋山三を代わることになった錦之助
仁左衛門と染五郎の代役で計四人の代役が乱れ飛んだ今月の、個人的ナンバー1です。
最近赤面とか滑稽役をやることが多くて、なんで?と思っていたのだけれど、本来のこの人のニン、二枚目がぴったりはまる。特に浪宅の場面の山三ののほほんとした、世間から浮いてる感じがもうぴったり。正直ここの場面に関しては染五郎がやったよりよかったのでは、と思った。鞘当では、幸四郎に遠慮しすぎでちょっと引いてる感じが残念だった。まああそこは筋とかじゃなくて役者の顔見世だけ、みたいな話しだし、錦ちゃんに荷が重いのはしょうがない。
その錦ちゃんの代役ってことなのかな?それとも染五郎が二役予定されていたのかな?よくわからないけれど、やはり代役扱いなのが白井権八の高麗蔵
こちらも、舞踊ができる人だけに所作はとても綺麗で、立ち回りはよかった。後半の播隋長兵衛との場面はさすがにきつかったけど。いや、それ以上にこの場面での幸四郎の台詞回しがへんてこなのには参った。何か工夫しているのだろうけれど、(弟と違う路線を模索?)妙に甲高い声で、なんだか聞いていて困ってしまった。で、困ってるうちに寝てしまったのでハナタカ七代目がどうのこうの~の入れごとも聞きそこなったw
まあ鈴が森は二月に決定版!みたいのを見ちゃったからどうしても比較しちゃうので、高麗屋さん不利だわね。

幸四郎はもう一役の不破のほうがよかったなあ。ただ、悪人ぽい役を作ると本当に悪人顔になってしまうのが難点。不破ってそこまで悪人役じゃないよね?

山三浪宅が通しのなかでいちばんよかったのは先に述べた錦ちゃんの健闘とともに、福助のお国が哀れで美しくて、すばらしかったことも大きいかと。
福助は、あと二役の岩橋、のちに傾城葛城も、留女もすべてよかった。なんかこの人父親死んでから凄くよくなったんだけど。生前にこうなってたらもっと安心して芝翫さん死ねたのに。などと芝翫つなぎを装った留女を見ながらしみじみしてしまった。


宗之助が、奴はともかく、飛脚役で身包みはがされていたのは気の毒でしょうがなかった。立役もやるとはいえ、女形にこの役はないんじゃないのか?
旦那がいなくなった部屋子ってこういうものなのかな。地味だけど巧い人だけにもう少し上手に使ってあげて欲しいなあ・・・
この一座には珍しい彌十郎もさしたる活躍なく、新悟と隼人が傾城ででかい二人連れ。隼人は顔をするのが少し巧くなったのか、綺麗な傾城になっていた。芝居も新悟にそれほど引けをとらない程度に巧くなってきたね。
右之助さんが赤面の若い役やってたのにもびっくりしたり、友右衛門さんがこの期に及んで台詞忘れてたのが心配だったり。

今月はお休みのおうちが多いのか、脇に三津五郎さんちとか勘三郎さんちとかの弟子がいたり、地味だけれど充実していたと思う。

なにより、通し狂言で上演されたことによって今まで謎のままwだった白井権八の素性とか、鞘当、なにやってんだよ、の謎とか、それなりに解けたのがよかった。
権八は殺人鬼でもなかったのねw

って、何年歌舞伎見てるんだ、調べろよって話ですがwww

明治座昼の部以外、お江戸の歌舞伎を全部見ましたが、結果的に国立がいちばん面白かった、という我ながら意外な結果だったような。
演舞場の松緑くんも、硬さがとれてよくなってるんだろうなあ。もう一度見にはいかないけどw


数え切れない覚悟を重ねて

2012-11-16 | spectacles

中島みゆきライブ2012縁会@国際フォーラム見てきました。
やっぱりマスコミ的注目点は画像みたいなことになるのね。

前回、2010のライブがあまりにすばらしくて、今回も期待したのだけれど・・・

うーむ。

みゆき、60歳。58と60はここまで差があるのか。
声帯が・・・老いている。
圧倒的な声の張りや伸びはまだまだOKなのだけれど、なんでもないところで、意識的ではないビブラート、といえばよく聞こえるが、震えが・・・
ハーモニカのリードが古びると劣化して薄くなり、新品と同じ息の量では綺麗な音がでなくて蝉の羽が震えたみたいになる・・・あんな感じ。
自分自身がカラオケwで感じているのとまさに同じ症状なので、ああああ、みゆき、お前もか、と本当にせつなくなってしまった。
プロなのだからもちろんトレーニングしているに違いないのだけれど、それでも人はやはりこうなってしまうのか。

57歳の勘三郎の病状をいろいろな人から聞くにつけ、なんだかぐーんと自分でもびっくりするくらい落ち込んでしまったところに、60歳のみゆきのこの状況・・・。元気付けてもらいたかったのに、ますますがっくりきてしまったのは事実。

ただ、後半「時代」「世情」など、それこそガンガンいってたころの歌を、あえてチョイスして、歌っている姿に衰えてはいるのだけれど、それを受け入れつつ淡々と今の自分を肯定している姿についつい感動して涙してしまったのも事実。

うんうん。生きてれば年老いる。老いればいろいろ出来ないことも増えてくる。自分のことでも、他人のことでも、老いに出会うたびに嘆くのではなく、こういう風に淡々と受け入れつつ、ひとつひとつ、覚悟を決めて付き合っていく、そうやって「傾斜した坂道」を下るのではなくて逆に上っていくのですね。
やはり名作「傾斜」は歌われなかったけれど、その精神はライブに満ち満ちていたのだった。
傾斜の歌詞、興味あるかたはこちら
改めて読み返すとやはり若い人の書いた「老人観」だね。好きだけどw

そしてやはりあの人のことも思ってしまった。

老いて、枯れた勘三郎の芸が見たい。
元気一杯でオラオラ状態じゃなくて、身体も動かなくなってもいい、台詞がちょっとくらい入らなくてもいい、そうやって一皮も二皮も剥けた勘三郎が見てみたい。

本人はそんなの嫌かもしれないけど、とにかく生きてなければ老いることも出来ないんだから。
生きつづけて、老いさらばえて、それでも芸を見せて欲しい。

勘ちゃんの父親だから、ということではなくて、一人の稀代の名優の老境をぜひとも、ぜひとも見届けたいのです。

 


3がんばれ!9はがんばってるぞ!

