日生劇場で合邦通し狂言と達陀を見てきました。
日生のあの偽ガウディみたいな内装で歌舞伎ってどうよ?っと相当不安だったのだけれど、舞台上と上手下手に設えられたなんちゃって破風作りが意外といい感じで、定式幕とも調和して、それほど違和感がなかった。
日生の2階最前列というのは、かなり臨場感もあって、花道も半分以上見えて、かなりいいということと、グランドサークルの最前列は、花道の鳥屋くらいまで見えてこれまた迫力十分、というのは自分のためのメモ。
で、肝心の芝居。
合邦(通し)
父というよりは祖父の当たり役である玉手に、菊之助が先年どこだったかの地方で初役挑戦し、なかなか好評だったというのを聞いていた。文楽の熱心な観客でもある(あたしですら1-2度目撃したことがある)彼のことだし、古風な女房系は昨今どんどん梅幸に似てきた容貌にも合うだろうな、とかなり期待して臨んだ。
実際に、特に庵室での切迫した語りや、一途な思いはすごく伝わってきて、哀れでいい玉手だったと思う。
ただ、あわびの貝の杯ごととか、屋敷から出奔させるために無理やり俊徳丸に迫るところなど、恋の仕掛け、と見せておいて、実はお家を守るためのはかりごと、というところまではすっきり見えるのだが、実はもうひとつ玉手の心の奥に、ひょっとすると本人も気づいていない俊徳への恋心が秘められているんじゃ・・・という風には見えなかったのだよね。
つまり、お家と若君を守るために必死な若女房、ではあるけれど、そこに女としての俊徳への愛はほとんど感じられなかった。
ひとつの解釈としてはこれはこれでいいのかもしれないし、今の菊之助の味からして、変に女を出すよりはこれですっきりしていたともいえる。
ただ・・・何せあたしにとっての玉手のデフォルトは数年前に大感激!した藤十郎の通しだからなあ。
あの女心の襞の奥の奥まで見せきった壮絶な玉手と比べちゃかわいそうなのは重々承知してはいるのだが、ここはひとつ、お父さんの菊五郎の玉手も通しできっちり見てみたかったなあ、と思っちゃったのも事実。
菊之助、勉強家だとも聞いているし、素行で悪いうわさも聞かない。
容姿もそこそこ恵まれているし、声もいい。何一つとして悪い部分は思いつかないのだが、(あたしにとっては)どうにももうひとつ魅力に欠ける役者なんだよなあ。
なんというか、見るたびに「好きになりたい!」と思って好きになりきれない感じ。なんでこっちが無理して好きにならにゃならんのだ。→この件に関しては文末で少し追記
それなりによくやっていた菊之助の玉手がもうひとつ魅力的に見えなかった原因は本人だけではなく、脇にもあると思う。
特に、菊之助以上の若手ってことで抜擢されたと思う、俊徳の梅枝と、浅香姫の右近。この二人はいくらなんでも無理がありすぎだろう。
二人とも20歳前後としては力量のある部類だと思うのだけれど、まず、梅枝は俊徳の「周りを悲劇に巻き込むオーラ」がまったくといっていいほど感じられない。この若様ゆえに玉手が命を賭けるのも無理じゃない、とぜんぜん思えないのだよ。女形だと出てくる色気が、立役ではまったく感じられないのも不思議。
父親の時蔵が持役にしてるので息子に渡すってことなんだろうけど、菊五郎といい、時蔵といい、早まりすぎだよ。
いずれは梅枝がやるとしても、現時点では父親、それがバランス的に無理なら同じ劇団でがんばってる松也にやらせたほうが、ずっといいアンサンブルになったと思うんだけど。お家柄的なバランスがこっちの場合は悪いのか?
