laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

究極の男遊び

2012-09-26 | spectacles

…各方面に失礼かもしれませんが、とにかくそう思ってしまったのだからしょうがない。あこがれます。藤間流大金持ち名取。てことで二代目勘祖追善舞踊会初日、見てきました。

もう、いろんな意味で面白かったああ。

でも舞踊会を見るたびに思う、舞踊家とおっしょさん、お名取さん、お弟子さんの境目ってなに?という疑問はどんどん膨らむばかり。それも含めて面白いんだけどさ。→師範名取(名執?)と普通の名取があるらしいね、ソレって藤間だけ?どこでも?とか。師範名取は大型免許みたいなものか?
弟子の分際は出してもらうのに大金はらって、有名舞踊家と役者はギャラもらう、って感じなんだろうけど、中間?の平名取?無名舞踊家?おっしょさんたちはこういう会では金払ってるのかもらってるのか差し引きゼロなのか・・・
で、それらと、役者たちが混在して出てくるカオスぶりが本当に興味深い。

寿式三番叟

もうめったに見られなくなった吉右衛門の踊り、それに菊五郎が絡むなんざ、歌舞伎座こけらおとしくらいしか今後もなかろう、と思ってがんばって一等席取ったのだけれど。
いやあ、さよなら公演のときと同じで、しれっときちんと踊ってる梅玉師匠に、踊りの稽古はついでで、女弟子とアフターで呑むのを楽しみに来てる商店街理事長の菊五郎、定年後家にいづらくなって、「あなたも何か趣味を持ちなさい!」と妻に尻を叩かれてしかたなく稽古に来てるもと銀行員の吉右衛門、って図式がとてつもなく面白い。振りが合ってるようで合ってない、そしてたまーに合うところも面白い。吉右衛門が前に立ったときの不安そうな顔がとてつもなく面白い(他人の振り盗めないもんねw)。
と思っていたらそんなものよりずっとずっと面白かったのが、ずらっと並んだひよこ後見。
吉右衛門→種之助、菊五郎→右近、梅玉→梅丸、他にも時蔵→萬太郎、七之助→廣太郎か廣松(後ろ向いてたから、やっぱり区別つかない!)、そして勘十郎→歌昇。
後見に気づいてからはほとんど萬ちゃんとノスケちゃんばかり見ていました。(梅丸くんは私の位置からは背中しか見えなかった)。これがもう笑っちゃうくらい仕事のない後見ズで、特に萬ちゃんなんて舞台に存在したのは十数秒だったんじゃなかろうか。
後半三番叟の踊りになってからはさすがの勘十郎。見たことのない和箱との掛け合い踊りもなかなか見事で、七之助も疲れを見せずにいい踊りだった。まあ正直勘十郎の踊りもいいのだけれど、こんな掛け合い踊りなら数字が一つ少ない人wとの兄弟コンビのほうが魅力的だったなあ(特に見た目)と思ってしまったのも事実。

出雲梅

舞踊会名物w自主休憩。昼食を食べる暇がなかったので、遅い昼食あるいは早い夕食。この時間帯に食事をとる人はほとんどいないのでレストラン貸切状態でしたw

藤娘

10歳以下?と思われるお嬢ちゃんですが、おひきずりの裾を踏むでもなく、堂々の花道の登場。たいしたもんだ。
藤音頭の代わりに潮来を入れる形は、けっこう珍しい?
子供なので大目に見てるとはいえ、これだけ出来たらお母さんもうれしかろう、で、どこの大金持ち?
中務という苗字からして、やんごとない系の末裔様かもしれないね。

鏡獅子

いや、これ、結構感動しました。
いきなり梅之と京三郎の老女と局(これも凄くない?)に連れられて出てきたのが、実は「また子供?」と思ったのです。考えてみたら梅之も京三郎も男なんだから、まあそれよりは小さいのが普通だわな。とはいえ、女性としても小柄なほうじゃないのかな。とにかく、最初の数分は中学生くらいなのかな、と思ってたわけです。だから、凄く巧いと感じたw
前の藤娘と比べて、ってのもあるかもしれないね。
途中から良く見たらちゃんと大人ジャン、と判明してからの感動はやや薄らいだんだけど。
でも弥生の心の揺れなんかはよく表現できてたと思います。扇の扱いとかはそりゃ必死なんだけど。
胡蝶が京由くんと春希くんの稚魚美女で、胡蝶より獅子のほうがちっちゃいのも初めてみたw
まあ後シテの獅子は体力的にもきつかっただろうなあと思うけれど、後ずさりの引っ込みはちゃんと行儀良く毛を足にはさんでたし、毛振りも最初のほうはちゃんと綺麗に振れてた。
ちょこっとぐぐって見たら涼花さん、ブログもやっていらっしゃる。興味のある方は見てみてください。あたしは、まだ見てないw
で、この方はまだ素人のお名取さんってことよね?ジャンルでいうと。ってことは金払って参加よね?
後見が新十郎、國矢、左字郎ってのも超豪華じゃない?
うーむ。藤間恐るべし。

追記
ブログちらっと読みました。宗家の内弟子さんらしいですね。師範名執さんでカルチャースクールで教えてらっしゃるから無名舞踊家とおっしょさんの間くらいのランク?やっぱりお金だけじゃなくて努力は必要なんだw

京人形

そしてまたまた、藤間の底力、といおうかなんといおうか。
それほど巧くもないおばちゃん(推定50代?)の京人形に、甚五郎役で権十郎さんが絡んでくれるんだよ!
手をとって連れ舞いしたり、太夫はなんと美しい!とかめろめろになってくれるんだよ!
ちなみに奥さん役は京妙さん。
正直どうしてこの踊りを選んだんだろう?思い出作り?にしても京人形に自分が扮していいかどうかの判断はつかなかったのか?という疑問がぐるぐる脳裏を渦巻いていたことは確か。
技術的にはどうこういうレベルではない気がした。もちろん男女の入れ替わりの、メリハリなど、期待もしてないわけで。
この方、それこそ名取さんなのかおっしょさんなのか、よくわからないのだけれど、おっしょさんだとすれば、自分にあう役をチョイスするセンスがないおっしょさんには習いたくないなあ、などと思ってしまったのも事実。
物凄く失礼なこと書いてますね、あたし。関係者が万一見ちゃったら平謝りです。
大工道具の立ち回りを楽しみにしていたら後半はカットだったわ。
そりゃそうだわね、人形の出番ないもんねぇ。そんなところに金は出せまい。

豊後道成寺

…こんなに長かったっけ?いや、先ほどの京人形さんに比べれば、踊りもしっかりしてたし、ややw若いし、特に酷くはなかったのですがね。
踊りも普通、見た目も普通、曲も振りも豊後だから地味・・・ともう退屈の要素てんこもりでした。
…さて、寝るか、と思っていたら(ある意味安心して寝られるレベルではあった)、いきなり目つきのするどいスナイパーが踊り子さんの背後に。
わっ、スナイパー京蔵の殺人引き抜きが見られるんだ!
と思ったら一気に目がさえたw
しかし、この方、素人(失礼、名取さんまたはおっしょさんですよね)相手だとますますスナイパー度が上がりますね。
物凄い殺気で糸をしゃかしゃか抜いていき、いざ、引き抜きの瞬間はまさに乾坤一擲。抜くか抜かれるか、のるかそるかの大勝負という息詰まる緊張感が。
素人(またまた失礼)が相手だと引き抜きも難しいのだろうね、というのは次の曲ではっきりわかったのだが。
この引き抜きは綺麗でした。
そして仕事を終えた京蔵は何事もなくはけていき・・・1引き抜きいくらもらってんだろう?なんて野暮なことを考えたのは会場中であたしだけ?だっただろうか。

女伊達

これです、これ。タイトルにもなったlavieの妄想爆発させたのは。
勘寿々さんというのは、たぶんおっしょさんよりちょっとえらい、舞踊家のくくりに入るんだろうな。藤間の中でもランクはそこそこ上なんだろうな・・・おとしのせい?だと思うけれど、足元もややおぼつかないし、いわゆる技量という点ではどうなんだろう?と思ったりもするけれど。
男伊達に亀三郎亀寿兄弟を引き連れて、引抜にはまたしても、のスナイパー京蔵、今回はばあちゃん相手で力が緩んだか、ちょっと失敗しちゃってました。たぶんばあちゃんが悪い。
そして、そして、若いもののなかに京純くん発見!

