laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

楽で、よかった

2017-08-27 | kabukiza

楽「が」でも楽「は」でも楽「も」でもなく。

楽「で」よかった。歌舞伎座千穐楽を一言で言うならそんな感じ。

ほぼほぼ三部の感想しか今のところ書いてませんが、一部の舞踊も、二部の修禅寺物語も堪能した一か月でした。今月中に、書いてない感想書ければいいですね、って他人事か。でも初日の感想はもう書かないかも。書くとしても2行くらいだったりして。

1部

刺青奇偶

は初日以来だったのでちゃんと見る気満々だったのですが微妙に寝坊して、途中からの観劇。萬ちゃん見損ねた。

で、初日はそれなりに楽しめたのですが、実は退屈で退屈で・・・初日は久々の観劇でストーリーも忘れかけてたから退屈しなかったのかな。ストーリーわかっちゃってると、役者の芸を見ちゃうでしょ。中車も七之助もストーリーを演じる役者としては全然悪くないんだけど、歌舞伎として、所作や間で見せられるかというとまったくダメだということがわかっちゃった。特に、いちばんの見せ場である、刺青を彫りつける場面。ほぼ台詞もなく、表情と所作のみで、それぞれの感情を見せなければならない・・・退屈で気が遠くなりそうだった。、眠りは足りてたので寝はしませんでしたがw周囲は爆睡してたなあ。

…というわけで、無理して起きなくてもよかったw

そうそう、初日と逆にものすごーく感心したのが錦吾と梅花の年老いた両親のちょっとした場面。息子に去られた老夫婦の寂しさ、お互いの愛情、そんなものが数少ない台詞の中に充ち満ちていて。体に歌舞伎が入ってる役者とそうでない役者との違いがとってもわかりやすかった。

 

踊り二題

上・玉兔

これはもう、どうこう言わずにばあちゃんあるいは親戚のおばちゃん目線で目を細めて見ればいいんだろうけど。初日よりずっと身のこなしがプロっぽくなってて、やっぱり子供は成長が早いとも思ったけど。まだまだ「芸」とは呼べないレベルで終わったかな、とちょいと辛口。

6歳で歌舞伎座で堂々と踊れるだけでたいしたものだ、というのは大前提で、やっぱり勘ちゃんの息子ということで過大な要求をしてしまうのが上から目線のおばちゃんの嫌なところ。勘太郎くんについていつもいつもいつもいつも思うことだけど、「楽しそうじゃない」のよね。この子はすでに仕事として歌舞伎をやっていて、それはそれで素晴らしいのだけど、勘ちゃんの少年時代そうであっただろう「赤い靴を履いて生まれてきた」って感じはしない。肉体的にはいわゆる今どきのかっこいい体型で、手足が長すぎ、細すぎなのも気になる。踊れる体型にこれから作り込んで行けるかなあ。背も高くなりそうだもんなあ。

下・団子売

 

これはもう、物足りないほどに充実しているwなんだこの変な表現。

猿之助と勘九郎という、若手(じゃなくても?)当代二大踊り手が組んで踊るだけでも胸躍るのに、きっちりサービスでいつもより長めにほっぺたくっつけてます、いつもより多めに目線やりとりしてます!って感じの余裕の猿子と勘吉。wこの余裕と、たった十分の尺を、物足りないと取ることも出来るのだけど、個人的には余白余り邦題の彼らの器のでかさを愛でることが出来たのは、特に勘ちゃんファンとしてはうれしい限り。
肉体的にも精神的にもいつもいっぱいいっぱい風なのが魅力、みたいにいわれてる勘九郎ですが、個人的には軽い踊りとか、脇役とかで余裕を残しながら、でもきっちりやってる彼がとても好きなのです。

 

2部

修禅寺物語

初日が開くまでは正直いちばん期待してなかった舞台。それが、終わってみれば1,2を争うほどの高品質でしたw
彌十郎の夜叉王が絶対無理だと思ってたのよ。狂気の天才肌の芸術家って、どうしたってニンじゃないでしょ。
これが・・・いい意味で期待を裏切ってくれた。というか、自分に寄せた役作りがきっちり出来るだけの大きい役者だったのねぇ彌十郎。

狂気の天才!ではなく実直で一筋な職人という役作り。これはこれでアリって感じでした。父親が実直だからこそ、姉娘の狂気が際立つ。

猿之助、今月のベストはこの桂だと思う。そして勘九郎のベストも頼家かな。二人でやった団子売はすごいんだけど、当たり前だからねぇ・・・看板役者二人が、脇に回って彌十郎の追善を支えてる。そして、脇も全員いい。楓の新悟は本当に巧いし、萬太郎(これはちゃんと見たぞ!)亀蔵秀調・・・巳之助がちょっと固い以外は全員好演。ま、ベスト出し物というには小ぶりではあったけど、とにかくかなり満足しました。

 