2012-11-15 | kabuki a Tokio

錦秋舞踊公演@八王子昼の部行って来ました。個人的にはラストの予定。

自分的ラストの癖に、なぜか遅刻してしまい吉原雀は半分くらいしか見られなかった。ボーっとしてるうちに終わってしまった。至極残念。
芸談は、五反田までの自由質問がなくなってた。これは勘三郎の病状についてごちゃごちゃ突っ込まれるのがいやだったんだろうな、きっと。客に成りすましたマスコミとかいないともかぎらないしねw
秋の色種は、本当につまらないんだけど、そのつまらなさを楽しむことに成功w。
國久と仲之助は対照的な性格なんだろうな。きっちり真面目にやる國久、大雑把で適当な仲之助。と決め付けてみる。

近江のお兼


デキとしては五反田の夜の部がいちばんだったかな。この人、よくなったなあと思うとまた突然変になったり、相変わらず波がある。大原女・国入奴もそうなのだけれど、エプロンステージすらない舞台なので、花道で踊る振りがまったくできないのも踊りを魅力的でなくした一因かも。
やはりこの踊りはこの人のものじゃない。苦手演目の勉強のつもりで選んだのかもしれないけれど、勘ちゃんがどこぞの芸談で珍しくきりっとした顔で言っていたとおり「地方巡業でも本公演でもお客様にお金をいただいてお見せする芝居で勉強だなんてとんでもない!」と思います。
ま、お弟子さんに比べれば金取れる水準ではあったけどねw
綺麗なだけでちやほやされてるうちに、本当に実力つけておくれよ!
タイトル、最初は9も7も、にしたんだけど、やっぱりあとで7は取っちゃった。だってアレじゃ「がんばってる!」とは書けなくて。いや、がんばってるんだろうけど、役者は結果だから。

大原女・国入奴


見れば見るほど大変な踊りだ。
上半身の着こんだ状態に比べて、下半身はそのままなので、たぶんバランスがハンプティダンプティ状態。その上、ずっと面をくわえてるわけで、視界は50センチしかないらしい。そもそも面をくわえっ放しで10分以上踊るなんて、それだけでも信じられないし。無理。口が疲れるw
顔(表情)でごまかせるわけでもないし。男に振られた振りのところでも面はニコニコしてるのにちゃんと哀愁が出てたのはさすが。
いつかも書いたと思うがやはり、マゾじゃないとやらない演目だわ。
もう大原女が大好きすぎて、後半の奴は(個人的には)つけたし状態。
四回も見て、そのたびに「ああ、今度は大原女見ながら下にはあのすごい隈取があるんだぞ!ってニヤニヤしよう」って思うんだけど、いざとなるとしたの隈取、一切忘れちゃってる。それだけ大原女が魅力的ってことなんですよね。
奴については早替わり直後のすっきりした様を見せる状態が白眉。もう少し愛嬌があってもいいのにな、という思いは最終日(あたしの、ね)まで変わらなかった。

…というわけで父親の病状報道を気にしながらも、この日はまだそこまで深刻だとは思ってなかったので、まあ「息子たち、がんばれがんばれ」気分で見られたのですが・・・


IDは痛い

2012-11-13 | spectacles

IDと打ち込んだら過去の候補で「IDは大事」ってのが出てきた、いつ何について書いたタイトルなんだろう?w

というのはともかくとして。

日の浦姫物語@コクーン見てきました。

例によってフジタツと大竹しのぶがでる井上ひさしの作品だ、ということ以外は何も知らずに(それでも知ってるほうかw)出かけていったわけですが、説教節がらみの話だったのね。ところで日の浦姫という説教節は実在するのだろうか?ちらっとぐぐっただけでは出てこなかったので、ここでは井上の創作だということにしておく。大前提が間違ってるかもしれないという怖ろしい感想をこれから書きますw

冒頭から暫くは大竹の童女ぶりが気持ち悪かったり、絶世の美女設定に違和感があったり、これ、宮沢りえがやればよかったんじゃないの?などと思っていたのだったが、最終的には大竹で納得。
やっぱ巧いわ。
そして、よくよく考えたらものすごーく気持ち悪くて悲劇的なストーリーをここまで上質なトラジコメディに仕立て上げられたのは、演出もさることながら、大竹の力なんだろうなあ、好きではないんだけど認めざるを得ない。

マスコミ的にはこの場面ばかりが宣伝されているようですがw

しつこいくらいに女の一生の「誰が選んだのでもない自分で決めた道だもの」(すげーうろ覚え)の台詞が出てくると思ったらこの芝居、最初は杉村春子に向けて書かれたものだったのね。杉村が絶世の美女だったんなら大竹大セーフw
てかたぶんコメディエンヌのセンスは大竹のほうが上だったんじゃないかな。