ここまで書いてませんでしたが、地方さん連中も傳左衛門はじめ超一流がずっとつきっきり。
藤娘ちゃんや弥生ちゃんは1000万近く散財してるのは確かなんだけど、たとえば勘寿々師匠は、金払ってるのか?もらってるのか?差し引きゼロなのか?などとまたまた俗悪なことを考えてしまい・・・いやあ面白かった。
藤娘ちゃんを見るにつけ、金さえ積めば数年の稽古でも舞台に出ることは可能なような気もする(たぶんコネとか家とか必要)。

で、勝手にlavieは芝翫さんをしのんで女伊達をやるぞ!と決めましたwwww
男伊達はもちろん勘ちゃんと元ダンちゃん。
若いものはさとぴー(若くないのだがかまわない!)、京純くん、京由くん、橋吾くん、咲十郎さん、猿琉くん。
後見は・・・スナイパーにしようかモナリザ守若さんにしようか、イケメン錦弥さん?芝翫さんをしのんで芝喜松さん?
えーい全員でやってくれ。がはははは。

きゃああああああああああ。2000万までなら払う(嘘)。
勘寿々さんはここまでになるのに数十年の歳月と数千万円(たぶんそれ以上)を費やして、努力もしてらっしゃったことは重々承知での妄言ですんでどうかご勘弁を。

しかしこの役者の贅沢な無駄遣いぶりは、藤間宗家ならでは、ですなあ。
頼まれると断れないのだろうね。藤間ににらまれるとやっぱり大変なんだろうなあ、とまた邪悪な妄想がwww

 

此の君

邪悪&ミーハーな気持ちをたしなめるかのような、静寂な空間。一気にクールダウンいたしました。
限りなく趣味の良いお着物をまとわれた玉三郎様が、限りなく静かに舞われる。
誰かが博多人形が踊っていたようだと書いていたけれど、個人的にはリヤドロに見えたw
まあとにかく美しく、今までのどの女性より、美しく、そしてでかかった。
舞踊家と役者の踊りの差が「一般人が金を出したくなるか」ということだとすれば、まさに役者。千両役者。


雨乞其角

勘三郎が大尽で出演予定だったのが、出られなくなって代役が勘祖。あたしは此の人の踊りを生で見たことがあっただろうか?いや凄いわ。洒脱でかっこいい。紫さんの娘だっていうことを、踊りを見ていたら思い出した。
勘十郎の其角に、橋之助七之助扇雀孝太郎が絡む。素踊りでも一目で女だとわかる孝太郎の踊りにちょっと感心。扇雀はしばらく立つまで男か女かわからなかったもんw
で、後半、弟子が出てきてからはもう梅丸に釘付け。
なんて美しい!なんてりりしい!
歌舞伎界は、そして梅玉さんはこの子を宝として扱うべき。いつまで部屋子にしておくんだよ!
萬ちゃんもノスケくんもいたのに、美青年というだけなら隼人もいたのに。男寅くんもりりしく成長していたのに!
そして廣太郎と廣松が素顔で並んでいて、見分けるチャンスだったのに!
もう梅丸のあたりを払う気品の前にはほかの御曹司の影が薄くて薄くて・・・
ふと玉三郎が出てきたときってこんな感じだったのかなあ、と思ったり。
唯一不安なのが、立役になるには背が足りないかなあ。16歳くらい?もうそうは伸びないよね・・・
女形でも十二分に綺麗だけど、やはり貴公子役が見たいのよ。
声変わりが終わる数年後まで、「生きていようと思った」by太宰。

 

いやあやっぱり舞踊会は藤間に限るわwwwカオスだもん。いい意味での。

 

 

 


愛嬌、孤独、そしてエネルギー

2012-09-26 | kabuki en dehors de Tokio

勘九郎襲名@松竹座三度目にして最後の出撃が終わりました。
とりあえずかんたんに勘ちゃんのことだけまとめて。そのうち加筆するかも、たぶんしないw

今回襲名作品は瞼の母→書き物あまり好きじゃないし、玉三郎の出来があまりにあまりだった(初日近辺)
雨乞狐→作品の質がそれほどでもないし、なにしろいわくつき過ぎて、鑑賞というよりはどきどき見守る感じだった

ってことで、それこそ演舞場の土蜘蛛や鏡獅子と比べちゃいけないんだけど、勘ちゃんにはもっとほかにやってほしい大きい演目がいっぱいあるんだよなああああなどと、特に前半、ため息交じりで見ていた感じだったのですが。

終わってみれば、どれもこれも、本当にすばらしい成果を見せてくれて、満足でした。

特に瞼の母の忠太郎の、幕切れに見せるなんとも孤独で虚無的なたたずまい、これは天日坊の大詰めの壮絶な立ちまわりと、静と動ではありながら、同じ匂いを感じさせ、今後の勘九郎という役者の持ち味のひとつになっていくと確信した。
愛嬌とニヒリズムを併せ持つ役者は、少なくとも歌舞伎には今のところ見当たらないと思う。
雨乞狐は、見事にリベンジを果たしつつ、道風や座頭では、初演再演のときとは比べ物にならないほどの表現力を見せつけ、楽近くには狐のエネルギーを発散させて、翌月の源九郎狐への期待を膨らませてくれた。とはいえ、花形配役なのでいまいち盛り上がってないのだがw

ま、本人もVサインしてますし、よかったです。

しかし、襲名演目が未発表なのが巡業を除けば博多座のみ、となった現在、「アレも、コレも見たい!」という妄想で頭がはちきれそうなんだけど・・・

 


完全自分用メモ

2012-09-23 | kabuki en dehors de Tokio

というわけでどこでもドアでまたしても大阪に来ております。

脇役の方々を中心に感じたことを忘れないうちにメモ。

脇役フェチの方とlavie以外はとりあえず用のないお話です。

1.笑三さんなぜここに?そして意外とでかい。

初日近辺の感想で又之助と間違ってた。ごめん。

2.守若さんのモナリザの微笑にやられた。
鷺娘の引き抜き後見のときの険しい顔と大違い。ものすごく好みの年増腰元です!

3.玉雪さんを認知した!三津之助さんを若くして大きくした感じなのね。

4.シンゴくんの求女、すごくよくなってた。若手は初日付近と後半でこうも違うのか、の好例。

5.団子売の七勘を見ていて二人の踊りの質の違いを確認した。

いちにさんしで踊ってる七之助。
ひーふーみーで踊ってる勘九郎。

現代的な意味でリズム感があるのは七之助。ダンスはうまいんじゃないかな。
逆に勘九郎のリズムは、厳密に言うと少しずつずれてる。それが日舞の呼吸。

9/26追記。ちゃんとした感想はともかく、思いついたことはメモしとかないので忘れる。

6.彌十郎は古田新太に似ている→褒めてるつもり。だけど金五郎みたいな陰のある男はあまり似合わない。

7.雨乞狐の駕籠かき(功一と橋吾)、駕籠の扱い荒っぽすぎ。いくら中に誰も乗ってないっていってもw

8.女暫で、最前列からだと、舞台番からの目線(巴御前が舞台番を見ている表情)が捉えられてとても面白かった。玉三郎が勘九郎を見ている目線がとても柔らかく、ときどきからかったようで、まるで本当に親戚の姐さん(絶対に兄さんではない!)だった。

9.勘九郎の台詞や所作が見るたびに少しずつ変わっているのが面白かった。当方が勘九郎だけは熱心にチェックしているので気づくわけで、他の役者さんも変えてるんだとは思うが・・・w

たとえば、雨乞狐でいちばん激しい巫女の雨乞い踊り、微妙に激しい振りを抜いたり、足したり、3-4パターンを当日の体調や気分で使い分けているんだと思う。
瞼の母でも、変な笑いを誘う台詞はちょっとニュアンス変えたり、抜いたり。
狐の嫁があーい、と返事するのも(声がアレだから?)やめちゃったし。

10.そして、楽日間近に絶好調になっていた小山三・玉三郎の両姐御w。楽はまたとちりのボケ姐さんたちに戻っちゃってました。楽マジック?ほっとして油断?小山三は鏡台壊しちゃうし、玉三郎はどこにも出てこない登場人物の名前を、娘の名前として口走っちゃうし。

 

とこれだけ書いたら、舞台の感想はもう書くことないや、とお思いの方、とんでもないwww

別項では勘ちゃんのことだけ、また書きまくる予定なので、どうぞ慎重にスルーしてね。


ROCK(岩)がおれを狂わせる!

2012-09-22 | spectacles

ってまんまおやじギャグがテーマに深くかかわっていたとは!

面白かったけれど、あちこちとっても残念感が漂った
ボクの四谷怪談@シアターコクーンでした。感想はいつなんだろうか?

