laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

妄想は現実を凌げなかった・・・で、それが?

2013-10-30 | spectacles

MIWA@東京芸術劇場見てきました。面白かったですけど、感想はタイトルの通りかも。詳細はいずれ。

忘れないうちに私的キーワードメモだけ

私の孤独

はやぶさ ヴィンセントヴァンゴッホ 水?海?のそこひ

 

これらの意味が分からなくなっちまう前に書く予定w

 

だったのだけどなんだか忘れかけてしまっている。(三日後)。
劇中でなんども繰り返されるタームで意味があるのかどうか・・・って検証したかったんだけど、どの場面で出てきたのかもはや記憶がおぼろ・・・
ゴッホは絵の模様がゲイバーオーナーの衣装にもちりばめられていたなあ。なんて台詞にかかってたんだっけ?
海のそこひ、はかなりしつこく繰り返されていた。底、じゃなくてそこひ(眼病)。
はやぶさにいたってはただただ意味なく繰り返されていたわけはないのだけれど、なんで隼が出てくるのか謎のまま。隼戦闘隊とか?おかえりはやぶさ?あるいは美輪の歌になにかある?

ほかにもいくつかそういう野田っぽいかんぐり言葉遊びがあったのだけれど、こういうの、気にしだしたらきりがないし、そういうのを抜きで楽しめる作品でもあったことは事実。

最近の野田の作品としては笑いの要素が多くて、ストーリーも現実の主人公を軸にしているだけあって一応芯があって一本道なので、野田作品としては難解さは少ない。
何より宮沢りえと古田新太を二人一役wにした試みが面白い。絶対ひとりでは表現しきれない「化け物」美輪、という主張が芝居の前提として提示されているわけで。
実は二人一役ですらなくて、歌の部分はアカペラの短いよいとまけ以外はすべて美輪のオリジナルの口パク。つまり美輪明宏という人物像を芝居で描くには三人必要、というわけだw
口パクでしらけるかと思ったら全然そんなことはなかったのは、二人の役者の力にもよるだろうが、なにより歌の圧倒的な説得力に飲まれてしまったという感じかな。

そう。いちばん感じたことはそもそもの前提で役者を二人にして、そして口パクにしたことで野田はもう白旗挙げてたんだと思うんだけど、結局美輪明宏の存在と歌という現実に、野田の妄想は勝てなかった、ってことかな。
劇中では妄想の産物である安藤牛乳が消えたあとも存在として生き続けていくMIWA本人の存在の孤独を描いていたけれど、そして妄想がなくなったあと歌えなくなった現実存在という設定になっていたけれど、これは美輪明宏という存在に妄想炸裂させて葛藤した野田からのせめてもの小さな反撃とか思ってしまったw

少なくとも私が見てきた芝居ではすべて妄想だけで世界をつむぎ続けてきた野田秀樹という人間が初めて現実に題材をとって、どうなってしまうのか、と思ったけれど、最近実在の人物ばかりを下地に描き続けている三谷とはまったく違ったスタンスで(当たり前だけど現実に挑み、三谷のように茶化すことなく現実の本質を独特の妄想世界でつかもうとして、結果つかみそこねたんだけれど、そこには別の結実としての空虚感、孤独感が残り、これは芝居の後味としてはなかなかのものだった、と私は思う。

役者としてはりえと古田が圧倒的。
他の役者ではMIWAの恋人たちを一人三役で演じた瑛太が独特のエロっぽい清潔感(矛盾してない!)で魅せた。特に幼馴染の役の独特な色気に惹かれた。

まあこの芝居全体が結局は美輪自身の歌と、ピカドンシーンとラストに現れる圧倒的なムスタキの歌唱(私の孤独)に尽きてしまうというのが私の感想なので、役者は主役以外は邪魔にならなければ全部どうでもいいということになってしまうのだけれどwそして全員邪魔にはなってなかったからいいんじゃないでしょうか。

そう。ムスタキの私の孤独が芝居全体のテーマとして実に効果的。原爆のシーンであの静かな曲が流れたときは最初違和感を覚えたのだけれど、ラスト、一人たたずむりえMIWAにあの曲が再びかぶり、すべてが腑に落ちた、という感じ。

 

いいえ、私は決して孤独じゃない。

なぜならいつも「私の孤独」と一緒だから。

NON JE NE SUIS JAMAIS SEUL
AVEC MA SOLITUDE

 

一番ポイントとなるであろう一部だけを抜粋しましたがこの詞全体にMIWAのモチーフがちりばめられていると思うので、MIWAを見て、この歌に興味を覚えたかたは是非歌詞を読んでみてください。フランス語はとても簡単です。大学一年次に「半過去」と「複合過去」の違いを表す例として取り上げられるくらいwでも中身は深いのさ。

…と思って歌詞探しでネットサーフィンしていたら…

ムスタキ、5月に亡くなっていたのですね。パリで彼のライブを見たのが何年前だったでしょう?なんか凄くショックです。
MIWAの結末の孤独感、空虚感を、またダブルで味合わされてしまった…
この歌をフィーチャーしたのは、ムスタキの死もきっかけだったのかしら野田は…
うーん。

なんか妄想は現実をしのげない、なんてえらそうなタイトルつけたら最後に
しっぺ返しされた気分です。うーん。うーん(涙


アウエイの孤独

2013-10-27 | spectacles

勘三郎を偲ぶ会?だっけ?@築地本願寺に参加してきました。勘三郎に関しては惜しみこそすれ、偲ぶセンチメントは持ち合わせていないので・・・うーん。アウエイ。

勘三郎ファンが勘三郎のことを思って集う、という趣旨なのに息子と息子の息子目当てででかけていったのだからアウエイは承知なのですが。

なんというか・・・ごめん・・・・ぼったくり?