兄と密通して子供を生み、成長した息子と再び密通・・・グロテスクでエロティックな話かと思いきや、芝居を見終わるとそこには、ひとりの女の精神の成長と浄化の記録、みたいなイメージがすっと一本の道のように開けていて。

狂言回し的な説教節語りの夫婦(と思わせて実は・・・)の存在が陰惨な物語の救い(と思わせておいて)最後に逆転する井上得意のどんでん返し。後味の悪い終わり方は好みなのでw満足でした。
不満といえば、当然このどんでんは予想できてもよかったのに、なぜか勘が鈍っていてまったく「してやられて」しまったこと。
そして、顔を覚えない名人としては[

吉田綱太郎と吉田日出子?」と思っていた二人が(吉田日出子はまさかね?と思ったけど声が似てたんだあ)「木場克己と立石涼子」だったのも不覚。立石さんはほとんどしらないのでともかく、木場吉田って、あたし本当に区別つかないんだなあ。。。

こうやって見ると、木場さんだわねぜ確かにwそして吉田さんにしたら若いわねぇ。立石さん、下手な歌舞伎役者より三味線お上手でした。

大竹と説教節二人の存在感が大きすぎて、フジタツの影が薄いのは、まあ作品自体が「日の浦姫物語」だからしょうがないのかな。好きな役者ではあるんだけれど、そろそろ「いつものフジタツ」じゃない顔も見せてもらいたいのだが。
孤島の岩場で俊寛みたいな扮装を見たときはちょっと期待したんだけど、あっという間にその場は終わっちゃったし、やっぱり丸顔の老け役はヘンだったw

井上作品ならではのたかお鷹とか辻萬長などのおなじみさんも手堅く活躍で、あちこち笑いを取りすぎ?(客が笑いすぎ?)なところもあったけれど、まずは興味深い舞台でした。

小屋がコクーンだったこともあって、舞台装置、時代設定、台詞回しなど、女性が出ていることを除けば限りなくコクーン歌舞伎に近いなあ、歌舞伎と現代演劇の境目って本当にどこにあるのかわからないなあ、などとも思ったりもしたのでした。

おっとまた忘れるところだったw

タイトルは、キーポイントになる台詞「アイデンティティ」から。この、下手に使うとものすごーくだっさいタームをとーほぐなまりの「あいで!いでぇ!」に変身させた井上のセンスに脱帽。


そして、冒頭のIDは大事、のタイトル、やはり同じ井上作品の『雨』を見たときにつけたタイトルだったことが判明。井上作品を見るとIDについて考えたくなるのだな、あたし。(11/15追記)


兄弟げんかは犬も・・・食いますか?

2012-11-12 | kabuki a Tokio

五反田ゆうぽうとに錦秋兄弟公演を見に行ってきました。昼夜見たうちの夜の芸談がタイトルの由縁。感想は昼夜まとめて。ってか二日前に見たばかりなんでそうは違わないですがw

吉原雀

二度目、三度目ともなると詞章を聞く余裕も出てきて(前回は衣装の色と手先足先を愛でたら終わったw)、ふむふむ、情景が目に浮かぶぞ、みたいな素踊りの醍醐味も。

芸談

昼は割りと真面目な話。夜は兄弟くつろいで内輪話って感じ。夜の勘九郎の旅番組関連で、最初は真面目に萱野三平宅に行けて感動したって話をしてたんだけど、七之助がそれについて「そういう経験ができてうらやましい・・」みたいな無難な感想を挟んだのにいきなり強烈に勘九郎が反応。腹抱えてるからどうしたのかと思ったら「お前、一度もおれの番組みたことないだろ、よくそういうこといえるね!」といきなりの反撃。
珍しく七之助がしどろもどろになって「いや、一度見ました一度」
ソレに対して勘九郎が「一度って、それ七緒八が出たからだろ」。久々の突っ込みかんくろー節を堪能しました。
その後会場にいた小山三を見つけて「あの人も、一緒のロケバスに乗ってたときに世界遺産(ナレーション担当)がテレビでかかってたら『こんなつまらないのじゃなくてニュースにして!』って言ったんだよ!」ととどまるところを知らぬ暴走ぶりでした。
あれ?どこが芸談なんだ?w

ところで武藤まき子さん、ヨシハラスズメってのは如何なものでしょうかね?ぽっと出の新人アナじゃあるまいし。

秋の七種

特記事項なしw

近江のお兼

これ、凄くよくなってた。初日はやっぱり硬かったのかな。

愛嬌も出てたし、まあ力持ちに見えないのはしょうがないとしても、踊りとしては格段に魅力的になってた。晒しの扱いはやはりゆとりは感じられなかったけれど。
しかし仲四郎は絶対立役のほうがルックスいけてるのに頑固に女形なんだね。

 

大原女・国入奴

うん。好き。

女形も出来る立役ならではの柔らかい動きときびきびした見得。これ、勘九郎の当たり役になるんじゃないかな。
踊ってる時間の半分以上顔が見えないのはファン的にはさびしいけど。
早替わりもいくらかスムーズに、てか、初日は後ろ向いてやってたのに今回は前向いてやってる。そのほうがやりやすいのかしら。ちょっと面を取ったりするところが舞台裏見ちゃうみたいで、個人的には後ろ向いてやってくれたほうがよかったなあ。

 

夜の部はねた後、ロビーで愛さんに連れられた七緒八少年発見。当たり前のように(よちよちではなく)歩いていた。
ピエロカラーの白地に黒のシルクハット模様のシャツは誰の趣味だ?愛さんも演舞場よりカジュアル仕様の小紋で、やや普段着でお出かけ?二人揃ってあまりハイソな感じじゃなかったw

いや、可愛かったですけどね。

 