 

と書いてはや5日。その間に大阪行って帰ってきたり、もはやお岩さまは忘却のかなた・・・
もともと松也が出てるし、四谷様だし、と思って天井桟敷で気楽に見たので、余計忘却のかなた・・・

実はどんだけ~と言われそうですが、会場についてちらしを見るまで橋本治の原作だということすら知らなかったので。
え?じゃ面白いかもしれないじゃん、的なw。

lavieが歌舞伎超初心者だったころ読んだ橋本治の『大江戸歌舞伎はこんなもの』が面白くて面白くて・・・歌舞伎にはまる一因になったのでした。その後も歌右衛門について書かれたエッセイなどを眼にするたびに、この方の歌舞伎愛、歌舞伎知識の深さに驚嘆して、どうして歌舞伎を書かないんだろうと思っていたので。

たぶん、愛が深すぎると歌舞伎は書けないのかもしれないなあ、とこの芝居を見ながら思ってました。

設定は限りなく面白い。時代は現代、といっても昭和な現代。言葉はほぼ現代語。音楽はロック、とはいっても昭和なロック。流行歌も混じって。
そんな状況だけど「世界」はあくまでも南北。南北的世界が現代日本の若者によって演じられるとどうなるか?
その違和感も含めて楽しんでしまいました。

それこそまったくなんの知識もなく臨んだlavieでしたが、絶対これは若書きなんだろうな、と思ってみていたら、やはり無名時代の習作でいままで活字にすらなっていなかったそうです。
それを掘り起こして、具体的な形にしてくれた蜷川さんには感謝したいけれど、どうせならもう少し実力ある役者が欲しかったかなあというのが正直な感想。

歌舞伎的要素を抜きにしても松也の力量がぬきんでていて、ほかのいわゆる人気俳優たちは芝居・歌ともにどうにも物足りない。特に小出恵介と佐藤隆太・・・
佐藤のラストの長台詞、本人も困ってしまったんだろうな。あれじゃ客は誰もついてこないよ。

お岩が伊右衛門の自意識の投影だっていうのは新しい解釈でもなんでもなくて、南北も(当時自意識という概念があったかどうかは別にして)そういう意図をもって書いていたようにもおもうのだけれど、それを具体的に形にして見せたところは本当に面白く、ほかにも、歌舞伎だと割りと男っぽい役者がやることが多い直助権兵衛をホモの美少年にしたあたりが本当に橋本っぽかったり、新鮮でドキッとする場面も多かっただけに、そこここでの役者の力不足が本当に惜しまれた。
美少年直助の三浦涼介?はなかなかよかった。歌もうまかった。

あえてこれを歌舞伎役者のみで上演してみたら面白いだろうなあ、などと例によって天井桟敷で妄想したのだった。



雨乞いしすぎ

2012-09-18 | kabuki en dehors de Tokio

うわ、舞台写真を薄暗がりのホテルの客室で、しかも7年ものwの携帯カメラで撮ったら本物の妖しい狐みたいにピンボケだ!

ということはともかく、今日から二泊で松竹座見物第二弾。

とりあえず、行きの新幹線が関西地方の豪雨のせいで30分遅れたことをご報告。数日前には松竹座が落雷で停電したそうだし、勘九郎狐、仕事しすぎです!

ってことで三日後、無事松竹座第二弾からかえって来ました。って中二日でまた大阪なんですが。ずっといればいいのに、今晩と明日に予定をいれちゃったもので(汗。

雨乞狐と瞼の母についてしか書くべきことがない感じなんだけど・・・

まずは

雨乞狐

 

やはり演目を役者が上回っちゃってる、の感想は同じ。こんな踊りで怪我するなよ、と思ったのも同じ。

初日近辺で見られた巫女の幣を振り回しての激しい振りが、なくなってたのを見て、あらま、膝がまた悪化してるのかしら、と心配したり、無理しないでいいよ、とほっとしたり。
この踊りはやっぱり踊りとして楽しむには(勘九郎ファン的には)いろいろな要素が多すぎる・・・

と思っていたら20日、勘九郎やっちゃいましたよ。いや、いい方向で。

巫女の幣のところ、激しい振りを復活させたばかりでなく、今月封印?(少なくともあたしは見てない)していた巫女ジャンプ!
もうびっくりして声もでませんでしたが、やっぱり迫力が全然違うわ。

きっと雨乞自粛wで、巫女の部分の振りを抜いていたのが、また天気がよくなったから激しい振りを戻したに違いないw

ラストの巣に帰っていくところのスピードが連日上がっているように思うし、いろいろと楽に向けて、盛り上がっているのはわかるのだが、たしか博多座で怪我したのもこのあたりの日にち(20日すぎたころ)だったよね?

疲れが出てくるころなのだから、とにかく膝と腰に気をつけて、無茶しないでくださいませ・・・

 

瞼の母

 

初日近辺、びっくりするほど・・・だった玉三郎が、台詞が入って、間も自然になって、かなりよくなっていた。
情感が薄いのは相変わらずだけど、それは逆に新鮮さになっていて。おはまって今でいうところの働く女。息子を置いて出てきて、料理屋の女将になって、女の子を生んで、バリバリ働いて・・・そのうちに過去のことは忘れたい思い出になってしまったのだろう。だから、自分が捨てたはずの過去をいきなり背負って(しかもやくざ姿で)出てこられて、単純に喜べないのはすごくよくわかる。

今までの上手で情感豊かな女形さんではイマイチ納得できなかったおはまの心理が、なぜか今回玉三郎の芝居のなかで、すごく理解できたのだ。
とつとつとした台詞、上の空とも思える調子、これがなんか効果的なんだなあ・・・

これが全部計算だとしたらすばらしいけれど、そう客を納得させるためにはせめて台詞はちゃんと入れておいてくれないとね、というのが本音でもある。前半にしか来ない客もたくさんいるのだから!

勘九郎の忠太郎は、我當が口上で言っている「いろいろ見てきたなかでベスト!」っていうのが過言ではない(しかしあんなこと言っちゃっていいのかね?父親もやってるのにw)、はまりっぷり。
個人的には一本刀のほうが好きだけど、まあいいや。

脇がみんな本当にいいので、(七之助は今月これがいちばん!玉三郎がよくなってきたのは、七之助のアシストが大きいと思うよ!)、芝居として本当に充実してる。
竹三郎亀鶴壱太郎橘太郎歌女之丞小山三・・・本当、穴がない。
唯一の大きな穴だった玉三郎がちゃんとしたから・・・本当にすばらしい芝居になった。

 

ってことでほかのはついでw(あくまでlavieにとって)なので、ほかは全部まとめてちゃっちゃとw

三笠山御殿

ナニがいいってやはり愛太夫。彼の情感がどれだけ七之助を助けていることか。
次に男官女w。ときどきどぎつすぎて引くこともあるいじめの場面の程がよい。

俄獅子/団子売

叔父ブラザーズwの俄獅子がとてもよくなっていて。さすがは大人の情感。
団子売はやはりお福勘九郎が安定していていい。七之助の亭主を見上げる目つきが色っぽい。

女暫

玉三郎の魅力は幕外引っ込みで遺憾なく発揮される。ああいうかわいらしさって他の女形では絶対出せないよね。
私の中では玉三郎は成田屋化しつつある。限定演目のみで最高の魅力を発揮するが、似合わない演目はやらないほうがいい。で、これはどっちかというと似合わないw幕外だけで十分w

口上

前半とチョコチョコ変わってたけど、昨日の彌十郎のが、気持ちはわかるけど、突っ込み放題の間違いだらけである意味保存版だったかも。
雨乞狐のことを紹介してくれたのはうれしいんだけど、外題が釣狐、でまず間違ってるし、初演の博多座で怪我して、翌年歌舞伎座でリベンジしたことになってるし(初演が歌舞伎座でそれは無事。翌年再演の博多座で怪我。リベンジは今やってるところ!)・・・こういうのって、先輩が言ってるときは訂正しちゃいかんのかねぇ。
たしか團十郎がパリオペラ座公演を昭和19年って言っちゃったときは海老蔵が訂正してたけど。
ま、父親の誤りだし、海老蔵と勘九郎ではキャラも違うし、ね。

あと、すごいのがほぼ全員が七之助もよろしく!って言うところ。これは誰かのリクエストなのか、陰謀なのかw
又五郎襲名で種ノスケのことなんて誰も言ってなかったよねぇ・・・とノスケファンとしてはちょっとひがんでしまう。

 

雁のたより

結局一度しか見てないんだけどw翫雀さん、いいよねぇ。あと一回は見たいわw

 

 


ユングさん教えて

2012-09-18 | monologue

ジュリーさんのライブが京王プラザの大ホールであるんで、出かけていった。

なぜかおもだか21世紀組とのコラボで、席にはおもだかの紋(実はなんだか知らないw)の入ったお土産が置いてあった。

16時開演のつもりで行ったら、18時の間違いでまだリハ中。ジュリーさんが舞台監督と争っていた。
おもだかチームのみなさんは紋付羽織袴で関係者をお出迎え中だった。元ダンちゃんは、薄い色の着物でそれはかっこよかった。

二時間余裕があるので、よく知らないジュリ友さん(ぺ○さん?)に誘われてプレミアムシート(意味不明)のレストランに行こうとしてるところで目が覚めた。

ワタシは元ダンちゃんに歌舞伎をやってほしいのだと、意識上では思い込んでいたが、実はもっといろいろ変なことをやって欲しがってるんだろうか。

あるいはジュリーさんのライブでもお土産がついてるといいなと思ってるんだろうか。

しかし、京王プラザにコンサートホールがあるとは知らなかったwひょっとしてよくバーゲンやってるあそこ、だったのだろうかwww

…というわけで現実世界では今日からまた勘ちゃん見に出かけてきます。ある意味夢の世界、だといいのだけれど。

追記

何も知らなかったのだけれど留守中にジュリーさんライブのチケットが届いてた。
そんなライブがあるのもほぼ忘れていたので(スケジュールに書き込んでなかった、何もなくてよかったw)、これは明らかに予知夢ってことで。

ユングさんにもフロイトさんにも頼らずに自己解決しましたw

ってことは段ちゃんも歌う?wwww


Quo vadis?

2012-09-16 | spectacles

誰が?ってこの方ですが。(画像は稽古風景らしい)

どこへ向かってるの?何がしたいの?