いやいや、法事だと思えばお供えもって行って何も楽しいことないんだから、当然なんだけどさw

法事よりは楽しかったのだからよかったのかもしれない、と思うべきなんだろう。

親しい人が集まって思い出話をする序盤。
関係者も、その話題にも、歌舞伎の話が一切ない。
勘三郎は歌舞伎役者ではなかったのか。
くだらない暴露話は、自分たちの集まりでだけして欲しかった。
そもそも、あえてだと思うのだけれど出席者に一人も歌舞伎役者がいないのが不自然というかわざとらしい。
松竹が主催してないから役者を出さなかったのか。日程的に歌舞伎座以外の役者はまだ興行中だったからなのか。
うーん。

続いてこれがまた仰天ものの大竹偲ぶ(わざと)女史の歌二曲。
一応若いころのの勘九郎とのデュエット曲の再現、ってことなんだけど。
30年以上も前のたいして評価もされてない舞台での歌を堂々と二曲も歌われても・・・しかも大竹、歌下手だし。
一応黒とはいうもののアシンメトリのドレス、短いほうは膝上20センチはあるという代物で、やっぱり法事じゃなくてエンターテイメントだよね、このお集まり。と思うとまた腹が立つw

記録映画中村勘三郎のダイジェスト版っていうのでようやく歌舞伎の勘三郎が少し見られるのだけど、これまた中途半端で。勘三郎個人に迫るのか、役者勘三郎を記録するのか、どっちつかずの編集で、本編もあまり期待できない感じ。
芝翫さんや雀右衛門さん、そしてなにより清太夫さんとのお稽古風景などでしんみりしたけどね。

あーあ。早く天才少年ナオヤが見たいなあ。寒い(いろんな意味で)なあ・・・

で、ようやくお目当ての踊り。とりあえず勘ちゃんが踊るだけで寒さは癒されるはず・・・

れれれ?

れれ?

なんかちっとも面白くない。
勘ちゃんの踊りなのに、気持ちよくない。

なんでだろう?

振りが地味でも、動かなくても、勘ちゃんの踊りにはいつでも(lavieにとっての)アルファー波が出てるはずなのに。
勘ちゃんどうした?
舞台の稽古とテレビドラマの収録とこれの準備でつかれきっちゃってオーラがなくなちゃったのか。
心配だ・・・

そしてそして待ちに待ったナオヤ少年。

ん?

んん?

そりゃ三歳にもならないで、あれだけの大観衆を前にして泣きもせずに振りを(一応)こなしてるだけで凄いってのは認めるけれど。
七之助が天才だ、凄い、と口を極めて絶賛してたのに乗せられたこっちが悪いのか。

そうだよね?ニ歳だもんね・・・

まあ普通のちょっと度胸のよさそうな男の子、でしたとさ。

 

会場と人数以外は全体にしょぼい内容で、そもそも勘三郎ってこんなしょぼい追悼で偲ばれるほどしょぼい役者じゃなかっただろう、とファンじゃなかった私だってちょっと気の毒になってしまった。

 

…こんな内容でも泣いてる人が場内にはたくさん。

ある意味羨ましい光景でした。

これ以上は愚痴と罵倒になってしまいそうなので、やめておきます。

お香典8000円、中村屋さんに差し上げてきたと思えばいいのですよね。おみやげももらえたしw

 


上質で知的なwキッチュ。これって

2013-10-26 | cinema

まさにおふらんす!ですわよね。

ムード・インディゴディレクターズカット版見てきました。AFのフライト時ほどではなかったがまたしても10分ほど意識がなかったので永遠の謎は残るわけですが。(たとえば画像のシーンにまったく見覚えがないwww)

でも面白かった!

とにかく、冒頭10分で寝てしまったAFの機内でも印象深かった絵の美しさ。原作を読んでないので、これが原作の世界なのか、ゴンドリーのオリジナルなのか、いまいちさだかではないのだが、ファンタジックでキッチュでおされで・・・いわゆる「ハルキスト」が好みそうな世界。
村上春樹もここ20年くらいw読んでないので、最近のことはわからないのだけれど、鼠が出てきたり、ちょっと初期の春樹を思わせるような感じも。
ストーリーのベースは本当に単純で「ラブストーリー(ある愛の詩)」だったりするのだけれど、そこに文明批判、思想批判、政治批判、SF的要素が加わって、本当に独特な世界を作り上げている。
色があふれ、カオティックでロマンあふれる前半から、世界から色が失われ、住居もどんどんあれて行き、孤独と死の影に覆われる後半・・・これまた原作読んでないので推察に過ぎないのだが、原作では表現しきれない映像表現を借りることによって、ボリスヴィアンの世界を過不足なく描くことに成功したのではないだろうか。
ボリスヴィアンファンの感想も聞いてみたい。大不満だったりして。

タイピスト、突然炎のごとくなどさまざまな作品へのオマージュ、何人かのカメオ出演も含め、遊びの要素もいっぱいあったようなので、フランス映画やフランス文学に造詣が深い人はニヤニヤできるシーンがたくさんあるんだと思う。私は二回くらいしかニヤニヤできなかった。てか顔覚えないのよね。主人公だって見たことあるくらいしか思わなかった。PARISの主人公だったんだね。あんなに好きな映画だったのにw


ってわけで原作も読んでないし、映画マニアでもない私でも十分楽しめた、娯楽映画としても成立してるし、深読みしたければいくらでもできるという、一本で何度でも美味しい感じのあたり!映画でした。

今回見たのはディレクターズカット版のロングヴァージョンだったのですが、恋愛部分に焦点を当てたショートヴァージョンが通常上映されているみたいで、できればそっちも見てみたいと思いました。


完全復活!だといいな

2013-10-25 | kabuki a Tokio

見せてくれる役者さんたちも、見るほうの私も。

とりあえず私は帰国後初のダブルヘッダー。新派の婦系図から歌舞伎座夜の部。どちらも千龝樂ですね。

またまた感想がたまってしまっているのでやっつけでダブルまとめて。

婦系図

段ちゃん安定のかっこよさ。ガリバー三人はそれぞれに巧い。三代目猿之助は新派にとっても財産を残したのだなあ、と改めて。
それにしてもやjはりこの作品は現代に上演されるとあまりにアナクロすぎるような気も。新派の客筋(60代以上?70代以上?)の層にとってすらもはや違和感があるみたいで。
新派という劇団がなくなったらもう上演されないのだろうな、と。そういう意味でも新派は本当にもっと大事にされるべき存在なのだと思う。

 

