楽「が」でも楽「は」でも楽「も」でもなく。
楽「で」よかった。歌舞伎座千穐楽を一言で言うならそんな感じ。
ほぼほぼ三部の感想しか今のところ書いてませんが、一部の舞踊も、二部の修禅寺物語も堪能した一か月でした。今月中に、書いてない感想書ければいいですね、って他人事か。でも初日の感想はもう書かないかも。書くとしても2行くらいだったりして。
1部
刺青奇偶
は初日以来だったのでちゃんと見る気満々だったのですが微妙に寝坊して、途中からの観劇。萬ちゃん見損ねた。
で、初日はそれなりに楽しめたのですが、実は退屈で退屈で・・・初日は久々の観劇でストーリーも忘れかけてたから退屈しなかったのかな。ストーリーわかっちゃってると、役者の芸を見ちゃうでしょ。中車も七之助もストーリーを演じる役者としては全然悪くないんだけど、歌舞伎として、所作や間で見せられるかというとまったくダメだということがわかっちゃった。特に、いちばんの見せ場である、刺青を彫りつける場面。ほぼ台詞もなく、表情と所作のみで、それぞれの感情を見せなければならない・・・退屈で気が遠くなりそうだった。、眠りは足りてたので寝はしませんでしたがw周囲は爆睡してたなあ。
…というわけで、無理して起きなくてもよかったw
そうそう、初日と逆にものすごーく感心したのが錦吾と梅花の年老いた両親のちょっとした場面。息子に去られた老夫婦の寂しさ、お互いの愛情、そんなものが数少ない台詞の中に充ち満ちていて。体に歌舞伎が入ってる役者とそうでない役者との違いがとってもわかりやすかった。
踊り二題
上・玉兔
これはもう、どうこう言わずにばあちゃんあるいは親戚のおばちゃん目線で目を細めて見ればいいんだろうけど。初日よりずっと身のこなしがプロっぽくなってて、やっぱり子供は成長が早いとも思ったけど。まだまだ「芸」とは呼べないレベルで終わったかな、とちょいと辛口。
6歳で歌舞伎座で堂々と踊れるだけでたいしたものだ、というのは大前提で、やっぱり勘ちゃんの息子ということで過大な要求をしてしまうのが上から目線のおばちゃんの嫌なところ。勘太郎くんについていつもいつもいつもいつも思うことだけど、「楽しそうじゃない」のよね。この子はすでに仕事として歌舞伎をやっていて、それはそれで素晴らしいのだけど、勘ちゃんの少年時代そうであっただろう「赤い靴を履いて生まれてきた」って感じはしない。肉体的にはいわゆる今どきのかっこいい体型で、手足が長すぎ、細すぎなのも気になる。踊れる体型にこれから作り込んで行けるかなあ。背も高くなりそうだもんなあ。
下・団子売
これはもう、物足りないほどに充実しているwなんだこの変な表現。
猿之助と勘九郎という、若手(じゃなくても?)当代二大踊り手が組んで踊るだけでも胸躍るのに、きっちりサービスでいつもより長めにほっぺたくっつけてます、いつもより多めに目線やりとりしてます!って感じの余裕の猿子と勘吉。wこの余裕と、たった十分の尺を、物足りないと取ることも出来るのだけど、個人的には余白余り邦題の彼らの器のでかさを愛でることが出来たのは、特に勘ちゃんファンとしてはうれしい限り。
肉体的にも精神的にもいつもいっぱいいっぱい風なのが魅力、みたいにいわれてる勘九郎ですが、個人的には軽い踊りとか、脇役とかで余裕を残しながら、でもきっちりやってる彼がとても好きなのです。
2部
修禅寺物語
初日が開くまでは正直いちばん期待してなかった舞台。それが、終わってみれば1,2を争うほどの高品質でしたw
彌十郎の夜叉王が絶対無理だと思ってたのよ。狂気の天才肌の芸術家って、どうしたってニンじゃないでしょ。