小一時間問い詰めたい。

・・・いや、かっこよかったんですけどねw

リーディングドラマ『武士の尾』@紀尾井小ホール。

脚本、演出市川月乃助ってのが楽しみでもあり、不安でもあり・・・

率直に言って動きも装置も衣装も単調なリーディングドラマで3時間近くは長すぎる!
森村誠一!の長編小説をレジュメして書き直したというのだが、これ、売り文句じゃなくて本当に月乃助が書いたのかもしれないよな、と思うほど、刈り込みが足りなくて、冗長な部分が多い。
特に前半、赤穂浪士の討ち入りに至るまでの部分はもっとハイライトのみにして、後半の男二人の人生部分を
きっちり描かないと、何がテーマなのかも見えにくいし、第一前半の長さに辟易して集中力を欠いて寝ている客も多かった。

歴史小説のリーディングなのにとても気になったのがあちこちで漢字の読み間違いがあったこと。幸か不幸か月乃助自身の台詞では気づかなかったけれど、これ、間違って読んでるのを指摘して、直すのも脚本・演出wの任務でしょうに、だめじゃん、演出家w(貴城けいが「顔色をなくして」を「カオイロ」って読んでたりするんだよ・・)

最近の月乃助の芝居はたいていそうなのだが、月乃助が圧倒的に力量が上で、他を引っ張る形になっているのもなんだか情けない。鳥越なんとかっていう若手役者が出ていたのだが、びっくりするくらいへたくそで、しかも、老け役なんてやらされていて、もう噴飯ものだった。5人のうちひとりでいいから、無名でいいから、実力あるベテラン役者を入れないと、いくらリーディングとはいえ(いや、リーディングだからこそ)説得力がない。

本人は自分で芝居を作ることをぜひやってみたかった!とのことなので、まあ今月乃助がもがいている試行錯誤のひとつだ、と広い心で受け止めておこうかとは思ったのですが、カテコで「またやりたい!」「このメンバーで再演したい!」って言ったのには驚いた。客席後方でプルプル首を横に振っていたのは、あたしですw
これで満足してるのか?こっち方面に突き進もうとしてるのか?やめとけ。頼むからやめてくれ。

…というのはすべて嘘じゃないんですが、実はタキシード姿で舞台にすっと立った段ちゃん(loveモードのときは月乃助じゃない!www)のかっこよさにしびれ、カテコ終わって舞台から去っていくときの両手振りのかわいらしさに悶絶したのも、事実なので(大汗

ファンって、本当に困ったものです。

はぁ・・・

来月の三越劇場のは春猿笑三郎一緒で新派の演出家がついてるから、ちゃんとしてるよねぇ・・・ねぇ・・・。


そういえば

2012-09-14 | kabuki a Tokio

夜の部の道成寺はこのかたの一周忌(神道だから違うか?)の追善でもあったのね。もう一年、というより、まだ一年、という気がします。それほど喪失感は大きい。

まずは一つ目。

時今桔梗なんちゃら(外題くらい調べろ!)

俗に言う馬盥の場を中心とした、光秀の謀反に至るまでのお話ね。

しかし、秀山さんのレパートリーって、lavieを安眠に誘う演目多いなあw
河内山然り、菊畑然り。そしてコレも。
今回珍しく、ちょっとしか寝なかったので、ほぼ全容が明らかに!、って何度目なんだ自分。

これって、「男妹背山御殿」じゃありません?

ねちねちねちねちいじめられて耐え忍んでる主人公が耐え切れず爆発するまでを、恐らく客は「言葉および力によるいじめ」を楽しみながら眺めてる感じ?
信長、じゃなくて春永とか完全にモラハラ&モラハザのダブルパンチだしさw
インテリアを貶す→モラルを正す→眉間割→馬盥で酒飲ませる→欲しがってた刀を他人にやっちゃう→領地没収・・・まだあったっけか。とにかく、この人謀反を起こして欲しがってんじゃないの?と思っちゃうほどの執拗なイジメっぷりは、妹背山の悪い官女もびっくりのレベルですよね。

で、最後の最後にぶちきれるイジメが、実はあたしには、「そこで切れるの?」って思っちゃったんだが。
無名貧乏の時に髪を切って売っていた女房を バカにされて・・・ってんで切れたんだけど、考えようによっては「それほど尽くしてくれた女房を思えよ」という諭し、とも取れないだろうか?ま、そこに至るまで散々だったから、やっぱこれもイジメか?

ってわけで、もちろん吉右衛門歌六が下手なわけはないんですが、実は数年前に見た松緑と海老蔵のほうが、いじめられるほうの耐えっぷり、きれっぷり。イジメるほうのはまりっぷりは上かもなあ、などと思ってしまったり。若い役者がやると、春永のいじめ、光秀のいじめられ、そこに蘭丸力丸が絡むあたりがちょっとエロも感じられたりして、別の魅力が出て来るんだよなあ・・・

歌六は、悪ぶってるけど、実は情け深く、深いところでは思いやりのある殿様、に見えちゃうんだよなあ。あと、いろんな意味でいろんなものが小さい。
昼の部は汚してくれてありがとう、染五郎、だったのだけれど、ここは、きっと染五郎の我侭春永のほうが面白かったかもな、と思ってしまった。

大詰めにほぼ誰も気づかない形で出てきたご馳走(なのか?)梅玉を春永にして、むしろ昼の部の源蔵を歌六がやったほうが、個人的には合ってるような気がしたんだけどなあ・・・

ちなみに、松緑ヴァージョン、あとの配役、じっとしてる春猿(今回は高麗蔵)しか覚えてなかったので調べてみたw

 武智光秀  松緑
   小田春永  海老蔵
   園生の局  春猿
   安田作兵衛  薪車
   連歌師丈巴  寿猿
   光秀妹桔梗  松也
   四王天但馬守  亀蔵
   光秀妻皐月  芝雀

ふむふむ、本当の花形芝居だったのね。
芝雀さんが皐月だったのか。松也くんが出てたのは、配役表見ても思い出せないw

ついでに同じ月のほかの出し物をみて、海老狐の四の切の義経が段治郎とあるのを見て、ああああああと長嘆息したのは、別のお話。
あのころは、こんな狐で義経やらなきゃならないなんて段ちゃんかわいそう、と思ってたんだわ。なんて贅沢だったのかしら・・・

 

恭賀の小娘道成寺、と変換してしまうのだからしょうがない。夜の部は外題ちゃんと書かないシリーズだわ。


全然小娘道成寺、じゃなくて、堂々たる道成寺でした。

福助が神妙、とかとてもいい、などの評判をあちこちで眼や耳にしていて。

とても楽しみにしていたのだけれど。

いや、良かったのですよ、良いことはとてもね。
ただ・・・うん、まったく個人的な趣味として、ここまで神妙慎重な福ちゃんはちょっとあまり好きじゃないかも、と思ってしまったのも事実。臭みの抜けたブルーチーズというか、苦味のないゴーヤというか。話は逸れますが、最近のゴーヤ、本当に苦味がなくなったよねぇ・・・。

というわけで、感心しながらも物足りない、というのが正直な感想。

個人的に今月の福助が神妙な(あるいは神妙に見える)わけを、特に道成寺に特化して推理してみた。
千代も神妙で(これは本当によかった!)、二つともやはり芝翫のシノブグサってことは大前提としてあるんだろうとは思うのだけれど、それ以外で、ってことね。

1.児太郎の職場見学。

ずーーーーっと後見で児太郎が。
字句どおりの意味で、後ろで見てるw

大事なお仕事は芝喜松さんがやってるわけで、ちょこちょこ小道具渡したり、最後の引き抜きだけやらせてもらったり、以外は何もせずに、ただただ父親の踊りを見てる。
ああ、今月の福助は客に、じゃなくて児太郎に踊りを見せてるのね、と思った次第。
25日真剣勝負の踊りを見せて、なんとかできの悪い息子に芸を伝えなければ!という真剣さ。
これはいい加減にも、崩しても踊れないわな・・・

2.(たぶん)体力の衰え。
前半は本当にきっちりすばらしいお手本どおりの踊りだったのだけれど、後半に、やや足拍子の乱れなど、息切れっぽいところが散見されて。
福助ももう50代半ば。勢いで踊ってると、全曲のエネルギーが持たなくなってきてるのかなあ、と。ちゃんとペース配分考えて踊っているのが、傍目には慎重に見えるのかも。

3.顔
千代の時は、千代だから?かと思ってたんだけど、花子でも明らかに顔(化粧)が変わってた。
具体的に言えば口が小さくなったw
なんであのひん曲がった口を目立たせるでかいラインで紅を引くのかなあとずっと疑問だったんだけど、少なくとも今月に限っては内輪に、実際のラインより小さく口を描いていて、それが結果的にとても美しく、神妙に見せることになってる。偶然じゃなくて、ようやく「下品な口元をカバーする化粧術」を会得してくれたのだとうれしいのだけれど。次回も口元に注目!