歌舞伎座夜の部

木の実・小金吾討死・すし屋

木の実の仁左衛門絶品。愛嬌と色気。その後の悲劇を知っているだけに余計痛切。右肩を傷めていることを知っているだけにつらそうな型もあったりするのだが、それが不自然ではない。仁左衛門ではなく権太が型を傷めてるとしか見えないのが凄い。
小金吾の梅枝が抜群の糸のり。丸本物をやらせたら勘九郎以下の年齢では第一人者じゃないかなあ。壱太郎よりいいかも。

ただ、抜群の愛嬌だった仁左衛門権太も、すし屋ではややくどく、説明過多な感じがしてしまった。上方の型でもあり、仁左衛門自身の質でもあろうけれど、わかりやすさを目指すあまり、ちょっとずつ「やりすぎ」てしまっている。動きが制限されている体調がそれに拍車をかけたのかも。
全編通じて弥助=惟盛の時蔵が物足りない。品はあるのだが格がないというか。ずっと弥助のままというか。一方の若葉の内侍の東蔵は格はあるけど、品が足りない。難しいものだなあ。

四の切

動けてないとか息切れしてるとか、ネットでさんざんの評判だったのでいちばん心配していたのだが。
千龝樂を見る限り、まったくそんなことはなく。
動けてないといってる人はひょっとして猿之助のばかり見すぎちゃってるんじゃ?と思ったw
菊五郎の四の切としてはまったくの通常運転。欄干歩きも低速回転wも、以前見たときとほとんど変わってない。
むしろ70過ぎてこれを25日続けられただけでも驚異じゃないのかな。
なんといっても忠信がいい。憂いと誇りに満ちた、若手では出しえない存在感。
狐になってからは、もともと中村屋などと比べると情が薄いところは否めなく、そこが好きだという人がいるのもわからないではない。いわゆる大人の狐。父母に対しても愛情というよりは尊敬を感じさせる感じ。
この芝居、けれんが大事なのは言うまでもないけれど、けれん以外のベースがしっかりしてればある程度手抜き(とあえて言ってしまいますが。そして音羽屋の手抜きは、昨日今日に始まったことではないw)は瑕疵にはならないと思った。

けれんたっぷり、仔狐ぴょんぴょんの型ばかりが上演されている昨今、けれんは少ないけれど、情がきっちり描かれている音羽屋型の四の切の正統な継承者が早く出てきて欲しい。もちろん勘九郎であり、菊之助であり、松緑であり、なのだろうけれど。

特筆すべきは義経の梅玉。
もう完全にヨシツネオブヨシツネ・キングオブヨシツネでありまして。
義経の独述で涙決壊してしまった。菊五郎の四の切を成立させるにはこの義経あってこそ、という感じ。

今月播磨屋松嶋屋音羽屋の大顔合わせといわれているけれど、実は播磨屋の舞台でも義経の梅玉がいたからこそあの名舞台が成立したわけであって、個人的に今月のMVPを一人選ぶなら、梅玉さんだなあ・・・

大御所三人では役の質もあるだろうけれど本当にこれが最後かなあと思わせる悲壮さを感じた播磨屋、怪我が直ったらまだまだ出来そうな松嶋屋。そして音羽屋は・・・わからんwその日によって調子もやる気も違うみたいだから、本当のところは毎日通わないと判断できないのかも。


大敗北

2013-10-24 | cinema

外国旅行、現地レポwの前に恒例機内映画の感想ですが今回、本当に酷かったのです。

行きがAF、帰りJLという変則フライトだったので行きのリベンジを帰りで果たすということもできず・・・

まずはAF。
夜便だったので取り合えず寝てしまい、起きてから2つしかなかった日本映画のうちひとつ『奇跡のリンゴ』を。
阿倍サダヲはなぜこの映画に出たのか?というくらいの地味で、まあある意味良心作なのだろうけdれど、なんの捻りもなく、これだったら普通にドキュメンタリで見たほうが感動しただろうよ、という代物。地味と良心作は違うのだよ、と凡庸な監督を一時間諭したくなりました。

その後、もうひとつの日本語映画の『図書館戦争』(だっけ?)を見たけれどこれもつまらなくて途中で挫折。なんかないのか、とあさったら、事前チェックで見られないと思ってた『日々の泡』の映画MOOD INDIGOを発見。これ日本で見たかったのよね!と思いながら見始めたのだけれど、またしても睡魔が・・・映像の美しさは堪能したものの、美しい?フランス語を聞きながら寝入ってしまいましたとさ。これ最初に発見してればつまらない日本映画二つも見なくて済んだのに!

で、帰り。

JAL便だったので日本映画に今度こそ!の期待をしたのですが。
期待薄だったフランス語映画はすでに見てしまった『クロワッサンで朝食を』だった・・・当然パス。
で、日本映画も、個人的に見たかったのは一切なくて。

「今月の売り物」的扱いだった『真夏の方程式』を見てみたものの福山某の某、じゃなくて棒すぎる芝居に嫌気がさして途中離脱。暇つぶしにテレビバラエティっぽいものをいろいろ見てみたけれど、まあ所詮テレビバラエティでありまして。
前回見つけた「YOUは何しにニッポンへ?』みたいな拾い物もなくて。
着陸直前の朝食時に見始めた堤真一の『オレはまだ本気出してないだけ』がちょっと面白かったけど、途中で着陸しちゃったし。

もう機内映画に関しては自業自得も含めて最悪の成果でした。ここまで何一つ面白いと思えなかった(面白いと思っても最後まで見られなかった)のは初めてだあ。

封切前の映画がみられたりしたのは、古き良き時代のバブリーな幻想だったのよね。
JALでもろくな邦画は買い付けられなくなってるのかしら。

うーん。機内ではとっとと寝るに限る、ということをそろそろ悟ったほうがいいのかも。


こんなのもあり、ですね

2013-10-23 | kabuki a Tokio

国立劇場で高麗屋さん公演見てきました。

陣門・組討

私にとっては実は特別な狂言なのだ。
初めて勘太郎(当時)にはまった、というか落ちたのがこの狂言。勘太郎は玉織姫。でてきたときには
あいかわらずぶっさいくやなあ、と思ったのだが(当時)、芝居を見ているうちに、哀れではかなくて、かわいそうで・・・最期の「もう目が見えぬ・・・」では滂沱の涙、で、なんだよこの役者すごいじゃん、と。

そういうわけで玉織姫には注目せざるを得ないのだが。

びっくり。

笑也さん。なんでここに!

