laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

荒唐無稽のあり方について考えた

2010-01-08 | cinema

昨年は映画のベストを決められるほど本数を見ておらず、質もまた、ベストを選んだとしても入れようと思うレベルの作品はひとつだけ(『そして私たちは愛に帰る』)という運だかチョイスだかの悪さだったし。

今年はもう少し映画もみたいなあと思っています。

といいながら映画に関してはどケチかつ反ハリウッドなので、安いときにハリウッド以外、となるとなかなか見る機会が増えないのも事実。

 

今年もお世話になるでしょうご近所映画館二本立てレディスデイ800円。

 

BALLAD名もなき恋のうた

 

二本立ての最初に見たこれが、正確に今年の初映画。

 

サイサキ悪いっす・・・

漫画(クレヨンしんちゃん!)原作のタイムスリップものということでどうしてもJINと比べてしまうわけなんだけれど、我が家のアナログ低画質テレビで見たJINのほうがずっと、人手も予算も潤沢であろう劇場映画のこれより上質なのはなぜなんだろう。

VFXが高度であればあるほど、役者と脚本のうすっぺらさが露骨にでてしまうという皮肉な結果。

荒唐無稽な設定が悪いといってるのではない。少なくとも映画を見てる間はその設定を楽しめるようなテンポ・芝居・状況の説得力がほしいのだ。
映画館を出てから、あれ?すっかりだまされたなあ、でも楽しかったなあ、という「心地よい悔しさ」こそがこういう荒唐無稽映画の醍醐味だと思うんだが、この映画に関してはとにかく無理な設定とへたくそな芝居にいらいらさせられ通しだった。

一番腹が立ったのが似非人道主義。現代の小学生が戦で大将の首を取ることの是非がわからないのはともかく、その小学生に説得されて大将の命を助けてしまうアマアマなクサナギ侍。よかったよかったと肩叩き合う戦国武将たち・・・。

何が何でも人殺しはよくない!という似非人道主義こそ、かえって人命を軽視してることにつながってるんじゃないの?

唯一の楽しみはJINこと大沢たかおを見ることだったんだけど、これまた性格設定がめちゃくちゃで。こんな糞作品できっちり芝居をしてる大沢が気の毒だった。
ほかに気の毒ながらいい仕事をしていたのは姫(ガッキー)の侍女で香川京子、父親で中村敦夫など。

どんな糞作品でも作ってる人、出てる人は一応一生懸命なんだろうなあ。でも出来があれじゃいくら一生懸命作ってもいいわけにはならないわ。

 

 

二十世紀少年・最終章

 

むしろBALLADが見たくて出かけた二本立てだけれど、映画としてはこちらのほうがだいぶマシだった。

とりあえず荒唐無稽を、怒りではなく楽しんで見られたからね。
役者や脚本がしっかりしていることもあったけれど、とにかく、変な説教くささがあまり感じられず、徹底して娯楽作品として作られているところに制作側のポリシーが感じられた。

荒唐無稽な映画は、荒唐無稽であることに製作者が照れや疑問を持った瞬間に露骨に恥ずかしくなっちゃうからね。この作品、とりあえず製作者自身が楽しんでる監事は伝わってきた。

ただ、ラストに大きな不満が。

トモダチの正体については、予想していたとおり+αだったのだが、正体が明らかになってからの後日談が長すぎ、というか蛇足。
トモダチの最後が映画の最後でも十分後日談のエピソードは想像の範囲内だと思うんだけど、あそこまで丁寧に説明しないと昨今の観客は理解しないのだろうか。

なんでも親切に説明、なんでも親切にVFXで作られて、リアルに見せてくれる。そんな楽チンなものをわざわざ1500円かけてみる人はよほどの金持ちか暇人だろう。

今回の二本はともにテレビキー局が制作にかかわっている。もともとDVDやオンエア広告料を狙って制作したとしか思えない。この不自然なまでの親切さは茶の間で「ながら」見る客用にはいいのかもしれないが、金を払って集中してみるべき映画ではなかった。

二本のうちではまあ楽しめた二十世紀少年ですらそうだったのだからBALLADについては推して知るべし。

 

ああ、今年も映画運、悪いのかなあ。