もう少し臭いのが好き!なブルーチーズファンには物足りないながら、こくと風味も増していたので、全体的にはとてもよい踊りでした。


ただ、個人的には、もうひとつ違う意味での物足りなさが。

当然とはいえ福助の道成寺は、真女形としての歌右衛門系の花子ちゃんで、真女形でありながら、六代目系列の兼ねる系花子だった芝翫さんの跡継ぎではないんだなあ、福助は。やっぱり歌右衛門方向に行っちゃうのかなあ、とそれもまたさびしかったのですよ。
今六代目風兼ねる系花子というと勘三郎くらいしかいなくなっちゃっていて、やっぱり勘九郎の花子も見たいなあとも思った。そして、菊五郎も一世一代で、もう一度やってくれないかなあ、とも。

所化に次世代ボーイズ勢ぞろいで、この機会に廣太郎廣松の区別をつけられるようになろう!とがんばったのだが、たぶん単体で出てこられると、まだ無理っぽいw
今月、ここだけ出演の松緑の押し戻し、どこといって悪くないのだけれど、全体に迫力に欠けるかなあ。素っ頓狂な明るさはやはり成田屋の押し戻しに勝るものはないのかも。

 


迷惑度、倍増

2012-09-12 | spectacles

実在の人物ではなく、登場人物のことです。文楽昼の部@国立小劇場見てきました。

粂仙人吉野花王

まったく知らない作品だったけど、基本「鳴神」だった、鳴神は義太夫狂言じゃないよなあ、と思っていたら、むしろ文楽が歌舞伎をぱくったパロったパターンらしい。

鳴神上人の位置にいるのが粂仙人。それをかどわかす?のが絶間姫じゃなくて花ますちゃん。
舞台は北山じゃなくて吉野山、「敵」wは天皇じゃなくて聖徳太子。まあいろいろ違ってるんだけど。
物語の進行はほとんど鳴神の通り。ただ、粂仙人は結構あっさり酔っ払ってしまい、しかもあっという間の「破戒」宣言!くくり枕のくだりや、御簾内に二人で入っちゃうくだりはなかった。文楽ってお上品ね。
その分二人の坊さん(白雲黒雲ではなかった。今回筋書買ってないのでわからん)のおちゃらけぶりが可愛くて。
やっぱり人間より人形のほうが可愛いや。
結界破った後の竜神がでかくて、かっこよかった。歌舞伎のはなんであんなにしょぼいんだろうね?
あと、外題どおりの桜の散りっぷりも凄かった。いきなり満開の桜がはげに!こういう豪快さも、人形劇ならでは、だなあ。
まだ夏芝居(桜なのにw)の空気をまとった白い衣装の義太夫さん三味線さん人形遣いさんがさわやかで。残暑でよかったと思いました。これ、20度くらいだったら眼にちょっと寒々しかったかもw

 

夏祭浪花鑑

あたしにとっては、中村屋+串田ヴァージョンがデフォルトになっていて、いわゆる古典スタイルの歌舞伎ですら、吉右衛門で一度見たきりなので、文楽だとどう違ってくるのか、とても楽しみにしていました。

いやあ、びっくりするほど違いがないのね。てか、串田ヴァージョンも物凄く本文に忠実にやってたのね。
大きく違ってたのは長町裏の殺し場の派手さ加減くらいで、あとは、歌舞伎独特のいれごと(お辰の花道の台詞とか)が違ってたけど、これは普通の歌舞伎wでも違ってるもんねぇ。
むしろ、大きくイメージが違ったのは人形の首(かしら)。もちろん団七首なのだけれど、これが(あたしにとっての)デフォであるところの中村屋父子のイメージと大きく違いまして。
ぎょろめのいかついおっさんで、しかも脱ぐと筋肉隆々。かっこいいとかいうより、たくましく荒くれのイメージ。それにすこしもっさい感もあって。
よく考えたら浪花の魚売りで荒くれ男なんだから、こういうほうが現実には近いんだろうなあ、と。
どちらかというと、歌舞伎だったら吉右衛門のほうが、本文の団七には近いんだと思う。、ただ、歌舞伎では、すっきりいなせ(江戸か!)な団七を見慣れちゃってるから、吉右衛門さん、ちょっと違うなあと思っちゃったのも事実。

もうひとつ楽しみだったのが、歌舞伎ではほぼつねにカットされてしまう長町の道具屋の段。
解説のあらすじなどで知ってはいたけれど、実際に芝居としてみせられると、いやまあ磯之丞が、どうしようもなくて、どうしようもなくて・・・

親の勘当受けて、なんとか勘当を解こうと努力している団七たちを尻目に、その間の身の寄せ先としての質屋で、いきなりそこの娘と出来てしまい、あげく、仕事に失敗して、そのトラブルから人殺し。
後始末をまたしても団七や三婦に任せて、娘を連れてとんずら・・・

(その娘は、次の三婦内ではすでに捨てられて親元に返されてるし)。

くずじゃん。

わかってたけど。

大くずじゃん。

 

あちこちですぐ女とできてしまう男だからこそ、三婦内でのお辰が焼き鏝当てる必然性もあったわけね。これ、普通の男だったら、そこまでしなくても三婦さんも信頼してくれたかも、よね。

琴浦を狙ってる大島も切ったわけで、そのあとの親殺しだって、琴浦を守るためだよね?
もう団七の犯罪全部、磯之丞のせい、つーか「ご恩を受けた玉島兵太夫さまのおため」なわけで。お父さんは立派な人だったみたいだけど、こんなどら息子のために他人に迷惑かけて、ほったらかしはいかんぞえ。

歌舞伎だと白塗り二枚目、的に演じられることが多いけれど、ここまでのくずだとわかってしまうと、数年前勘太郎(当時)が演じたときのなんやら怪しげないい加減なエロ兄さん、的役作りが正解だった!という気がしてきた。
勘ちゃん、文楽なんて見ないかと思ってたけど(菊ちゃんは時々劇場で目撃するが、勘ちゃんとの遭遇率高いはずなのに文楽劇場でみたことないもんw)、勉強してるのね。それとも偶然?w

 

 

…ってわけで、歌舞伎と比較してしまうのが歌舞伎ファンのサガなのですが、いろいろ面白かったです。、

演者的には、三婦内で出演予定だった住太夫が病欠で、代役の文字久は、生真面目すぎて面白くなかったし、長町裏の殺し場は、団七の綱さんがもう・・・やめたほうがいいよ・・・というほど声が出てなくて、気力もない感じで・・・。
人形の玉女と勘十郎が物凄い迫力だっただけに、団七を使っていた玉女が可愛そうに感じてしまった。
これってもともと役を割るのが正しい演出なのでしょうか?いっそ英太夫(好きじゃないけど)が一人で演じたほうがずっとよかったんじゃ、というのが本音です。
人形といえば、お辰だけの出番でしたが、やはり蓑助の女形は、何かが違う。出てくるだけですっとして、立ってるだけなのに、微妙に角度が他の女形と違うのよね。あれは天性のものなのだろうか。いつまでも見たいので、ご自愛ください。

実は夜の部も清治目当てで取っていたのだけれど、清治休演ということと、ちょっと野暮用があったのでパスしてしまった。清治の代役、藤蔵、(顔が)好きじゃないのよ。
もうひとつのお目当てだった小住太夫も、うっかりしていて後半の出演で、見られないことがわかったし。

あちこちに欠落ができつつある文楽、なんとかレベルも人気もがんばって維持して欲しいなあ、と。

あたしにとっては歌舞伎の補填的役割が大きくて、それほど思いいれもないエンターテイメントではあるのですが、衰退していくのはさびしいぞ。

なんちゃら維新に負けるな!

 


小太郎はしあわせだった、と思う

2012-09-11 | kabuki a Tokio

秀山祭昼の部@演舞場見てきました。

ひさびさに勘九郎が出てない歌舞伎でw満足感を得られた。

なんといっても

寺子屋

 

本当なら、染五郎の松王を、吉右衛門が源蔵で受けつつ、目を光らせてw、芸の継承の現場になるはずだった朝芝居。
不測の事態で、吉右衛門が松王に、そして梅玉が源蔵を引き受けて。どちらも慣れている役だけに、最近の大幹部の舞台にありがちな「あーうー」がなかったのもよかったけれど。

なにより、今回の大殊勲は千代の福助
寺入りからあった、というのも功を奏したとは思うけれど、何しろ、温かい母親。なによりも母親。武家の女であるよりも、何よりも、母親。
時として感情表現が過剰になって、気持ち悪いことになる福助だが、今回はぎりぎりのところで抑えていて、豊かな感情表現が切々と(三階だったのに!)伝わってきた。
松王が二度目の入りになる場面、千代は後ろを向いて控えているのだが、その背中がずっと泣いていて。
わ、これ芝翫の芝居だ!と思っておもわずぶわっと涙が・・・
福助に芝翫の面影を見たのは正直ほぼ初めてなのだが、それが背中の芝居というのもなんだがw、いや、本当に芝翫が乗り移ったんじゃないかと思われる背中だった。
この温かい千代に合わせて、か、吉右衛門の松王も、常より情が濃い、というか父親の顔が大きかったような。
首実検のときに妙にためて見得する役者が多い中、本当にすっきりと、「ああ、わが子だ」という安堵と悲しみとあきらめと・・・が一度に出た表情は、余人にはできないものだと思ったし、千代との会話が、本当に夫婦の情愛に満ちていて、ああ、ここんちはいい家庭だったんだろうなあ、このお父さんとお母さんに愛情注いで育てられて、短い人生だったけど、小太郎は幸せだったんだろうなあ、と、こんなこと寺子屋見て考えたのは初めてだった。