考えてみれば團子くんを一人で出すわけないから、乳母役みたいなもんかw
勘ちゃんのときの正反対つーかw出てきたときはなんて綺麗で哀れな姫なの?とひきつけられるんだけど、そのうちになんだか邪魔になってくる。戦場にびらびらひきずった女がでてくるんじゃねーよ、というか。たぶんこっちの感想のほうがあたしっぽい。勘ちゃんの玉織はそんなことすら忘れるほど哀れだったんだなあ、すごいなあ。ぶさいくなのに(当時)。当時たぶん22歳くらい。

追記

このときのほかの座組はどうだったんだろう、と思って調べたら

熊谷 幸四郎
小次郎 染五郎
平山  錦吾

なーんだ今回と同じじゃんw

2003年6月。まさに22歳でしたな、勘ちゃん。太郎時代。
10年一昔とはよく言ったものです。たった10年なのにこの距離感・・・あのときのぶさいくで、地味で、だけど見れば見るほどじんわりしみてくる勘太郎の役者っぷりが大好きでした。
いや、今も好きですけどねw。

というサイドストーリーはともかく。

染五郎の小次郎はもう最後かなあ。たいてい10代20代の御曹司が勉強でやったりする役だよね?
染五郎はいい意味でとても似合っていて。ああこの人は永遠に前髪が似合うタイプの役者なんだなあと改めて思った。
高麗屋の跡継ぎだからそれこそ熊谷とか弁慶とかもやらねばならぬ立場なのだろうけれど、本来は前髪や貴公子、つっころばしなどやらせたい柄だよね...

三階で見ていたので詳細は不明なのだが熊谷の入りで花道で幸四郎が馬から落ちたらしい。見えてなかったので馬がおちたのかと思っていたのだが、ネット情報によれば、馬がバランスを崩して、そのために幸四郎が客席に落下、という形だったみたい。
その後の処理は見事なもので、馬のくつわをとって何事もなかったように芝居を続け、見得も見事に決めていた。打撲などの痛みが酷くならないといいのだが。

そんな影響も感じさせず、特にこの幕での幸四郎はとてもよかった。
染五郎の哀れさも合わせて、なんだかとてもいい陣門組討だったのでした。笑也さんもなんだかんだいって綺麗だしね。

 

熊谷陣屋

ごめんなさい。
キコクまもなくの時差ぼけ&お昼ご飯後の満腹で・・・

かなりの時間睡眠に費やしてしまいました。

前の幕では気にならなかった幸四郎の口跡が、やはり聞きなれた陣屋の台詞(とくに直近の播磨屋と比べると)では気になってしまい、、松江、高麗蔵というある意味予想通りの小ぢんまりとした座組にもあまり興味が持てなかったせいもあるかも。魁春の相模はきっとよかったに違いないのだが、残念なことに褒められるほど見てないwww

後半起きてたけど、サダンジと友右衛門ではやはり迫力かけるし、あっさりしすぎだし、大詰めでやっぱり一人で泣いてる幸四郎が自己満足に見えてしまい・・・前幕はとてもよかったのになあ。

 

鏡獅子

そもそもコレを見に来たので・・・というか胡蝶を見に来たので・・・

胡蝶待ち(失礼)の前シテ、これがなかなかよかったのですよ。
ものすごーく丁寧に教わっていて、誰に習ったのか知らないけれど、生前の勘三郎にも教わっていたのかな?と思うほど、上半身、特に首の傾げ方とかちょっとした目配りなどが勘三郎にはっとするほど似ていて。
上半身だけなら彼の息子二人より勘三郎うつしの弥生ちゃんでした。
ただ・・・下半身、というかほぼほぼ足先に特定すると、何かのときにどうしても外股。というほど大げさではないがいわゆるバレエでいう基本ポジションが立役のそれになっちゃっていて。
そこだけ見ていると紅葉狩りの姫にばけている鬼に見えちゃうというwww
三階だったのでつま先までみえてしまったのがよくなかった。これ、一階前方でつま先見えない席だったら絶賛していただろうな、と思われる前シテでした。

そしてお待ちかね胡蝶!!!つか團子!!!

 

れれれ

 

あれ

 

ん?

 

 

どっちよ!

 

まさか見分けがつかないとは思わなかった。

 

よく考えたら私人の顔覚えられないんだったw


で、顔で見分けるのはやめて「下手なほう」を探そうと。www

それでもよくわからない。

どっちも下手といってしまえば下手www

片方は下手なりにきちんと踊っていて品があってやわらかい。
もうひとりは下手なんだけど派手にみせようとしていて、ひとつひとつがちょっとずつオーバー。

ってことで踊りでこっち!と判断したのは当然ながら後者が團子、とw
なにしろ、ネットで「駄馬」といわれちゃっているおもだか屋ですもんね。

もう一度オペラグラスで確認しようと思って、あれ?やっぱり違う?
顔がひらべっちゃいのは上品なほうだわ。たしか團子のほうが身体も大きかったよね。上品なほうが大きいわ。
そして後見が猿四郎さんだったので、あ、やっぱり上品なほうが團子だったんだ!とwww

おばちゃん大間違い。

おもだか=やりすぎっていう先入観は取り払わないと、ですね。

それにしても金太郎ちゃんがあんなぐいぐいくる踊り方するとは意外でした。
年下でぽっと出の團子に負けるもんか!ってんでがんばりすぎちゃたんですかね。ま、考えてみれば幸四郎の孫なんだから出たがりなのも納得だわw

ってことで本当はもう一度ちゃんと見たいくらいのいい加減な胡蝶ウォッチングだったのですが、團子の踊りの筋のよさというか、品のよさにびっくりしたり安心したり。いいじゃんこのおおらかさ。