親バカンクロー

2012-11-10 | kabuki a Tokio

勘九郎七之助錦秋公演初日昼の部@町田見てきました。

あっというまに今日もまた同じ公演をゆうぽうとで見るわけで。(11/12)。

とっとと書いとこう。

吉原雀

素踊り。何がいいって、勘ちゃんの着物の色。浅葱をもっと淡くして、そこにひとたらし紫を加えて、銀鼠をかけたような、なんとも上品で深みのある、いい色です。この色が出たとき、染物屋サンはしてやったり!と思ったんじゃなかろうか。
この踊りそのものは、正直拵えして踊っていてもあまり良さがわからない(どうも廓物舞踊は、粋筋経験がないので、苦手)ので、ただただ勘ちゃんの衣装と手先と足もとをぼーっと見つめておりました。
弟くんについては、女形が板についてきたなあ、と。ここまで背を盗んで踊ってなかったよなあついこないだまで。

芸談

つまらん、おまえの話はつまらん。

は、名前が変わってもあまり変わってないw
頭がよくないのかおっちょこちょいなのか、ちゃんと考えずに話し始めて、とりとめがなくなって、クールに弟にまとめてもらう、ってパターンw
息子がお囃子で踊りだすとかめ組の見得決めるとか、熱っぽく語っていて、完全に親バカ。ここは叔父さんwも「うちの子wは愛読書が演劇界」とか言っちゃって叔父馬鹿決定。


秋の色種

弟子ーず踊り。中村屋の弟子ーずは本当に踊り駄目だなあ。旦那も若旦那も巧いのになんで?ちゃんと教えられないのかな?長嶋タイプかも。
紀伊国屋でちゃんとやってきた國久と、地歌舞伎の素養があるいてうがなんとか形になってるが四郎とノスケの仲コンビは・・・うーん。鶴松だけじゃなくて弟子にもちゃんと教えてやってください、中村屋さん。今はそれどころじゃないだろうけど。

近江のお兼


自分でやりたいといったらしいけど、力持ちのしっかり者、には見えないやね。父も兄もやってるからやりたかったのかもしれないけど、七之助の魅力を発揮する踊りはこういうのじゃないと思うなあ。お兼だから緑の拵えなんだけど、妹背山のお三輪に見えてしまって、やっぱりなよなよなのよ。
馬が出てこないのも残念だったけど、捕手が弱い女をいじめてるように見えてしまった。
晒しを振るところもまだまだいっぱいいっぱいで、うーん、こんなんなら演舞場の向こうをはって汐汲とかやればよかったんじゃ?と思っちゃった。

大原女・国入奴

三津五郎さんくらいしか踊ってない珍しい踊り、と勘ちゃん言ってましたが、あたしは翫雀さんで見ましたよ。
翫雀さんが花道に出てきたとき「うわああまた太った?」と超びっくりしたのでよく覚えてる。あれは、奴の衣装を下に肉代わりに来て、「ころころ太った可愛い女の子」を表現してるのよね。勘ちゃんがでぶでぶなので、わざとだと、よくわかりました。翫雀さんだと素なのかわざとなのかわかりにくいw
アレだけ肉着て、しかも面踊りの時間が長くて・・・これは大変でしょう。誰もやらないはずだw
よほどの踊り手かマゾじゃないかぎり。あれ?翫雀さんってマゾ?w
素朴で可愛い女の子、はお手の物。だけどお疲れ様でごじゃる。
女の子なのに倒立もどきwやっちゃって、そのときにつけ帯が取れたのは初日ならでは?
このまま拵え全部取れて、子供の時の供奴みたいに裸で踊る羽目になる?と一瞬期待心配したけど、それ以上着崩れることはなかった。残念。

生着替えのときも後見さんともどもちょっともたついてて、まあここらへんは数重ねるうちによくなるでしょう。奴は得意中の得意のはずなのだけれど、さすがに前半の大原女がハードすぎて、ややお疲れ?動きはともかく表情に生彩を欠いていたような。

いやあしかし、やっぱり勘ちゃんの踊りは見てるだけで疲れが取れて、万病に効く気がする。
どこぞの誰かににらまれるより、ずっと風邪が治りそうwww

 

町田市民ホール、兄弟会はほぼ毎年やってる気がするんだけど、年々客が増えてる。まあ今年は襲名効果もあるんだろうけれど、超満員に補助席まで出ていて、いやあ、父抜きでも補助席でるまでになったか、とうれしいようなさびしいような、微妙な感覚。

さてでかい箱のゆうぽうとはどうなのでしょうね。

 


キノシ「小」サーカス

2012-11-09 | kabuki a Tokio

明治座夜の部、見てまいりましたわ。

天竺徳兵衛新噺

いきなり、冒頭から時事放談で腰が抜けた。先代もやっていたそうだけれど、当代は、話は巧いのだろうがなんか愛嬌がなくて、客の「つかみはOK「とはならなかったような。

妖術を父親から授かる場面は数年前音羽屋で見た『児雷也なんとか』とほぼ同じ設定で、亡霊役(今回は猿弥)を、病中だった松助がやっていたのを思い出してしまった。座ったままで口跡も弱く、心配していたら・・・あれが最後の舞台だったと記憶。ちょっとうるっとしたけれど、その後はうるっとする間もなく、あれよの展開。とにかく児雷也だけじゃなく、毛剃、鳴神、五右衛門・・・いろんな世界がない交ぜという名のごった煮で登場するし。

