歌舞伎座二部二度目、三度三度目(紅白か)見てきました。
二部
吹雪峠
中車の大時代ぶりが少しこなれてきたけど、やはり松也七之助との芝居の乖離が
芝居的に逆効果だとしか思えないのは変化なし。
これはもう相当な名優がやらないとつまらない芝居、と
私の中にインプリント。
寺子屋
今まで書き忘れてたけど、勘九郎松王でいちばん好きなシーンは
首実検終えた直後、首桶を閉じて、しばらく首桶の上から手をはなさないでじっとしてるところ。
ずっと首を眺めていたら怪しまれるから、すぐ首桶にふたをするのだけれど、
離れがたい、 愛着と哀惜がその掌に込められていて、じーんと来てたんだけど。
今回、隣のおばちゃんがやたら大泣きするんで、おかしくなって彼女の横顔を盗み見ていたら、そこ、見損ねたw
二部はあと一度しか見ない予定なのに痛恨の極み。
あと、書き忘れてたこと。並びの捕り手で蹲踞がぐらぐらする人一名。
初日なんてもう何度も座り直して酷いことになってた。二度目の幕見は(遠かったから?)気づかなかったけど
三度目の今回、また初日ほどではないけどぐらついてた。
できないなら特訓する、あるいは役を断る勇気を持って欲しい。
書き割りとしての三階の重要性、なめるな。芝居を壊しかねないよ、本当に。
芝居を壊すといえばいろは送りに「待ってました」はともかく「たっぷりどころか「たっぷりとお願いします」ってかかったのにはたまげた。
こってこての義太夫シーンに超口語って、本当センス皆無。
待ってました愛太夫!ともかかってたので、愛太夫さんのファンなのかな。愛さんの意思とは関係ないのだろうからお気の毒。
…と芝居の内容とは関係ないことを今回は書いてみました。
そうそう、七之助の千代がどんどん良くなってる。
私見での七之助丸本物ベストじゃないかな。
個人的には首桶にそっと手を置くところを見逃した注意力散漫が悔やまれた二部でありました。
三部
二人椀久
三回目だけど一番良かった。
3>1>2ですな。(数字は見た順番)
1は超前方で見たので、花道の鳥肌立つ舞踊以降は、正直顔しか見てなかった。
2は三階で見たら恋人同士に見えず、マザコン息子と過保護ママに見えてショックだった。
そして今回は、2階最前列。舞踊を見るには最適な位置だと知りつつ、ついつい一階前方を取ってしまいがちなミーハーなワタクシ。他人に席のチョイスを任せて、ようやくとれましたw
なるべくオペラグラスを使わずに踊りそのものを味わうことに努めました。
勘九郎の動きのしなやかさ、軽やかさ、メリハリ、そして玉三郎の目配り・・・すべてを堪能しました。
動きが物足りない(相手お年寄りだからね)というのもわからないではないが、個人的にはこの踊り、
♪拍子そろえて~からは下手に踊りすぎると体操になってしまいがち(若手はとくに)なので、これくらいで十分。
満足不満の分かれ道は、花道の椀久の出で椀久の孤独感、狂おしいまでの恋情などの世界に入り込めるかどうか、じゃないかなあ。
椀久さんの世界観に入り込めてれば、♪筒井筒だって母親じゃねーかどこが幼なじみだよ!みたいな不満も持たずちゃんと同調できたと思うのね。
ここらへんは技術的な問題ではなく、客としての心情の問題。採点競技としての舞踊ではなく、あくまで舞台芸術としての舞踊だから、気持ちがいちばん大切。
2度目の三階からの鑑賞で不満だったのは花道がよく見えなかったからだと、ワタクシは分析しました。
道成寺
椀久的にいえば、
1>3>2かな。
最初に見たときはもう、誰がいつ出てくるの?というわくわく感とか、
一挙に五人で鞠唄やってる贅沢感とか、もう、アミューズメントパークいいるみたいだったけど、そのドキドキ感は二度目からは味わえないもんね。
今回のポジションは全体を見るのに最適だったので、最後の鐘入りまではほぼオペラグラスを使用せずに「踊り」を鑑賞してみた。
ただ、全体を見通してみると、正直玉三郎が踊りたいところを踊って、疲れ休めにほかの若手を使ってる、という風に見えてしまったのね。
構成をきちんと見てしまうと構成に対しての不満が出てくるってパターん。
この演目に関しては、一階前方で涎垂らしながら一点凝視(ほぼ危ない人ですなw)が個人的ベストポジション。
今回若手二人、特に児太郎をきっちり見たのですが(花笠以外ちゃんと見てなかった)、色気ありますねぇ。
まだ若いのに、そして超美形というわけでもないし、でかいのに、なんであんなに色っぽいんだろう。
個人的に成駒屋の女方の踊りが大好きだ!ということを三代にわたって確信しました。
感想もそろそろ中だるみっぽくなってまいりましたが、三部はまだまだまだ見るのよw