松王と千代が深い分、源蔵と戸浪(芝雀)はあえて、なのか、もともとなのか色が薄くて。
四人のバランス的にはこういうのもあり、かと思った。梅玉さんの邪魔にならない芝居っていうのは、時として物足りないんだけど、昨日に関してはあくまで松王主役、というので、よかったんじゃないかな。

涎くりも寺入りからあるので見せ場たっぷり。お兄さんから引き継いだ?種之助が精一杯に演じていて。そりゃ、芸達者なお弟子さんにはかなわないけれど、個人的には好きな若手なので、微笑ましく見守りました。もっと個人的には萬太郎ならもっと可愛かっただろうな、などと思ってしまったりもしたのですが。お父さんが千代か戸浪やることも少ないもんねえ。見られずに終わるのかな・・・

今まで見た寺子屋の中で、確実に三本の指に入るすばらしい出来。福助の千代としてはベストと言ってもいいと思う。そんな芝居を偶然とはいえ見せてくれた染五郎に感謝するwとともに、自分が染五郎ファンだったら、超悔しいんだろうなあ、とも思ったり。あんな踊りのせいで、吉右衛門が源蔵で受けてくれる大芝居の舞台を棒に振りやがって!とね。
吉右衛門だっていつまでも元気とは限らないんだから、本当に、貴重な機会を失ってしまったのだと思う。染五郎的には。
ファンではないのでw、絶頂期の吉右衛門松王を遠征しないで見られた幸せだけをかみ締めておくことにします。

葵太夫のいろは送りも本当によかった。綾太夫の右に出る人はいないと思っていたいろは送りだけれど、いい意味で声がかれて来た葵ならではの味で、ああ、声が出なくなってからよくなる節もあるんだなあ、と再確認。
大阪で愛太夫が低音も出るようになって、もはや声が出ることに関しては葵以上になってきてるし、竹本も確実に世代交代してるんだなあ・・・と。

脇や子役も含めて本当によかったので、できれば一階で見たかったなあ・・・どうするかな・・・

 

河内山

 

松江屋敷で寝なかったのは松江侯を勘九郎が演じた襲名興行以外にあと一回くらいあったかな、というくらい睡眠率の高い芝居。

またまた寝てしまいましたが。
屋敷に入る前の書院?の数馬と波路がどーのこーの、の場面で早くも寝てしまったため、(どーかいさんの入りはまったく記憶にないw)いつも夢の中の松江侯とどーかい(字を調べるのがめんどい。すみません)さんの対話は割りと起きていられた。
いや、二人とも(朝イチに引き続き、吉右衛門梅玉)名調子で巧いねぇ・・・巧すぎてみんな寝ちゃってるw
松江屋敷後半の三階睡眠率は確実に90パーセントを超えていた。あたしと同じように睡眠率をカウントしていた(たぶん)ガイジンカップルは、調査が終わるとそそくさと引き上げていった。あれは日本人の居眠り動向を調査するCIAのスパイだったのか。違うと思う。

しかし、みなさん、大詰めではほぼ全員覚醒して、ちゃんと「ぶわかめ~~」ではおお受け!たいしたもんだわ。
そういえば寺子屋でも隣席のおばあちゃまはずーーーーーーーーっと寝ていらして、松王の泣き落としのあたりでぱっちり目覚め、いきなり泣き出して鼻をちーんと噛んだのには仰天した。すごい涙腺コントロール。

大詰めで感心したのは北村大膳の吉之助。巧いのはわかっていたが、吉右衛門譲りの口跡の良さと柄の大きさを生かしていて、本当ににくくて可愛い大膳だった。いや、いつものよっしーの大膳も嫌いじゃないんだけどねw
あと、大詰めの近習でずらりと並んだ若手の姿がまるで「吉右衛門寺子屋」の子供たちのようで、黙阿弥台詞の口伝を聞かせてるの図、に見えてしまったのもおかしかった。

朝の寺子屋も含めて、まさに「吉右衛門、芸を伝える」の月間にしたかったのだろうなあ。

吉右衛門さん、大阪でがんばってる親戚の息子も忘れないでやってね!と結局そうなるかw

 

と、昼の部、どちらも大満足ではあったのだけれど、不満といえば、歌六又五郎兄弟の扱いが軽すぎることかなあ?
又五郎の玄蕃はよかったけれど、染五郎が駄目になった時点で松王とか源蔵をやらせるくらいの抜擢あってもよかった気もするし、歌六にいたっては昼あれだけ?と思わせる物足りなさ(魁春も、だけど)。うーん。二人ともすごく魅力的な役者なのに、なんだかもったいない。

 

 

 


寿限無

2012-09-06 | spectacles

すうねるところ@シアタートラム見てきました。

画像に薬師丸ひろ子が入ってないのは、いただいてきたサイトさんで、ひろ子ちゃんwが入ってる画像は右クリックができなかったから、というだけの単純な理由。事務所がうるさいんでしょうかね。

舞台装置は、それこそひろ子の世界(三丁目の夕日とか)の昭和を思い起こさせ、あら、ハートウォーミングな下町人情話なのかしらんと思ってたら、始まったらいきなり晩パン屋、じゃなくてバンパイヤの話、と思わせておいて、その後話は迷宮に入り込み・・・たぶん脚本かも収拾つきにくかったから、どちらとも取れる結末にしたんじゃないの?wとうがってしまったけれど。

絶対、下町人情話をやったほうが似合いそうな面子(除く篠井)と舞台装置で、実は内容がハード、っていうのはあたしが大嫌いな岩松了なんかもよく使う手なんだけれど、岩松よりは自己満足度が低くて、楽しく見られました。

一時間半弱?という尺だったのもよかった。物語がドツボにはまる前に終わっちゃった感じw

ひろ子は遠目には本当に変わらずかわいい。オペラグラスを覗いたら隈とたるみが大変なことになっていてあわててはずしましたけれど。声で得してるねぇ。まああの声ゆえに老け役がやりにくいともいえるんだろうけれど。暫くたったらかわいいおばあちゃん役一人占めしそう。
萩原聖人は本当に巧い。過不足なく巧い感じ。どんな役でも溶け込んでいて、で、ファンになるかというと、芝居が終わると忘れちゃう。若い三津五郎みたいな感じかw
正反対なのが篠井英介。まあ役者の特質もあって、何をやっても篠井なんだけど、年取った吸血鬼の悲哀を感じさせるにはよかったかと。もしチャンスがあってもこの年から不老不死になるのはやめよう、と心に誓ったw
不老の意味がないw
異界の住人たちの間でたった一人の「こちらの住人」高校生を演じていたなんとか良太?(すんません調べてください)。見かけも地味でそこそこ芝居できてたから、絶対ジャニとかアイドル系じゃないと思ってたけど、ライダーさん出身だったのね。最近の若い戦隊役者やジャニ系は、芝居も出来ちゃうのが増えて来たなあ。油断もすきもない。といっても名前を調べようと思うほどは存在感もなかったっす。ちょっと前なら中尾明慶あたりがやりそうな役だった。

とりあえずいろんなところで脚本が破綻していて、突っ込み好きのlavieにはそういう意味でも楽しめたのですが、ナマひろ子ちゃん人気なのか、平日昼下がりの世田谷の小劇場は立ち見一杯の盛況でした。9割がアラフォー~アラフィフ女性でしたが。

追記

またまたタイトルのいわれが不明になりそうだったw
前にも書きましたが観劇当日にそのときの勢いでタイトルつけて、感想かくのが数日後なので、
本文とタイトルが乖離してることが多いんです・・・ちなみに今回のは
すうねるところ→食う寝るところ→落語のじゅげむの連想が、寿限無=無限の命ってことで、バンパイヤとつながるのかな、と思ったのです。
そういえばもうひとつ、キーになる「歯」がチンチロリンのさいころみたいに丼に入ってたのも、ちょっと印象的でしたってことも思い出したw

 ついでに、もうひとつこっそり追記9/14。

そういえば「人間になりたーい」吸血鬼たち、トリオだったせいもあって、「妖怪人間ベム」を思い出しちゃったりもしていたのだった。って、妖怪人間・・・のことはほとんど知らないんだけどねw


山あり谷ありvol2.夜の部

2012-09-02 | kabuki en dehors de Tokio

松竹座初日&二日目まとめての感想、長くなったので夜の部は別立てにしました。観想としては初日と二日目をまとめて、ってことで。

夜の部

女暫

以前玉三郎で見たときはすっとんきょうな発声がおかしくて気持ち悪くて、こりゃたまらん、だったのですが、揚幕から聞こえてくる「しばらく~しばらく~」、前回よりはずっと改善されていて、少なくとも気持ち悪くなかったです。

素襖仕立ての巴御前の姿も、以前はせっかくの美しい玉三郎台無しじゃん、と思ったのですがどこをどう変えたのか、普通に美しい。これなら玉様ファンの皆様もご満足でしょうw

しかし、昼の部の瞼の母の印象があまりに悪かったせいか、ここでも「玉三郎ってこんなに芝居下手だっけ?」とおもってしまったのも事実。
なんというかテンポと間が変。瞼の母と違って台詞が入ってないわけでもないんで、何が原因なのか。てか、もともとこんなテンポだったのかなあ。ここんとこ歌舞伎に出てないので、久しぶりにみたら違和感が強くなったってことなのか。

太刀下の善人ズwでは、秀太郎の白塗りが美しい・・・70過ぎとは思えぬ美しさ。これは女形がやる立役ならではの色気ですなあ。新悟くんも早く見習って(無理w)。その新悟くんはこちらは赤姫で、問題なくこなしてました。いろんな意味で気になる存在、進之介さんもちゃんと台詞言ってましたw。本当なら求女はこの方あたりがやれたらよかったんでしょうね。無理だろうけど。吉弥、薪車と上方ならではの人々が並び・・・
腹だし赤塗りボーイズで、一人超イケメンがいて、一瞬海老様特別出演?と思ってしまったw
んなわけはなくて、功一くんでした。似てるね。ただ、発声が苦しくて、特に台詞が常に亀蔵のあとなので、余計つらい。
これ、玉三郎の抜擢なんだろうけど、無理な抜擢はさらし者になってしまうという例のような・・・
座組が薄くてだれか抜擢しなきゃ、なら今月の名題のなかなら又之助あたりがふさわしかったのでは?