とにかく、蝦蟇は動くは、くすぐり台詞は多いは、入れごとだらけだは、本水、つづら抜け、宙乗り、早替わり・・・「新」噺というだけあって、猿之助(先代ね)歌舞伎を絵に描いたようなてんこ盛り。
猿之助歌舞伎が当時、守旧派?評論家やマスコミから木下大サーカスをもじってキノシ(本名の喜熨斗から)大サーカスと呼ばれていた、というのもなんとなくうなずける過剰(あたしにとっては)サービス。

その分本筋はむちゃくちゃで、たぶん客の八割以上はどういうストーリーなのかわかってなかったと思うが、せつなを楽しめばいいんだろうね、こういう芝居は。

ただ・・・演出の派手さの割に、主役である当代猿之助にイマイチ覇気が感じられなかった。
主役の圧倒的な存在感が大前提の演出だと思うんだけど、なんだかしょぼんとしてる感じで、淡々とああいう芝居を演じられても、見てるほうが引いちゃうんだけどなあ。
昔の亀ちゃんの鼻膨らましてる感じは嫌いだったんだけど、古典で鼻膨らまして、こういう芝居を淡々と、ってあんた逆でしょ、と思っちまった。
若手の時は鼻膨らまさないと存在感が示せなかったけれど、猿之助になったら少しは格上げようとか思っちゃってるんだろうか。
いや、そういうことではなくて単に疲れてるんじゃないかなと思うんだけどね。声も荒れてたし。
蝦蟇の中の人になってたのがいちばんよかったかなあ。やたらとんぼのきっかけをつけるのが巧い中の人だなあ、ひょっとして、と思ったらやっぱりひょっとしたw

中盤の小平次篇がいちばん安心してみていられたかな。やはり亀ちゃんwには女形、しかも悪婆がいちばんよく似合う。そして亀ちゃんの女形はやはり太地喜和子に似てる。勘三郎に感想を聞いてみたいw
小平次も、殺されても殺されても死なないあたりのグロテスクなおかしさが、この役者の本質ととてもよくあっていて、立役だったらこういう白塗り小者(小仏子平とかよさそう)が似合う。

他の役者では、米吉が女形として著しい成長を見せているのと、円熟の寿猿がよかったなあ。あ、どっちも小兵次篇だ、やっぱり。
小平次篇以外だと、奥方役の萬次郎もよかった。久々に綺麗な役で、やっぱり顔つくると(たるんでるけど)綺麗だわこの人。

先代の芝居を見てないので事実関係は不明なのだけれど亀鶴の奴と右近の役がかぶっているような気がしてしまった。あれ、ひとりでよかったんじゃないの?

 

…というわけで、てんこ盛りの割にはあたしだけじゃなく客席全体にそれほど盛り上がらず、なんだかいろんな意味で「小さかったなあ」という印象だったのでした。
亀ちゃん(違うつーに)、本当はもっと普通の歌舞伎やりたいんじゃないのかなあ。そのときはもう鼻膨らまさないでね。


そしてまたあたためられて。

2012-11-07 | cinema

身体は冷えてるちゅーに。映画『最強の二人』見てきました。

 

正直、予告編見たときはあまり見る気にならなかったんですわ、『最高の人生の見つけ方』のフランス版みたいな話だろ、って。

でもあちこちの映画評ではやたら評判がいいみたいだし、ヨーロピアン映画鑑賞会(会員三名w)の定期総会に、他に見るものもないし・・・。ってことで、とりあえず出かけてみたのです。

うーむ。

別につまらなくはないし、いいお話だし、俳優は二人とも、いや脇も含めて魅力的だし。

だけど、そんな絶賛するほど?というのが正直な感想です。

最高の人生の見つけ方のあほらしいまでのご都合主義展開ストーリーに比べればまあマシなのかもしれないけれど、とりあえず、実話だからなのか、演出や脚色の問題なのか、数々のスラングや、差別擁護の連発で大胆っぽく装ってはいるけれど、実は肝心の部分はお茶を濁したり、綺麗に描写しすぎたり、でとても「タブーに切り込んだ問題作!」とか「ショッキングな問題提起」とか、ブロガーさんや映画評論家さんが絶賛してるような感動はなかったんだよねぇ。

身障者に対して対等に振舞うためには無知を武器にするしかないのか、っていう突っ込みもしたかったけど、それは実話どおりですから、って言われちゃうだろうしねぇ。こちらが現実の金持ち身障者とアラブ看護人。アラブをマグレブに変えたのは、役者の選定以外に他意はなさそうだけど・・・


看護人のマグレバンのどこを(遠慮せずに悪態つくところ以外に)大金持ちの身障者が気に入ったのかもいまいちよくわからなかったし、文通相手の女と(恐らくその後再婚するんだろうけれど)が描けてないので、どうせ金目当てじゃないの?なんておもっちまうし。

クラシックの退屈さvダンサブルミュージックのかっこよさとか、前衛芸術の評価のいい加減さ、スピード違反を取り締まる警官が身障者だと知った瞬間及び腰になる、など、「鋭いつもり」になってる描写もいずれも類型的で、とても感動までいたる深さはなかったし。

脇役のおばちゃん(室井滋に似てる)とか色っぽいレズのおねえちゃんとか、雰囲気はフランス映画っぽいしゃれっ気もあったんだけど全体に、フランスエスプリwをまぶしてみた、中身はハリウッド的ハートフルコメディ、としか言いようがなかったなあ。

先日見たアーティストもそうだけれど、本当にフランス人って最近アメリカンだよねぇ。

映画見る前に行ったフランス系ブーランジュリ・カフェのお姉ちゃんもやたらにこにこして愛想よかったし。

ちっ、つまらねぇ。

 

前日の演舞場でのほのぼの二連発でおなかいっぱいだったところにまた~だったので、必要以上に感想が斜めになっているかもしれませんw
素直にこの映画で感動したり驚いたりショックを受けたりする感性が、欲しい(嘘)。