これが・・・いい意味で期待を裏切ってくれた。というか、自分に寄せた役作りがきっちり出来るだけの大きい役者だったのねぇ彌十郎。
狂気の天才!ではなく実直で一筋な職人という役作り。これはこれでアリって感じでした。父親が実直だからこそ、姉娘の狂気が際立つ。
猿之助、今月のベストはこの桂だと思う。そして勘九郎のベストも頼家かな。二人でやった団子売はすごいんだけど、当たり前だからねぇ・・・看板役者二人が、脇に回って彌十郎の追善を支えてる。そして、脇も全員いい。楓の新悟は本当に巧いし、萬太郎(これはちゃんと見たぞ!)亀蔵秀調・・・巳之助がちょっと固い以外は全員好演。ま、ベスト出し物というには小ぶりではあったけど、とにかくかなり満足しました。
弥次喜多
去年のがあまりにあまり・・・だったので、何の期待もしてなかったら、やっぱり酷かったwいや、暇つぶしにはなるし、退屈もしないので、三階席くらいの値段ならまあ腹立てるほどではないのですがね。
染五郎と猿之助がゆるゆるで力抜けてて(てか猿之助、今月ほんのちょっとでも力入ってたの、修禅寺だけじゃんw)、子供二人は頑張ってて。しかし子役二人の力量の差がありすぎて、ダメなほうの親は平気なのかしら。いくら中学生とはいえ・・・
ちゃんとお稽古できてて、お金のかかってる俳優祭、と思えば腹立たないのかな。
2度とも同じ結末だったのだけど、それほど悔しくもない、程度のものでしたんw
3部
桜の森の満開の下
しかしいいタイトルだなあ。これは安吾の手柄だけど。「の」のリフレインがどんどん盛り上がっていく詩的効果で。
これこそ楽「で」良かった。です。初日からこんなもの見せられちゃったらワタクシ、チケット買いあさってしまったかも。毎日でも見たい!という赤目症候群が再発してしまったかも。
というくらい、楽に最高潮を持ってくるという、すごい役者たちでした。たいてい楽は疲れてるし、翌月の稽古が始まっていて、なんかちょっとうっすらしちゃってることも多いのだけど、なんなんだろうこの濃さは。
中村屋兄弟は来月歌舞伎が入ってないから、思い切ってぶつかれたんだと思うけど、それ以外の役者も一切手抜きを感じさせない力と熱で、本当、この舞台で泣くことはない、と思ってたのに、泣いちまったじゃないか。初日はえんえん泣いてる客を小馬鹿にしてたのに、すっかり小馬鹿本人になっとるw
野田がこの芝居で何を訴えたかったか、とかこれはそもそも歌舞伎なのか、とか巷ではうるさいこという輩も多いようですが、そんなこと考えてつまらない顔してるくらいなら、ステージの上の熱を直接浴びて、芝居の世界に取り込まれちゃえばいいのに、と、思います。自他共に認める頭でっかちの客であるワタクシがそう思えたのは、もちろん大ファンであるところの勘九郎がほぼ出ずっぱりで板の上で熱発散してた、ってこともありますが、それ以上に、芝居全体の熱と熱冷ましwのバランスが楽はもう完璧だった、というか。
突っ走るだけのような勘九郎の芝居が、引き、受け止める芝居になっていて。夜長姫の七之助の述懐を引き立たせる効果を担っていて。三人の偽匠たちがそれぞれのバランスを絶妙に取れていて。Operaのアリアや聖歌?と歌舞伎の地方やつけ打ちのバランスも最高に取れていて。
楽に完成形を見られたのか、あるいはもっと続ければもっとよくなったのか。それはもっと続けないから永遠にわからない訳ですが・・・
たらればで予想してもしょうがないことはわかっていますが、予定通りに数年前に玉三郎勘九郎(先代)で上演されていただろうものより、絶対今、一世代若い勘九郎と七之助で上演されてよかった!と泣きながら思ったのでした。