男女鯰の翫雀、七之助はなれたものだし、成田五郎の彌十郎も貫禄たっぷり。

問題は、座頭格の橋之助。玉三郎と対峙するには、大きさも格も歴然と違う。朝イチの七之助相手ですら、大きさが不足していたと思ったのだけれど、ここにきて、もう、絶対無理。まだ早い。
対面と違って動きもないわけで、ここは我當さんがやってもらえなかったものだろうか。

無理、といえば幕外の引っ込みでの舞台番勘九郎。こういう素なのか芝居なのか(芝居だけどw)わからないようなのは難しいだろうなあ、生来の愛嬌も足りないし、と思っていたら、予想よりはずっと器用にこなしていた。
七之助の汗といい、勘九郎の愛嬌といい、父親の成分が年齢とともに、息子たちにじわじわ出てきたみたいで、喜んでいいのやら哀しんでいいのやら・・・w(大分マシになったとはいえ勘三郎の過度な愛嬌は苦手)。
幕外での玉三郎は、ここはもう魅力大爆発。玉様ファンのおば様がた全員失禁wwwじゃないでしょうか。

もともと「盲目物語」の予定だったのが、勘三郎休演で急遽上演が決まったわけで、100パーセントとはいえないにしろ、とりあえずまとまっていたと思います。それより、玉三郎本人が勘九郎と襲名でやりたい、と持ち出したという瞼の母が酷すぎたのが謎ですが・・・すみません、昼の部の愚痴をいつまでも。それほどショックだったのでした。

 

口上

総勢9名のコンパクト版。進之介も竹三郎もいない。
仕切りの玉三郎が、ずっとカンペを見ているのにとちっていて・・・頭悪いんですね。

本当、ファンの方いらしたらごめんなさい。

大分前から実はそんなに感心したことはなかったんですが、今月はっきりと「苦手」つーか「へたくそ!」と見切りをつけてしまったのでした。
国の宝であろうがなんだろうが、lavieにとってはただの綺麗な大根だわ。

あ、桜姫とか、お富とか、揚巻とか特定の当たり役は本当にすばらしいので、それは除くけどね。ただそれらも実は90パーセントは綺麗綺麗でごまかされてたんじゃ?と今じゃ思いますw

 

雨乞狐

 

2005年8月勘太郎初役で大評判をとり、2006年6月博多座で楽近くに靭帯を損傷し、その後父の襲名巡業に参加できなかった、天国と地獄を両方味わった演目。
何より、たった一度の舞踊会のために振り付けされた踊りを25日踊り続ける無茶加減、しかも膝に爆弾抱えて。

贔屓としては本当は大阪に一ヶ月住み続けて毎年見守りたいくらいですわ。

浮き草とはいえ一応片足社会につながってるとそういうわけにも行かないので、これからもあほほど頻繁に通うわけですが。

うーーーーん。

正直、通う動機付けは「心配、見守り」のほうが「感動、快楽」よりは大きいかな、という印象。

勘九郎が悪いというわけでは決してなくて、狐の愛嬌はもちろんのこと、座頭の滑稽味、巫女のクールさ、ちょうちんのかわいらしさ、花嫁の可憐さ、すべて6ー7年前より格段に進歩していて、なかでも小野道風の色気はもう、これ以上、こういう静かな踊りで色気と悩みを描写できる人は今いないだろうと確信できるほどのすばらしさだったのだけれど。

2月に土蜘と鏡獅子をあそこまで深く激しく踊られたのを見てしまった後だと・・・なんというか、作品そのものが浅くて、今の勘九郎にはもはや尺足らずというか、もっとすごい作品に挑戦しているのを見たかったなあ、と思ってしまったのも事実。
あと、無駄に激しい振りなので、(セリの高さとかは7年前よりは低くしてる気がするが)、この程度の作品で怪我なんかしたら死んでも死に切れない、みたいな複雑な気持ちもあったりして。

ここら辺はディープかつ要求レベル高すぎの勘九郎ファンとしての感想でありまして。

一般的に言えばとってもわかりやすくて楽しくて弾んだ踊りを、踊りの名手が楽しそうに早替わりで踊ってくれるのだから、受けないわけはない。大拍手でぴょんぴょん花道を引っ込んでいく「勘九郎狐」はそれはそれは魅力的でした。

父親の初演のときに自分が演じたちょうちんを、今回は自分がそれも含めてやる、というあたりに勘九郎の覚悟が見られて、まあ、やれるところまでおやんなさい、と最後は思ったのでした。

ただ、この曲に関しては、そろそろ「卒業」でいいんじゃないかな。
踊ったことのない大曲なら道成寺、保名、勧進帳、船弁慶(あるけどあたしは見てない)・・・見たいものが一杯あるわさ。

はい、贅沢勘ちゃんアディクト患者のたわごとでした。

 

雁のたより

こちらのみ、二日目はパスしましたので一回しか見てません。

以前勘三郎襲名のときに藤十郎さんで拝見。それを今回翫雀さんが引き継いで。

勘三郎→勘九郎と藤十郎→翫雀ってちょっと似てる気がする。偉大すぎる親、その親にあるなんともいえない愛嬌が息子にはちょっと欠けている、その代わり品格は息子のほうに感じる。弟のほうが顔が綺麗で芸が駄目なところも似てるかw

ってことで翫雀さんは好きな役者の一人なのだけれど。

今回に関していえば、父親の色気・愛嬌を出そう出そうとしていて、ちょっと痛々しかったかな。この芝居じゃなくて、翫雀にはもっと合う役がいっぱいありそう。昼の部の豆腐買いみたいな、一つ間違うと下品になってしまう役を品格崩さずにやれるのはこの人と又五郎さんくらいのような気もするし。なまじ成駒屋の跡取りだからあまり滑稽役はやれないんだろうけど・・・

亀鶴が、襲名の時勘三郎がご馳走的にやったつっころばしの客の役で大丈夫かいな?と思ったらとても柔らかくていい味を出していて。この人は本当に器用で、器用すぎてつまらなくなっちゃってる気も。
その亀鶴が数年前にやっていた下剃奴を吉太朗がこれまた超器用にこなしていて。藤山直美の子だといわれたら信じてしまいそうなタイプだけれど、貴重な脇役として育っていって欲しい。猿弥さんみたいな感じに。
あと目に付いたのは壱太郎のお部屋様がとても綺麗だったこと。甲高い声が大分落ち着いてきて、今好きな女形の一人だなあ。

…まあありていにいえば、あと数回松竹座には行くわけですが、ほとんどパス対象の演目ではあります。別につまらなくはないんだけど、見なくても損した感がないというかw早めに美味しいものを食べたほうがお得というかw

 

松竹座昼夜見て、全体に感想は芳しくないのですが(特に女座頭)w、かといってこれからせっせと通う自分を後悔してるかと言うとまったくそうではなく、父親不在、座頭不調、こういう逆境でもきちんと芝居をし、浅い演目なりに、眼一杯踊っている勘九郎そのものは本当に敬服に値しますし、こういう経験は絶対将来またまたプラスに働くに違いないと思っていますので、できるだけ、彼の演じる、踊る姿をたくさん見ておきたいという気持ちに、一ミリもブレはないのでした。www

 

 

 

 

 

 

 

 


山あり谷ありvol.1昼の部

2012-09-02 | kabuki en dehors de Tokio

松竹座勘九郎襲名興行初日二日目見てきました。
写真は二日目、先斗町総見。
関西はこれがあるから好き!