 


心あたたまりすぎ

2012-11-06 | kabuki a Tokio

演舞場昼の部、見てきました。

双蝶々曲輪日記
~半通し~

どこか上方で一度見て以来の井筒屋、難波裏におなじみ引窓。ところでここでの難波の読みはナンバ?ナニワ?誰か教えて。たぶんナンバだと思うんだけど、さる知識人がナニワウラと言っていたのを耳にしたので自信がなくなった。

てなことはともかく、二ザ様は休演のままだったけれど、松嶋屋・成駒屋を中心とした上方役者がきっちり脇を固めて、なかなかよかったです。

出てくるだけでザ・ナニワ!といった感じの寿治郎とか松之助とか、もちろん竹三郎とか。本当に貴重な存在だわ。

シンの役者でまず感心したのは時蔵。おはや以前を通しでやれるので有利かもしれないけれど、与兵衛を一途に思う女心が一本通っていてすばらしかった。最近時蔵さんいいよねぇ。息子が二人とも成長してるので負けるもんか!と思ってるんだろうか。
しかし、男を思うあまりに他の男に罪を押し付けてしれっと嫁に行っちゃうなんて、悪い女ねぇ、おはやさんw。
与五郎の扇雀、放駒の翫雀もいい。二人とも立場や性格が違うながら、邪気のない若者で、それぞれの風情をきっちり表していて。角力場では一人が変わることも多い二役を、顔の似た兄弟がやっているのもまた一興。
濡髪がねぇ・・・左團次にしては熱が入っていて悪くはないのだけれど、どうも色気と情が足りない。

幕間はさんで、ようやく引窓。与兵衛の登場で本来なら「待ってました!」と座が沸くところなのだろうが・・・

梅玉さん・・・人気ないねぇ。
代役続きですべてそれなりにがんばってるのに、拍手さえまばら。客って残酷。
出の華は確かにないし、前半は相変わらずの事務処理的演技wで、(サムライ姿を威張ってみせるあたり、もう少しこってりやれば十二分に可愛いのに!)物足りなかったのだけれど、濡髪とおこうと三人絡むあたりから俄然よくなった。
淡々としつつ、義理の兄?と母のことを思いやる心理の揺れが、とても繊細に演じられていて。あっさりとした芸風が逆に生きてきたという感じ。竹三郎のおこうがこってりとしているだけに余計アンサンブルとしてすばらしかった。
この場面、いつもおこうには泣かされるけれど、与兵衛の心理がイマイチわからなかったのだけれど、今回、主人公としては華が足りない?けれど、与兵衛としてはすっきりなじんだような気がする。
吉右衛門だと立派過ぎるし、仁左衛門だと人情深過ぎる感じがあったんだよねぇ。
梅玉与兵衛、はまり役だと思いました。

 

文七元結

 

中村屋で飽きるほど何回も見ているので、どうしてもそちらと比べちまうわけですが。
長兵衛さんの駄目っぷりはやはり中村屋のほうが徹底していて。音羽屋さんのはまだ生活に余力がありそうに見えちゃうw
文七も、菊ちゃんがやるとどこかのほほんとしていて、切羽詰ってないんじゃないの?みたいな感じ。でも、盗られたんじゃなくて置忘れだとばれたときものほほんとしている感じは、好きだった。文七って手代のくせに、なんつか超越した感じあるよね。勘ちゃんがやるとちょっと生々しすぎる感じもするんで。
いちばん好きだったのがここでも時蔵。扇雀のおかみさんがいつもやりすぎな感じがしちゃうlavieにとってはああ、中村屋にも時蔵さんがお嫁に来てくれたらいいのになあ、と思っちゃった。
もうひとり、とても気に入ったのが魁春の角海老女将。貫目と色気の両方がなければいけない難しい役だと思うのだけれど堂々としたもので、芝翫亡き今、またしても魁春さんが跡継ぎですかね。役者としては、芝翫さんの可愛らしさがないのが残念なんだけど。この女将や相模にはとりあえず可愛らしさはそれほど必要ないので、今月魁春もとても好き。
お久の右近は持ち役なんだけど、背も顔の長さも成長しすぎで、それこそ可愛らしさが不足しちゃったねぇ。鳶頭の松緑、その前にちらっと出てくる丁稚の大河のお目付け役って感じで二人とも本当にちょい役。ふだんの鳶頭より一応一つ二つ台詞は多いようだったけれど、熊谷の代役がなければ昼夜ここまでのちょい役だけの松緑って、どうなの?

笑いと涙の濃度は、中村屋のほうが濃いのだけれど、話の展開は最近の山田洋次に乗っ取られたw中村屋ヴァージョンより、従来どおりの音羽屋ヴァージョンのほうが好き。
なんでわざわざお久を継子にしたり、大詰めで長兵衛が必要以上にぼけてみせなきゃいけないのか、わからんのだ。

というわけで一長一短だな、というのが中村屋と比べての感想。

それはともかく、丸本物と落語由来と違いがあるとはいえ、ハートウォーミングな世話、つーか江戸ホームドラマを二つ並べる狂言立てってどうなんですかねぇ?
外が寒いからハートだけでもあっためて、というなら、夜の追い出しにあんな寒々しい狂言かけないで、こっちを追い出しにしてもらいたかった。

大御所の持ち役とタイムテーブルの関係でこうなっちゃってるんでしょうね。ったく、客より役者のほうが大事!かよ。

ま、そうだわなw

 

 