…ごめんなさい、本筋の後シテ、獅子はそういうわけでまったくみてません。きっと良かったんでしょう、最後はふらついてましたがw

 

全体にこぢんまりとまとまった座組で、歌舞伎座と比べちゃうといけないんでしょうが、
なんだか旅行疲れを癒すにはちょうどいい程度のテンションで、しかも鏡獅子の前シテは予想外によかったし。
團子が出てなきゃパスした公演なのですが、見てよかったと思えました。

 


またまた

2013-10-20 | spectacles

パリで伝芸、が恒例になってきました。今回は文楽。
杉本文楽は大うけでした。パリ人(あえてフランス人とは言わない)本当におジャポン好きねぇw

前の項で記したとおり、カメラがぶっ壊れてパリでの写真はほぼ(私のカメラでは)ゼロ枚。
せっかく久しぶりにべたな観光もしたのに、残念です。
後日、友人から写真をおすそ分けしてもらったら画像追加するかも、です。

とりあえず写真のないままパリの3日(+半日)の記録

1日目

到着のロワシーバスが、デモのせいでオペラまで入れず、途中で降ろされるというハプニング。ま、10分くらいだったんだけど、バスでパリに入るのが初めてだった友人には最初から打撃だったらしい。その後ますますの追い討ちが彼女を襲うわけですがwww

とりあえず一息ついて、マレ方面へ。エクレア食べてお店ぶらついて、ギャラリーヴィヴィエンヌ行って・・・えとあとどこ行ったっけ?写真がないと記憶がないwww
実は出かける前に判明していたのですが、恐らくパリ到着時に友人がトランク壊されて開かなくなるという一大イベント発生。結局その日はトランク開かず、モノプリでパンツとtシャツ買って凌ぎました。翌朝ホテルの器械に強そうなおじさんがドライバーとトンカチで壊してくれてw開けられましたがものの見事に現金だけ盗まれてましたとさ。

2日目

トランク壊しというイベントのために少し出遅れて、ルーブルへ。友人はパリ三回目?四回目?にしてルーブル初体験なのでこれだけは逃せなかった。
どうせ人ごみなのではぐれること前提で待ち合わせ場所を設定したら、友人はルーブル内で迷子になり、集合時刻に30分遅刻。私は心配だし、向こうはあせってへろへろになるし、もう大変だったw。
一応双方携帯持ってたんだけど、メールが謎の不通や遅延で、連絡が取れず、それは心配な半時間でした。

というわけでパリがもともとあまり好きではなかった友人は、ダブル、いやバスの件も含めればトリプルパンチですっかり意気消沈。

その後サンジェルマンあたりをぶらぶらして、あれ、またその後忘れたw

3日目

午前中デパートで土産買い、午後友人はオルセーに。私は今回の個人的メインイベント、パリ市立劇場での杉本文楽へ。

直前の沼津での蓑助さんの足つきから懸念されたとおり、やはり彼は休演orz
唯一世田パブに出演予定のない彼が目当てでパリに行ったのに・・・代役は勘十郎で、もちろん巧いのだけれど、彼はやはり立役の人だよねぇ。お初ちゃんの弱弱しい感じがなあ。。。そして代役の代役の一輔さんの徳兵衛はあまりに荷が重くて・・・というだけじゃなくて、もうひとつのお目当て、清治さんの皮切りの三味線ソロ、これが酷くて酷くて・・・清治さんどうしちゃったの?音は弱いし、調子ははずれてるし・・・お疲れ、だけならいいのだけれど。なんだか聞いていて哀しくなってきた。
そして最後のお目当て、呂勢さんの観音巡りの語り。これはよかったです。呂勢さんが上っていくとともに、育ての親の清治さんが衰えていくのかなあ、などと、ちょっとセンチメンタルになったりして。
いや、清治さんは単なるお疲れによる不調で、またすぐに見事なバチさばきを見せてくださるに違いない!

そしてそして、やはり前回のKAATでも感じたことだけれど、個人的には「普通の曽根崎心中」のほうが好きだなあ。。。

今回、席が中のほうだったこともあり、幕間にずっと席にいたので、フランス人と直接話すことはなかったのですが、漏れ聞いた感想は

「能よりずっと分かりやすくてエキサイティングね!」(おいおいお前らどんだけジャポマニ?能にまですでに手を出してるのかW)

「男が一人で死ねば済むのになんで女を道連れにするんだろう?」(うん、それをいっちゃおしまいね。でも現代日本人の私もそれはちょっと思う)

みたいな感じ。

とにかく、満席、後ろまでびっしり。当日券(キャンセル待ち)の列もかなり長くて。
カーテンコールは5-6回かな?
ブラヴォー!もかかったし、拍手の熱は相当熱かった。スタンディングは比較的少なかった?
前述のような感想&蓑助さんいなくてがっかりだった私はいまいちのれませんでしたが。

そうそう歌舞伎と違って日本から来てるファン?風な人がほとんどいなかったのも特徴的。9割が見た目ですぐわかる外人(てか現地人と観光客)。残り1割が在留邦人、しかもお年寄り中心って感じ。

ざっくりまとめた記事と写真がこちらにあるので、どうぞ。カメラ壊れてたので携帯で撮った冒頭の画像以外、私にはありません・・・

 

ちなみに市立劇場のカフェではcafeが1ユーロで飲めます。オープン時間が上演にあわせてだけなのが難ですがカフェまではチケットなくても入れるので、もし開いてたらお得よ。普通のエスプレッソでまずくないですし。

4日目

本当は朝イチで空港へ向かい11時のフライトでキコク、だったのですが。
朝、メールをチェックしたらいきなり遅延のお知らせ。11時半予定が18時15分。(その時点で)。その後19時45分にさらに延期。
天気が良かったりすると嬉しいのだろうけれど、朝から冷たい雨。その上日曜日なので、買い物もできない。ミュージアムパスも昨日までで今日はすべて有料・・・友人はパリ嫌い病で早く帰りたがっている・・・と三すくみ状態w