残暑&雑用でだらだらしていたらあっという間に帰京後4日。
勘ちゃんの芝居以外はなんも覚えちゃいねぇw状態になってしまったのだが。まあ二日分まとめてやっつけておきます。

と思ったら長くなってしまいそうなので、とりあえず昼の部だけ。

昼の部

妹背山御殿

何が強烈って、特に初日の七之助の汗。中村屋三人のなかでは唯一ほとんど汗をかかない体質で、女形向きだなあと思っていたのだけれど、びっくりするほどの滝汗。首周りなどおしろいが剥げ落ちて、白塗りがほとんどなくなっちゃってる。前方席だったせいか、ぼたぼた床に滴り落ちる汗の量。一瞬兄がダイエットして化けてるのかと思っちゃった(嘘)くらい。

お三輪という大役の初日ゆえの緊張感なのか、30を目前にして魔の波野体質が弟にも現れてしまったのか。後者だと、女形にとってはマイナスだよなあ。芝雀さんとか、いい芝居しててもどうしてもぼたぼた汗が気になるもんなあ・・・
二日目はやや汗量が減っていたので、緊張の汗だといいんですが。

というのが最大の感想でしてw

まあいわゆる朝イチの花形芝居だから、気楽に見ればいいんですが、芝居としてはそう気楽に見られる内容でもないんで、そこらへんが難しい。

まず、大汗七之助。がんばってるのは確か。そこここに玉様ご指導の影も感じられて。ただそれがいいかというと、玉三郎と七之助、顔は似てるけど、まったく芸質が違うんだよなあ・・・と改めて確認。
玉三郎のお三輪は、というより玉三郎の芸は誰かに譲ったり教えたりする類の、受け継がれていく芸じゃないと思う。唯一無二、玉三郎だから許される、という感じ。だから七之助が玉三郎に教えを請うのは絶対に違うと思う。
芝翫が死んでしまったのが痛恨の極みだけれど、福助に教わったほうがきっとお三輪もよかったんじゃないのかな。
そこここで見せる愛嬌、いじめられてるときのきょとんとした顔→絶望に変わって、そして花道での豹変。いわゆる擬着の相、ですな。
玉三郎写しで、玉三郎ではない役者がやるとことごとく、「そらぞらしく」「やりすぎに」見えてしまうんだよね。そこに七之助自身の技術の未熟さも加わって、特に花道の場面などは見ていて笑ってしまったほどだった。
あと、これは初日近辺で役が手にはいってないせいだろうけど、初日は髪がうまくザンバラにならなくて、やたらそこばかり気にしていたり、二日目は、御殿で橋之助の出が少し遅かったのを、待ってしまったり、段取りを気にしすぎてるのも目立った。役になりきってたら、御殿なんて、橋之助があせるほどずかずか踏み込むはずだよねぇ、なぜそこで待つ?みたいなw。
七之助お三輪でいちばんよかったのは、ほとんどしどころがなくなった最後の落ち入り。鱶七実は金輪五郎の橋之助に致命傷を与えられ、その理由を聞かされて後、納得して死んでいくお三輪の、愛する人のお役に立ててうれしい、だけどせめて一目会いたい、そしてもう眼が見えぬ・・・となるくだり。若い七之助ならではの哀れさ、可憐さが遺憾なく発揮されていたと思う。

ただそこに至るまでがねぇ・・・

七之助以上の超花形での求女(新悟)、橘姫(壱太郎)コンビ。壱太郎は、世間知らずで一途な姫をよく演じていたと思う。七之助との芸質、ニンを比べると本当は壱太郎がお三輪のほうが合うようにも思うが、まあいずれやるだろうから楽しみにしておく。
問題は新悟。白塗りとはいえ、前髪でもない立役はほぼ初めてじゃなかろうか。女形ではどんどん巧くなってきたなあと思っていたのだが、立役、しかも表裏のある二枚目という難役はさすがに歯が立たなかったようだ。なにより、お三輪と橘姫が死を覚悟して追いかける!という色気がほとんどないのだなあ。そこが説得力持たないとこの芝居全部が成立しないわけで。
座頭格の役を一人占めの感がある橋之助。残念ながらこちらの鱶七も貫禄不足は否めない。
というわけで全体にいくら花形朝イチとはいえちょっと軽すぎでしょ?のなかで、鬼官女軍団、中でも橘太郎が芸達者ぶりで魅力的。今月の鬼官女は怖すぎないところが、好き。ちゃんと女のいびりに見えてる。
あと、豆腐買いの翫雀が作りすぎず、わざとらしすぎない温かい笑いで、場をさらっていた。この芝居でいちばん拍手が大きかったのが豆腐買いじゃなかったかしら?w

あ、もうひとつ感動したのが愛太夫。高音の美声が特徴だと思っていたのが、低音も聞かせるようになって、葵太夫の後継者としての表現力も増してきた。今のところ玉三郎の最大の功績(lavie調べ)は、愛太夫を育てたことだなあ。七之助の表現の未熟さがかなり愛太夫ですくわれていた気がした。


俄獅子/団子売

特に初日、俄獅子の橋之助・扇雀コンビの振りが入ってないのにあきれた。互いの動きを眼で測ってあわせようとして失敗して苦笑い、みたいのには客のこっちが苦笑い。ほかの大きい芝居の稽古が先で、二人きりで踊る軽い幕が後回しになるのはしょうがないといえばしょうがないんだろうが、国宝級のお年寄りならともかく、働き盛りの二人のこういう姿はあまり見たくなかった。二日目は振りがほぼ入っていたのでまあいいか(よくない!)。

団子売は、逆に振りが入りすぎていてw、なんというか新しさがないなあ。
動けて、愛嬌があって、夫婦としての愛情も感じさせて。当代の団子売りでは1.2を争うものだとは思うのだが、なんというかそこを超えた深みがないのよねぇ。まあ深い踊りでもないんだがw
たとえばいつも兄弟の踊りを見るたびに比較してしまう三津五郎勘三郎のコンビと比べると・・・いや、団子売を最後に踊ったのってたぶん10年は前だと思うので、そろそろそれに近づいて欲しいなあと思ってしまうのも過度な要求ではないと思うんだけど。一度、(回復したら)染五郎杵造で見てみたいなあと思ってしまったのも事実。

団子売前に短い口上がつく。兄弟だけの口上で最初は大丈夫なのか?と思ったけれど、二人とも立派な口上ぶりで、ほっと一安心。始まる前はせめて前幕から叔父だけでも付き合ってやれば、と思っていたのだ。ひよこ扱いしてごめん。


瞼の母


これがもう・・・大問題で・・・。

いや、勘ちゃんは大熱演&超かっこいい(個人的には渡世人の新歌舞伎ものはそんなに好きじゃないので満足度はともかくとして)し、亀鶴竹三郎の家族は、序盤の涙をしっかり誘ってくれるし、橘太郎歌女之丞の擬似母たちもすばらしい出来だし、妹役の七之助も可憐で純粋でとてもいいし、芝居としてはかなり初日から出来上がっていて、よかったのですよ。

瞼の母さんがねぇ・・・

なんなんだろう・・・

気が入ってない?勘三郎いないから適当でいいと思ってる?

「命がけで守るといってくれました」と勘九郎が言ってたのは大嘘?

と思ってしまうほど酷いんです。

 

まず、せりふが入ってない。これは百歩譲ってしょうがない。玉三郎といえども国宝のお年頃。台詞の入りが悪くなることもあるだろう。

ただ、その入ってなさが、尋常じゃないというか。

プロンプはついてなかったのかなあ、意地かなあ。

あーうーだらけ、うん。これは我慢する、初日だし。
肝心の出てくる台詞の内容が、芝居の筋すら変えてしまうような、芝居を理解してないんじゃないの?と思われるようなとんでもなのよ。

息子が5歳のときに去り状を出され、息子を置いて家を出る→その後息子は9歳で死んだと聞かされてる、というのがあるべき筋書きなのだけれど。
息子は5歳で死んだ、といったり、息子とは死に別れたといってみたり、どこから出てきたのか7歳のときに・・・と急に言ってみたり。これってなんらかのボケの症状?詐話状態?

そういう類の、「ストーリー自体を理解してない?」と思われる間違いが散見されて。これって80代国宝様たちでも見たことなかったよ。

そのたびに後を引き取って本筋の台詞を繰り返したり、フォローにいそしんでいたのが、忠太郎さんこと勘九郎さん。
勘九郎が逆に身体を張って命がけで芝居が壊れないように、そして国宝玉三郎を守っていた、というのが初日の偽らざる印象でした。

なにやってんだよ国宝おばさんおじさん!(怒!怒!怒!)

二日目は大分ましになってはいたもののまだまだおぼつかない台詞で、いったいこの方はどうしちゃったんでしょうか。
あと、これはたぶんわざとだと思うのだけれど、突き放した物言いがわざとらしくて、とても似合わない。冷たく見せている、のではなく本当に冷たいのでは、と感じちゃうんだよね。これはニンの問題で、この役を玉三郎がやることに無理があったのかも。一座だったら秀太郎がよかったなあ。竹三郎でもいいけど、こちらはちょっと温かくなりすぎちゃうかもしれないね。

まあ玉三郎が瞼の母をやる、ってことで集客できる事情があるっていうのはもちろん承知の上で言っておりますんで。

とりあえず最大の問題であるトンデモ台詞だけは日がたてば改善去れていると思うので、次回の観劇はぜひとも別の、ポジティブな感想を書きたいと思います。

上述したとおり瞼の母役の人「以外」は本当によかったので。