弥次喜多

去年のがあまりにあまり・・・だったので、何の期待もしてなかったら、やっぱり酷かったwいや、暇つぶしにはなるし、退屈もしないので、三階席くらいの値段ならまあ腹立てるほどではないのですがね。
染五郎と猿之助がゆるゆるで力抜けてて(てか猿之助、今月ほんのちょっとでも力入ってたの、修禅寺だけじゃんw)、子供二人は頑張ってて。しかし子役二人の力量の差がありすぎて、ダメなほうの親は平気なのかしら。いくら中学生とはいえ・・・

ちゃんとお稽古できてて、お金のかかってる俳優祭、と思えば腹立たないのかな。

2度とも同じ結末だったのだけど、それほど悔しくもない、程度のものでしたんw

 

3部

桜の森の満開の下

しかしいいタイトルだなあ。これは安吾の手柄だけど。「の」のリフレインがどんどん盛り上がっていく詩的効果で。

これこそ楽「で」良かった。です。初日からこんなもの見せられちゃったらワタクシ、チケット買いあさってしまったかも。毎日でも見たい!という赤目症候群が再発してしまったかも。

というくらい、楽に最高潮を持ってくるという、すごい役者たちでした。たいてい楽は疲れてるし、翌月の稽古が始まっていて、なんかちょっとうっすらしちゃってることも多いのだけど、なんなんだろうこの濃さは。

中村屋兄弟は来月歌舞伎が入ってないから、思い切ってぶつかれたんだと思うけど、それ以外の役者も一切手抜きを感じさせない力と熱で、本当、この舞台で泣くことはない、と思ってたのに、泣いちまったじゃないか。初日はえんえん泣いてる客を小馬鹿にしてたのに、すっかり小馬鹿本人になっとるw

野田がこの芝居で何を訴えたかったか、とかこれはそもそも歌舞伎なのか、とか巷ではうるさいこという輩も多いようですが、そんなこと考えてつまらない顔してるくらいなら、ステージの上の熱を直接浴びて、芝居の世界に取り込まれちゃえばいいのに、と、思います。自他共に認める頭でっかちの客であるワタクシがそう思えたのは、もちろん大ファンであるところの勘九郎がほぼ出ずっぱりで板の上で熱発散してた、ってこともありますが、それ以上に、芝居全体の熱と熱冷ましwのバランスが楽はもう完璧だった、というか。

突っ走るだけのような勘九郎の芝居が、引き、受け止める芝居になっていて。夜長姫の七之助の述懐を引き立たせる効果を担っていて。三人の偽匠たちがそれぞれのバランスを絶妙に取れていて。Operaのアリアや聖歌?と歌舞伎の地方やつけ打ちのバランスも最高に取れていて。

楽に完成形を見られたのか、あるいはもっと続ければもっとよくなったのか。それはもっと続けないから永遠にわからない訳ですが・・・

たらればで予想してもしょうがないことはわかっていますが、予定通りに数年前に玉三郎勘九郎(先代)で上演されていただろうものより、絶対今、一世代若い勘九郎と七之助で上演されてよかった!と泣きながら思ったのでした。

 

 

 


芝居は生き物、芝居は鬼、芝居は化け物

2017-08-21 | kabukiza

立て続けに三部ばかり見てます。自分、どんなチケット配分したんだろう?頼家がすっごくよかったのに、楽まで見られないし。うーん。

と思いながら見たのですけれど、18日に比べて格段に良かったです。何がよかったか・・・役者が野田の世界から少しずつ自分たちの芝居を繰り広げ始めてる感じ。

前回までは野田の芝居を歌舞伎座で歌舞伎役者がやってるっていうイメージだったんですけど、今回は、歌舞伎役者が野田の世界を自分たちの手元に引き寄せ、化学反応を起こしていつのまにか歌舞伎にしちゃってた、って感じられたのですね。

これは、歌舞伎かどうか、なんてことは七面倒に論じることじゃなく、体で感じ取ればいいことなんだなあ、って心から思えました。で、歌舞伎って化け物。なんでも取り込んで、消化して、昇華して、歌舞伎にしちゃう。

歌舞伎役者は鬼。普通人にはなれない鬼。私たちとは人種がちがうわ。差別的な意味で(ポジティブな差別ですけどw)そう思います。

 

同じ三階から見ても、前回の違和感と今回の違和感は方向性が違うのよねぇ。なんか本当不思議。

さて、ラスト一回残してるわけですけど、最良の感想が書けるといいなあ・・・


悪夢は俯瞰するものじゃない

2017-08-18 | kabukiza

歌舞伎座3部、桜の森の満開の下

二度目です。

初日はかぶりつき。本日は3Bという極端な場所から。

初日の感想も書いてないのに、とりあえず3階から感じたことを先に書いちゃう。

かぶりつきで見たとき、これ、引きでみたら綺麗なんだろうなあと思ったんです。

照明、音響・・・まったく違う世界が見えるんじゃないかって。

…そうでもなかったw

意外とオーディオ・ヴィジュアルの要素が重要じゃなかったのかも。

役者自身の肉体と言葉の強さがより訴えかけてくるかぶりつきのほうがずっと芝居が濃かったです。
野田に限らず、新作歌舞伎のときはいつもオーディオ・ヴィジュアルが強い気がしていたので、これは意外だった。