雨が降ってるからこそ空いてるかもってんで友人が唯一もう一度見てみたいといっていたモネを見るためにオランジュリーに。これが雨にもめげぬ長蛇の列・・・うわ、どうしよう、と思ってコンコルド広場を見ると、いつも目にするオープントップバスが止まってる。コレに乗ってぐるぐるしてれば一階席なら雨にもぬれないし、とりあえず名所旧跡めぐってくれるし、ってことで飛び乗った。

いや、個人的には正解。一人ではなかなか怖くていけないwモンマルトル方面とか、16区のはしっこのお屋敷町みたなところとか、見たことないパリも見られて面白かった。
これ、今度天気のいい日にワインとサンドイッチ買って乗り込んで一日楽しめるわ、とか思っちゃいました。

ってことで楽しい?ひまつぶしを終えてようやく空港へ。普通の待ち時間だったわれわれにもミールクーポンいただいたので、ただでお水も買えたし、ま、終わりよければすべてよし、かな。しかし何も知らずに空港来ちゃってたら大変だった。
やっぱりメールチェックは大事。これ、今回の教訓。
友人の教訓は、海外⇔海外フライトではトランクにベルトはやめようね!ってことでした。
日本人以外にめったにあのスタイルないもんねぇ。狙われるわそりゃ。

 

 


いった先は

2013-10-16 | voyage

ブダペスト。3泊4日でした。

1日目 近郊の町、センテンドレへ。とにかくおもちゃのような可愛い街。



ブルージュから陰鬱さを取り除いて小規模にした、という感じかしら。
ブダペストで泊まったのは日本女性が経営するアパート。ここ、親切できちんとしていて綺麗で、しかもオペラ座裏という絶好のロケーションでお薦めです。

2日目 王宮の丘方面→ゲッレールト温泉→ドナウ川クルーズという王道のど観光な一日。
ゲッレールト温泉の近くの小高い丘がなんだかとても素敵だったのだけれど、体力消費を恐れて登らなかった。年とるって哀しい。あ、昔からそういうの嫌いだったかw

3日目 

国会議事堂見学→おみやげ購入などで雨降りだったこともあり、私は離脱。友人はオペラ座内部見学ツアー。私は前回オペラ見ちゃったのでパスしておうちでまったり。

このあたりからカメラの調子が悪く、写真が激減。パリではほぼほぼ写真撮ってません。ま、パリで写真撮らないのはいつものことなんですが今回はお連れがいるので、少しは撮りたかった。友人のカメラで撮影してもらった分をそのうちこっそり追加するかも、です。

食べ物はフォアグラとかいうA級はパスして(前回食べたモンね!)グラーシュ食べ比べとかパラチンタ(クレープとかガレット風)などちょこちょこ食べました。なにしろ胃が小さくなっていわゆるコース料理が外国では食べられないからだなのよ。決して貧乏なわけではない。と思いたい。

ブダペストでは天気にも人にも恵まれ、楽しい観光客ライフだったのですが、最後の夜にちょっとキバって出かけたレストランで時間がはやかったこともあり、どうせお茶だろ?といわれて(本当にそういわれたのよ!まあどうせ、ってのはニュアンスでこっちが受け取ったんだけどね)ヘンな席に通され、食事するんだよ!といったらもっとヘンな席に通されたのが不幸の始まりだったかも・・・この後パリで(おもに友人に)立て続けに不幸が襲いますw


パリ午前四時

2013-10-14 | voyage

これからもう一っ飛び

 

とりあえず14-17ブダペスト滞在。

ブダペストでは小さい町に行くことと、前回真冬で不可能だったドナウ川クルーズすることが目標。

17-20パリ滞在。

パリは、文楽見ることと、パリが好きじゃない友人にパリを好きになってもらうことが目標。

さてこのささやかな目標は達成できたでしょうか?www


ガリバー三人組

2013-10-10 | spectacles

三越劇場で婦系図初日?見てきました。

段ちゃん一人での新派客演のときには感じない(立役だからね!)んだけど、春猿と笑三郎が加わると、
新派の役者とおもだかトリオのガタイの差がなんだかおかしくて。
彼ら三人さして若いわけじゃないんで、世代差じゃなくて個体差なんだけどね・・・
特に新派の女優って小柄な人が多い?
女優さんと笑三郎さんのカラミなど、同じ女とは思えない(女じゃないし!!w)。
新派の女形さんでも英太郎さんは浮いてないんで、(割とガタイいいよね?)からだの大きさだけの問題なのか、何かやはり芸風ってことなのか。そこらへんは微妙です。
春猿さんは新派っぽいと思ってたんだけど、段ちゃんとのカラミを見ているとなんつーかずっと歌舞伎っぽいw
顔のでかさといい、ぼってりもっちゃりした感じといい、彼はやっぱりザ・女形だわ。

…段ちゃんの歌舞伎が見たい見たいとずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと言い続けてきたんだけれど、ことココにいたって、なんだか段ちゃんは歌舞伎以外のほうがいいのかも、みたいな気もしてきた。
それくらいここんとこの直美さんとの新喜劇・早乙女との新感染っぽいやつ・そして新派とまったく歌舞伎臭を感じさせない芝居っぷりなんだよね。
いい舞台役者であってくれたらもはやいい歌舞伎役者にこだわらなくてもいいのかも、という気さえしてきちゃったのだった。彼はおもだかーずのなかでもいちばん脇が似合わない人だからなあ・・・

大詰めの啖呵なんて、もうかっこよさに関しては数年前の二ザさんを凌いでるんじゃ?って感じたくらいよかったもんなあ。

ってことで段ちゃんに関してはそんな感じ。
歌舞伎役者であってほしいという願いを捨ててしまえば、本当にとてもいい役者さんですよ。(半ば涙)。

芝居そのものは数年前にそれこそ仁左衛門客演で見てるんだけど、なんと後半の筋をまったく忘れてたw
自分のぼけっぷりを嘆くと同時に、新鮮にへぇ~!と驚けてラッキーとも思ったりwww

とことん時代錯誤な価値観をどう受け入れるか、でこの芝居になじめるかどうかは変わってくると思うのだけれど、数年前よりもっとこのアナクロ二ズムが心地よくなってきてる自分の老化っぷりにまた新鮮な驚きを覚えたり。
段ちゃんそのままで新派の女優さんでもっともっとアナクロに徹してやってくれても面白かっただろうなあ。