歌う地球儀

2012-11-03 | spectacles

沢田研二さまの2012年コンサートツアーファイナル@有楽町国際フォーラムに行ってきました。

うーむ。もう数年、ファンではなくなっている自分を自覚しつつ、昔世話になったおっさんの健在を確認する、くらいの気分で参加し続けているわけですが。

おっさんへの恩返しもそろそろいいのかなあ、って正直感じたり。

特に前半、いわゆる反原発ソングを歌ってるおっさんに対しての違和感たるや、ああ、彼は昔の彼ならず、と痛切に感じてしまった。違和感はいちーにーさんと三角印で三拍子をとりながら「♪かがやけいのち~」と会場にコーラスを要求したとき頂点に達した。
なんなんだコレは。地方の民音の大会か?(あるかどうかも知らないけど)。インターナショナルの唱和か(行ったこともないけど)。

わが窮状くらいまでは許せたし、この人は本来とても単純なLOVE&PEACE精神の団塊おじさんなんだとわかっちゃいるんだけど、FUKUSHIMAとかとーでん(当然と歌詞にはあるけど、確実にとーでんと歌ってる)とかナマ過ぎる言葉を使って直接的に訴えかけられたくないのよね。とくにこのおっさんには。
反原発とノーモアヒロシマを同次元で捉えた稚拙すぎる歌詞とかに触れるまでもなく、この人には善意しかないとわかっていても、どういう団体に利用されるかわからない危うさも感じるし。

ジュリーさんがやってるならついていく!という素敵なファンには一生なれないし、まあこのライブツアーは今回で終わりなので、今後こういう形式じゃなくなるなら、また楽しみに年イチ参加くらいは出来ると思うのだけれど。

なぜなら後半、いわゆる運動会状態になってからは、やっぱり楽しかったから。

推定+30キロの肉体を無理くり引きずってよたどた走りながら歌う姿は、かっこいいとも素敵とも思えないのだけれど、じっと見ているとある種の感動を呼び起こすものがあって。
ただおっさんががんばっている、ということ以上に、このおっさんには覚悟とか性根とか、そういう言葉で表現しちゃったら申し訳ないような野太いものが備わってるな、ということがびんびん伝わってくるのですよ。
個人的にはかなり嫌いな曲に分類される「MANGIARE CANTARE AMORE」にいちばんその野太い根っこを感じた。いいじゃんこの曲(豹変w)。

逆に過去の名曲でも「時の過ぎ行くままに」などを現在の声、姿形で歌われると、原作レイプ、は言い過ぎとしても正直「じゃない」感を感じてしまったことも事実。
最近過去のヒット曲を歌う率が減っているけれど、やっぱりご本人もそこらへんを自覚なさっているのでは。
ストリッパーあたりは今歌っても全然OKなんだけどね。もっと前の曲でもきみを乗せてはぎりぎりOKなんだけどね。ジュリーがもっともジュリーであった安井かずみ・阿久悠的世界がいちばん似合わなくなってきてるのかな。

タイトルはこの写真の(一般人の盗み撮り?を再掲していいのかどうか、よくないよねw→ちっちゃくちっちゃくしておきます)服でぶんぶん走ってるときに感じたこと。

青から茶へのグラデーションのシャツが、走ってる勢い+本人の肉でバルーン状に膨らんで、その上に、架空の国旗っぽいものをデザインしたネクタイが踊ってる姿が、まるで地球儀に見えたのです。
今回のツアーのテーマを見事に表現した、秀逸な衣装だと思います。そしてこのパフォーマンスをするためには、やはり中の人の膨らんだ肉体が必要なのだ、とwww

いや、後半は本当によかったので、もう、下手な説教ソングとはおさらばして欲しいです。

後半の「気になるお前」のコーラス強制はそんなに不自然でもいやでもなかったのだから。でもやっぱりなんか「会場と一体化」ってジュリーっぽくないけどw

 


彼らはtired、彼はretired

2012-11-02 | kabuki a Tokio

顔見世大歌舞伎夜の部見てきました。こんな顔見世、ちょっといやだなあ。。。いろんな意味で。 

熊谷陣屋

本来取っていた夜の部の日、遅刻またはいけない恐れが出てきたため、念のために取った予備日だったのだけれど。
なんと、二日目にして熊谷の仁左衛門休演、代役松緑の初役(たぶん)初日という、ある意味ラッキーな廻り合わせ。いや、ラッキーというのは若手の初役を見られるラッキーでありまして、仁左衛門さんにはぜひとも後半には復帰していただきたい。

で、松緑、花道の熊谷戻りの顔は実にりっぱ。少しやせたせいか、熊谷の隈が似合って、一瞬團十郎かと思ってしまった。(もちろん褒めてる)。
姿、ニンははまってると思うのだが・・・まずはいっぱいいっぱいの緊張感が台詞にも所作にも現れてしまっていて。台詞まわしも團十郎かと思ってしまう場面があちこちに(こっちは褒めてないw)。ひょっとして成田屋に習った?
型が上方ではなかったようなので、仁左衛門に習ってないんだと思うんだけど。
たぶんいきなり代役言われて翌日、なので仕方がないとは思うのだけれど、どうせ誰も100パーセントできると思ってないこういう環境だからこそ、もう少し破れかぶれというか思い切ってやってみればよかったのに、と。なんとなく大失敗を恐れて手探りのおっかなびっくりと見えてしまったのが残念。
藤の方の秀太郎はとても情感があっていいのだけれど、声が弱弱しくて、弟同様あまり元気じゃない?と心配になってしまった。元気じゃないのは左團次も。こちらは疲れてるのを上手に手抜きでかわしてる感じ?
そんな中の見ものは相模の魁春。芝翫亡き、そして山城屋老いた今となっては当代一の相模だと思う。
気概を持った武家の女房をやらせれば右に出る人はいない。政岡なども見てみたいが、人気がないのよねぇこの人・・・どうしてここまで、とおもうほど拍手がない。
そして兄の梅玉、昼の部では仁左衛門の代役をまたまたやっていて、本当に大忙し。この人が倒れたら誰が代役やるんだろう、と思うほどの代役エース状態。義経はもう、天下無双でしょ。この義経で初役熊谷やれるのは松緑にとって大幸運なのだから、緊張がとれたらきっとよくなると思うので、期待します。
見届けに再び行くほどの愛はないのだがw

