laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

本気と書いてマジと読む

2010-01-19 | kabuki a Tokio

夜の部の身体が震えるほどの感動はなかったものの、幹部役者全員本気と書いてマジと読む全力投球状態で心地よい観劇でした。歌舞伎チャンネルの収録が入っていたので中だるみもなくて運がよかったのかも。

 

 

娘七種

 

おめでた曽我もののなかでもいちばんなんちゃって度が強い(lavie調べ)舞踊なので、気楽に、気楽に。福助静御前きれい。橋之助五郎かっこいい。染五郎十郎優しそう。別に見なくてもいいけど見たら見たで幸せ気分になれる、ある意味舞踊の王道、ひとつめ狂言の王道。

 

石切梶原

 

本気と書いてマジになってる幸四郎がなかなかいい。
幸四郎の時代物は、例のもごもご口調と、時代ぶりすぎる大げささが好きじゃないんだけど、どちらも今回はあまり気にならなかった。
歌昇の俣野が絶品。この人の赤面は急速冷凍保存して次代に残したいほど素敵だわ。
ほか、おおむね役者は好演だったのだけれど、個人的にこの芝居自体があまり好きではないのだ。自分の理解力が足りないだけなのかもしれないが、いくら源氏びいきだからって、平家に属しておきながら源氏のために味方の武士をだまして名刀をわが手に入れるって、ろくなもんじゃねーと思ってしまう。

まあ今回の芝居、そのろくなもんじゃねーっぷりが高麗屋の風貌にマッチしていたのでますますよかったともいえるのですが。

あと、変な大向こう多すぎ。お決まりの「役者も役者!」は間がとれてないど素人のおばさんがかけやがるし、幕切れにこれはプロと思われる大向こうから役者なんちゃら!とまたしてもへんな大向こう。知人に確認すると「役者千両!」と言っていたそうですが、「役者年表!」とか「役者ですよ!」とか聞こえてしまった。なんじゃそら、と脳内混乱、芝居の後味消し飛んだよ。

 

勧進帳

 

現歌舞伎座最後の勧進帳は成田屋。

個人的に團十郎の弁慶に名調子はまったく期待していないのだが、そんなことより気になったのは全体として元気というか覇気というかエネルギーというかオーラというか、が感じられなかったこと。かなり疲れているのだろうか。
声に張りがなく、足元が怪しい瞬間も何回か。
成田屋弁慶のいちばんの魅力であるおおらかさ、暖かさがちょっと感じられなかったのはさびしい限り。

ただ、その弱弱しさはかなさが後半思わぬ味となって、後述する義経の存在とあいまって、弁慶の必死さ、ぎりぎりの危うさを際立たせ、実に成田屋の弁慶では初めて「判官おんてを・・・」でむせび泣いてしまったのだよ。役者って絶好調ばかりが(結果的に)いい芝居とは限らないのかね。深いなあ。

義経を絶賛する前に富樫。実は富樫梅玉、義経勘三郎と聞いたとき、逆じゃねーの?とぶーたれていた。勧進帳の義経は1に芝翫、2に梅玉と決め付けていたし、梅玉の富樫はどうにも冷たくてお役所仕事をしている中堅管理職(まあ当時の富樫はまさにそうなんだが)にしか見えないんだもん。腕カバーして、指をなめなめ「決済」のはんこ捺して、めんどくさそうにあくびしてそう。

…と思ってたんだけど、昨日の富樫は本気と書いてマジと読む。うん。やる気出してたね。どこがどうっていうわけでもないんだけど、特に後半、酒盛りの時の弁慶を見つめる目や、幕切れで花道の弁慶を送る目に、自ら死まで覚悟して義経一行を見逃す決意みたいなものが伺えた。富樫、梅玉としては最高によかったです。

で、本日のMVPは文句なく勘三郎の義経。先ほど書いた1に芝翫2に梅玉の先入観を覆す、実にもうなんともいい義経でした。本気と書いてマジだった。しつこいですね。
最近の勘三郎の芝居によく感じることなんだけど、勘三郎の芝居を見せつけるのではなくて、ふんわり、ごく自然にその役になりきっちゃってる