 

 


はくちょうの、うた。

2013-10-07 | kabuki a Tokio

昨今の歌舞伎界を鑑みると不吉すぎるタイトルかもしれない。ごめん。

でも本当にそういう言葉が脳裏をよぎったのですよ、の歌舞伎座昼の部。

鳥居前

なんかこの幕って常に「勉強芝居」で見てる気が。

大幹部のこの幕を見たことがないわ。同じ勉強芝居でも車引は大顔合わせでやるのにね。

ってことで今回もここだけは花形芝居。
先月の花形からあぶなっかしいのとか派手なのがいなくなった感じで実に堅実www
なかで弁慶の亀三郎が出色かな。
大きさと滑稽さのバランスがとてもいい。
次に菊之助の義経。品と情のこれまたバランス。
先月とてもよかったので期待した松緑の忠信は、迫力不足かなあ。特に鳥居前の忠信は迫力命!なのになあ。
四天王の平成四人組、このあたりは見るたびに巧く(芝居も顔も)なってくるから楽しいね。
菊ちゃんと五人並んでるときに、個人的顔ランク付けしちゃったw
1米吉(私はこの人の立役の顔が大好き)2ノスケちゃん3隼人4菊ちゃん5歌昇くん
でもみんな可愛いわ!

渡海屋
大物浦


これが圧巻!

特に渡海屋はもう・・・誰がなんといっても、ここまでの知盛はいないでしょう。
渡海屋の知盛って特に何するわけでもないんだよね。
ただただ居住まいがでかい!凄い!かっこいい!
まあ突っ込むならばここまで立派では回船屋のおやじに化けてもすぐばれちゃうでしょ、ってことくらいかw
ただただ吉右衛門の存在感に圧倒されすぎて・・・実は前日世界体操見て興奮して二時間睡眠で来ちゃったってのもあり・・・
爆睡!!!

  ニ人侍の魚尽くしのあたりから・・・芝雀さんの日和話を一言も聞いた記憶がない(大汗)楽しみにしてたのに!
知盛の戻りの姿は一瞬目覚めて確認したがやはり白装束姿はそこまで綺麗じゃねーやと思ってまた睡眠・・・吉右衛門の花道の引っ込みのとき一瞬さとぴーがいたような気がしたのだが・・・と書いてから確認したら、さとぴー国立じゃん。じゃあれは誰だったんだ?まいいやw

ってわけで吉右衛門は堪能したのですが芝雀さんや又五郎さんたちごめんなさいよ!

大物浦は全部起きてました!(なに偉そうにw)

ここに関してはきっと賛否あるんだろうな。私は大好きでした。

知盛の塗炭の台詞を聞きながら、思い出したのが数年前(病気する前)の住太夫の語りと、晩年の雀右衛門の現在道成寺。
声に力は確実になくなっているのだけれど、その分研ぎ澄まされた表現力と深い洞察力で感動を呼び起こした住太夫、そして、歌舞伎座での豊後道成寺以上に動きはなくなり、人によってはただ手をひらひらさせてるだけじゃないか、といわれかねない動きでありながら、確実に女の情念を表現し得ていた雀右衛門の至芸。
この二人の芸は私が今まで見た古典芸能のなかで深さという点で最高峰に位置するのだが。
深さという点で、という前置きで分かるように、正直いわゆる表現芸術の総合点としては、夫々の往年の最高点から下りていることは否定できない。

吉右衛門もそういう時期にさしかかってきたのだなあ、と。
渡海屋では微塵も感じなかった衰えが、立ち回りの動き、そして何よりも瀕死の中で人を恨み呪うあのせりふの声量のなさにはっきりと現れていた。
呪いが強ければ強いほど、安徳帝や義経によって浄化されていく魂との対比がよりくっきり描かれるわけで、この点に関しては不満といえば不満だったかも。
力ないだけならたしかに不満足な出来に終わってしまったのだろうけれど、吉右衛門はその表現力によって、知盛の呪いのなかにすでに諦観が現れていることを見事に表現して見せていた。
つまり逆上しているのだけれど、実は中ではもう死を見つめているというか・・・生き血をすするという過激な表現をやってないことによってそのイメージはより強化される。すごーくミーハーな言い方をしてしまえば「おとなの知盛」って感じ。仁左衛門の知盛、それを倣った勘九郎の知盛と大きく違うのはそこかな。
タイトルのことを感じたのはこのあたりだったのですが、白鳥の歌は辞世と違って何回あってもいいらしいので、長いこと、白鳥の歌を聴き続けられますように!

後ろの席の見巧者気取り(先々代松緑がお好きらしい)のじいさんが「全然ちからねーじゃんがっかりだよ!」と大声で騒いでおられたが、何十年見てても声の力強さでしか評価できねーのかよ、あんたのほうにがっかりだよ!と言い返していた。心のなかでwww

ただ、前述したとおり、体の切れや声の張りなど舞台表現のなかで大切な要素のいくつかが確実に衰えを見せていることは確かなので、播磨屋の大物浦を見て感動できるのもあと何回かなあ、と思ったのも確かです。
これからは一回一回見るたびに、その芝居を大事にしなければなあとも。寝てる場合じゃなかったwww、あ、播磨屋さんの出てるときはほぼずっと起きてましたけどw

ほかの出演者に関しても簡単に。
芝雀さんの典侍局はとてもよかったです。帝への愛情がとても強い。安徳帝の御幸なるぞ!の台詞もとても柔らかい中にリンとしていて、芝居じみてなくて(芝居なんだけどさw)好きでした。
むしろ渡海屋女房のほうがいいのかなと思っていただけに意外。てか女房のほうはほとんど見てないんでw比較できませんが。
歌六さん、なんかつまらない。幕切れの弁慶、さぞかっこいいと思ってたんだけどなあ。お疲れちゃん?
梅玉さんの物足りないのと紙一重の素敵な義経、相変わらず健在です。
帝役の女の子がとてもいい。声は通るし、いわゆる天皇顔というかw顔がそれっぽい。
知盛と絡む侍が京純くんで、今や立ち回り一人者に成長したなあ、と万感の思いがw