浅香姫の右近は、もう、型どおりやるのでいっぱいいっぱいというびっくりするような不器用ぶり。あの器用な名子役はどこに行ってしまったのだろう。
右近好きとしては、一度子役をリセットして新たな局面に羽ばたくための助走期間だと思い、とりあえず見守りたい。
羽曳野に時蔵。ご馳走というには地味だし、なんだかもったいない。
団蔵が白塗りしていても、きっと裏があるに違いないと思ってしまうのは劇団芝居の見すぎか?
亀三郎が久々にちゃんとした役。次郎丸っていうのもやりようにやっては陰影のあるいい役になると親も生んだけど、けっこう薄っぺらかったかなあ。軽い役だと、もっといい役やらせてやってよ、と思い、実際役がつくと、ちょっと物足りないって役者、時々いるよなあ。
チラシも見ずに書いてるので、重要な役で感想書いてない人もいるかも。それはね、たぶんあまり印象に残ってないから。
天王寺→庵室でようやく登場となる菊五郎。
悪くはないのだが、この人にこういう老けはやっぱり似合わない。雀右衛門が最後まで姫だったように、菊五郎は最後まで二枚目、色気のある役が似合うと思うんだけどなあ。
母役の東蔵、いつも思うのだけれど、どうしても愛嬌がにじみ出てしまう容姿で、この役にはやはり似合わない。田之助・・・無理なんだろうなあ(涙)。
というわけで、芸達者ぞろいのはずの菊五郎劇団なのに、脇がそれぞれちぐはぐな感じで、若い主役を守り立てる、どころか、微妙に足を引っ張っている感じすらあったのはとても残念だった。
達陀
菊之助が梅幸の当たり役に挑戦しているなら、松緑も同じく祖父・先々代松緑の当たり芸に初挑戦。
正直、ここで時蔵が付き合うなら、俊徳を付き合って、青衣の女人は菊之助がよかったなあ。いくら時蔵がきれいだといっても松緑との連れ舞はやはりバランスがちょっと・・・
松緑が主役、ということで練行衆も総とっかえ?の若返り。
五体投地のあたりの力強さはさすが、と思ったけれど、最後の達陀群舞が以外と迫力にかけた。単に一人ひとりの飛んだりはねたりの能力だけじゃないんだね、群舞の迫力は。
って、えらそうに言うけど、実は半分以上はオペラグラスでちっちゃい萬太郎を見てたので、余計群舞全体は見切れてないのかも。
萬太郎は、やっぱり隣で踊ってる梅枝に比べちゃうとまだまだだけれど、とにかく丁寧に手抜きをせずにやっていて見ていて気持ちいい踊り。
ほかに目に付いたのは巳之助。下半身がとても安定していた。逆に右近は上半身の動きがきれい。
肝心要の松緑は、青衣の女人との絡みはまだまだだけれど、全体を統率する貫禄とか存在感はなかなかのものだったと思う。少しやせた?のかいつも以上に目が大きく感じて、正直高僧にしては邪魔な感じすらしたのだ。
実は青衣の女人との踊りは、いつか勘太郎七之助で見たいなあと思いながら見ていた。
二人椀久もとてもよかったし、あやかし系の七之助と、まどわされ系の勘太郎はとてもいいコンビなのだ。
…ってことで大満足、とはいかなかったのだが、そしてちょっと早すぎるんじゃないの?(特に合邦)と思うのだが、芸の継承っていうのはこうやって行われていくのだなあ、という臨場感も味わえたし、まあ楽しい興行でした。
…しかし、菊之助を見るたびに襲われる「この人を好きになりたい、だけどなれない」感はどこからやってくるのだろう?
好きになりたい、というよりはむしろ「ならねばならぬ」という強迫感に近いんだよねぇ。こんな気持ちを抱かせる役者は今のところ菊之助だけかなあ。ちょっとまえまで三津五郎もそうだったかなあ。
「頭ではいい役者だと認めてるけど、体?感情?のどこかで誰かが『詰まらん!』と叫んでる」感じ?
三津五郎のことは今では普通に好きになったんだけど、大ファンにはならないもんなあ。菊之助のこともそういう感じで変遷していくんだろうか。