汐汲

山城屋さん、巡業初日の踊りの振りのはいってなさに愕然としたり、その後先月の義経で絶句したり立ち上がれなかったりの噂(私が見た日はそんなことなかったけど)で実はいろいろ心配していたのだけれど。

いやあお元気でした。もうむちむちのっぺり!遠くから見たら完全に40代!
動きも、ここ数ヶ月のなかではいちばんシャープじゃないかしら。少なくとも80代でみた京屋よりも晩年の成駒屋よりもまだまだ動ける感じ。なにより極まり極まりでみせる「おれを見ろ光線」が半端じゃない。
引き抜き後の真っ赤な衣装がまた似合うこと!世界一赤の似合う80代じゃなかろうか。
翫雀が父に付き合うここ一役っていうのは今月あまりにもったいない。上方型の熊谷、この人が代役でもよかったんじゃなかろうか。少なくとも日替わり代役とか、ありえなかったのかなあ。この人も人気ないからな・・・・

訂正
すみません。翫雀さん、昼の部で放駒やってました!どっかwでみた放駒とてもよかったので、楽しみです。でも熊谷もちょっと見てみたかった。かわいらしくて悲劇性が足りないか?w

 

なんちゃら四千両んちゃら 四千両小判梅葉

黙阿弥もので見たことない作品で、外題は四千両しか覚えてない。

ってのもあまりに酷いので一応調べました。後で自分でもなんのことかわからなくなるもんねぇw
えーと。

上の通りです。調べてもあまり意味のなさそうな外題だったw

で、作品。

うーん。

顔見世の夜の部の追い出しにこれってどうなの?というのが正直な感想。

芝居というよりドキュメントwに近い感じ、いわゆる犯罪実録物?
場面はほとんど暗く、江戸の夜と牢内が主なので、ずーっとくすんだ背景、くすんだ衣装、綺麗どころはひとりも出てこないし、テンポもゆるくて、どうにも気が晴れない。つーか寝ろ!といわんばかりの展開。
初めて見る作品なので寝はしなかったのだけれど、とにかく長くて長くて、盛り上がりはないし、
何も顔見世でコレやらなくても、音羽屋さん・・・劇団得意の立ち回りも一切ないし。
菊ちゃんも松緑もびっくりするほどちょい役で、いやあ松緑なんて、今月これと文七の鳶頭だけですか?
熊谷代役なかったらどんだけ贅沢な配役なの?
せっかくらーぶ!になりかかった菊之助がまたいちばん似合わない白塗り町人の役ばかりだし。文七はまあともかく、新入り牢人なんて、菊ちゃんがやらなくてもいいのに。
いまやナンバー3に出世した萬太郎がここでも熊谷でもせりふが一個ずつくらいしかないのは、まあしょうがないけど、菊ちゃん松緑はもう少し活躍させてやろうよ・・・

リアルな大牢の描写など、興味深い部分もいくつかあって、まったくつまらないというわけではないので、酷評もしにくいのですが、特に「顔見世」と銘打ったせっかくの場面でここまで地味な狂言をかけなくてもいいでしょ、と思ってしまいました。

あと、物凄くちっちゃなことなんですが台詞のなかで隣家の人を「耳の不自由な婆さん」と言っていて・・・これって絶対本来は「つんぼの婆さん」ですよね?歌舞伎のこんなところまで「言い換え地獄」が及んでるのかとちょっとぞっとしました。つんぼと耳が不自由は絶対違うでしょ。どうしても言い換えなきゃどっかの団体が怖いってんなら「耳のきこえねぇ」とか工夫したらどうなの?それはそれでなにその説明台詞って話なんだがw

本来チケットを持っている日、この狂言にはたぶん間に合うのですが、もうチケット捨ててもいいかな、と思っちゃった。

 休演の仁左衛門含めて今月顔見世の座組のかなりの面子が、御園座からの平行移動なんだけど、御園座組の重鎮がお疲れ風情で、勘九郎ファンとしては申し訳ない限りなのだった。仁左衛門は12月も2月も付き合ってくれる予定なので、本当に今月みたいファンには申し訳ないけれど、ゆっくり休んでじっくり治していただきたい。10-12の三ヶ月連続は70近い病弱の爺さんにはきついよ、やっぱり・・・
そして松緑くんは、チャンスを生かして、じっくり熊谷をものにしていただきたい。成田屋に習っちゃだめよん。(噂では播磨屋に習ったらしいが・・・。なぜせりふが成田屋風味w?)

↑追記。秀太郎さんのブログを読むと直接誰かに習ったというより、祖父豊松緑のビデオ先生だったみたいですね。豊松緑は成田屋に教えたわけだから、成田屋っぽい台詞回しというのは、当たってたわけですね。あたしは豊松緑はナマで見たことないからなあ・・・
仁左衛門、早ければ8日復帰か。梅玉さんはそのほうが喜ぶだろうけれど、松緑くんにはもう少し経験させてやりたいような気もしたり。昼だけ早め復帰、とかいうわけには行かないんでしょうかね。