ああ、いい義経だなあ。。。と思ってふと見ると勘三郎だった、って感じ。
ただ座っているたたずまいが悲劇の御曹司。運命に翻弄され、兄に疎まれ流浪の身になった憂いが全身に漂っている。行儀の悪さが一ミリもない。そういう点では義父の芝翫義経より上かもしれないとすら思った。
いい意味でも悪い意味でも俺を見て見て!の下品さが身上だと思っていたこの人のどこからこの上品さが出てくるんだろう。身体の中から引っ張り出してきたんだろうね。
この人は最近どうなっちゃったんだろう。正直ここ数ヶ月の勘三郎は神がかっているとすら思う。おそらく役者としての最高点を今極めている(逆に言えばこれから下る?)んだと思うが、一人の名優の最高点に立ち会えた喜びを素直にかみ締めつつ、最高点が長続きすることを願わずにはいられない。

ただ、個人的には勘三郎を好きな自分がいまだに嫌い、というか慣れないのも事実。はははは

四天王・従卒は地味といえば地味だがそつなく仕事をこなすメンバーで、かえって三人を際立たせる効果があった。四天王にイケメン御曹司とかいるとついついそっちばかり見ちゃったりするもんね
太刀持ちが梅丸でなかったのが意外。なぜ?
ごひいき玉太郎、姿勢悪いよ、かわいいけど。ここは背筋の伸びた梅丸で見たかった。玉ちゃんごめん。

團十郎の体調が気にかかりつつも、その不調ぶりが逆に舞台効果となって堪能できた勧進帳でした。

 

松浦の太鼓

 

播磨屋、うまいなあ。本気と書いてマジになってる。はい、しつこくてすみません。もうこれで終わりです。

ただ、うますぎて、ちょっといやみというか、わざとらしかった。この芝居もあまり好きじゃない要因になってるんだけど、松浦の殿様って、要するにあほでしょ。
風流とか風雅を好むのはかまわないが家来や他人にまで押し付けて、上機嫌になったり不機嫌になったり。ただのわがままというには度がすぎて、やはりKYのあほとしか見えない。
反体制派(なのか?)lavie的には権力の不条理!なんて怒りもこみ上げてきたりして。おぬいちゃん怒れ、怒れ!

で、そういうあほなわがままぶりが吉右衛門には似合わない。なにか裏できちんとしたことを考えていそうな期待をしちゃんだよね。でも結果ただのあほなんだけどさ。

これはlavieが見た中では勘三郎とか仁左衛門がちゃんとあほに見えて(ほめてる)よかった。
とにかく「播磨屋うまいなあ」と冒頭で書いたとおり、それ以上でもそれ以下でもない。「播磨屋の芸」を堪能するにはいいけれど、逆に言えばあくまであほ殿を上手に演じている播磨屋であって、決して松浦のあほ殿には見えないんだよね。

脇ですばらしかったのが其角の歌六。殿様にこういうのが本当の粋人なんだよ、と説教したくなる、変幻自在ののらりくらりとした会話。其角ってすげー頭のいい人だったんだなあと初めて納得した。実は弥十郎がやったときは逆に空気の読めないおっさんだなあと思ってたんだけど
おぬいは芝雀。悪くないけど何かが違う感じ。台詞回しが大仰すぎるのか?
大高源吾は梅玉。この役は正直もう少し若々しさと雄雄しさがほしかったような気もするけれど。橋之助あたりにやらせてもよかったんじゃ。と思ってちらしを見直したら橋之助は朝イチの15分の踊りだけなんだね、今月出番。なんだかもったいないなあ。父桜丸のアンダースタディなのかもしれないが。

 

アンダースタディといえば、この日、夜の部いちばんの踊りに雀右衛門丈ご出演だったとか。

実は前々日からかぜを引いていて、そうでなければ踊りと車引きを幕見しようと思っていたのだった。ちちちちっくしょう。雀右衛門さんに会い損ねた。
あまりお元気とはいえない状況だったらしく、当方が再び夜の部を見るまでご登場くださるかどうか、不安である。

 

 


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2 Comments

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Unknown (きょん。)
2010-01-20 23:11:06
えぇぇぇ
雀右衛門さん、ついにご登場だったのですか。
私たちも会えるでしょうか。

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Unknown (laviedure)
2010-01-21 10:29:15
どうも昨日はまたお休みだったようです。
一日限りなのか、今後も体調を見てご出陣があるのか。
個人的には寒い時期に無理なさらずに、四月のだんまりだけでも出ていただきたいって感じなんですが。
御大なしでも十二分に満足できるからさ、夜の部は。
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