主役三人の声があまりいいとは言えないのも、三階まで伝わりにくい要素の一つだったかも。

私の後ろにいたおばあちゃんは幕あいに「こんなつまらないの、途中で帰りたい」って叫んでたしw

私は面白いと思ってるんですけど、とはいいませんでしたけどね。いずれにしてもそんなにつまらないなら途中で帰ればいいのに、とは思いましたw

理解しようと思うとつまらない。

寝てしまってもつまらない。

ぼーっとして、なんかすごいなあ・・。と思いつつ見て、時々くすっと笑って

最後にほろっとして・・・あらら知らないうちに感動してる、そんな感じの芝居です。私にとっては。

 

美しい悪夢を見ているような。そんな気分が、三階からの景色では妙に遠く感じられたのも事実です。

 

原作をちょこちょこと斜め読みしたのですが「ヤクルト入りの冷蔵庫」はもともとは「メロン入り」なのね。30年前のほうが贅沢だ

あと、原作でいちばん気になっていた「女子寮の女学生が強姦魔を心待ちにしてるような鬼」みたいな表現。さすがになくなってたwこんな台詞書いてたのか野田は。いまだったら大炎上だぜ!

 

…というわけで、一度しか見ない人には絶対一階で見ることをおすすめします。

この芝居は役者の世界に取り込まれて、一体化して、一緒に悪夢を見た気分になったほうが絶対楽しめます。楽しめるっていうのも違うけどw


GO ON!

2017-08-16 | kabukiza

ってことなのかな。

業音@東京芸術劇場でさっき見て来ました。もう最近感想書くのもめんどい。ので酔っ払ってますが思い出すままに書いちゃう。

本当に何も知らずに見に行って、なんで劇中にスマホが出てこないんだろう?とか話題が9.11とか微妙に古いのはわざとなのかな、なんて考えていたおバカさんです。

2002年に上演された作品の再演だったのですね。

 

そんなまっさら状態だったのですが、とりあえず面白かった。

今まで見た芝居で随一のワイヤーの無駄遣いw

意味のないダンサー、意味のない台詞、意味のない動作・・・でもすべてに意味がある。

カーテンコールがない、っていうこだわりはよく意味分からなかったけど。でもきっと意味がある。

 

音楽ダンス効果音すべてがつながっていないようで、「業」という「音」に向かっていく感じ。

形式も表現もまったく違うけれど、歌舞伎座で今月やってる野田の『桜の森。..』とちょっと観劇直後の感覚が似ていた。

あれも、「業」の世界だものね・・・

goを背負いながらgo on livingしてく人たちの話。

 

平岩紙はすごく良かったのだけど、初演が荻野目慶子だったと聞くと、わあそっちすごかっただろうなあと思ってしまう。どうしても「業」といえば荻野目ちゃん(姉)だものねw

というわけで画像はあえて初演のものを。再演は白一色でもっとシンプルかつスタイリッシュwでしたん。

 

 

 

 


from dawn till dusk

2017-08-09 | kabukiza

微妙に意味ずれてますが。久々に朝から晩まで歌舞伎座初日お住み込み。外気37度らしいので一歩も外に出てないから本当にお住み込みでした。疲れました、の感想はいずれ。一言だけ。萬ちゃん出番少なすぎ!


フェアリー弟、騒々しい兄

2017-08-06 | kabuki a Tokio

双蝶会二日目昼の部見て来ました。うーん。兄・・

 

感想はいずれ。

 

昨今の定番ですが・・・いずれはいずれ。12日が経過してしまいました。ただいま18日。お盆も終わり、送り火とともに観劇の感動、がっかり、怒り・・・すべて彼岸に送ってしまいました。

一條大蔵の種ちゃんはとってもフェアリー感があったのに、おとくの種ちゃんは普通だった。女形だとフェアリー感が消えるのか。あるいは主役じゃないと本気出さないのか。後者だと、私の種ちゃんイメージにはぴったりだw

お兄さんのほうは。つねにまっすぐで一生懸命なんだろうけど・・・なんせ暑苦しい、というかうるさい。鬼次郎の所作が若いのに切れを欠いたし、吃又は、とにかくうるさい。しゃべって亡くてもうるさいw

まっすぐで一生懸命なおにいさん、いい加減っぽい弟ってのはどこの家でもありがちなパターンで、勘七だってそういえばそうなんだけど、どうして、ここんちは(ワタクシにとって)弟のほうが魅力的なんだろう?

あ、高麗屋の兄弟はそういえば逆パターンの珍しい形。あそこは両方長男みたいなもんだけど。

 

…はい、こんなところでお後がよろしいようで。ってお後の感想も書いてないか。