全体に「血湧き肉踊る」とは行きませんでしたが、十二分に感動できる深い芝居でした。

 

吉野山

 

ネットなどでは四の切での菊五郎の不調がささやかれているようだけれど、吉野山に関しては好調に見えました。
四の切は後半に観劇予定なので、どうか調子を戻していただきたい。

ってことで、これまた血湧き肉踊る舞台とは行きませんでしたが、(特に戦物語は辛いねぇ)、相変わらずの色気と朗々たる台詞回しは健在で、ふとした拍子にこぼれる微笑にノックアウト寸前でした。ノックアウトはされませんでしたがw

逆に静の藤十郎がなんだか不調に見えた。

そもそもいきなり板付きであれ?道行なし?と思ったところから・・・
あっというまに忠信出てきちゃうし、静の踊るところは出来る限り省略してみましたヴァージョンって感じでしたよ。
ラストも板つきかしらと思ったら一応花道引っ込んでくれたけどw
足元や声の小ささも心配でしたがいちばん心配だったのが顔つき。
なんというかちょっと「ぼ○た」人にありがちの、口元がだらしない感じ。無気力というか、突き放した感じというか。
あまり好きじゃなかったドヤ顔が懐かしい感じ。

奇跡の80歳も、やっぱり80歳には勝てなかったか~。

一時的なものであればいいのですが。

 

…というわけでとにかく大幹部の芝居は一期一会を大切に、大事に見ていかなければなあ、と思ったのでありました。
動きとか音量とか表面ばかrに目を奪われずに、こちらの気力体力も充実させてみて差し上げるのが、命削って芝居してらっしゃるご老体たちへの礼儀かな、とも。




 


○○からの~&竹童らーぶ!

2013-10-01 | kabuki a Tokio

錦秋公演芯昼夜見てきました。感想はタイトルの意味を忘れないうちに!

昼の部のピカ一

コラボ「芯」での勘九郎の仏倒し。これが本当に一枚の板状態で凄かったんだけど、その直後に何事もなかったように起き上がってすました顔で踊り続けたのが何よりのツボ。
あれだけの仏倒しをしでかしておいてドヤ顔一つせずに、次の振りにすぐ行っちゃうところがとてもとても勘九郎っぽいw
仏倒しからの~勘ちゃんBRAVO!
義賢最期もそろそろ見たいものだ!

夜の部のピカ一

ま昼も夜も同じことやってるんでどっちも、なんですけど、仏倒しのシャープさは昼の部のほうが上、そして竹童さんのしゃべりは夜の部のほうが慣れててよかった。
竹童さん、なんであんなに喋りがいけるんだしかし?
いわゆるフリートークが面白いのはともかく、芸談(東京公演のみ臨時にやることになったらしく司会がいない)の仕切りをあそこまで器用にやれるのはもはや天才。下手な地方局アナよりずっと手際も声もいい。
それだけじゃなくて、芯のコラボでは尺八まで!それが素人芸ではなく、十分金の取れるレベルなのだ。
三味線弾きさんて尺八もやるのがデフォルトなんでしょうか?まったくど素人でわからんのですが、とにかく竹童さんに感動。青森公演に行きたくなってちょっとスケジュール調べたくらいw今度東京公演があったらきっと行く!

ってことでおもな感想は終わりなのですが、一応全体の感想も。昼夜あわせててきとーです。

TAO

ずっと一緒にやってた鼓童が今年は玉三郎さんに取られちゃったwから?
TAOっていうのも名前だけは聞いていて興味があったので見られてうれしかった、けれど。
うーん。個人的には鼓童のほうがずっと好き。
この人たちはパフォーマーであって、太鼓叩きではないのよね、もはや。
いちいちドヤ顔したり小芝居したりするところも大嫌いw
見たこともないし物凄い思い込みで言わせてもらうとなんとなくEXILEっぽいw
来年もしまた芯があるとしたら鼓童に戻してもらいたいなあ。

津軽三味線

今回は三味線オンリー三丁による。他の二人と竹童さんとの技量が違いすぎない?
お歳を召されたほうの方のは津軽三味線ではなくて秋田三味線らしいのですが、いまいち違いがわかってないw
あと、会場の音響のせいか、音響のセッティングのせいか、音を増幅しすぎてて、ハウリングや残響がうるさくて、とても演奏を演奏として楽しむ気にはなれなかった。
津軽あいや節に長調ヴァージョンがあるのは初めて知った。やっぱり短調のほうが「らしい」ねw


団子売

昼夜男女入れ替えw。やっぱりお福は勘九郎に限るわ、と再確認。
七之助はどうしてああ腰が浮いた踊りになってしまうんだろうか。
おかめの面をつけて踊っているときの残念感といったらなかった。彼がお福をやるときは面つけないほうがいいんじゃない?顔のかわいさでごまかせるからw
ただ、勘九郎も踊りの端々に疲労感が出ていて、やはり面踊りのときは顔(表情)でごまかせないだけに、いつもの面踊りの魅力はなかったなあ・・・

芸談

前述したとおり、臨時に設けられた短いコーナーで、見るべきものは竹童さんの見事な仕切りだけw
七之助の太ももが勘九郎に追いつくくらい育っているのにも注目。これだけ育てば、そろそろ安定した踊りを期待したいものだが。

コラボ芯

今まででいちばん凝った、ストーリーのある作品になっていた。
善と悪という二元を描きながら、単純な勧善懲悪ではなくて、悪の魅力も描いていたのが面白かった。
歌舞伎舞踊と創作舞踊の中間的な踊り、最後には鎮魂としての三番叟も入れて、勘九郎七之助の踊りはまことに見事でした。これ、ちゃんと練り直して普通の舞踊作品として成立させて欲しいな。一回限りで捨てるには惜しい出来。
できたら太鼓は鼓童で(しつこい?w)。

一番の不満は三味線のオト。
一番の満足は三味線のヒト。

 追記。三味線のヒトに興味を持ったのでぐぐったらなんだかいろいろ大変なのね。
人に歴史あり、じゃなくて人に背景あり。うーむ。
ある種の腹黒さは感じていたのでw別にショックではないですけれど。